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「ねえ、おとうさま」


 それはまだ、裕福だった頃の記憶で。




「わたしは‘なりあがり’なの?」


 ティナは父に、そう尋ねた。



「ティナ……」


 父は帰宅したばかりのティナを見て、言葉を失っていた。

 無理もない。


 買ってもらったばかりのドレスは足元までぐっしょり濡れていたし、そのところどころには水草がひっついていた。せっかくメイドが巻いてくれた髪も、今はだらしなく首や肩にまとわりついていた。


 招待された茶会に、ティナは今日出席していた。

 知人のお姉さん達も一緒で、お菓子を食べたり歌を歌ったりして、それはとても楽しい時間を過ごしていた。


 けれど最後のほうで失敗をしてしまった。

 茶会の主催だったマレンカが池に髪飾りを落としてしまったのだ。それをティナが取ってあげようとしたら、足を滑らせてしまった、というわけだ。だから父が「誰がこんなことを」と言ってもティナには答えようがなかった。ティナが勝手に落ちたのだから。

 

 

「ねえ、わたしとおとうさまは なりあがりなの? なりあがりってなあに?」


 両手に脱げてしまった赤い靴を持ったまま、ティナは父を見上げる。

 広い玄関ホールで質問を繰り返すティナに、父も、父付きの執事も、迎えに出てくれたメイド達も、難しそうな顔をしていた。


 どうして誰も教えてくれないのかな。


 マレンカもそうだった。

 ただティナに『なりあがりのくせに』とか『なりあがりなのに』とか言うだけで、ちっともそれがなんなのかを教えてはくれなかった。


 マレンカは「お父様にでも聞いてごらんなさいな」としか言ってくれなかった。


 だからこうして聞いているのに、頼りの父さえも口を閉ざしてしまう。

 ティナはメイドが持ってきたタオルに包まれ、そのまま風呂場へ連れて行かれた。メイドがどうしてそんなに悲しそうな顔をしているのかも、わからなかった。




「貴族じゃないお金持ちのことだよ」


 そう教えてくれたのは、幼馴染のリースだった。


「そうなんだ……!ありがとう、リースお兄様」

「どういたしまして」


 にこにこと笑ったリースは、ティナの髪を優しく撫でた。


 リースはティナより四つも年上の男の子だった。

 線が細く、色白で、子供心にもどこか儚げな印象のある少年だった。実際に彼の身体は弱く、たいていの時間を屋敷の中で過ごしていた。


 互いの父親同士が仕事の話をしている間、ティナはいつもリースの部屋に入り浸っていた。


 リースはとても穏やかで優しくて、ティナの質問に嫌がることも面倒臭がることもなく答えてくれる。ティナはそんなリースが大好きだった。



「ところでおじさんに聞いたよ。ティナ、池に落ちたんだって?」

「うん。マレンカちゃんの髪飾りが落ちちゃって、大切なものだって言って泣いちゃったから、可哀想だったの。でも、ちゃんと拾えてよかった」


 ティナが言うと、リースは「そう」と微笑んだ。


「良かったね。でも、今度からは大人の人にとってもらおうね」


 ティナは素直に頷いた。


「うん」


 あの時の池の水はぞっとするほど冷たくて、正直に言うと、入った瞬間少しだけ後悔をしてしまっていた。

 でもマレンカは他にもいる子供たちの中からティナに向かって「とってきてくれない?」と頼んだのだ。マレンカは、ティナを信用してくれた。それがティナには誇らしかった。

 日ごろから父親に『人には親切に』と教えられていたティナは、その教えに従った。

 マレンカの服は大切な祖母の形見だと言っていたけれど、対してティナのドレスは茶会用にと誂えてもらったばかりのものだった。思い入れはティナの方が少ない。

 ティナは考えていたよりも深かった池に驚きながらも、なんとか潜り、髪飾りを掴んで這い上がった。

 せっかくのドレスは染みになってしまい、もう使えなくなってしまったけれど、マレンカの思い出の詰まったドレスがそうなるよりは良かったに違いない。


「ティナは親切すぎて、将来が心配だなあ」


 リースは困ったように微笑んだ。


「ティナが本当の妹ならずっと側においてやれるのに」


 何気ないリースの提案に、ティナは飛び跳ねた。


「お兄様の妹?兄妹ってこと?」

「そうだよ。本当の兄妹なら同じ家で暮らせるし、食事も、お昼寝まで一緒だ。出掛ける時もついていってあげられるし、マレンカの落とした髪飾りだって僕がとった方がずっと早いし安全だったよ」


 ティナは想像して、顔を綻ばせた。

 同じ家で暮らせるということは、朝起きて一番におはようと言いに行けるし、おやすみのお祈りも一緒に出来る。ピアノのレッスンも聞いてもらえるだろうし、反対にリースの演奏も聴き放題ということだ。


「素敵、わたしリースお兄様の妹になりたい」


 リースは頷く。


「この前知ったんだけど、養子っていう制度があるんだって。他の家の子を引き取って、自分の家の子にするんだよ」


 ティナは無邪気に笑った。


「すごい!考えた人、すごいね」


 リースもつられるようにして「そうだね」と笑った。

 そうなったらいいね、と。 





 しかし、ティナが九つになった頃。

 リースは軍の学校に入ってしまった。

 リースの家は代々が軍人の家系で、リースの父も指揮官という位置についていたようだ。跡継ぎのリースも当然そうなるのだと、身体が弱いのに無理やり学校にいれられたらしい。リースは大丈夫だろうかと、ティナはとても心配だった。



 全寮制の軍学校は規律に厳しく、外出にも制限があった。

 父親の仕事についていっても、リースに会えることは滅多になくなり、ティナはひとりで商談が終わるのを待ちぼうける日々が続いた。





 そうして翌年、ティナが十の誕生日を迎えた年。それまでの生活は、一変した。

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