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『人には親切に』。


 父の教えに従って、

 ティナはマレンカに親切にしたのに

 マレンカはティナに優しくしなかった。


 親切をしたティナは空腹の中 軍人に追いかけられ。

 親切をしなかったマレンカは馬車の中で 毛皮のコートを羽織っていた。


 

 ティナは理解した。

 父は間違っているのだと。

 人に親切にしたところで、幸福になれるとは限らない。

 人に優しくしたところで、空腹から逃れられるわけじゃない。

 優しくしたからといって、優しくされるわけではないと。


 だったら、優しくするのは損だ。


 ああ、馬鹿馬鹿しい。


 ティナはその夜から、就寝前に祈りを捧げることを止めてしまった。



 

 


 ティナはマレンカと再会してしまった街を抜け出し、新しい土地へと向かった。

 そこで日雇いの仕事を探し、その日暮らしをするようになった。


 日雇いは様々な仕事があった。

 皿洗いや、廃材運びに靴磨き。それでも、どうしても仕事が見つからない日が続いたある日、ティナはとうとう、盗みを働いた。


 最初はリンゴだった。

 丸くて艶のある瑞々しいそれが、とてもとても美味しそうに見えた。

 いけない事だとはわかっていた。

 でももう、お腹が空いて仕方がない。気分が悪い。

 溢れてくる唾液に、ティナは屋台に積んであるそれに吸い寄せられるように腕を伸ばし、盗った。

 とても美味しかった。涙が出るほど、美味しかった。


 一度罪に手を染めると、二度目は早かった。 


 次はパン。次は野菜と、ティナは巧みに仕事をこなした。


 見つかれば大変な目に遭うことはわかっていたけれど、ティナはそんなヘマはしなかった。父との逃亡生活のおかげだろうか。彼女はいつの間にか素早い脚と、持久力を身に付けていた。




 街から街へ点々と所在を変えながら、ティナは働き、時々盗み、生活をしていた。


「どうしたんだい?お嬢さん」


 歩き疲れて路上に座り込んでいると、時折親切にしてくれる人もいたけれど、ティナはそんな人物にさえ嘘をついた。本当のことを言えば、マレンカのように軍に通報されるかもしれないと思った。本名は名乗れず、偽りの過去を語り、施しを受けた。 

 

 お金を貯めて、もう少しだけまともな生活をしたい。

 ティナは路上にうずくまったまま、自分の両膝を守るように抱きしめた。

 ティナを追う人のいない国で、静かに暮らしたい。

 今はもうそれだけが、ティナの願いだった。


 



 

***


 そんな生活が、三年も続いた。


 その頃にはもう、あの優しい父が本当に人を騙したのかとか。

 あれはマレンカの嘘だったのかとか。

 そんなことは一切考えなくなっていた。

 考えたところで——事実がどうであれ——現状は変わらない。


 国境越えが難しいことと。

 お金が思うようにたまらないことと。


 それから今日のご飯のこと。


 他に考えるべきことが、山のようにあったからだ。






「追え!逃がすな‼」


 男達の怒号が響き渡り、数頭の立派な馬が駆け抜けていく。

 こんな田舎町には珍しい事件があったようだ。


(あらら)


「大人しくしろ!」

「うるさい、離せ‼」

 

 ティナは群衆に紛れ、その一連の流れを傍観していた。


(はりきってるなあ)


 白馬を率いた国軍が、偉そうにふんぞり返りながらとある窃盗団を取り押さえているところだった。その窃盗団は国内外でも有名なグループで、ここ連日貴族の家や馬車を襲っていた。刃物で脅し、金品を強奪していくらしい。


「触るな!」


 無精ひげを生やし擦り切れた服を身に着けた男は、地面にうつ伏せに寝かされ、国軍に背中から踏みつけられていた。男のぎらぎらと見開かれた両目は、憎悪に満ちている。

 気持ちは、わからなくもない。

 ティナは暴れ、軍人に唾を吐いている窃盗団の男に同情した。貴族は持ちすぎている。

   

 この三年で、ティナはこの世界の成り立ちをしっかりと理解した。

 どんな街にも上と中と下がある。

 貴族と、庶民と、それ以下だ。

 

 皆それぞれ相応の生活を送って、社会は回っている。

 時折庶民やそれ以下の人間がその檻を抜け出そうともがくのだけれど、それはやってはいけないことだった。

 父の失敗はそれだ。

 庶民が貴族のように振る舞うことを貴族は嫌がるし、庶民は煙たがる。金持ちになればなるほど、その態度は顕著に表れた。


 貴族からは“成り上がり”と蔑まれ

 庶民からは“成功者”と疎まれる。

 

(成り上がりって、そういう意味だったんだ)


 本当の意味を理解したティナは、あの日優しい嘘を吐いてくれた少年を思い出した。


——貴族じゃないお金持ちのことだよ


 少年は、無知なティナにそう教えてくれた。


 それは嘘ではないけれど、説明としてはあまりに足りない。

 それでも彼は幼いティナを傷つけまいと言葉を選んでくれたのだろう。とても心の優しい少年だったから。


(元気にしてるかな、軍の学校は卒業できたのかな)


 ティナがこのような状況になってから、彼との縁はすっかり切れてしまった。

 彼はティナのことなど、とっくの昔に忘れてしまっているだろう。

 けれど、ティナはまだしっかりと覚えていた。

 彼だけは、いつまでも幸せだった頃の記憶としてティナの心に息づいている。いつも彼にまとわりついて、勉強を教えてもらい、一緒に外に連れ出して遊んだことを。子供だったから許される、身分違いにも程がある行為だった。




——まあ、それはそうとして


 ティナはきょろきょろと辺りを見回した。 

 ここ二日程、まともな仕事がなく、貯蓄していた食料も底をついていた。

 幸い人々の目は、国軍の大獲りものに集中している。やるなら今だ。


「しかしあいつらも間が悪いよな」

「ああ」


 喧噪と緊張した空気の中、ティナに注視する者などひとりもいない。


「——よりによってジェンキンス大佐がいる時に見つかるなんてよ」


 ティナは聞くともなく男達の密やかな会話を耳にして、足を動かした。暴動に怯えるそぶりをして、そっと果物屋の軒下に立つ。店主は野次馬に出ているのか不在だった。


 チャンスだ。


 ティナは視線は前に向けたまま、右腕を伸ばした。血のように赤く熟れたリンゴを掴み、さっと鞄に入れ、ようと、した。

 しかし。


「俺の目の前で盗みを働くとは、いい度胸だな」


 厚い手袋をはめた大きな手が、ティナの手首をがしりと掴んでいた。さっきまで、そこには確かに誰もいなかったはずだ。耳元で轟いた低い声は面白がるような響きをもちながら、決して逃がしはしないという強い意思を秘めている。


「……ご、ごめんなさ」

「謝罪は店主へするんだな」


 言葉を発することすら許さないというように、男はティナの手首をひねりあげた。


「……いっ」


 あまりの痛みにリンゴを落としてしまう。


「おい、食べ物を粗末にするな」


 男の呆れたような声に、ティナは歯を食いしばった。したくてしたわけじゃない。


「こい盗人」


 捻られたまま容赦なく手を引っ張られ、ティナは短い悲鳴を上げた。肘の関節がぎしりと唸る。


「や……っ」


 無理やり身体を反転させられたティナは、男を見上げた。どうにかして、偽名を、使えば——。


「え」


 と、ティナを見下ろした男の顔が、見る見るうちに緩んでいった。眉間の皺はなくなり、掴まれていた腕からは痛みが消えた。

 男の喉仏がゆっくりと動かされる。


「——……ティナ?」

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