第2幕 9.聖なる巫女の千一夜
【 罪と絆 】
「王女様危ない!」
ミーナがダリアンの腕を掴み、自分の方へと引き寄せた。
大きな荷物を積んだロバが、ダリアンの鼻先数センチの所を何頭も通り過ぎて行った。
「ぶつかるところだった」
「あいつら、あんなに大きな目がついているっていうのに、前なんてまったく見ちゃいませんからね、本当にバカな奴等ですよ」
ロバを見送りながら真剣に悪口を言っているミーナがおかしくて、ダリアンはつい笑ってしまった。
「何がおかしいんですか?」
「ううん、何でもない。ただ、あなたが居てくれて本当に心強いと思って。私は何も出来ないから……」
「何をおっしゃいますか、王女様はバルフの大切な巫女様にあられます。民にはその存在自体が必要なのですよ。私は王女様を必ずバルフにお連れします。御心配は無用です!」
「……ありがとう。必ずふたりで戻りましょう」
「はい」
ふたりは手を取り合って決意を強めた。
「街から出るにはどちらへ行ったらいいかしら?」
「とにかく宮殿から離れましょう、馬でも借りられればいいんですけど」
2人は宮殿とは逆の方向へと歩み始めた。
「ミーナ、あそこに馬がたくさんいる」
塀越しに馬の頭が見え隠れしていた。
「馬ですね、表へ回ってみましょう」
2人は珪藻土で塗り固められた白い壁沿を歩いていった。
表の門は広く立派で、両端には看板がわりの旗が立っている。
「ここは宿屋ですね、旅人達の馬を休ませているんです。上手くすれば馬が手に入るかもしれません」
「そうね、入ってみましょう」
2人は開け放たれている門から中へ入っていった。
ダリアンが木の扉を叩こうとするのをミーナが慌てて止めた。
「ダメです!」
「えっ?」
「私達は今、兵士です。しかも女なんですよ」
「あら、そうだったわ」
「絶対に怪しまれます。さぁ、裏の馬舎へ」
「盗むの?!」
馬に馬具を付けているミーナにダリアンが小声で聞いた。
「仕方がないですよ、さぁ早く乗ってください」
「でも、心が引けるわ。泥棒なんて……」
「そんなこと言ってる場合ではありません」
「わかった、そうよね」
ダリアンは胸当ての中から小袋を取り出し中を覗いた。
「相場はどれくらいかしら?」
ダリアンは一寸悩み、指輪だけを抜き取るとそれを馬の柵に結びつけた。
【 遠雷と蜜蜂 】
「暫く我慢してね」
ダリアンは懐の中でじっとしているラジャバードの頭を撫でた。
「さぁ、扉を開けますから」
ミーナは門扉の閂を抜いて扉を押し開けた。
ダリアンは馬に跨がると出来るだけゆっくり静かに、門扉を抜け通りへと出た。ミーナもその後へ続いた。
「行きましょう」
宿屋から少し離れた所で、ダリアンは馬の腹を軽く蹴った。
街中を早足で進んで行くと高い塀が見えてきた。塀と塀を繋ぐ大きな朱門は開け放たれたままで人々や荷車が自由に往来している。
門をくぐり街を出るとダリアンは後ろを振り返り追ってがいないことにほっと息をついた。
馬の腹を数回蹴り速度をあげると、やがて道の両端は青々とした麦の畑が広がる長閑な景色へと変わっていった。
暫く走りダリアンは大きな十字路で一旦馬を止めた。
「あちらは天気が悪そうですね」
正面の空は黒く厚い雲に覆われ、時折白い閃光を放っていた。
雲の下は酷い嵐だろう。
「あの中へ行くのは止めた方が良さそうね」
2人は真っ直ぐ進むのをやめ、雨雲を避け迂回することにした。
日が頭上近くになった頃、先に走っていたダリアンが馬を止めた。
「王女様……」
前方に検問所の小屋があり、イルファンの兵士達が行き交う人々に目を光らせている、
「別の道を行きましょう」
しかし他に道らしい道はない。
「あそこを」
ダリアンは麦畑の間を流れる小川を指した。
2人は土手を下り川の中へ馬を入れた。
細かい砂利の浅い川をゆっくり上流へ進むと、やがて鬱然とした森の中へと入っていった。
森の中には道もなく、そのまま川を行くしかない。
「大丈夫でしょうか?」
「大丈夫……とは言い難い、でしょうね」
2人は完全に迷っていた。
川幅は狭くなり、背の高い樹木が空を隠しているのでどこか薄暗い。
バルフの森なら馴れたものだが、ここは来たこともないイルファンの森である。
しかしイルファンには高い山もなく、ここを抜ければバルフへ通じる沙漠に出る筈ではある。
「もう少し行きますか?」
「どうしましょう。上手く森を抜けたいのだけど」
「王女様見てください。あそこに蜂の巣箱があります」
ミーナの指した木の下に、木箱が置いてありその周りを蜜蜂が飛び交っている。
「近くに誰かいるかもしれません」
「そうね、探してみましょう」
2人は馬から下りると、手綱を引きながら森へと入っていった。
途中から雨が降り始めた。木々の葉を伝った雨粒は大きくなって地面へ落ちてくる。
葉に落ちる雨音が大きくなるにつれ、不安も大きくなってきた。
蜂の巣箱を何個か見つけたが人影は見当たらない。雨で外套が重くなり始めた頃、ようやく2人は養蜂主の小屋らしい建物を見つけた。
「こんにちは」
 




