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振り返った娘の顔を見て、リースは思わず声をあげた。
「ティナ……」
ティナ、ティナだ。
リースは確信して呼びかける。やっと会えた。
何年も何年も探し続けていたのだ。多少成長したところで、見間違えるはずもなかった。
「ティナ……!」
力任せに捻ってしまったティナの細腕を離しても、彼女の怯えた表情は変わらなかった。
痛かっただろう。
リースは平謝りする他なかった。
盗人だと思っていた為、少しも加減などしていなかったし、抵抗を続けるつもりなら、折るつもりでもあった。農家の人間が一年以上の年月をかけ、果物屋が朝早くから仕入れ汗だくになって運んだリンゴを盗むその手が許せなかったからだ。
しかし。
それがティナとなれば話は別だ。
彼女は腹を空かせていたのだろう。
乾いた唇に、痩せた頬が痛々しくてならなかった。
こんな目に遭ったのは、ティナのせいではない。
罪を犯しそうになったのは、その境遇のためだ。
怖がらせてはいけないと、リースは子供の頃の少年のように振る舞った。
しかしティナはそれでも逃げ出そうとした。
どれほど怖い目にあってきたのだろう。
リースはどうにか、ティナを安全な軍部へ連れ帰った。けれどそこでもティナの態度は頑なだった。
おまけに、大衆宿屋で身体まで売っているらしい。
そこまで知っては、どうあっても帰すわけにはいかなかった。
「昔の私じゃないの」
そう言って虚勢を張るティナは、毛を逆立てて恐怖を紛らわそうとしている仔猫にも見えた。
無理もない。
彼女は国軍に追われ隠れ暮らしてきたのだろうし、目の前にいるリースは今や民衆に陰口をたたかれ、怯え恐れられる部隊の長だ。
(どうしようかな)
リースは考えて思いついた。
そうだ。
それなら自分も、変わったと伝えよう。
あれから何年も経っているのだ。
ティナも理解し、安心してくれるはず。
リースはにこりと、ほほ笑んで見せた。
***
「悪いけど、俺もね昔の俺じゃないんだよ。ティナ——」
誰。
目の前で笑うリースが別人に見えて
ティナは無意識に出口を探していた。
だが、背後はソファに阻まれ、目の前にはリースが立ち塞がっている。
「あれから俺も色々と経験したよ」
リースはそのまま、ティナの隣に腰を下ろした。
「兵隊として働いて戦にも出た。人を斬ったこともあるし斬られたこともある。
ティナも知ってるだろうけど、俺たちは話も通じないような悪人も力づくで取り押さえてきたからね。街や一般の人を守る為だけど、怖がられても仕方がないとも思う」
近づいてきたリースの手が伸びて、ティナの頬に触れた。
「リース……兄様……」
震えてしまった声に、顔を覗き込んできたリースが少しばかり淋し気に笑う。
その、顔には、見覚えがあって。
「……やっぱり、軍人は怖い?」
ティナははっと俯く。図星だった。
ずっと追いかけられてきたし、その上、捕まった人々がどんな目に遭うかも耳にしている。特に——リースの部隊は。
ティナは考えてしまう。
今頬に触れている手は、人を殴り、斬っているし
淋し気な口元は、残酷な命令を紡ぐのだと。
でも
ティナは、リースが優しい少年だったことも知っている。いつもティナと遊んでくれた、本当の兄のような存在だった。
今だってこうして助けてくれようとしている。
なのに
恐怖を感じてしまうのは、リースの言う通り、彼が変わってしまった為なのだろうか。
黙ってしまったティナに、リースが「ごめんね」とそっと手を離した。
「やっぱり怖いよね」
ティナは庇うように叫んだ。
「……リース兄様は怖くない……!でも軍の人、は……まだ」
「良いんだ……仕方がないことだよ。でも、ひとつだけ弁解をさせて欲しい」
一度言葉を切って、リースは言った。
「おじさんの……ロックウェル家の濡れ衣はもう晴れてるよ」
「え?」
驚いたティナに、リースは力強く頷いた。
「君のお父さんにかけられてた詐欺罪と横領罪は解かれたよ。真犯人を捕まえたんだ。もう二年も前だったかな……だからね、つまりもう、君が隠れて暮らすことはないんだ」
ティナは大きく目を見開かせた。
「——本当?」
リースは柔らかく微笑む。
「ああ、本当だよ。もっと早くティナを見つけて知らせてやりたかった……ごめんね」
「……っううん」
ティナはふるふると顔を横に振った。
「良いの、お父様の罪が晴れたのなら……!それで十分だわ」
「本当の犯人にもちゃんと罰は与えた。だから安心して」
「……ありがとう……!ありがとうリース兄様」
「どういたしまして」
と、リースの目がそのまま細められた。
「だからもう、外に出ちゃ駄目だよ。ティナ」
「え?」
「外は危ない。悪い奴らがいっぱいいるからね。これからは俺と一緒に暮らそう。行くところもないだろ?」
「で、でも」
ティナはぼろぼろのスカートを握りしめた。
「これ以上迷惑をかけるわけには、いかないし……それに父の罪と、私の盗みは別の問題だわ……ちゃんと償わなくちゃ」
鞭うち、とはどれだけ痛いものなんだろう。
考えるだけで足が竦んだ。
でも、罪は償うべきだと思った。
そうでなければ、父の言いつけを破り、腐ってしまった自分の心を戻せない気がする。
ティナは青ざめながら、リースを見上げる。リースは少しだけ肩をすくめた。
「それはとても立派な考えだと思うけれど、でも、ティナ。君は盗みたくて盗んだんじゃないだろう?そうせざるを得なかったんだろう?」
「私だけじゃない、それは……皆そうだわ」
ティナの抗議に、リースは真剣な表情で頷いた。
「うん、君の言う通りだと思うよ。
俺はこれまで犯罪者の事情なんてよく聞きもしないで捕らえてきてしまった……でも、ティナみたいな子もいるんだって考えるべきだったんだ。盲目だったと反省してる。
だから、罰則は見直そうと思うよ。
犯罪者でも、事情と背景は考慮すべきだ。でないと、いつまでたっても罪はなくならない」
「……兄様」
「それでもまだ、罰を受けたい?」