囚われの身 脅迫③
ザァァァァ。
(これは……?)
マヤの脳裏に、何故か風に揺れる青々とした木々の様子と、暖かな木漏れ日の光が脳裏に浮かび上がった…。
(………あたたかい…)
こんな事は初めてだ。
香りには、その時の記憶やイメージを一瞬でよみがえらせる力があるというが…。
今のも、もしかすれば男のまとう心地良い日の香りが、かすかにマヤの鼻腔をくすぐったせいかもしれない…。
《血糊のニオイをまとう自分とは一生縁のない男》
それが彼女が感じた男の最初の印象だった。
「……道に…………。道に迷ってしまってしまったんです…」
………男に問われ、思わずマヤの口から出てきたのは何のひねりもない言葉だった。
我ながら、今考えても本当にマヌケな発言だったと思う…。
「ぶ……舞台で体が火照ってしまって…。少し涼もうと思ったらここに迷い込んでしまったのです」
何とか取り繕おうと、マヤの口から出てきたのは安い言い訳の常套句…。
彼女は少し焦りながらも、なるべく自然に辻褄が合う様、慎重に言葉を選んで口にしていく。
「そしたら行き着いた先の天井絵があまりにも素晴らしくて……、引き寄せられるように足が止まらず進んできてしまいました。……申し訳御座いません。もう戻ります」
(……まさか、あの天井絵を褒めることになるなんてね…)
皮肉度100パーセント。
顔を出来るだけ隠しながら、マヤはそれがさも真実かの様に、男に向かって深々と頭を下げる。
「………………。」
マヤは頭を下げた状態で、そのまま静かに相手の出方をうかがう。
(やはりあまりにも嘘臭かったかしらね…)
自嘲気味にマヤは思う。
しかし、気休めの言い訳だとしても、言わないよりはましだろう。
マヤだってなるべく血は流したくはない。
…………あくまでまだという話なのだが。
すると男はマヤの言葉を信じたのか、はたまた何かを企んでいるのか…?
その整った顔を再びにっこりほころばせた。
「奇遇だね。実はオレも道に迷ったんだ」
苦し紛れの言い訳と自ら構えていたマヤだったが、男の人懐っこい笑顔に少々毒気を抜かれる。
「ちょっと知り合いから逃げて来てて…。見つからないようにそこらにいた兵隊さんから服を借りたんだよ」
「そ、…そうなのですか」
「うん。本当に過保護というか、何というか……。すぐにかぎつけられて息抜きもできやしない。本当にまいったよ」
やれやれ疲れたと言う風に、男は気兼ねする事も無く親しげにマヤに自分の話をしていく…。
「あの…」
マヤが大扉に視線を向けると、男はアハハと笑ってすまなそうに謝る。
「あぁ!ごめんごめん。逃げて来てたから条件反射で錠をかけてしまったんだ。驚いた?」
「……………」
(錠をかけたのはわざとじゃないって言いたいの…?)
……嘘臭い。
普通の人なら、今の言葉を信じる人が一人二人はいるのかもしれないが………。
だてにマヤはすさんだ毎日をおくっていない。
「ところで、来る途中兵隊さんには会わなかった?道を教えてくれそうな人物とか…」
「どうでしょう…。私はどなたにもお会いしませんでした」
「…そうか。そう言えば道すがらオレも誰とも会わなかったな。宴に出払っているのか…?だからといってあまりにも警備がザルな気がしないでもないけど…」
「さぁ…。私には分かりかねます。私はただただ迷っていただけなので…」
「あぁ、そうだったよね!ごめんごめん。むしろおかげでオレも追っ手から無事スムーズに逃げられて万々歳だし。逆に感謝しないとだよ」
そう言った男は自分の言葉を笑い飛ばす。
「…………感謝ですか……?」
「うん。感謝」
そう言って男はニコッと笑って答える。
(…………。別にあなたの為にやった訳じゃないわよ)
思わずマヤは複雑な心境だ。
兵などいるわけがない。
道すがらマヤが身動きを封じて全員人目のつかない所に隠して来たのだから…。
(これ以上の会話は時間の無駄ね…)
一瞬で終わらせよう。
要は血を流さぬ様、目の前の男も眠らせれば良いのだ。
そう思い直したマヤは、男に気づかれぬ様、静かに足の配置をずらしていく…。
「…!」
マヤの纏う空気が微妙に変わったのに気づいたのか?
男はあっけらかんとしていた表情を、ふと元に戻す。
「……オレが迷子になったのは事実だよ。そして君を見かけて追いかけて来たんだ」
「!」
「……いや。君が必ず動くと思って遠くから待ち伏せようとして…、そしたら迷ったんだ。なにせ一人で歩き回れるほど、そんな頻繁に水の国に来てる訳じゃないからね」
男は小さなため息をつくと、少しばつが悪そうに…。
だがマヤの目をまっすぐ見つめて男は話しはじめた。
……おそらく今度は事実なのだろう。
男の言葉には凛とした言霊の響きが感じられる。
「水の神殿最奥は、水の国の人間でもごく限られた者しか入れない場所だ…。君が行っても神殿の入り口の結界が君を阻むだろう」




