2
***
「事業に失敗したらしいわ」
「大損だったんだろう」
「屋敷も差し押さえられたそうよ」
「今あちこちに頭を下げて回ってるらしい」
「頼れる親戚もないんだろう」
「嫌ね」
「これだから成り上がりは」
***
外の事情や父の仕事を全く知らないティナにとって、それは突然の出来事だった。
屋敷からは使用人がひとり残らずいなくなって、家財は見たこともない人たちに持っていかれた。
父は誰かが訪ねてくるたびに奥の部屋へ籠り、疲れた顔をして出てくる。
ティナには、大人たちの会話がよく解らなかった。解りたくなどなかった。
「ティナ、お父さんと旅に出よう」
ある晩、ティナは父に揺り起こされた。
いつも優しい父の顔はこわばり、声を潜めている。寝ぼけるティナに父は静かにコートを着せて、マフラーを巻かせた。
父親に手を引かれ、ティナは広い屋敷を裏口から抜け出した。
どうして裏口から出るのかなと思ったけれど、聞く暇もないくらい父の足は速かった。しだいに追いつけなくなったティナを父は抱きかかえ、街を出る大きな橋を渡った。
ふたりは知らない場所で生活をするようになった。そこは寂れた宿屋だったり、朽ち果てた教会だったりと様々で。
どうして馬車を拾わないの?
どうして寝る場所が毎日違うの?
どうしてこんなにご飯が少ないの?
ティナはしだいに、そうした疑問も口にしなくなった。
月日が経つにつれ、嫌でも現状を理解したからだ。
父が仕事を失ったのだと。
そうして多額の借金と罪を背負っている。
幾度住む場所を変えても、街をうつっても、軍や国の人間は追ってきた。
ふたりは一つの場所には留まれず、転々と旅を続けた。
父は昔の面影がなくなり、やつれ、髭も生やしたままになっていった。
以前なら毎日綺麗な服を着て、髪もきちんと整えていたのに、今は伸ばしっぱなしの髪を括りもせず、背中に流している。
父は毎日仕事だといってどこかへふらりと姿を消し、夕方もしくは夜にティナの待っている場所へ戻ってきた。
日雇い労働というのだと、ティナは下町で知り合った子供に聞いた。その子供の親も、同じような仕事をしているらしい。
「重い石を運んだり、貴族のお屋敷の建築のお手伝いをさせられんだ」
日に日に弱っていく父を前に、ティナは、自分も早く働けるようになりたいと思った。
そうしたら、父の手伝いが出来るのに。
父に借金がいくらあるかはわからないけれど、少しずつでも返せたら、また昔みたいな生活に戻ることが出来ると。
ティナは、そう思っていた。
父はそんな貧困の中でもティナへ愛情を注ぐことだけは忘れなかった。
寒い夜は抱きしめてくれて、パンはいつだって大きな方をくれた。
二人してなんとか借りることのできた部屋に身を寄せ合い、床に直接立てた蝋燭を眺め、パンとスープを啜る。
「懐かしいなあ」
と父は言った。
「昔、お母さんとこうしてお菓子を食べていたよ」
「お母さんと?」
ティナの母親は今は天国で暮らしていた。
幼い頃に他界してしまった母親の記憶は、残念ながらティナにはない。
父は過去を探るようにして、目を細める。
「ああ。お母さんは綺麗で可愛くて明るい、街の人気者だった。それに比べてお父さんはしがない雑貨屋の次男坊だろ。お母さんに振り向いて欲しくてがむしゃらに頑張ったよ」
経営を学び、金を儲け、ティナの母親にアプローチを続けた。
「あの頃はデート代も出せなくてさ。でも、お母さんはそこらの花でも喜んでくれる人だった」
懐かしいな、と父は顔を覆う。そうして小さく呟いた。「どこで間違えたんだろう」と。それはティナの聞き間違いだったのかもしれない。
でも、そう言った後の父の肩が震えていて、ティナはとても心細くなった。
「お父様、寒いの?」
「いいや」
父はティナを抱きしめた。
「お前だけは、絶対に守るよ。ティナ」
耳元で、父親は囁いた。
「愛してるよ、ティナ」
それから三年後。
ティナが十三になった年。
父は亡くなった。
流行り病だった。病床の父は、最期までティナに「愛している」と教えてくれた。ティナは「行かないで」と繰り返したけれど、無駄だった。狭くて、壁紙も剥げた、部屋とも呼べぬ部屋で、父は最期を迎えた。ティナは目を開けるのも億劫な程泣き続けた。自分も連れて行って欲しかった。
母の元へ向かった父は、街の共同墓地に埋葬をしてもらった。
それはとても淋しいお葬式だった。
ティナは喪服を買うお金も持っておらず、この季節では飾る野花すら咲いていない。そんなことより、お腹が減って仕方がなかった。
と、そんな中、ティナはマレンカを見かけたのだった。