0話 弱いゲウムじゃなくていい
ほんの数秒前、あるいは数年前と比べて、場面は大きく切り替わっている。それは時間が流れることで、取り巻く場面が大きく変わっていたという事だ。
───ヘリの音を、嘘みたいに大きくしてくれ。
黒づくめの内部座席には、通信機を持った少女が一人居る。迷彩柄のフィールドパーカーを着ているだろう。フードを深く被っているから、まだ顔は見えないはずだ。
「ん・・・状況は」
〔そうだねぇ。お、〈拾った捨て猫が零れた牛乳をなめちゃった。起業のアイデアが浮かんで七兆円獲得〉だって。〕
「何言ってるの」
〔良かったじゃないか、結構な大金だぜ?七兆あったら何しようかな、僕は良い紅茶とお土産のお茶菓子を買って毎日優雅なアフタヌーンを・・・あれ、今とやってること一緒か・・・?ああ、僕そういえば天才なんだった、なはははは。〕
「何言ってるの」
〔あれ、人生ゲームの進捗じゃなくて?ちょうど君の番だったんだけど。〕
無線機から聞こえる声は、三十路を過ぎたブラン=ジーナ司令長官のものだ。少女は溜息をつく。通話先のへらへらした男が相当な実力派であるにもかかわらず、今日の戦場に至るまでのらりくらりとした態度を突き通しているからだった。
「・・・一人七役は、やってて楽しい?」
〔楽しい楽しい開き直った虚無感が良い、退屈しのぎで紅茶が美味い。いやにしても相変わらず、君は若いのに仕事熱心だね。君の言う状況は戦況、情報はきっと『敵情報知』の略称だ。うーん、賽子は要らないのかい?〕
「要らないかも」
彼女は即答した。彼女にとって必要な情報は、火山地帯で進行中の『大移動』を叩くための知識だけ。それを司令室のブラン司令が知っていることも、なんとなく知っていた。
〔了解。そうしたら、うん。前方の火山の裏に、『狼』が百匹強、『普通の巨人』が二十体と、海から出てきたとびっきり『特別な巨人』が一体。〕
「大型ゴーレム?」
〔さもありなん、ご名答。何世紀分かの海水浴に飽きたら、今度はその溶岩地帯で体を整えるつもりらしいね。結構ハードな任務内容だと思うけど、君はなんてったって『グロキシニア第四部隊』のスーパーエースだ。期待してるよ。〕
そして、ブラン司令は問いを投げる。
〔───全部倒すの、何時間かかるかな?〕
彼女は立ち上がってパーカーのジッパーを下ろし、脱ぎ捨て、重いドアを開けて、答える。
「ん・・・『一分』は、何時間?」
〔うん、良い返事だ〕───
───黒曜とマグマが震えている。2036年の夏が訪れた頃、少女は十六歳であった。時代に珍しい白髪と、シアンブルーの瞳。彼女は身一つで、軍用ヘリを飛び降りていた。
そこからではプロペラの音しか聞こえないのだろうが、確かに落ちていくのが見えるはずだ。逆さになって、重力に身を委ねる学生ブレザーである。
遠くの地面は黒く、たまに赤熱して光る。彼女の身を受け止めるふかふかのクッションをご用意しようとて、そうはいくまい。吹き出す溶岩にマシュマロをくべる奴を滅多に見ないのは事実である。
「・・・・・・」
しかし直前の会話を聞けば、彼女が何かスペシャルな人物であるのは想像に容易いだろう。お察しの通り、心配には及ばない。彼女はその右手に、【何か黒い箱】というのを握っている。
「【Hirudo】」
右の手から黒い影が飛び出して、機械の翼になる。その翼で、火山の側面を駆け抜ける。【何か黒い箱】は、そのような役回りを持っている。尋常でない低空飛行の先にいたのは、狼と巨人の群れと、厖大な巨人。赤い水をマグマともせずに、各々が地盤を揺らしながら蠢いていた。
〔メインカメラ回してもらってもいーい?〕
「ん。」
〔おおにゃんキュー。凄い眺めだなーうん、───ヤツと向き合って時計回り、四つに分けて24、37、41の19。なはは、これ左手前に伏兵居るやつだね。ま君の好きにやると良い。〕
「分かった。」
大きさを軽く説明するために、軽トラックを使ってみよう。四足歩行の『ウルフ型』は、ちょうど軽トラ一台分くらいの体躯をしている。それをチワワのようなノリで飼いならすのが『ゴーレム型』で、その巨人を蹴らないよう足元に気を遣って歩くのが『大型ゴーレム』である。
〈大型のゴーレム型を小型と見た時に大型とおぼゆるのが大型ゴーレム〉である。
と、一口に言っても伝わりにくいのは重々承知しているつもりだ。〈スケールが派手〉とだけ覚えてもらえればいい。これが、人類の天敵。
「【Tram】」
これに負けじと、人類の希望。彼女が再び妙な横文字を唱えれば、影が武器になる。右手が掴んだ影はガチャガチャ変形して銃に、それ以外の影は周りに留まってまた銃になる。
〔戦闘開始だね。〕
巨人らは背中から誘導弾を放つが、一人の女子高生はその機動力を以て躱し、お返しに極彩色の光線をばら撒いて、地面の岩を割り、有象無象を蹂躙する。黒い黒い大地の上に、異形の武器、彩度の狂った電光。そこが〈三年前まで栄華を極めた政令指定都市だった〉と今更伝えて、誰かが信じるだろうか。
〔アレ、来るよ〕
「面倒」
敵方の親分が両腕から放つそれは、もちろんのこと性能が別格である。九つの弾に分かれる弾が、三十七発ずつ出てくる。腕は二本ある。無表情で全てを圧倒していた白髪が顔をしかめるのは、特に、当たるまで追い続ける追尾機能によるところが大きかった。
〔躱せる?〕
「躱したくない。面倒」
厄介は逃げても迫るというべきか、はたまた、逃げても迫るから厄介なのか。どちらにせよ、その爆発弾はどうにも振り払えなかった。が───しかし彼女も彼女で、しつこい瑣事に対処する際の姿勢はよく学んでいるわけであり───
〔──っはは、なるほど。〕
大きくなだらかに飛んで、急旋回して、離れて、振り向いて、向き合う。さっきまで四方八方から迫ってきていた爆発弾は、既に一列に揃っていた。巨人の顔から少女に向かう軌道を取っていた。
「【Rail Canon】・・・」
またの横文字で、宙に浮かんでいた方の銃は本体と思しきものに繋ぎ合わさる。同時に、周囲の光が銃口へと収束する。そのように生まれた暗闇の中、異形の銃口だけが不自然な輝きを見せ、眩む。
(これが終わったら、今日はもう帰るだけ)
「【Full Take:Extend】・・・っ!」
Shining through.
おおかた『超本気』くらいの意味合いだったのだろう。威力が派手、範囲が派手、光量も派手、というのだから、やはり『破壊光線』である。
それは大気を震わせて、最期の巨人の頭を軽々と貫いた。
〔・・・戦闘終了。うん、今日もよく闘ってくれた。『フルテイク』を使ったから疲れただろ〕
「ん、ねむい」
〔帰りは低速運航に設定しておいたから、中でゆっくり休むといい。リクライニングは贅沢に倒して、カモミールの香りがあればもう最高だ。〕
「・・・ん。」
〔それじゃあ、よくおやすみ───〕
プツッ、との音が鳴って、内部座席に緩急をつけた静寂が訪れる。ささやかな振動はむしろ良かった。彼女は腰を落ち着かせ、おもむろに目を閉じるのだった。
───2036年現在、世界には『フロリス』という名の組織があった。
その『フロリス』に所属する白髪女子高生は無口だが、彼女は桁外れ、というより異次元の実力を持っていた。なんたらとか呼ばれていただろうか。その【何か黒い箱】で全身武装して、空を飛び、巨人を穿つ。少女はそれはもう格好良く人々を救っていたのである。『フロンティア』、要するに『安全地帯』の人々が平和に暮らせるのも、彼女らが象徴的に活躍を見せているからだ。莫大な期待を背負い、しかも応える。
『グロキシニア』階級というのは、輝かしい人類の希望なのだ。
On the other hand.
───しかしながら、本題だ。ここで一つ問題があった。
〔・・・せよ・・・答せよ・・・・・・誰か・・・誰か気付いてくれ!〕
それは帰りのヘリにて、ふいに彼女を起こした無線通信である。
〔起きてるかい〕
「大丈夫。」
〔北北東五キロ先で救援要請だ。ゴメンだけど、ちょこーっと飛ばすよ。〕
「わかった。」
彼女を安眠から遠ざけ、ヘリは急遽進路を変えた。向かう先は、荒廃した市街地の十字交差点である。
〔む、ちょっとヤーな予感がするなぁ・・・。〕
「どうしたの」
〔・・・なはは。この通信『ゲウム』の型番だ。〕
「っ──!?」
一言聞いて、彼女は瞳孔を開く。『ゲウム』、それは彼女の所属する組織の、ある階級の名前だった。
〔だ、第二十四部隊壊滅!『ゴーレム型』による負傷者多数!!誰か、俺たち以外にいないのか!?〕
それがこの時代にある戦場の本当だった。『グロキシニア第四部隊』のエースが『大型ゴーレム』を一撃必殺している隣の戦地に、ノーマルな『ゴーレム型』に駆逐される兵が居たのだった。
「ゲウムは、ゴーレム型を倒せる・・・?」
「残念だけど、竹箒で岩を掃くようなものだ。・・・このままいけば、下手しなくても全滅するだろうね。」
階級ピラミッドの一番上に『グロキシニア』があって、それを『頂点階級』と呼んでいる。一番下の『ゲウム』がなんと呼ばれているか、大体検討つくだろう。
〔クッ、旧式駆動の化け物が!!古いオモチャはさっさと眠って、うわあああああっ!!〕
Screaming.
『底辺階級』。
それは兵士として著しく不足のある者が落とし込められる『ゲウム』階級に与えられた、生ける不名誉の蔑称だった。他にも『雑兵』に『雑魚』、『ポンコツ』や『木偶の棒』など様々な仇名があるが、それらは悉く蔑称であって、賛辞の意は少しも入ってはいなかった。
──カタカナ叫んで必殺技。〈出来るんならやる〉そうだ。
それは銃火器の扱い、ないしは生存戦略技能に欠ける下級兵からの切迫した救援要請だ。状況がせかせかして来るのも当たり前、当然である。おちおち眠っている場合ではなくなったと、彼女はそう考えたらしい。
「っ、行ってくる・・・!!」
〔いや、まだ出ない方が良い。『フルテイク』を使った君の身体に、これ以上の負担はかけるべきじゃない。〕
「ゲウムだってそう・・・。強い敵を倒すのは、弱いゲウムじゃなくていい。強い敵は、私が倒す・・・!」
〔ああちょちょ待ってよ!・・・行っちゃった。あーもう、若いねぇ。それじゃあ僕は、僕にできることを。〕
白髪のエースはヘリを飛び出して、ツバメのごとく飛んでいく。
「見つけた・・・!」
浮かぶモノクルで見た遠くの景色、建物の間に煙が上がっている。見えた頭蓋は、普通の大型。過去に見た『悪趣味な人形』のような悍ましさは無い。だが彼らとて、二階建ての家より大きい敵である。家より大きい敵は、鉄砲では倒せない。
(ッ・・・力が抜ける・・・っ!)
彼女の翼は重くなった。遠くのゴーレムは、かがんでいる。かがんだゴーレムの背中は、間もなくして光る。
(誰かを、見殺しにする・・・?・・・私は、また・・・)
力が抜けて、彼女は弱気になる。モノクルがなくなって、その手は前に伸びた。しかしその右手から、影の銃は出てこなかった。見えたのは、建物の隙間。小さな手は近くにあって、人を殺す兵器は遠く。
「・・・やめっ───!」
───ゴーレムは彼女の視界の中心で、多くの弾を放った。
By the way.
そういや、結局のところ何が問題なのかというのを、まだ記していなかった。
まあ、それは当の『俺』からしても至極残念な内容なんだが、要するに。
───この話の主人公は、『彼女』ではないらしいのである。