遷都
銀河標準暦一一九五年。
銀河帝国とクテシフォン同盟と衝突したユフラテス戦役が終結してからおよそ二年の月日が流れた。
この二年間、銀河系を二分するような大規模な戦争は一度も起きておらず、銀河系は皇帝ルクスの指導の下で急速な復興事業が推し進められている。
しかしその一方、インペリアル・ネットワーク・エクスプレス、通称INEとアマルフィ財閥による貿易戦争は熾烈を極めていた。
どちらも顧客を獲得するために値引き合戦を繰り広げ、利益を度外視した価格設定は双方の経営を大きく疲弊させる事態を引き起こした。
だが、銀河系の物流を担う二つの大手企業が異常な低価格によって展開する物流事業は、銀河系の物流網を一気に活性化させて人と物の動きを促し、復興事業を後押しする大きな力となった事も事実だった。
「とはいえ、いつまでのこの状況を静観はできん。INEは帝国政府からの出資を受け、アマルフィ財閥は財閥全体の豊富な財力があるからこそ、ここまでの値下げ競争を続けられたが、これ以上続けば、どちらも共倒れ。最悪、帝国の財政破綻やアマルフィ財閥の破産といった事態まで誘発しかねない」
報告書を読んで、そう感想を漏らしたのは銀河帝国皇帝ルクス・セウェルスターク。
端正な顔立ちをした若者といった風だったルクスもこの二年で皇帝としての貫禄が付いたのか、どこか威厳のある雰囲気を醸し出している。
「そうですね。それにこれ以上、競争が加速するとアマルフィ財閥もどんな手段を用いてくるか分かりません。クテシフォン同盟の時のように、ルクス様に敵対するような行動に出るリスクも高いかと」
そう私見を述べたのはフルウィ・レピティス。
この二年で身長が大きく伸びて、少女のような可憐さを持っていたフルウィも、今では多くの女性を魅了する美男子へと成長していた。
そして何よりの変化は、奴隷の証である首輪が今の彼の首には無い事だろう。
フルウィは、これまでの皇帝への忠勤ぶりが認められて奴隷身分から解放されていたのだ。
しかし本人の希望もあり、皇帝補佐官という役職を得て今もルクスの傍近くで仕えている。
「大きな戦争は無くなったと言っても、火種がまったく無いというわけではないからな。小さな火種とはいえ、それをアマルフィ財閥に焚き付けられれば、帝国にとっては厄介極まりない。この状況をフルウィはどう対処すべきと思う?」
「……法規制を強化して過剰な価格競争に歯止めを掛ける。もしくは過剰な低価格輸送に対して関税を掛ける。というのは如何でしょうか?」
「良い案だな。INEもアマルフィ財閥もどちらも疲弊しているこのタイミングなら、下がり切った価格を元に戻す良い機会と考えるだろうし、それほど抵抗感も感じないだろう」
「お褒め頂き光栄です!」
「とはいえ、輸送費がこれほど抑えられる今なら、あれを実行するのにちょうど良いかもしれん」
「あれ、とは?」
「遷都だ」
「せ、遷都ですか? しかし、それはもう少し後に行う予定では?」
「そうだな。だが、遷都ともなると膨大な人と物がインペリウムからアウグスタに動く事になる。今なら輸送費は最小限で済むと考えれば、この機に乗じて遷都計画を一気に推し進めるのも有りとは思わないか?」
「たしかに、ルクス様の仰る事も一理あると思いますが、インペリウムの有力者が反発しないでしょうか?」
「元老院はもはや形骸化して何の力も無い。アマルフィ財閥などの実業家に対しては遷都事業に関連する発注を行えば、むしろ好機と考えるに違いない」
「なるほど。流石はルクス様です!」
この後、ルクスはドレルジーニ元帥などの遷都計画に携わっている軍人、官僚を招集して会議を開き、そこで遷都の実施を前倒しにする事が決定するのだった。
◆◇◆◇◆
銀河帝国の帝都は、皇帝ルクスの発布した勅令によって正式にインペリウムからアウグスタに遷される事が発表された。
これまでインペリウムを守っていた帝都防衛司令部はインペリウム防衛司令部へと名を改めて存続し、その長官職にはルイス・トルーマン中将が引き続き担う事になった。
さらに帝国政府の主要官庁も順次アウグスタへと移転する事になり、そこで勤務する官僚やその家族などを含めると三百万人以上もの人が星々の大海を渡っての引っ越しを行う。
その膨大な人と物の移動は、後に行われた協議の末にINEとアマルフィ財閥がほぼほぼ折半する形で請け負う形になった。
「せっかくですので、これを機会にファウスティナ様をアウグスタにお招きになっては如何ですか?」
遷都に向けて様々な庶務をこなす中、一息ついたタイミングでフルウィはルクスにそんな事を問い掛けた。
帝国貴族の中でもトップクラスの名家であるクリーヴランド公爵家の令嬢である彼女は、ルクスがアウグスタに居を移してからもインペリウムに留まっていた。
「ファウスティナはインペリウムから一度も出た事が無い。そんな彼女を私の都合でアウグスタに連れてくるわけにもいかんだろう」
「そんな事はありません! ファウスティナ様はきっとルクス様からのお誘いが来るのをずっと待っているはずです!!」
いつにもなくフルウィは声を荒げてルクスに詰め寄る。
その勢いにルクスは思わず狼狽えてしまった。
この二年間、ルクスは一度もインペリウムを訪れてはおらず、当然ファウスティナと会ってはいない。
インペリウムの貴族が不穏な動きを見せた際に連絡をしてくれたりとコンタクトがまったく無かったわけではないが、その全ては公務上のやり取りであり、以前のようにプライベートで会う事は無かった。
「知っていますか? ファウスティナ様はこれまでに何度も縁談のお話が来ていたそうですが、その全てを断っておいでなのです。それはルクス様がお招きになるのを待っているからに違いありません!」
「そ、そうだろうか?」
「間違いありません!」
「……分かった。後で使者を、」
「ルクス様が直接お伝えするべきです!!」
ルクスの言葉を遮って、フルウィは険しい表情でさらに畳みかけた。
普段、激昂する事も無ければ我儘の一つもろくに言わないフルウィがここまで言うのは珍しい。
そう思ったルクスは根負けする形で「分かった」と返すのだった。




