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「マレンカちゃん!」


 ティナは手を伸ばし、往来を通り抜けようとしていたその馬車に呼びかけた。

 大声に、御者の男がこちらを向く。

 ティナはその前に飛び出した。

 馬が悲鳴をあげながら前足を振り上げて停まった。


「ちょっと‼何よ!」


 と、怒声をあげたマレンカが、馬車の窓から顔を出してくる。


「おでこ打っちゃったじゃない!あなたクビよ!」


 金切り声に、ティナは安堵した。

 やっぱりマレンカだ。


 マレンカは幼い頃の容貌を残してくれていた。

 細くつりあがった眉に、黒目勝ちな瞳、それからブロンドの癖っ毛。全てティナには見覚えがある。

 あの頃より少し太ったようだけれど、間違いなくマレンカだ。馬車の紋章だってマレンカの侯爵家のそれだ。


 ティナは笑ってマレンカに呼びかける。


「マレンカちゃん!」


 マレンカとは子供の頃何度も遊んだ。きっと助けてくれるとティナは両手を振る。


「私、ティナよ!覚えてない?」


 声を張り上げたティナに、マレンカは顔を向けた。そうして顔を歪める。 


「どなた……?」


 ティナは一瞬怯んだけれど、すぐに気を取り直した。昔とは着ている服も全然違うし、髪だって下ろしっぱなしだ。だからマレンカは気づいてくれないのだろう。

 無理もないことだと、ティナはマレンカに駆け寄った。


「私、ティナよ。ティナ・ロックウェル。覚えてない?ほら、昔お茶会に誘ってくれたでしょう」

「……ティナ?」


 マレンカは顔を歪めたまま、ティナを見つめ続け、ようやく表情を変えた。

 笑顔だった。


「ああ、あのティナ?あの成り上がりの娘だったティナね!」

「そうよ!」


 ティナが思い出してくれたと両手をあわせる。


「助けて欲しいの……お父様が亡くなって、私一人で……仕事が欲しいの、なんでもするから」


 お願いと言ったティナに、マレンカは優しく言った。


「あらそう。あの人亡くなったの?お気の毒ね。でも、ごめんなさい。犯罪者には関わるなとお父様に言われているの」


 にべもなく断られ、ティナは固まる。


「……犯罪者?」


 それは、誰のこと?

 困惑したティナに、マレンカはいっそう笑みを深くした。


「あらやだ。ご存じないの?あなたのお父様が詐欺師だったって、社交界じゃ知らない人はいないわよ。投資したお金を持ち逃げされたって、皆言ってたわ」

「詐欺?……だましたってこと?」

「そうよ。お金儲けが大好きだったものね、あなたのお父様。きっと天罰が下ったのよ」


 ティナは首を振る。

 あの優しい父が、人をだますわけがない。


「嘘よ」

「本当よ。だからあなたは家を失ったんじゃない。軍からも追われてるんでしょ?こんな遠くまで逃げてきて……成り上がりの子供ってかわいそうね。あなたにはなんの罪もないのに」 


 マレンカがくすくすと笑うと、両耳から垂れた巨大なイヤリングも一緒に揺れた。


「でも、罪は罪よね。あなた、あの犯罪者のお金で贅沢な暮らしをしていたんだもの。しっかり借金と罪を償わなくちゃ」

「……マレンカちゃん、助けて」

「軍まで送ってあげるわ」

「どうして、友達だったじゃない」


 ティナが言うと、マレンカはすっと笑顔をひっこめた。

 恐ろしいほどの無表情だった。


「軍人さんに捕まったら、冷たい石の牢にいれられるそうだけど、ティナったら素足なのに大丈夫?」









 マレンカが軍人を呼ぶ声に怯えて、ティナは走った。背後で、マレンカが高笑いをあげていた。

 路地に溜まった汚泥が跳ね、ボロボロのスカートに新しい染みを作る。警笛が聞こえて、立ち止まり、誰も入れそうにない狭い路地の隙間に入り込んだ。




 どうして。


 ティナは呼吸を整えながら、涙を零した。


 久しぶりに会えた知人に、心の底からほっとしていたのに。


 マレンカは少し意地悪なところもあったし

 不機嫌になることも多かったけど。

 友達だと思っていたのに。


 違ったのだ。


“やっぱり”違ったのだ。


 子供の頃。

 マレンカの髪飾りを拾った時、ティナは少しだけ思ったのだ。

 足を滑らせたのじゃなくて、押されたような気がしたと。

 でも、気のせいだと思った。

 池の周りはぬかるんでいたし、ティナは卸したての履きなれない靴を履いていたから。


 でも“やっぱり”違ったのだ。


 気のせいなんかじゃなくて、あの時確かにティナは、背中を強く押されたのだ。悪意を持って。


 ティナの拾った髪飾りを見て、マレンカは言った。

 「ぐしゃぐしゃでもう使えないわ」と。

 受け取りもしなかった。


 今ならわかる。

 マレンカの家は、ティナの家よりも貧しかったのだ。

 マレンカが祖母の形見だと言っていた服も、ただ流行の新しいドレスを買えなかっただけのこと。それなのに貴族でもないティナが真新しい服を着ていることが許せなかったのだろう。


(私が貴族じゃないから……)


 マレンカにとって、ティナは友達ではなかったのだ。

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