第3幕 2.巫女は秘密を抱いたままで
【 守られた巫女の秘密 】
「ダリアン、お前の巫女としての職務を今後一切解くとする」
ダリアンは呆然とした表情で王を見上げた。
「何故、そんな顔をする?」
「……」
「それがお前の望みなのだろう?」
「……はい」
イルファルハンとの国境付近に駐留していたバルフ軍は、撤収の準備を始めた。
ダリアンは荷馬車へ戻り、ミーナの棺の前でぼんやりと座り込んでいた。
「これからどうするんだ?」
ぼんやりしていたダリアンは、突然の声に驚き顔を上げた。
荷台へと乗り込んできたユージンは入り口辺りに座りダリアンを見つめた。
「ミーナと……ミーナを送って、それから……」
ユージンはダリアンの言葉に耳を傾け、追い付かない気持ちを察するかのようにただ頷いた。
「わたし、もう巫女じゃない」
ダリアンの大きな瞳から涙が溢れ、ぽとり、ぽとりと落ち続けた。
生まれた時から王女であり巫女だった。
民の幸せと国の安寧を常に願い続ける役目は、誇りであり、国が栄え民が健やかであることがダリアンの喜びであった。
魔神が去るまでは……、
その重い秘密を抱え、嘘と恐怖に苛まれる日々に押し潰されそうになりながら毎日を耐え、それでも人々のために祈るしかなかった。
何処に逃げることも出来ず。
イルファルハンへ行くことで、どこかその重責から逃れられると考えていたのかも知れない。
その愚かな選択のせいで、大切な友人を亡くしてしまった。
もっと早く真実を打ち明けるべきだった。
巫女の職を解かれ、ただの王女に戻ったところで、ダリアンの心が軽くなるなどありえない。
むしろ以前にもまして重く鬱いでいた。
未来など考える余裕などあるわけがない。
ユージンはダリアンの側へ近付き、震える肩を抱いた。
「何も考えるな」
ダリアンはユージンの胸に顔を埋め、ただ泣いた。
自分の無力さ、悔しさに
過去へ戻れたらいいのに、戻る?
どこへ戻るの?
アデルが馬から落ちたとき?
それとも私が巫女の命を受けた6歳のとき?
戻ったところで何も変わらない、きっと同じ事をして、同じ運命をたどるだけだろう。
だって、戻るのは私。
そう、愚かな私なんだから。
例え魔神がいたとしても、こんな愚かな私がちゃんと使えるわけがない。
むしろ、早々にそんな強い畏れを手放して良かったのかもしれない。
【 温もりに身を任せて 】
「海を見たことはあるか?」
ダリアンはその声の響きをユージンの胸から聞いた。
その響きは低くゆっくりとダリアンの心に沁みていく。
「海?」
ダリアンはユージンに身を預けたまま、小さく呟いた。
「見に来ないか?」
「海を?」
「落ち着いたら」
「海……」
「ラシュトはいい街だ、気候もいいし、人もいい、活気があるからきっと元気が出る」
「ラシュト……」
「きっと気に入ると思う」
「……そうね、行ってみたい」
ダリアンは遠い異国の街並みを思い浮かべた。
爽やかな海風、どこまでも続く砂浜、青い空とそれを映す広い海。
誰も私の罪を知らない場所。
「食べ物も旨いし」
誰も私を知らない街で生きていくのは一体どんな感じだろうか?
見知らぬ土地で見知らぬ人達と言葉を交わし、季節の風を感じながらゆっくりと歩く。
自分なりのペースで自由に……
「ユージン」
ダリアンは顔をあげユージンの顔を見上げた。
彼の瞳の中に、その景色が見えるようだった。
そこに生きる賑やかで自由に生きる人々。
彼の瞳は、空と海とが混じりあったように明るく輝いていた。
ダリアンが、彼の名をちゃんと呼んだのは初めてのことだった。
「どんな気持ちだった?
国から捨てられるというのは……」
突然の問いかけに、ユージンはダリアンを無言で見つめた。
「あっ、その、ごめんなさい」
ダリアンは自分の口から出た問いかけが、さすがに辛辣すぎるものだったと気づいた。
「捨ててやった、そう思えばたいして辛くはなかった」
ユージンは、ダリアンの乱れた前髪を優しく直すと、頬にひかる涙をぬぐった。
ダリアンは自分の頬に触れたユージンの手を握り返す。
「こんなにあたたかい人なのに」
ダリアンはもう一方の手を伸ばすと、ユージンの痛々しく爛れた目の傷に指先を当て、その傷の跡を追った。
「このときそばにいて
あなたを抱き締めてあげたかった」
どんなに痛かっただろうか、辛かっただろうか、その絶望と悔しさを、どう乗り越えてきたのだろうか。
ユージンは目を細めダリアンを見つめた。
そして顔を傾け徐々に近づけていく。
ダリアンはユージンの温かな唇を受け入れ、瞳を閉じた。




