第2章 5.巫女は聖なる杯を掲げ
【 田舎人の すぐそこ! には気をつけろ! 】
「ねぇちゃんはこれな」
渡されたのは真っ赤な薔薇が入った花籠だった。
聞けば少年の家はこのちょっと先の川沿いらしいが、ワサワサと茂る麦の畑の中をもうかなり歩いているのにそれらしき灯りが見えない。
「ねぇ、まだなの?」
「もうすぐだよ」
「さっきからもうすぐって、全然たどり着かないじゃん!」
空の高い所に少し欠けた月がある。
「せめて馬でも連れてくれば良かったんじゃない?」
荷馬車から馬を外して荷物乗せれば、ついでに私も乗せて貰えば楽だったじゃん。
「バカだな、馬なんか連れてたら目立つだろ?何にもわかってないな」
「なんでよ、目印でも付いてるわけ?車のナンバーみたいに、盗難馬ですってわかるわけ?」
「兄貴、トウナンバーってなんのことだ?ねぇちゃんは何言ってんだ?」
ユージンはクスクス笑っている。
「やっぱり……婚約者に逃げられたって本当だったのか……」
「婚約者もいませんし、いたとしても逃げられたりしません!」
「すげぇ自信だな。ちっさい豆みたいな目の癖に」
「はぁ?!まっ、まめ?!」
「そんなんで、良く見えるな、鼻はついてんのか?平た過ぎて見えねぇや」
身体的特徴を躊躇なく攻撃してくるなんて、さすが子供だわ。
ストレート過ぎてハラワタが煮えくり返るの通り越して踊るってんだわっ!!
「私の国ではね、これが美人顔なの。家の前に列が出来るんだから、求婚者が列を連ねて毎朝……」
「母ちゃん!!」
聞いてないってかよ。
少年が走り出した。走り出した先、麦畑が切れた所に赤ん坊を抱えた女の人が立っていた。
その足にもう1人、小さいのがくっついている。
「うちの子を助けて下さってありがとうございました」
少年の家は、なんと天然の岩山に掘られた穴の中だった。こうした穴が幾つもあって、ひとつの村が出来ているみたい。
「もう、遅いのでどうぞ今夜はこちらでお休み下さい、何もないところですみませんが」
文字通りの本当に何もない部屋だった。
くり貫かれた空間に絨毯が敷かれているだけだ。
「いいえ十分です。ありがとうございます」
ユージンが丁寧にお辞儀する。
「人様の物に手を出しちゃいけないって言ってるんですが……夫が亡くなってから、畑の手伝いもろくに出来ず……」
「政治が良くないんです、生きるためにやったことです」
でも、殺されたら本末転倒じゃん。
話している2人の間をぬい、本末転倒少年が部屋へかけ込んで来た。
「俺もここで寝る!」
ゴロリ。
壁にもたれ座っている私の横へ少年が転がってきた。
「水はありますか?」
「手洗い所は裏に、井戸もその近くにありますよ。着替えをお持ちしますね。夫の着ていた粗末な服ですけど」
「ツキも行くか?」
【 銀色の月が壊れるとき 】
「ツキも行くか?」
面倒くさい。
正直、もうクタクタで眠かった。
「行ってもいいよ、俺は1人で大丈夫」
少年が犬でも追い払うかのように手を振った。
「誰も心配してないって……よいしょっ」
私は立ち上がりユージンの後に続いた。
石を積んだだけの簡単な井戸は村共通のようで、側には食器や野菜が入ったカゴが置いてある。
ユージンが井戸の中へつるべを落とすとポチャンっと良い音がした。
手早く引き上げ、桶に貯めていく。
「さぁ、これを着てください。脱いだものは洗っておきますから、ここへ入れて置いてくださいね」
「自分で洗いますから大丈夫です」
「息子の血がついてますから……すみません」
少年を担いだ時に着いたんだろう、赤く汚れているところがあった。
「夜のうちに干して置けば朝には乾きますから」
「すみません、ありがとうございます」
「では、良くお休み下さい」
ユージンはきちんとお辞儀して、お母さんを見送った。
私は岩の上に座りぼんやり星空を眺めた。
プラネタリウムみたい。
大量の星がチラチラ輝いている。
ふと自分の足を見ると、えっ、裸足?!
爪先まで砂で真っ白だ。
足の裏を確認すると細かい擦り傷が幾つか見える。小石踏んで痛いとか、何か踏んでキモいとかまったく感じなかったけどな。
「さぁ、こんなもんでいいか」
その声でハッとする。
ウトウトして意識が飛んでたみたい。
見れば桶は水でいっぱいになっている。
ユージンが着替えの入ったカゴを持ち上げ小脇に抱えた。
「何処に行くの?」
「そこの川で洗ってくる。丸ごと」
ユージンはニカッと笑い、自分を指した。
「洗ったほうがいいんだろ?」
村の前に小さな小川があったっけ。
私達はそこにかかった橋を渡って村に入ってきた。
「あっ、これ」
私は持っていたランプの明かり(本物)を指さした。月明かりはあるけど足元が暗い。
「必要ない。先に戻ってていいから」
「うん……」
「こんなにたくさん……」
汲んでくれたのか、水。
私のために。
「あっ、これも」
ユージンが何かを投げて寄越した。
赤い物体が飛んできて桶の中にチャポンと落ちた。
浮かんでいるのはリンゴだった。
「カゴに入ってた」
偽物みたいに艶々で赤い。
美味しそう。
桶の中に月が映って揺れている。
林檎を指先で弾くと銀色の月が弾けて壊れた。
そんなふうに遊んでいてふと思い出した。
私、いつまでここにいるんだろう。
このまま寝たら、次に目を覚ましたときにはこの夢から覚めているんだろうか?
「ツキ、ツキ?」
上裸のユージンがうっすら開いた私の視界に立っていた。
ああ、濡れ髪と割れた腹筋がセクシーダイナマイト破壊力抜群だよ……。