存在しないはずの第一王子
「えっと、どうしてこちらに?」
「ロイス様の婚約が決まりそうになったから、出てきたの」
私とロイス殿下の婚約打診、確かに届いていた。今になってなぜ? と思ったけれど、もちろんお断りだ。
「――――それは、本人の意思ではなく、そして相手の意思でもないから、成立しないと思います」
「知っています。でも、あまりに優柔不断なのですもの」
ロイス殿下は第三王子でありながら、王位を継承するだろうと目されているお方だ。しがらみも多いのだろう。
第二王子は、側妃の子どもであり、正妃の子であるロイス殿下こそ、正統な……。
第一王子については、語ることを禁止されている王国の謎の一つ。けれど、確かにどこかにいるはずだ。――――だって、一番目が存在しなければ、二番目と三番目はいないはずだもの。
ズキンと強い頭痛がする。乙女ゲームの裏設定に、確かに描かれていたはずなのに、思い出すのを何かが拒んでいる。
「リリーナ様は、全てご存じなのでしょう? ガルシア国とベールンシア王国の関係を」
「関係?」
「魔王の国と王国の狭間、ルンベルグ辺境伯家の姫ですもの……。きっと、たくさんのことを知っているのでしょうね? だから、リリーナ様の考え方は柔軟で自由なのでしょう?」
たぶん、私の考え方が、王国の一般的な考え方とずれているのは、前世の知識のせいだと思う。
だって、ネコ耳や翼がある人々と、魔法が使える人々は、私にとってどちらにしても、ファンタジー世界の住人。どこか遠い存在なのだ。
それに、私は、この世界の誰もが持っている魔力を持たない。
私こそ、考えようによっては、この世界で最も異端の存在なのだろう。
「そういえば、何も知らない」
ルンベルグ辺境伯家では、ありとあらゆる本あった。私は、図書室で次から次へと読破していた。
それでも、魔王の国に関する書籍は。
――――魔王の国に関する書籍は、存在しなかった。
その事実に、今更ながら茫然とする。
私が知っているのは、乙女ゲームで知った設定だけ。
でも、乙女ゲームは、あくまでベールンシア王国を絶対的な正義として、ガルシア国のことを描いていた。
どうして、違和感を覚えなかったのだろう。ルンベルグ辺境伯家に存在しない、魔王の国に関する資料。だって、ルンベルグ辺境伯領は、魔王の国ガルシアと隣接しているのに。
その時、扉が蹴破られてしまったのではないかというくらい、音を立てて開いた。
剣に手をかけて、険しい表情のまま飛び込んできたのは、何かの討伐に出かけていたはずの、ディオス様だった。
「ディオス様?」
「――――聖女」
ぎりぎりと歯ぎしりの音がする。
魔王軍の将軍ですものね? ディオス様にとっては、敵対する存在のはず。
ディオス様の様子を気にするでもなく、ローザ様は前に進み出て、ディオス様の瞳を覗き込んだ。
「魔王軍の将軍……ディオス・ラベラハイト。運命に存在しないはずのイレギュラー」
あの時のように、ローザ様の瞳が、金色に輝く。
その言葉は、重みがあって、神聖で、まるでローザ様の口を借りて、誰かがしゃべっているようだ。
「存在しない、第一王子……。魔王の国の貴族、ラベラハイト公爵家令嬢レティアと、ガルシア王の血を引いた許されざる王子」
王族にしか許されることのない紫のマント。
私が習った王国貴族の中に存在しない、ラベラハイトの名。
私の前に急に現れた少年。そして、父と母の死。
理由が分からないままだった、いくつかの場面が繋がっていく。
「――――ディオス・ラベラハイト・ベールンシア。あなたの運命は、途中で終わっていたはず。古代魔法である、守護騎士の契約さえなければ、あなたを守っていた、ルンベルグ家の庇護を失ったあの時に」
「……守護騎士?」
「そんなことを言いに来たのか?」
ディオス様が、切りかかった剣は、光に満ちた障壁により弾かれる。
「――――ただ、友人の安否を確認しに来ただけよ。本当はもう、いないはずの、ね?」
「リリーナは、誰にも害させない!」
「――――今日は、帰るわ。そろそろ、ロイス様も反省したでしょう。リリーナ様、私はあなたの味方でいたい。……状況が許す限り」
「ローザ様」
相変わらず、その微笑みはあざとい。たぶん、この笑顔は、第三王子の隣に立つための、聖女としての武装だ。だって、本当のローザ様の本当の笑顔は、無垢で純粋で、とてもかわいいことを、私は知っている。
『私、全ての人を助けられる聖女になりたいんです』
王立学園で共に学んでいた日々。透明感のある笑顔とともに語られたローザ様の言葉は、本物だったから。
魔獣との戦いでも、誰よりも前に立って、けが人を救おうとしていた姿は、本物だったから。
――――私の存在が、続いていることが、問題なのだろうか。
悪役令嬢を取り巻く世界が、本当はとても複雑だったことに、今更ながら気が付く。
ディオス様が、剣を鞘に納めたカチンと小さな音が響き渡ったとき、目の前にもう聖女はいなかった。
黒く澱んだ学生時代の、ほんの少しだけ色づいた、私たちの記憶と、ディオス様に関しての新情報だけを残して。
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