第三十章:後退
イヴァンはじっと息を殺して様子を窺った。
T72の後方には、装甲兵員輸送車と数台のトラックが続いている。砲撃で威嚇し、建物を破壊しながら確実に前進してくる。
「……まだだ」イヴァンは小声でつぶやき、ミコラの肩を押さえた。
若者の呼吸は荒く、今にも飛び出しそうだった。
T72がカーブを越えた瞬間、後方の車列は一時的に視界が遮られる。
「今だ、照準は後ろだ」
イヴァンの合図と同時に、隠れていた国防軍が一斉に撃ち込んだ。
RPGがトラックの一台を直撃し、炎が上がる。銃声と爆発音が狭い道に反響する。
敵歩兵が散開しようとしたが、数は少ない。しかも道路脇の地形を把握していない。
イヴァンは素早く撃ち込み、すぐに身を隠した。
「逃げろ!」
彼の叫びと同時に、仲間たちは次々に退避していく。
だがミコラは、怒りに駆られてもう一発撃とうとしていた。
イヴァンは彼の腕を強く引き、瓦礫の影に押し倒す。
直後、T72の砲塔が轟音とともに火を吹き、彼らがいた場所を吹き飛ばした。
粉塵と衝撃が走り、耳がキーンと鳴る。
「……だから言ったろ、深追いはするな、と」
イヴァンは低く叱責しつつ、必死に息を整えていた。
それでも、敵の前進は確実に遅れていた。
元気だったミコラも、だんだん口数が減ってきた。
撃っては逃げを繰り返し、少しずつだが敵を削ってはいる。だが敵はあまりにも数が多い。
感覚的にはこちらの3倍ほどはあるだろうか。こちらは少しずつ仲間が減っていく。
武器も残り僅かだ。
イヴァンはいった。「なあに、気にすることはない。ナポレオンだって、ちょび髭だって、いい気になって攻めたせいで俺達は勝った。ここを奴らの墓場にしてやる」
ミコラは泥と血にまみれた顔を上げ、イヴァンの言葉にかすかに笑った。
「……あんた、歴史好きなんですね」
「まぁな。歴史ってのはな、結局いつも同じことの繰り返しだ。強そうに見える奴ほど、最後には足元をすくわれる」
彼の声は低く、しかし確信めいていた。
だが、ミコラにはその確信がどこから来るのか分からなかった。
仲間がひとり、またひとりと倒れていくたびに、胸の奥が冷たく締めつけられていく。
砲撃で砕け散った民家の残骸の中に隠れながら、彼は膝を抱え込むようにして呼吸を整えた。
手にした銃はすでに弾倉が乏しい。背中のバッグには、残り数本のマガジンと乾パンだけ。
「イヴァン……俺たち、本当に勝てるんですか?」
若者の声は震えていた。
イヴァンは煙で曇った空を一瞥し、口の端を吊り上げた。
「勝つさ。俺たちがここで踏ん張れば、あいつらは前に進めねぇ。時間を稼げばいい。俺たちの後ろには街がある、家族がいる。墓場になるのは、あいつらだ」
彼の瞳には疲労の色が濃かったが、それ以上に燃えるような意志があった。
ミコラは無理やりうなずき、再び銃を構えた。
そのとき、遠くで戦車のエンジン音が響いた。
低く唸るような轟音が、徐々にこちらへ近づいてくる。
「……来やがったな」
イヴァンが呟く。
次の決戦の気配に、二人の呼吸が静かに揃った。




