第2幕 11.聖なる巫女の千一夜
【 瞬く碧星 】
「サウル王子、そうでしょう?」
ダリアンはユージンの濡れた前髪をそっと分け傷のある左目を露にした。
「……友達っていうのは」
「懐かしい名前だな」
ユージンは暖炉の火に向き直った。
「サウル王子って、ギルディール王子が話していた……」
ミーナは両手で口を覆った。
「事故にあって宮殿を追い出されたと聞きました」
「王子は、宮殿を出る前には死んだ。国王と、いや先代の国王と、同じ毒を飲まされて」
「なんて惨い……アリアナ国王って本当に悪魔のような人ですね」
ミーナは首を左右に降り眉根を寄せた。
「もうひとつ謝ることがあります」
「ひとつどころじゃないと思うが……どの件についてかな?」
「バザールで、その……顔の……目のことを……」
「ダリアン」
ユージンはダリアンの言葉を遮った。
「いきなり呼び捨て?」
話を遮られたのと、呼び捨てにされたことで、ダリアンは些か憤る。
「俺もスラオシャに会って聞きたいことがある。何事もなけはればもうバルフに到着していると思うが」
「それなら、もう会わないと思うわね。残念だけど」
ダリアンは明後日の方を向き答える。
「そうか、そうだな……」
「でも、お金も返さなきゃいけないし、一緒にバルフまで行くっていう手もあるかもしれないわね」
今度は髪の毛先を束にして、クルクルと指に巻きながら言った。
「……いや、金はいい。商品を仕入れるために必要だったが」
「仕入れ?」
「俺は商売人だ。船であちこちに商品を運んでいる」
「そう」
ダリアンは唇を尖らせつまらなそうに下を向いた。
「ところで、あんたはなぜ逃げ帰るんだ?婚姻は破談か?」
「破談も何も、初めからアリアナ国王は姻戚関係なんて望んでなかったから」
「どういうことだ?」
「国王はリュトンを口実にバルフに攻め入り奪おうとしてる。次の満月までにリュトンを持って来なければ攻めると。だからスラオシャはリュトンを取りに行ったの。私達のために」
「リュトンか……」
「そういえばあなた、聖杯を持った巫女を知っている?」
「巫女?」
「一緒に林檎と薔薇を盗んだんでしょう?その時に巫女を名乗った女がいたとか」
「あれこれ説明するのは面倒だが、それは誤解だ。あの子は巫女じゃない」
「でも、リュトンを持っていたんでしょう?」
「……ツキは巫女でもないし持っていたのは、ただのランプだ」
「ランプ?」
「そうだ」
「そうよね、リュトンがこの世に2つあるなんてありえないもの」
ダリアンは何度か頷いた。
「ところで……とても厚かましいお願いだとは思うんだけれど……」
「身分の高い人間からのお願いは、お願いとは言わないだろ」
【 甘い誘惑は嘘を隠す 】
「バルフの王女様が庶民にお願いなんかするのか?」
「王女だと思っていないクセに」
「いや立派な王女様だ。配慮のない言動、傲慢な思考、それから奔放で無鉄砲」
「ええ、全てを褒め言葉として受け取っておきます」
「利己的な理解力、の追加」
「では、率直に言います。雨が止んだらあなたの馬を貸して欲しいんです……どうしても今夜までにバルフに戻りたいの」
「俺に歩いて行けと?」
「まぁ、それはとても心苦しいんだけど、今は国と国との重大な局面にあるわけだから、多少の奉仕や犠牲は仕方ないのでは?」
ユージンが目尻に皺を寄せ笑った。
「わかった馬はやる。その代わり欲しいものがある」
「ええ、何でも言ってみて。今は無理でもバルフに戻ったら必ず用意させるから」
「では、まず彼女を外に」
ユージンがミーナをちらりと見た。
「ミーナを?」
「駄目です」
ミーナが厳しい顔で首を横にふる。
「外は雨が……」
「雨はやんだ」
いつのまにか屋根を叩く雨の音がしなくなっている。
「馬が欲しいんだろ?」
「わかりました……ミーナは外へ」
「……何かあったらすぐにお呼び下さい」
ミーナは外套を羽織り、心配そうな顔をダリアンに向けてから、小屋を出ていった。
「さぁ、欲しいものとは何ですか?」
ユージンはダリアンの顔をじっと見つめた。
ダリアンもその碧い瞳から目をそらせなくなり、ユージンが距離を縮め徐々に近付いてきてもそのまま動かなかった。
ダリアンは自分の鼓動の早まりに驚き、今まで感じたことのない感情に戸惑ったが、拒もうとは思わなかった。
ユージンの指がダリアンの髪に触れ首筋を伝い頭を支えた。
「欲しいのは……」
ダリアンは瞼を閉じて次に続く言葉と彼を待った。
「大変です!!」
ミーナが勢いよく扉を開けて小屋へ戻ってきた。ダリアンは慌ててユージンから離れる。
「イルファンの兵士達……」
ミーナは2人のただならぬ雰囲気に一瞬静止したが、直ぐに駆け出してユージンからダリアンを引き離すように引っ張った。
「さぁ、王女様!」
ユージンは外套を脱ぎ、自分の破れたシャツを眺めるがすぐに諦めたように袖を通した。
「馬は先払いにしておく、要求はこの次に」
ユージンはミーナの手から剣を奪い、外套をダリアンの肩へかけると外へ出た。
ダリアンは急いでラジャバードを懐に入れた。
「あの道を進めば沙漠に出る」
ユージンは馬1頭がやっと通れそうな小道を剣の先で示した。
「ユージン」
「心配するな。追われているのは俺だ、さぁ行け」
ミーナが手綱を持つのを見てから、ユージンは馬の尻を叩いた。




