弟は最年少魔術師
静かな室内に、ガッチャンッと、騒がしい音が響き渡る。振り返ると、ミミルーが呆然とこちらを見ていた。
「る、ルシード様……」
「あ、ミミルー。久しぶりだね?」
アフタヌーンティー風のお洒落なデザートがぐちゃぐちゃに床に散らばっている。大惨事だ。
「はっ、も、申し訳ありません!」
「怪我してない? 急に現れた俺が悪い。気にしないで?」
「す、すぐ片づけます!」
「あ、それ終わったらでいいから、俺にも紅茶とお菓子持ってきてくれる?」
慌てて片付け始めるミミルー。
たしかに、いないはずの人間がいたら、驚くよね、と私は再び魔術書に視線を落とす。
魔力がない私には、使えない魔術書。
でも、たしかに世界には魔法が存在する。
それは、とても心が躍る事実だ。
「姉さん、その魔術書に書いてあるの、古代魔法だと思うんだけど。……理解できるの?」
「ん? 理論はわかるけど、ご存じの通り魔力がないから使えないよ?」
「そう……。俺に後で説明してくれる? とくに、そのページの魔法陣、難解だから」
「もちろん。王立学園に通っていた時は、良く一緒に魔術書の研究したのにね」
「――――そうだね。王立学園より、姉さんと研究したことのほうが、魔術師として役に立っているくらいだ」
「ふふ。褒めても何も出ないわよ?」
もし、私も魔法が使えたなら、ディオス様のお力になれたのに。
いくら理論ばかり理解できても、使えなければ意味がない。
それにしても、一体何と戦っているのだろう、ディオス様は。
しばらくすると、ミミルーが、二人分のスイーツと紅茶を持って戻ってくる。
「お待たせしました」
「サンキュ」
ミミルーに手渡された紅茶と、小さなフルーツタルトを一口で頬張るルシード。
「ん。おいしいなこれ」
「良かったです」
基本、ルシードの言動は軽い。でも、浮いた噂はない。
乙女ゲームでは、両親を亡くし、心の奥底に傷を負った軽薄な遊び人設定だったのに、すでに世界は変わり始めているらしい。
「……でも、今だって最年少魔術師だから、モテるよね?」
「は? 急にどうしたの、姉さん」
「ちょい悪の、最年少でありながら、王国最高峰の魔術師様だよ?」
「――――俺に好きな人ができないのは、姉さんのせいだから」
パチパチと瞬きをする。
なぜか眉を寄せた、弟が私を凝視している。
――――え? 私のせいで好きな人ができないの?
「あ、悪役……な、姉のせいで、女性に幻滅してしまった⁈」
「何言っているの、虫も殺せないくせに」
確かに虫は苦手だから、現れれば泣いて逃げ出す自信がある。
でも、それと、ルシードに好きな人ができない事と、どんな関係が……。
「相変わらず、姉さんは鈍感だよね」
「そ、そうかな?」
「なんで、鈍感と言われてどこか嬉しそうなわけ?」
悪役令嬢からかけ離れた言葉ほど、嬉しいに決まっている私の考え方は、少々歪んでいる自覚がある。でも、本当にどういうことなのか。コテンと首をかしげる私と、小さくため息をついてなぜか微笑んだルシード。
「とりあえずさ、ちょっとディオスを連れ帰ってくるから。聞かないといけない事もあるし」
「え? どこにいるか分からないし、何かと戦っているんだよ?」
「――――あれだけの魔力、探せないはずがない。ここだって、あいつの魔力の痕跡をたどって来たんだから」
「さ、さすが」
我が弟ながら、そのチートクラスの性能に感心する。
ガランド兄様は、剣の達人で騎士団長だし、シェアザード兄様は魔法剣士なうえに商才に優れている、そして最年少魔術師である弟ルシード。
どう考えても、ルンベルグ辺境伯家の三兄弟は、超優秀だ。
それに引き換え、剣の才能もなく、魔力のない私。少しばかり、お勉強ができるだけ……。
どうして私だけが、落ちこぼれなのだろうか。たしかに、お父様とお母様の子どものはずなのに。
「姉さんだって……。いや、いいか」
窓を開けて、下を覗き込むルシード。
そういえば、さっき試した時には、その窓開かなかったはずなのに?
「――――そうだ、危険だから姉さんはこの部屋から出たらだめだよ? 追加で結界を重ね掛けしておくから。間違っても出ようとか思わないで? ここで、大人しく恋愛小説でも読んでいい子にしていてね」
「えっ、どうしてルシードまで、ディオス様みたいなことを」
「――――は? 姉さんが、どんくさいから。…………心配だからに決まっているよね? じゃ、行ってくるから」
――――うちの弟のツンデレがかわい過ぎる。そういえば、軽薄な印象の悪役令嬢の弟は、一度好感度が上がると、ヒロイン限定でツンデレるのだ。今は、家族に対してそんな感じの弟。まだまだ、そういうお年頃なのだろう。
「はぁ……。だから、そういう目で見るなって。――――行ってくる」
ルシードが飛び降りた瞬間、強い風が吹いて窓がバタンと音を立てて閉まる。
転移魔法を発動したのだろうか。王国で使える人は、数人しかいないらしいのに、そのうち二人がディオス様とルシード、つまり私の知り合いだ。
そういえば、ディオス様が侵入するときに破壊してしまった、ルンベルグ辺境伯家の窓ガラスは、無事修繕されただろうか……。
そんなことを気にしつつ、またしても、置いてけぼりになってしまった私。
結局のところ、いくら悪役令嬢に転生しても、何のチートも持たない私は、彼らの力になることはできないらしい。
先ほど一瞬だけ開いた窓から、紛れ込んできた精霊が、私の周りを飛び回る。
「慰めてくれるの……? ありがとう」
言葉は通じないと思うけれど、そう告げると精霊は嬉しそうに金色の光を瞬かせる。
「大丈夫……だよね?」
最強騎士と、最強魔術師を相手にすることになったのは、いったい何なのだろうか……。
たぶん、オーバーキルで倒すだろう未来しか浮かばないけれど。
だから、今日のところは二人とも、ちゃんと無事で帰ってくることだろう。
「続き……読もうかな」
ほとんど目を通してしまった魔術書を閉じる。
結局、恋愛小説の中でヒロインをいつも助けてくれる騎士様の正体が気になって仕方がない。
ルシードが、魔法で仕舞った本をもう一度取り出すと、私はもう一度、安心できる狭い空間に体を滑り込ませるのだった。
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