五 中庭の散策
「今日は宿の中庭を案内します!」
宿にきて三日目。
来たときは、歩く力が落ちていて、歩くときにふらついてた。
しかし、宿で過ごすうちに体力が戻ったようで、足腰が安定したことを確認したコミツにより、部屋から出ることになった。
ソタナには入浴用の風呂以外の施設もあるらしい。
施設の中でも、人気の場所である中庭に行くことになった。
「いつでも中庭には行っても大丈夫ですよ」
「中庭には何があるんですか?」
「それは、見てからのお楽しみですよ!」
あまりにもコミツが楽しそうに言うので、つられてミヨも楽しみになってきた。
中庭は廊下の途中にあるガラス戸から入る場所にあった。
二人が入ったときにはすでに沢山の人がいた。
みな、ミヨと同様に浴衣を着て、楽しんでいるようだ。
誰もミヨが中庭に入ってきたことに気づきもしない。
ミヨはそのびっくりして声をなくしてしまった。
「ここにいる人たちも、魂の療養に来られているんですよ」
ということは、この人達も人間界で生を終え、冥界にきた人たち、ということだ。
色々な人がいるはずなのに、笑顔で過ごしている。
「さあ、行きましょう」
中庭は細長く散歩道が設けられており、かなり奥まであるようだ。
中庭全体に温泉特有の匂いが満ちていた。
散歩道を歩くと、その両側に温泉が流れているのが見えた。
その傍に設置されている椅子に座って、裸足を温泉につけている。
「こちらは足湯です。足だけでも浸かると気持ち良いですよ」
その他、屋台のようなものもいくつか見られた。
屋台の中には、コミツと同じ従業員の服を着て、飲み物などを渡しているようだ。
「屋台では、普段の食事では出てこないお菓子とかを用意しています!」
人々は、散歩をしながら、足湯につかりながら、しゃべりながら、飲食を楽しんでいるらしい。
屋台はそれぞれ置いてあるものが違い、コミツの説明が止まらない。
「こっちは温泉サイダー。あと温泉せんべいに、温泉まんじゅう!全て温泉水が使われていて、治癒力満載です!」
「ねぇ、コミツさん。疑問だったんですが……」
ミヨはちらり、と足湯に流れていく赤茶色の水を見た。
「食事やお茶にも温泉水が使われているということでしたが、金湯が使われているのですか?」
ミヨはこの数日毎日入っているお風呂を思い出す。
入らなければ綺麗な金色だが、あの赤茶色に見慣れてしまった。
それに、金湯からは鉄さびの匂いがきついし、試しに口に入れてみたら塩味が強かった。
しかし、食事やお茶からはそんな味はしない。
歩く人が持つサイダーの瓶の中身も透明に見える。
何か特別な加工をしているのだろうか。
「ああ!そういえば、銀湯の話をしていなかったですね!」
ポンッと手を叩いて、コミツがそういう。
銀湯。
金湯と反対の色がでてきた。
初めてきく単語だ。
「あそこに行ったほうが話が早いですね」
コミツは中庭の中心部と思われる場所を指さした。
中庭は、大きな『く』の時に曲がっていて、その曲がり角の部分には一際大きく湯気が上がっている場所があった。
「行きましょう」
木で囲まれた、大きな井戸のような場所。
その周りを更に人が集まっている。
近付くと、更に熱さを感じる。
「この中庭には、この銀湯の湯元を中心に作られています」
湧き出ているお湯は高温のようだ。
しかし、その湯元の周りだけは、鉄さびの匂いが少し和らぐ。
「この冥界には三つの温泉が湧き出ています。そのうち、金湯と銀湯が魂の治癒に関わっていて、ここソタナの存在理由です。これが銀湯の湯元。金湯の湯元はまた別の場所にあります」
一つの観光地のようになっているその場所。
湯気を浴びているだけなのに、体が楽になるような感覚にもなる。
「金湯は入浴ですが、この銀湯は食事に使われていることが多くて、サイダーやせんべい、まんじゅうは銀湯が使われています。あ、もちろん銀湯も入浴に使えますけどね!」
「へぇー」
湯気は白い天井に向かっていき、やがて白と同化して消える。
もくもくと自由に上がっていく湯気を見ていると気が和らぐ気がした。
「そして、ここが中庭にある湯元の目玉で!」
コミツの言葉に意識が足元に引き戻された。
湯元から曲がったその先には、ここまでとは異なる風景が広がっていた。
左手には足湯と屋台。
右手には、小さな籠が沢山つるされている。
浴衣をきた人々が籠を出し入れしている。
「左手の足湯は銀湯の足湯です。足を付けても透明のままです。で、屋台では色々な食材があって、右手の銀湯で湯がくことができます」
「湯がく………?」
「ええ。温泉卵とか、野菜の温泉蒸しとかが人気ですよ!」
よく見てみると、卵を持った人、南瓜や人参を手にもち、籠に入れて湯に沈めていた。
またある人は、沈めた籠を取り出し、足湯まで持って行き、食べている。
「この銀湯はかなり高温なんですが、丁度よく仕上がるんですよ。その上、銀湯が持つ治癒力も含まれるので、おすすめです‼」
できあがった温泉卵をおいしく食べる人々。
きっとおいしいのだろう。
「さて………もしよければ、何か好きなものをもらってきますが、どうしますか?」
「そうね……」
広さはそこそこある中庭。
死ぬ前も含めて、こんなに歩くのは久しぶりかもしれない。
少し疲れた気がする。
「ちょっと疲れたから、今日は部屋に帰って、明日また来ようかな」
「いいですね!もしお部屋で必要であれば、私がもらいに行きますから、言ってくださいね!」
コミツは笑顔のまま、表情を変えることなく、同意してくれた。
その対応がミヨにはありがたく、心地よいと感じるようになっていた。
コミツにとって中庭はとても特別な場所のようで、廊下に戻るまでの間も楽しそうに話をしてくれた。
だからこそ、ここで何かを頼んだり、足湯に浸かったりしたほうがよいのだろうが。
「あ、でも無理しなくていいですからね!ミヨさまの体調が一番ですから」
気分を悪くする様子もなく、コミツはそう付け加えた。
ミヨにはありがたかった。
中庭からまた宿の中に入る。
ちらり、と、中庭を楽しむ人々を振り返りみる。
「……」
人が多いところにいることは居心地が悪い。
だが、中庭にいる人は誰一人としてミヨの方をみていない。
みな、自分のことに夢中になっている。
その感覚が新鮮で、寂しいような、安心するような。
「ミヨさま?」
「……」
ここにきてから、気持ちは時々ぐちゃぐちゃになる。
今までにない感覚をもつ。
ミヨの名前を呼ぶコミツをみると、心配そうな顔をしていた。
「つ、疲れちゃいました?すいません、私、夢中になってて」
「あ、全然、大丈夫ですよ」
ぐちゃぐちゃになる感情をどう表現したらいいか、まだわからない。
忘れよう、と目線を中庭から廊下の中に戻す。
すると、一際明るいガラス作りの扉が見えた。
中庭ではないようだ。
「………ここは?」
ちらり、とガラス越しに中をうかがうと、中はくらい。
その中で、何人もの人が横たわっているのが垣間見えた。
「ここは岩盤浴です」
「がんばんよく?」
知らない単語が出てきて、ミヨの気持ちはそちらにもっていかれた。
素直に首をかしげる。
「地獄の岩が敷き詰められた空間になっていて、湯元の温度で暖まる場所です。寝転がって過ごすんですよ」
「へぇ……」
説明だけではあまり想像がつかなかった。
また、気が向いたら行ってみようか、と好奇心がわいた。
こうして散歩だけでも、部屋から外にでて、よかったかもしれない。
「おや」
部屋に戻る途中。
聞いたことのある声が二人に掛けられた。
「ミヨさま、お元気そうで何よりです」
「ヒラサカさま」
声のかかった方向を見ると、初老の男が立っていた。
さらにその奥には、初老の男よりも更に背の高い、冥王がこちらを見ている。
「冥王さまも…」
コミツが慌てて姿勢を正して礼をする。
それに釣られて、ミヨの背筋も自然と伸びた。
「数日ぶりですね」
二人揃ってミヨとコミツに近付いた。
ヒラサカはニコニコしながら声を掛けてくれる。
「コミツの世話は問題ないですか?」
「はい、よくしていただいています」
「それはよかった。ミヨ様の顔色も少し良くなりましたね。歩くのも安定しています」
「ありがとうございます」
「……」
一方の冥王は、表情を変えることなく、赤い瞳で、上から下までを見ていた。
しかし、何か言うわけでもなく、最後にはミヨの顔を見ていた。
「あ、あの、冥王さま……?なにか……」
「いや………」
「そ、そういえば!あの!桃をありがとうございました」
「……ああ」
ミヨはここにあと、部屋で食べた桃を思い出して、冥王にお礼を言う。
少しの沈黙のあと、返事が遅れて返ってくる。
表情は変わらないが、気分を害したわけではないらしい。
「冥王様は、ミヨ様のことを心配していましたよ」
ヒラサカが笑顔のまま、突然そういう。
コミツの笑顔とは違う、形式的な笑顔。
悪意を感じたことはなかったが、少し違和感がある笑みだ。
それには冥王も気付いたようで、眉間に皺が寄る。
「…ヒラサカ」
「今もミヨ様のことを話していたんです。実際にお会いできて良かったですね、冥王様」
「……」
ヒラサカを軽く睨んでいた冥王だったが、諦めたように息をつく。
そして、静かにミヨに近付いた。
「…冥王さま?」
「……たしかに」
ミヨの目の前に立った冥王は、改めてミヨを眺めて、呟いた。
「だいぶ顔色もよくなった」
「あ、ありがとうございます……」
「だが……」
冥王の視線は、ミヨの顔から頭の方に移動した。
「………その髪はそのままか」
「髪…ですか?」
紺の髪に白髪交じり。
白髪交じりの髪は、ここにきて確認したきりだ。
でも、左側の後れ毛だけはよく見えるので、たまに見るが、何も変わっていない。
「……ああ」
「…!」
気がつけば、冥王の手は、件の左側の白髪を一房、手に取っていた。
「め、冥王さま⁈」
「この髪は……」
一房の白髪。
そこから手を離した冥王は、心なしか悲しげな顔をしていた。
「……私がお前を殺したときに気がついたものだ」
「……」
冥王にどう返事したらいいかわからず、ミヨは黙ってしまった。
冥王はそれには気付く様子もなく続けた。
「私がお前を殺すまではなかった。私が殺したとき、その『死』への衝撃が大きかったのだろう。戻るといいが……」
「えっと……」
今まで髪のことをきにかけてくれる人などいなかった。
なのに、殺した相手の髪の色を気にするなど。
「冥王様、もし、ミヨ様の魂の傷がこの髪の色なら、ここで治るかもしれません。様子を見ましょう」
「ああ」
「中庭に行ってきた帰りですね。気をつけてお部屋まで帰ってください」
最後に「無理はなさらずに」とヒラサカが笑顔で声をかけてくれる。
隣で冥王が静かに頷くのが見えた。
「それでは失礼します」
二人から離れた場所で、コミツが「大丈夫ですか?」と声を掛けてくれる。
「だ、大丈夫です……」
大丈夫ではない。
あんな風に髪のことを言われたことはなかった。
ミヨの気持ちはまたぐちゃぐちゃになった。