表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/10

***


 リースの身体は弱かった。

 少し走っただけで咳き込み、流行りの病は一通りかかった。



 そんな弱弱しいリースは、父親に疎まれていた。


「軍人の子が、情けない」


 そう言って、父はことあるごとにリースの背を鞭で打った。

 なんの落ち度もない日も、教育だの躾だのと理由を並べては父はリースを呼び出し、折檻した。リースと違って、屈強な身体を持ち合わせていた父にはリースがただの怠け者にしか見えなかったのだろう。

 引きこもることは許されず、リースは厳しい監視のもと育てられた。


 母親は自身が着飾ることに夢中で、リースには全く無関心だった。

 跡取りを産んだ時点で、彼女の役目は終わっていたのだ。外に愛人を作っていることも明白だったが、父はなにも言わなかった。父もまた、役目を終えた母になんの感情も持ち合わせていなかったのだ。


 そんな冷え切った両親のもと、リースは幼いながらに薄暗い感情を育てていった。

 

 早く出て行きたい。早く大人になりたい。


 父の目を逃れ、母の甲高い笑い声が聞こえなくなる日を、夢に見ていた。




 そんな風にしてやさぐれていたリースだが。

 ある少女の前でだけは、違う表情を見せていた。


「リースお兄様」


 舌ったらずな口調で、自分を慕ってくる商家の娘——ティナ。

 ティナはリースの父親に武器を売りに来る男の娘で、可愛らしく、無邪気で純粋で、だいぶ鈍感な女の子だった。

 父親達が商談をしている間、リースはティナを部屋に呼んで遊んでやるのが日課だった。


 それは一人っ子で、友人も少ないリースが唯一子供らしくいられる時間だった。

 ボードゲームをしたり、お茶をしたり、勉強を教えたり。

 リースがなんの緊張もなく一緒に過ごせる相手はティナだけだった。ティナは貴族の令嬢ではない。だからこそ、多少の無作法を働いても、その時間だけは教育係の女にも目をつぶってもらえた。


 ティナは商談が終わった父親が迎えにくると、脱兎のごとく駆け出して彼に抱き着いていた。父親も父親で、ティナを笑顔で抱き上げ、そのふっくらと柔らかな頬にキスをしていた。愛情あふれる温かな親子の風景は、リースの胸を鈍く軋ませた。

 自分もあの中に交ざることが出来たら、どんなに良いだろうと思っていた。



 

 

「ねえお兄様、なりあがりって何?」

「成り上がり?」


 ある日ティナが口にした差別的な言葉に、リースは顔をしかめた。

 ティナの家は貴族家ではないが、かなりの資産家で、下手な貴族家よりもよっぽど裕福だった。大方その事について嫌味を言われたのだろう。そう予想して、リースは不愉快な気分になった。


「ティナ。それ、誰に言われたの?」

「マレンカちゃんよ。他の皆も笑ってた。面白い言葉なの?」

「うーん」


(マレンカ……ああ、あの侯爵家の娘か)


 数回会った事のある娘の顔を忌々しく思い出す。今度会ったらただじゃおかないと考えながら、リースは


「貴族じゃないお金持ちのことだよ」


 と、教えてやった。

 卑怯だとは思ったが、本当の意味を、ティナを傷つけることなく上手に説明できる自信がなかった。


 幸いティナは、素直に納得してくれた。


「へぇ、そうなんだ」

 

 その笑顔に、リースは小さな罪悪感と大きな不安を覚えた。


 あと数年も経てば、嫌でも意味を理解するだろう、その時のことを思えば、胸が痛んだ。

 意地悪な令嬢たちに悪口を言われても、悪口と理解できないほどティナは無知で無教養で鈍感だった。けれどそのおかげで、ティナは落ち込みもしないし傷つきもしていない。今この時は——。



(ああでも、僕もティナみたいに鈍ければ良かったのにな)


 リースは他人の心の機微に敏感過ぎて、父の機嫌が悪いこと、母の無関心を感じ取りすぎていた。その度に落ち込んでしまう自分に、自分でも嫌気がさすほどに。


「ティナが本当の妹ならずっと側においてやれるのに」


 養子の提案は半分は本気だった。

 ティナみたいな妹がいてくれれば、このどんよりした屋敷も少しは安らぐだろう。ティナの明るい笑い声があれば、むっつりしているメイドも笑うかもしれない。

 いいや、そうじゃなくて——。

 リースの方が、ティナの家族に交ぜて欲しかったのだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ