運命の道が、枝分かれするとき。
父と母の後ろには、先ほど庭で会った少年が立っていた。
さっき泣いていたなんて信じられないくらい、無表情だ。
服装が変わっている。纏っているのは、第三騎士団の白い騎士服だった。
「これから、お前たちと一緒に暮らす、ディオス・ラベラハイトだ。仲良くするように」
どうして、いきなり知らない男の子と一緒に暮らすことになるのか。
ディオス様は、いったい、なぜ我が家に来たのか。
でも、父は笑っているのに、どこか厳しい表情をしていて、とても聞ける雰囲気ではなかった。
長兄であるガランド兄様だけは、父と母と一緒に出掛けていたから、真相を知っているのかもしれない。
「ディオス・ラベラハイトと申します。よろしくお願いします」
完璧な礼を見せたディオス様に、思わずため息が漏れる。
そして、ディオス様は、学業も、剣術も、三人の兄弟たちの誰よりも優秀だった。
ちょっと、無表情なところを除けば、性格も良いディオス様。
三人はあっという間に意気投合して、まるで四人兄弟のようになった。
私は、ルンベルグ家の地獄の特訓のなか、四人にはとてもついていけずに、いつも取り残されることになり、徐々に図書館に入り浸るようになっていった。
本を読んでいると、いろいろなことが書いてある。
私は使うことができないけれど、古代の魔法に関する本は、特に夢中になって読んだ。
私の周りに、時々現れてはいたずらしていく小さな精霊のこともたくさん調べた。
精霊たちに誘われた結果、棘だらけの庭木の中を通り抜けさせられて、ドレスがボロボロになったというのが、先日の事件の真相だ
その中に、遠い世界から、精霊たちのいたずらのせいで紛れ込んでしまう存在のことも記されていた。
その存在は、精霊との強いつながりを示す、瞳と髪の色をしているという。
私もそうなのかもしれない……。ふと、悪役令嬢の運命が、両肩に重くのしかかってきた。
「ここにいらしたのですか、リリー」
「ディオ様?」
心が、つぶされそうだった。
だって、その瞬間思い出したのは、私の断罪シーンだったから。
怖くて、がたがたを振るえる私を、両目を見開いたディオス様が抱きしめてくれる。
「どうしたんですか、リリー」
「――――ディオ様! 私、悪役令嬢なんです」
「悪役? 令嬢?」
そうだ、あの時私は、ディオス様に私の知っている悪役令嬢の運命について、すべて話してしまっていたのだった。
小さな女の子の絵空事だと、聞き流すことも出来たのに。
ディオス様は、私の前にひざまずいた。
「そうですか。では、あの時のハンカチの恩を返しましょう」
「え? ハンカチ?」
ディオス様は、「あの時、どれだけ俺があなたに救われたかなんて、きっと知らないでしょうね?」とつぶやくと、私の頬に手のひらをペタリと添えた。
「誓います。リリーの騎士になって、あなたを害する、全ての運命から、リリーを救いましょう」
その瞬間から、私は悪役令嬢の運命を必要以上に恐れなくなった。
ディオス様の誓いの言葉が、私の人生の灯になった。
それが、ディオス様の運命を、大きく変えてしまうなんて知りもせずに。
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そして、あの、運命の日が訪れる。
私は12歳、ディオス様は15歳になっていた。
早馬からの知らせを受けた長兄のガランド兄様が、いつもの余裕な表情を崩して、私のほうを振り返る。なにか、とてつもなく嫌なことが起こったという予感に、胸が締め付けられた。
「――――父上と、母上が亡くなった」
それは、まるで真っ青に晴れた空から急に降ってきた大粒の雹のようだった。
父と母は、馬車ごと雪崩に巻き込まれ、崖下に転落したという。
十歳年上の、ガランド兄様は、その日からルンベルグ辺境伯を名乗り、私たちの前に立って守ってくれるようになった。たった二十二歳の青年にとって、どれだけの重圧だっただろう。
前世の記憶があるのだとしても、まだ十二歳だった私は、本当に無力で。
父と母の喪が明けると、乙女ゲームのシナリオ通り、王家から第三王子の婚約者の打診が届いた。
その時になって初めて私は、悪役令嬢リリーナの父と母が、雪崩で命を落としていたというシナリオを思い出す。運命の神の残酷さを呪った。
せめてもの運命への抵抗として、私は、婚約破棄されて、家を巻き込んで断罪される未来を避けるために、その申し出を強く拒否した。
王家からの打診を、まだ内密の段階とはいっても断るなんて、いくら辺境伯家でもありえない。
その打診を断るため、辺境伯と一緒に就任した、第三騎士団団長として、ガランド兄様が何度も危険な任務に赴いていたことは、ごく最近になって知った。
でも、私は知らなかったのだ。
私に、第三王子との婚約打診が来た理由は、ルンベルグ辺境伯家と王家が縁を強くしたいという理由だけではなかったということを。私とディオス様の存在が、大きく関わっていたことを。
✳︎ ✳︎ ✳︎
「――――リリー。今日はお別れを言いに来ました」
父と母が亡くなって3カ月ほどたったある日、兄と遠征に出ていたはずのディオス様が、私の元を訪れた。
その恰好は、いつもの第三騎士団の騎士服ではなかった。マントは、濃い青色だったけれど、出会った時みたいに、王族のような正装。
「え? どうして、ディオ様」
「王都に戻ろうと思います」
「――――どうして?」
父は言っていた。ディオス様のお力になるようにと。
ディオス様には帰る場所がない、家族のように過ごすようにと。
「リリーナ様の父上と母上がお亡くなりになったのは、たぶん俺のせいです」
そう告げたディオス様の、瞳は悲しみと悔恨に滲んでいた。
でも、父と母が死んだのは、馬車が雪崩に巻き込まれたからだって、ガランド兄様は言っていた。
それなのに、どうして……。
私は、ディオス様に駆け寄って、マントの端をギュッと握りしめた。
そして、その時は一番いい考えだと思えた、あの提案をしてしまったのだ。
「――――私の守護騎士に、なって下さいませんか?」
「守護騎士に……? それは」
沈黙が訪れる。その契約の意味を、ディオス様は、良く知っているようだった。
それはそうだ、剣術や魔法の鍛錬の合間に、私がいる図書館によく現れたディオス様は、私が読んでいた本にはすべて目を通している。
守護騎士になれば、ずっと一緒にいられる。
悪役令嬢の守護騎士なんて、不名誉かもしれないけれど、そうならないために、頑張るから。
祈りを込めて、ディオス様を見つめていると、背後から声がした。
「いいんじゃないのか?」
その声の主は、ガランド兄様だった。
たぶん、遠征から帰って、急に姿を消したディオス様を探していたのだろう。
「――――俺は、王家を許しはしない。そして、お前たち二人を差し出しもしない」
「ガランド兄様?」
兄は、決意を固めていたのだろう。
この後、自分に降りかかる火の粉を正確に理解していながらも。
その上で、私とディオス様を守ろうと決めた。
「守護騎士の契約をすれば、ディオスはルンベルグ辺境伯家の臣下になる。それで、ある程度は、あいつらも納得するだろう。どうだ?」
「――――いいの、ですか?」
「お前は、俺の弟のようなものだ。それに、リリーナに恨まれたくはない」
そういうと、ガランド兄様は、軽く片目をつぶった。
いつも強くて、優しいガランド兄様。
その判断は、脳筋で直情的な部分が強いから、ルンベルグ辺境伯家のブレインである次兄のシェアザード兄様がいつも苦労していたけれど、
ここぞという判断を、間違えたことのない人だ。
ディオス様と離れ離れになるなんて、どうしても考えられなかった。
だから私は、図書館の禁書庫で見つけた契約を持ち掛けた。
そう、縛ってしまったのだ、私はディオス様のことを。
守護騎士という、一生に一度だけ、決して破棄することができない契約で。
悪役令嬢リリーナに守護騎士なんて存在しなかった。そして、シナリオの中で結ばれるはずだった、第三王子との婚約は結ばれなかった。
運命は、ここで音を立てて方向を変えたのかもしれない。
「それなら、俺はこの剣と、命と、魂のすべてをかけて、リリーナ様を害するすべての運命からお守りします」
どこかから紛れ込んだ、小さな精霊が、私たち二人にキラキラと金色の鱗粉みたいな光を舞い散らす。
それは、祝福みたいだった。
その日から、ディオス様は、私のことをリリーではなく、リリーナ様と呼ぶようになった。
まだ、知らない。乙女ゲームのシナリオから、すでに離れてしまった物語が、いったいどこにたどり着くかなんて。
そして、それから三年。
魔王との一騎打ちから無事に帰ってきたディオス様は、次の戦いで姿を消してしまったのだった。
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