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リースの身体は弱かった。
少し走っただけで咳き込み、流行りの病は一通りかかった。
そんな弱弱しいリースは、父親に疎まれていた。
「軍人の子が、情けない」
そう言って、父はことあるごとにリースの背を鞭で打った。
なんの落ち度もない日も、教育だの躾だのと理由を並べては父はリースを呼び出し、折檻した。リースと違って、屈強な身体を持ち合わせていた父にはリースがただの怠け者にしか見えなかったのだろう。
引きこもることは許されず、リースは厳しい監視のもと育てられた。
母親は自身が着飾ることに夢中で、リースには全く無関心だった。
跡取りを産んだ時点で、彼女の役目は終わっていたのだ。外に愛人を作っていることも明白だったが、父はなにも言わなかった。父もまた、役目を終えた母になんの感情も持ち合わせていなかったのだ。
そんな冷え切った両親のもと、リースは幼いながらに薄暗い感情を育てていった。
早く出て行きたい。早く大人になりたい。
父の目を逃れ、母の甲高い笑い声が聞こえなくなる日を、夢に見ていた。
そんな風にしてやさぐれていたリースだが。
ある少女の前でだけは、違う表情を見せていた。
「リースお兄様」
舌ったらずな口調で、自分を慕ってくる商家の娘——ティナ。
ティナはリースの父親に武器を売りに来る男の娘で、可愛らしく、無邪気で純粋で、だいぶ鈍感な女の子だった。
父親達が商談をしている間、リースはティナを部屋に呼んで遊んでやるのが日課だった。
それは一人っ子で、友人も少ないリースが唯一子供らしくいられる時間だった。
ボードゲームをしたり、お茶をしたり、勉強を教えたり。
リースがなんの緊張もなく一緒に過ごせる相手はティナだけだった。ティナは貴族の令嬢ではない。だからこそ、多少の無作法を働いても、その時間だけは教育係の女にも目をつぶってもらえた。
ティナは商談が終わった父親が迎えにくると、脱兎のごとく駆け出して彼に抱き着いていた。父親も父親で、ティナを笑顔で抱き上げ、そのふっくらと柔らかな頬にキスをしていた。愛情あふれる温かな親子の風景は、リースの胸を鈍く軋ませた。
自分もあの中に交ざることが出来たら、どんなに良いだろうと思っていた。
「ねえお兄様、なりあがりって何?」
「成り上がり?」
ある日ティナが口にした差別的な言葉に、リースは顔をしかめた。
ティナの家は貴族家ではないが、かなりの資産家で、下手な貴族家よりもよっぽど裕福だった。大方その事について嫌味を言われたのだろう。そう予想して、リースは不愉快な気分になった。
「ティナ。それ、誰に言われたの?」
「マレンカちゃんよ。他の皆も笑ってた。面白い言葉なの?」
「うーん」
(マレンカ……ああ、あの侯爵家の娘か)
数回会った事のある娘の顔を忌々しく思い出す。今度会ったらただじゃおかないと考えながら、リースは
「貴族じゃないお金持ちのことだよ」
と、教えてやった。
卑怯だとは思ったが、本当の意味を、ティナを傷つけることなく上手に説明できる自信がなかった。
幸いティナは、素直に納得してくれた。
「へぇ、そうなんだ」
その笑顔に、リースは小さな罪悪感と大きな不安を覚えた。
あと数年も経てば、嫌でも意味を理解するだろう、その時のことを思えば、胸が痛んだ。
意地悪な令嬢たちに悪口を言われても、悪口と理解できないほどティナは無知で無教養で鈍感だった。けれどそのおかげで、ティナは落ち込みもしないし傷つきもしていない。今この時は——。
(ああでも、僕もティナみたいに鈍ければ良かったのにな)
リースは他人の心の機微に敏感過ぎて、父の機嫌が悪いこと、母の無関心を感じ取りすぎていた。その度に落ち込んでしまう自分に、自分でも嫌気がさすほどに。
「ティナが本当の妹ならずっと側においてやれるのに」
養子の提案は半分は本気だった。
ティナみたいな妹がいてくれれば、このどんよりした屋敷も少しは安らぐだろう。ティナの明るい笑い声があれば、むっつりしているメイドも笑うかもしれない。
いいや、そうじゃなくて——。
リースの方が、ティナの家族に交ぜて欲しかったのだ。