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第2幕 6.聖なる巫女の千一夜


【 消された碧星 】



その日は、母の聖誕祭だった。

8歳のギルディールは、まだ夜の影が残る早朝に寝所を抜け出し薔薇の庭園へ向かった。

彼は、母が薔薇の中でも大輪の赤い薔薇が特に好きなことを知っていた。その薔薇を誕生日の贈り物にするつもりだったのだ。


宮殿内には国王が彼女の為に造らせた薔薇の庭園があった。そこには世界各地の薔薇が集められている。常に湧水を絶やさない広い水場の周りには青々とした芝が生えている。露を抱えた芝は朝日に照り輝き美しかった。


ギルディールは棘に注意しながら、小さなナイフで薔薇の枝を切っては、籠に丁寧に並べていった。


ふと、小鳥が飛び立つ羽音を聞いたギルディールは、手を止め薔薇の木立の間から水場の方へ顔を出した。

侍女が気づいて探しに来たのだろうか?


しかし、水場にいたのは自分よりも大きな少年だった。


淡い金色の髪がまるで光を吸い込むかのように輝いていた。いや、髪だけではない透き通るような白い肌は今にも光の中にとけ消えそうな儚さえあった。


誰だろう?


少年は水盤に水を注ぐ女神の像をじっと仰ぎ見ていた。


ギルディールは薔薇の籠を持って少年に近づいた。


「君は誰?」


少年が驚いた顔でギルディールを見て、そして辺りを見回した。


「誰かを待ってるの?」


ギルディールはなんとなくそんな気がして聞いてみた。


「いや」


ギルディールは立ち去ろうとした少年の手首を掴んだ。


「離せ」


少年に振り払われギルディールは芝に尻餅をついた。驚いて仰ぎ見ると、少年は敵意を露にした目でギルディールを見下ろしていた。


この宮殿でこんな風に彼を見るものは誰1人いなかった。

ギルディールは戸惑い直ぐには立ち上がれなかった。


「何をしている?」


ギルディールはふいに耳に入った母の声に振り返った。


アリアナは高結びの白い絹の部屋着に、茜色の薄い布を羽織っていた。

黒々と艶を帯びた髪は高く結い上げられている。


少年はその場から立ち去ろうとアリアナに背を向けた。


「待たれよ、国王である我に挨拶もなく立ち去るのか」


少年は立ち止まるが背を向けたままだ。


「我の庭に無断で立ち入り花を盗もうとしたのか?」

「違います」


少年は振り返り、アリアナを真っ直ぐに見返した。


「そしてギルディールに乱暴を?」


ギルディールは急いで立ち上がる、側に転がった籠から薔薇の花がこぼれ落ちていた。


(母上、違います)

叱られるのが怖くてギルディールはそれを口に出せない。


「嘘を言うでない!」


アリアナが声を荒げた。

ギルディールはますます縮こまり直立したまま固まった。


どこからか現れた2人の兵士が少年の腕を押さえた。


「離せ!」


少年は押さえ込まれ芝に膝をついた。



【 薔薇の名はアリアナ 】






「離せ!」

「さて、どう決着をつけようか」


アリアナは首を傾け美しい微笑みをギルディールに向けた。


ギルディールはその冷たく恐ろしい微笑みに射られ竦んでしまう。


「ギルディールこちらへ」


まるで見えない糸に引かれるかのように、ギルディールはアリアナの側へ近づいた。


「お前が罰を与えるのです」


ギルディールは大きな瞳を更に広げ母親を仰いだ。


(彼は何もしていないのに何故ですか?)


「さて、良いものがありますね」


アリアナはギルディールの手にあった小さなナイフを見つけると、口の端に笑みを浮かべた。


「母上?」


アリアナはギルディールの手を引き、兵士に自由を奪われている少年の前へ彼を押し出した。


「さぁ、彼の目を刺しなさい」


アリアナは腰を屈めギルディールにだけ聞こえるように彼の耳元で囁いた。


「母上……(そんなことは出来ません)」


ギルディールは母親を振り仰ぎ、視線で懇願した。


「さぁ」


少年の碧い目がナイフを捉え、そして再びアリアナに戻る。


(こんなことは絶対に嫌です!)


ギルディールの手にアリアナの手が重なった。


「こうやってしっかり持たないと、手を傷つけますよ」


アリアナはナイフを持つギルディールの手に、もう一方の手を重ね、しっかりとそれを握らせた。

ギルディールは最後にもう一度だけ、すがるように母親を見た。


「さあ、やりなさい」


もう、逃げられない。母の言うことは絶対にしなければいけなかった。

言うとおりにしなければ、もっと酷いことが起きる。

ギルディールはそれを良く知っていた。


「わあー!」


スッとギルディールのナイフの刃先が、少年の顔をかすった。

少年の髪がはらりと落ち、頬に赤い筋が入った。

ギルディールの目から大粒の涙がこぼれ落ちるのと、少年の頬を血が伝い落ちるのとは、ほぼ同時の事だった。


「意気地のないこと」


アリアナは側にあった、今しがた消されたばかりの松明の中からひとつを抜き出し、それを持って少年の元へ戻った。


「押さえておけ」


兵士が少年の頭を強く押さえつけた。

アリアナは何の躊躇もなく、一寸の迷いもなく、まだ燻り煙の上がる松明の先を少年の左目へと押し付けた。


――――凄まじい叫び声だった。


ギルディールは苦しむ少年を直視出来ず目と耳を塞ぎながら、長く続く悲鳴がおさまるのを震えながら待つしかなかった。


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