第2幕 10.聖なる巫女の千一夜
【 雷鳴は畏れを連れてやってくる 】
ミーナが扉を叩くが返事はない。扉を開き中を覗いた彼女はダリアンを呼んだ。
「誰もいませんが、ここでひとまず雨宿りをしましょう」
馬を繋ぎ小屋に入ると緊張が解けたダリアンはすぐに座り込んだ。
ミーナはダリアンの外套を脱がせ剣を外した。
絨毯も腰当ても何もない、砂だらけの床だったが、雨を凌げ疲れた体を休めることが出来るだけでも有り難かった。
ミーナが暖炉に薪を入れ火をつけると、ラジャバードがダリアンの懐から抜け出して、火の前で体を伸ばし毛繕いを始めた。
「王女様もっと火の側へ、そのままでは風邪を引きます」
「雨、止むかしら」
「雷の音が近付いてきましたね」
閃光と雷鳴が小屋の真上までやって来た。
ゴロゴロと恐ろしげな音をあげ、強まった雨足が小屋の屋根を激しく叩くようになった。
ラジャバードがダリアンの傍へ近寄り不安そうに彼女を見上げている。
「雷は嫌い」
「誰も好きな人なんていませんよ」
「大きな音でビリビリ響くでしょう?それがもう……ほらっ、ひかった!」
ダリアンは耳を塞ぐ。
その雷鳴とほぼ同時に扉が開け放たれた。
空気を震わせる雷の轟きを背負い、扉に黒い人が立っていた。
「ひゃっ!」
人影に気付いたダリアンが悲鳴を上げた。
ミーナは咄嗟に床に置いた剣を手に取りダリアンを庇うように前へ出た。
「すまないが、暫く雨宿りをさせてもらえないか?」
ずぶ濡れの男が頭から水を滴ながら立っていた。背中に弓を背負っているが矢筒には1本も矢が入っていない。
「駄目です、他をお探しください」
ミーナは凄みのある声できっぱり言うと男を睨んだ。
ミーナは男から雨の匂いと共に血の匂いがするのを嗅ぎとっていた。
「怪しいものではないんだが……」
男は濡れた髪をかきあげ、困ったように笑った。
「ちょっとまって、あなたは……」
ダリアンは男を見て驚く。
バザールで自分を辱しめた隻眼の男がまた目の前に現れたからだ。
「あれ?何故あんたがこんな場所に?」
「王女様、知っている男ですか?」
「気をつけて、こいつは泥棒よ!」
「泥棒?……そういえばあいつに俺の金を返してもらうの忘れたな。泥棒はそっちだろ」
「王女様に向けて聞き捨てのならない言葉です!」
「スィオに、スラオシャに会ったの?!」
「そうか……あんたが持っているのか」
「どこで会ったの、スィオはバルフに無事に着いた?」
「彼の名前はシミズじゃなかったかなぁ。ツキはそう呼んでいたけど……」
「早く答えなさい!」
詰め寄るダリアンを、男は目を細めて見下ろした。
「まずは、俺の金を返してもらうか。ダリアン王女」
【 王女の秘密を知る男 】
「まずは俺の金を返して貰おうか、ダリアン王女」
「どうして私を知っているの?……あなたは何者?」
「王女様、お気をつけ下さい」
男に近づこうとするダリアンへ、ミーナが注意を促した。
「確かに私はバルフの王女、ダリアンです」
「ユージンだ」
「ユージン……、あなたのお金は盗んだわけではありません。私の従者のスラオシャが拾ったものです。ですが謝らなければなりません」
ダリアンは頭を下げた。
「王女様?!」
「お金は……事情があってお借りしました。国に戻り必ず返すように致します」
「使った?あんな大金を?いったい何に使ったんだ?」
「馬を買いました。どうしてもバルフに帰らなくてはいけなくて」
「馬って?随分と高い馬だな。で、その馬はどこに行ったんだ?」
「外に……」
「馬はいなかったな」
ダリアンとミーナは顔を見合せると、ユージンを押し退け扉から外を覗いた。
木の枝に繋いだはずの馬が忽然と姿を消している。
「いません!」
「どうして?!」
「雷に驚いて逃げたんだろう。しっかり綱を結ばなかったんだな」
「そんな……」
「馬を失くしてどうやって……」
「2人だけで、何故バルフに帰るんだ?それにその格好は?」
「あなたには関係ありません……わっ!?!」
ダリアンは慌ててユージンから目を反らした。
「ちょっと、何をしているんですか!」
ミーナが甲高く叫んだ。
ユージンはいつのまにか暖炉の前に移りシャツを脱いでいる。
「何って、服を乾かそうと……」
「王女様の前でなんて見苦しい、そっ、それでも羽織って」
ミーナが火の側で乾かしていた外套を指した。
「そうか、じゃあ遠慮なく」
ユージンは外套を羽織り火の前に胡座をかいた。
「王女様、もう大丈夫ですよ」
「本当に失礼な人ね」
「人の金を使い込んでおいてよく言うぜ」
「あなただって林檎と薔薇を盗んだでしょう?」
「なんでそれを?」
「やっぱり」
「盗むつもりはなかった。結果そうなったってだけだ」
ダリアンはユージンの傍らに座り、指輪を差し出した。
「これはお返しします。大事なものでしょうから」
「……ああ、これか」
ユージンはダリアンから指輪を受け取った。
「ところでそれって、あなたの物?」
「……違う、形見だ」
「形見?……どなたの?」
「友達……だったやつの」
「イルファン王族に友達が?」
「……」
ダリアンが尋ねるとユージンは黙って彼女を見返した。
「サウル王子、そうでしょう?」