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一.転属

この話は「俺を返してくれ」の外伝です。本編のネタばれありなので、本編読了後にお読みいただけるとうれしいです。

 宇宙警備隊から、ラオラント総統庁に転属になったロベルト・ファンセンは、今、総統のサーズマ・グラウジェンに連れられて、総統庁内の長い廊下を歩いていた。サーズマのボディーガード二人がぴたりと左右に寄り添う。この二人は顔が全く同じ。おそらく人間そっくりのアンドロイド。

 ロベルトは、廊下に反射する照明の光を目にしながら、見知らぬこの場所の質問は何もせずに黙って付いて行った。先程の、総統執務室での会話がよみがえる。



『突然のことで驚いただろうが、今日から宇宙警備隊の兵士をやめ、総統庁所属、ディッセンダム研究所に転属してもらいたい。急に決まったことなので、納得がいかない面もあるだろうが、今日からの仕事は君にしかできないことだ。ハーキェン人の血の入った君を使うことに関しては、反対意見もあったが、結局、君が適任だということで落ち着いた。辞令を受けてもらいたいが、ラオラントの極秘機密に関する仕事なので、これからの君の生活は大きく制限されることになる。受けるか、受けないかは君次第だが、いったん受けてからこの仕事をやめる時は、残念だが、ラオラントの秘密を守る為に、君は生涯拘束されるだろう』

 背もたれのある椅子にかけているサーズマは、執務机をはさんで立っているロベルトにそう言うと、転属命令書を机の上で示した。ロベルトは、何だろう、と心の中で首をかしげながらも、

『何でもやらせてください』

と頭を下げて、辞令を受け取った。総統直々の命令をどうして断わることができよう。

『本当にいいか?』

『はい』

 サーズマは、即座に返されたロベルトの、迷いない顔を確認するようにじっと見て確かめているようだった。

『やってもらえるなら、ありがたい。給料などの待遇は今までよりもよくなる。では早速、新しい任務のことなのだが』

 サーズマは、息を吸い込み、心を落ち着かせると、ロベルトの目をまっすぐに見た。

『まずは君に謝らなくてはならない。婚約していた君に伏せていて悪かった。キャシー・イベリーの真実を今、君に教えよう。今日からの任務は、彼女の複製体を監視することだ』

『えっ……』

 ロベルトは、感電したかのように、自分の頬が、ひっと引き攣ったことがわかった。

 キャシー・イベリー……あまりにも懐かしく、悲しい響き。忘れたくてもどうしても忘れられない、死んだ婚約者。複製体? キャシーの?

 サーズマは顔色の変わったロベルトには構わず淡々と言葉を続ける。

『キャシーの身内は誰もいないから、彼女のことを詳しく知る唯一の者として、君を選んだ。彼女の兄、フレッド・イベリーは、実は何年も前に死んでいて――』

 ロベルトは、感情の入っていない総統の説明に、息をすることも苦しくなった。めまいに襲われ、椅子に腰かけることを許されてからも、全身を冷たい汗が吹き出し、呼吸が整わなかった。

 総統の言うことの何もかもが信じられない。キャシーの複製体を作っていたこと、ディッセンダム研究所で魂の移植実験をやっていること。死者の魂を移植した複製体のキャシーの行動が、生前と同じであるかどうか、調べて研究に協力することが任務だということ。

 キャシーの複製体……それがどんなものなのか、頭の中で組み立てることはできない。


 総統に付いて、長い廊下を進んでいく。五年も前に死んだキャシーのことなど、今さら思い出したくもなかった。キャシーは、正式な婚約までしていた自分に、何も告げることなく一人で逝った。

 遺体がなかった葬儀。本人の希望で遺体は誰にも見せない、との一方的な説明で、納得はしなかったものの、頷くしかなかったあの時。義兄になるはずだったフレッドから渡された彼女の遺髪。白い布に包まれた黒髪のひと束が、残酷な真実を突き付けてきた。髪しか残さなかった彼女は、抱きしめるにはあまりにも小さかった。あれから何日も、彼女の髪を握りしめては泣き、手の中でばらけさせてはまた集める、無意味な時間を過ごした。

 

 遺体は、死後すぐに実験用に解体され、見せられる状態ではなかったのだとの、総統の言葉が頭の中で繰り返される。

 体が解体……聞いた瞬間に、顔から血液が、ザァーと引いたことが自分でもわかった。倒れこそしなかったが、気分が悪くなったのを総統に悟られてしまった。自分だけの宝だった彼女の体が、研究者たちの目にさらされ、バラバラになってしまったのか。想像するだけで吐き気がする。この体調で、今、よく歩いていられるものだと、自分でも思った。

 総統の足元だけを見ながら、ついて行く。どうしても顔を上げる気にならない。心の奥に押し込めてあった数々の彼女の思い出が胸に鉛を送り込み、大声で泣きたくなった。冷たそうな金属に覆われた青黒い空間がどこまでも続く。

 途中、いくつも、検問所のような頑丈な扉を通った。アーチ状になった生体認識機もあちこちにある。廊下は、やがて地下への動く通路につながった。そこからはゆるい下り坂になっている。四つ目の検問所の扉をくぐると傾斜はなくなった。平らになった動く廊下はところどころ、ゆるくカーブしている。誰にも会わない。人の声のしない静けさに不安さえ覚える。地下深く、どこまで行くのだろう。


 サーズマは、泣きそうな顔をしながら付いてくるロベルトを見て、当時、フレッド・イベリー中将が初めてキャシーを連れてきた時のことを思い出していた。



『総統、これが妹のキャシーです。よろしくお願いします』

 フレッドに紹介され、キャシーは深々と頭をさげた。ラオラント軍に入隊して三年目だという。この若さで不治の病とは、酷な運命に遭遇したものだとサーズマは思ったが、それには触れず、すぐに本題に入った。

『いくつかの注意点を確認しておこう。ディッセンダムの情報は誰にももらしてはならない。もちろん、一度入所したら、実験が成功して公にできるまでは、外との出入りは禁止だ。それは中将から聞いているか?』

『はい』

 キャシーははっきりと返事し、首を縦に振った。

『それから、これも大切な事なのだが、君が実験体になることを誰にも知られてはならない。それもわかっているな?』

 サーズマは、キャシーがうなずくのを確かめると、他の注意事項も説明し、最後に一番言いたくなかったことを出した。

『あと、君の婚約者、ロベルト・ファンセン君のことなのだが……彼を鉱山警備隊からはずし、外宇宙へ転属させることに決めた』

 キャシーの黒い瞳が、ハッと大きくなった。

『なぜですか? 彼には関係ありません。私は、お約束はきちんと守ります。病気になったことだって、彼に言っていません。ディッセンダムのことは絶対にもらしません』

 むきになった言い方をしたキャシーをなだめるように、横から兄のフレッドが口をはさんだ。

『彼の母親はハーキェン人だ。おまえと婚約していても、ラオラント軍に所属していても、ディッセンダムの秘密にかかわることは、他星人の血の混じった者に教えることは好ましくない。しかも、ハーキェンは帝国の主星だぞ。ロベルトは、信用できる人物だし、帝国の要人とは無関係のようだが、どこから情報がもれるかわからない。当分はラオラントから離れてもらったほうがいいんだ』

『兄さん! 兄さんが総統にそう提案したの? ロベルトを私から離すようにって。兄さんはほんとは私たちの結婚を応援するふりして、反対していたのね! 酷い、酷いわ!』

 目をむいて兄に詰め寄るキャシーに、フレッドは動じることなく彼女の両肩をつかんだ。

『キャシー、落ち着け。総統の前だぞ。それなら、彼におまえのことをどう説明する気だ。彼には、おまえが秘密の研究所に行ったことは教えられない。彼とおまえの休暇が合わないように調整することはできるが、いつまでもそんなことはしていられない。いずれは、おまえが仕事に出ていないことも、家にもいないこともわかってしまう。おまえが病気だと告げてもいいが、行き先はどうやってごまかすんだ?』

『それは……あとで考えるわ』

『ごまかしなど無理だ。実験は一日では終わらない。移植が成功するまでは、彼に会うことはできないんだぞ。これはラオラントの秘密の実験だと説明しただろう。かわいそうな気もするが、彼には、まだ何も教えられない。それなら遠くへ行ってもらった方がいい』

『兄さんは……彼と別れろって言うの?』

『別れる必要などない。会わせてやることができないから、会いにくい環境を作ってやるだけだ』

『彼は何も知らずに転属させられるの?』

『その方がいい。遠く離れた彼が、もしおまえのことを忘れたなら、それだけの男だったということだ』

 キャシーは、キッと兄をにらんだ。

『そんな言い方するなんて、あんまりだわ。彼はそんな男じゃない。彼が同じ星にいてくれると思うから、がんばろうって気になっていたのよ。好きで実験体になんかなるわけじゃないわ。私のことで彼を外宇宙の勤務へ飛ばすなんていや。彼を転属させないで』

 怒りの中に混じる、すがるような妹の視線も、フレッドは冷たく返した。

『もう決まったことだ』

『兄さんは仕事のことしか頭にないんだわ。本当は、彼が混血だから、私の相手としては最初から気に入らなかったんでしょ』

『違う。彼はいいやつだと知っているから、おまえとの交際を許した。きちんと挨拶に来た時だって、私は反対しなかっただろう。そんなことを今ここで言うな』

『兄さんなんか大嫌い』

 涙ぐんでしまったキャシーをなだめようと、サーズマは、兄妹の会話を途中で止めた。

『ロベルト・ファンセン君には申し訳ないが、すべてがうまくいったら、彼をまたラオラントへ呼び戻して、私から話をする。彼の待遇を特別にしてもらうように、配慮しておくから、心配はいらない。彼には、数日以内に宇宙警備隊への派遣命令を出す。彼を見送ったらディッセンダムへ来てくれればいい。必ず君の複製体を完成させて、魂を移植し、君たちには幸せになってもらう。少しだけ辛抱してもらいたい』


 サーズマは、付いてくるロベルトを振り返った。額にうっすらと汗をにじませ、その顔色はよくない。真実を知っただけで具合が悪くなった様子だ。婚約者の突然の訃報が入った時、この男はどれほど驚いたことだろう。



 ――五年前。 

 キャシーが研究所に入所後、半年足らず。予想外に早く来た彼女の死の報告に、サーズマはうめいた。カード型の通信機の小さな画面に映るフレッド・イベリーは、覚悟はしていたかのように、サーズマからの連絡を聞き、口元を引き結んだ。

『そうですか……死にましたか。早かったですね……まだ大丈夫かと思っていました』

『中将、すまなかった。助からない運命だったのなら、婚約者に会わせてやればよかった。結果的に、ラオラントの国益を優先させ、二人を無理やり引き裂いたことになる。かわいそうなことをしてしまった。婚約者に、彼女の死を伏せることにしてもいいが……』

『それは無理だと思います。彼は……ロベルト・ファンセンは、なんとかして妹と会おうと、まとまった休みを取って帰星したいと何度も申請していました。今までは、こちらが密かに妨害してきましたが、いつまでもそんなことはできません。妹は死んだのだと、彼に、はっきり伝えます。彼に特別休暇を与え、葬儀に来てもらいましょう。もちろん、ディッセンダムの情報は漏らしませんのでご安心ください』

『そうか……しかし、彼女の体は研究所で使わせてもらう条件だった。引き渡しはできない。葬儀でも会わせてやれない』

『それはうまく説明します』

『必ず命を助けると約束して、彼女にたくさんのがまんを強いておきながら、この結果は大変心苦しい。彼女の涙を無駄にしないように、彼女の細胞を使った複製体は、大切に利用させてもらう。もし将来、魂を呼び戻すのに成功したら、きっと彼女は生き返る』

 そこで少し間があった。小さな画面の中のフレッド・イベリーは指で目をこすった。

『そうなれば、どんなにすばらしいことでしょうね。いつか完全に魂までよみがえらせることができる日が来たら、妹は幸せになれるでしょうか……』

 フレッド・イベリーが声を詰まらせた。

『総統、失礼しました。今、私は、つまらないことを口に出してしまいました。複製体は、死んだ人間の魂を呼び戻す為に作っているのではなく、生きている人々の為に作っているのですから、そのようなことは期待してはならないことでした。この研究が成功して、ラオラントが栄えることが私の幸せです。妹も私も軍人である以上、ラオラントに捧げた身です。妹もそれでいいと思っているでしょう。もし、私が死ぬようなことがあったら、この体を妹と同じように、実験に利用してください』

 小さな画面の向こうのフレッド・イベリーの顔が歪んでいた。このいかつい男が泣いたのを見たことは一度もないサーズマは、フレッドの深い悲しみを察し、しばらくはかける言葉が浮かばなかった。しかし、いつまでも黙ったままでは、話は終わらない。

『中将……本当に申し訳なかった』

『失礼しました。見苦しい様をお見せしました。誰よりも泣きたいのは、ロベルト・ファンセンでしょうね』


 ――そう、誰よりも泣きたいのは、今、私の後ろを歩いているロベルトなのだ……


 サーズマは、軽くロベルトの肩をたたいた。ビクリとするロベルトの緊張をほぐそうと、サーズマは口角をあげてやさしい顔を作った。

「そう心配することはない。今回がダメでも次回に期待すればいい。生きた人間の魂の完全移植ならすでに成功している。実用化目前だ」

「はい……」

 ロベルトは力なく答えた。どうも気が乗らず、仕事だと割り切れない。

「この部屋だ。一人で中へ入ってくれ。私は席をはずそう。だが、そちらが見える位置に私や研究員がいることを忘れるな」

 ロベルトは、サーズマにうながされ、示された部屋へ一人で入って行った。部屋の壁の上部に埋め込まれている横長の窓は、特殊ガラスになっており、向こう側から室内を観察できるようになっている。サーズマが、窓の向こうの部屋へ回り込むと、そこには、数人の研究員とともに、サーズマの息子レイと、その侍医のブラウゾンも来ていた。

「いよいよご対面か。どうなるかな」

 レイが口元をゆるめながらそう言うと、サーズマは笑みで返した。

「たぶん、うまく行ったと思うが、どうだろう。さあ対面だ。静かに」



 部屋へ入るなり、ロベルトは低い声で愛しい女の名前をつぶやいた。そこは広くはないが、白い壁の明るい部屋だった。家具は、ベッドと、小さな金属ロッカーが一つきり。壁ぎわに置かれたベッドに、前合わせのゆったりとしたローブをまとった、一人の女性が腰かけていた。まっすぐな黒髪を額の真ん中で分けているが、ロベルトの知っている彼女よりも髪はずっと短く、首も耳も出ている。

「キャシー」

 ロベルトは感情を殺し、女性に呼びかけた。女性はゆっくりと反応し、ロベルトの方に体を向けた。



  

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