第2幕 7.聖なる巫女の千一夜
【 時は水のように無味ではない 】
「知ったのは少し後だ。あれが第1王子のサウルだと。子供同士の些細な喧嘩の末の事故、それで済まされた」
「完全なる王はひとつの傷もあってはならない」
ダリアンが先に答えると、ギルディールは小さく頷いた。
「国王はそれを利用した。その時の怪我のせいで正当な王位継承権を失い宮殿を追い出された」
他人事とは思えない話だった。
何故ならダリアンもその掟に縛られ、そのせいで苦しんだ者のひとりであったから。
そして、バルフと自分は今、その恐ろしい国王の手の内にあることを改めて思い知った。
逃げよう。
唐突にそんな決意がわいた。
ここを出なくてはいけない。
ここを出てバルフを守らなければいけない。
たとえ魔神がいなくても―――――。
「あの従者は戻ると思うか?」
ギルディールは寝台から下りるとラジャバードを籠へ戻した。
「彼はきっと戻るでしょう。私がここにいる限りは」
「……そうか、では必ず戻ってくるということだな」
ギルディールは部屋の扉を押し開いた。
「どちらへ?」
何も考えず自然に出た言葉だった。
「なんだ、いて欲しいのか?」
「いっ、いいえ。そういう意味ではありません。決して。本当に。結構です……」
ダリアンはしどろもどろで、ギルディールから目をそらした。
「そこまで嫌うこともないだろう。話しすぎて少し疲れた。部屋に戻って休んでくる」
「もちろんでございます。どうぞごゆっくりお休みください。本当にごゆっくり……」
「ああ、そうだ。悪いが外から鍵を掛けさせてもらう」
親切にはしてくれるが、やはり自分達をここから出すつもりはないということか。
「もちろんどうぞ、そのように」
「それから、履き物を用意した。好きなものを履いてくれ」
大きな鏡の前にいくつか履き物が置いてあった。牢に入れられる前に、履き物は没収されていたから2人は今まで裸足だった。
扉が閉まり鍵のかかる音がした。
いつのまにか籠から出て来たラジャバードが、ギルディールを追いかけ扉の前でウロウロと歩いている。
「どうやら、ラジャバードは王子をお母さんだと思っているようですね」
「ミーナ」
「はい」
「私達、ここから逃げなくてはいけません」
「はい。えっ?!……今なんて?」
「逃げるんです」
「逃げるって、どうやって?」
「どうにかして、です」
「ダリアン様、お言葉ですがここから逃げるだなんて、正直無理な話ですし、現実的ではありませんよ。私達には何もないんです。力もないですし、お恥ずかしながら私は足も遅いんです」
「ええ、あなたの足が遅いのは重々承知です」
ダリアンは履き物の中から走りやすそうな作りのものを選んで履いた。
【 蛇の口 】
「王女様、先程から何をされているんですか?」
ダリアンは部屋の壁を叩き、花瓶を持ち上げ、枕をどかし、水瓶を覗き、今は果物をひとつずつ床に並べていた。
「何って、決まっているでしょう。隠し扉よ」
「隠し扉?」
「王子がここは秘密の部屋だって言ってたじゃない」
「はい、確かにおっしゃられてました」
「だったら絶対に隠し扉があって、外へ抜ける通路があるはずよ」
「ああ、成る程……だとして、なぜ果物を1列にお並べに?」
「1列?あら、ほんとね。ただこの果物皿の下を見たかっただけよ。扉の鍵か何かがあるかもしれないでしょう?」
「王女様、それならこちらでございましょう」
ミーナが部屋の角に立った。
「申し訳ございませんがそちらの端をお持ち下さい」
ミーナはしゃがんで絨毯の端を持ち上げた。
そして2人で絨毯を丸めていった。
ちょうど半分ほど丸めた所で石床が四角く切り取られ、代わりに板が張ってある場所があらわれた。
「凄い、ほんとに隠し扉だわ!」
「隠し扉といえば絨毯の下ですよ。さぁ、これをどかしましょう」
ミーナが板を外すと、そこには下へと続く階段があった。階段の先は暗く何があるのかよく見えない。
「今、燭台を」
ミーナは蝋燭が灯る燭台を持ってくると、階段の先を蝋燭の明かりで照らしてみた。
階段は地下深くまで続いているようだ。
「……行きましょう」
「ダリアン様、本当に行かれるんですか?」
「ええ、絶対に宮殿の外へ続いているはずよ」
「大丈夫でしょうか、暗いですし……何が出るかわかりませんよ?あっ、ダリアン様、お待ち下さい」
ダリアンはミーナから燭台を奪うと、さっさと階段を下りていった。
「ミャァー」
振り返ると、ラジャバードが階段の上で困ったような顔で鳴いていた。
「ごめんね、お前は連れていけないの」
ダリアンはラジャバードに別れを告げ、さらに階段を下りて行った。
階段を降りきると、その先は真っ暗な狭いトンネルになっていた。
「行きましょう」
ダリアンはどんどん進んでいく。夜明けまでもうそんなに時間がないはずだ。
外が暗い内に出来るだけ遠くへ行きたかった。
ミーナは先の見えない真っ暗な道を進むのが不安で、ダリアンの後にくっついて進んでいく。
「あっ、階段よ!」
「出口ですかね……」
2人は階段を上りやがて小さな扉の前に立った。
ダリアンはゆっくりとその扉を押し開いた。




