第七話 沙織の決意【前編】
疎らとなった教室を離れ、生徒が行き交う玄関を過ぎ、噴水のある校庭を抜け校門から出る。
教室からここまでは、いつもわたし一人。
だけど学校の外周壁と電柱の間に、人一人隠れることができるスペースがあって、そこに沙織がいる。そこが沙織の定位置というか特等席なんだ。
完全にデッドスペースで、一見、人がいることがわからない場所なの。よくそんな所を見つけたなと感心するけど、沙織にとっては死活問題だと思うから、きっと普通とは違った視点で見つけたんだ。
いつまでいても誰も気づかない場所。もしかしたら、そこは沙織が神様からプレゼントされた場所なのかもしれない。なんて。
だけど、沙織の胸だけが飛び出ているので、わたしには沙織がいるかいないかがすぐにわかる。今日もいつもどおり出てるものが見えるから、待っているわ。
「沙織、お待たせ」
わたしは『待ちぼうけ』という顔をしていた、沙織に声をかけた。
沙織、なんか不満そうな顔しているな。今のところ、沙織が機嫌を損ねる要素なんて、なかったと思うんだけど……
「湊ちゃん、マコちゃんて女の子なんじゃない。なんで今まで男だなんて言ってたの?」
不機嫌な理由はそこなのか。朝と同じでまた頬を膨らませて怒っている。精一杯、不機嫌だとアピールしてみたいに、口も尖らせて。
でもとても可愛い。愛らしい。沙織の怒った顔も好きだから、いつまで怒っていても構わないのだけど、本人としては気分が良くないことなのだから、宥めるしかないか。
「わたしだって驚いたんだよ。別に騙していたわけじゃないよ。って言うか、マコちゃんが女の子だったことで、どうして沙織が、そこまで不満そうな顔しているのよ。そこまで怒ることじゃないでしょ」
「だって、女の子の中ではわたしが湊ちゃんの一番の親友だと思っていたのに、愛するマコちゃんが女の子だなんて、一番の座を奪われたようなものじゃない。不満に決まっているでしょ。怒りたくもなる」
「わたしは親友に、一番とか二番とかの順番をつけないよ。それにマコちゃんは親友というよりも、もっと違った存在なの。どんな存在かは、わたしにもわからなくなっちゃったんだけどさ」
「でも、わたしは湊ちゃんの一番が良かったの。一番じゃなきゃ嫌なの」
沙織の怒りは、収まる気配を見せない。尖った口が、だんだんアヒル口になっていく。そこも凄い可愛い。
でも、そんなに怒られても、どうしようもないじゃない。わたしだって驚いた中の一人何だから。ここは気持ちを切り替えて、また明日考えましょうよ。本人は帰っちゃったんだし。
「言っておくけど、もし順番をつけるなら、わたしの親友はみんなが一番なの。沙織も一番。もしマコちゃんが親友になるのなら、マコちゃんも一番。だから沙織も一番大好きなんだよ」
「そ、そう? それならいいけど。わたしのことが一番大好きだったら、それでいいんだけどさ。ううん、それがいいんだ。わたしを一番大好き。えへへ」
やっと納得してくれた。沙織はどこまでわたしを頼りにしてくれているんだ。もしかして、もう引き返せない所まで迫っているかもしれない。
重要案件はここにもあったんだった。今日はこの案件に取り組もう。
「それよりも、大親友としてわたしは沙織を変えることにしたんだ。題して沙織改造計画!」
朝、尊と話していた沙織を変える計画。沙織改造計画なんて命名しちゃったけど。
マコちゃんのこと考えると堂々巡りになっちゃうし、いい機会だから、ここは沙織のことに集中しようと思う。
幸い今日は学校が半日だっだから、ピアノの練習までかなりの時間もあるし。
「わたしを変える? どういうこと?」
「そのことはお昼食べながら話しましょ。リリウムにでも寄ってね」
リリウムという単語で、沙織の顔はみるみる元気になっていく。
生気が宿ったみたいに、水を得た魚と言わんばかりに、砂漠でオアシスを見つけたみたいに、瞳が輝いていく。
まだ話だけなのに、もう目の前にあるみたい。
一緒にご飯を食べに行くなんて、久しぶりだから余計なんだろうけど、相変わらず沙織の食欲には驚かされる。
「湊ちゃんとお昼、湊ちゃんとお昼」と連呼している沙織を見て、そこまで嬉しかったのか、と喜びように感心する一方、沙織改造計画に不信感を持たれていないみたいなので、安堵の吐息が漏れた。
それにしても親友かぁ。マコちゃんは女の子だったのだから、沙織の言うとおり親友になるのかなぁ。沙織にはみんなが一番だと言ったものの、マコちゃんの存在はわたしのどの位置に来るのだろう。
女の子だとわかった今も、なぜか生涯一緒にいたいという気持ちが消えない。
そして、さっきのマコちゃんの様子は、親友と言うより恋人的な接し方だった感じがするのは、気のせいかしら。
♀
学校からそう遠くない距離に、バーガーショップ『リリウム』がある。この街にしかないけれど、この街では最も有名なハンバーガーショップ。
全国展開されれば、たちまちメジャーな店になること間違いなし。
しかもこの店って店長さんと店員さんが全員女性で、店の雰囲気が明るく可愛いんだ。女の子のオアシスって感じ。あちこちにお花が飾ってあって、テーブルや椅子は西洋のアンティーク調。それがまた女心を擽る気品さがあるんだよね。
だから店内は女性客ばかり。たまには男性も見かけるのだけど、それはここのハンバーガーが絶品だからで、恥ずかしさを乗り越えた勇者がやって来てるんじゃないかな。
中にはタンクトップの男の人とかもいたりするんだけど、そんな人は勇者というよりも変質者? いや、タンクトップの人に悪い人はきっといない。
話を戻して、この店の食器のセンスも抜群で、ハンバーガーなのに可愛く盛り付けられていて、より美味しそうに見える。まず見た目で美味しく味わえて、お口の中でも志向の味わいで。
わかっているのよね〜。
「ほんと、久しぶりだよね、沙織とお昼ごはん。なに食べようかな」
「あ、あのね。新作の『サラブレットな牛さん盛り盛りバーガー』っていうのが美味しいらしいよ」
「沙織、情報早いわね。それにそんなのばっかり食べてるから、出るとこ出ちゃうんだよ」
「もう、湊ちゃん意地悪ぅ」
いつものように会話を楽しんでいると、ほどなくして到着。
ログハウス調の建物は、一般の人から見たら、住宅地の中では浮いて見える。だけど、味を知っているわたし達にとっては、住宅が引き立て役になっているようにも見えて、神聖な場所といった感じ。
カランカランとドアに付いたベルがなり、店に入ると「いらっしゃいませ〜」と、元気のいいウェイトレスさんが出迎えてくれた。
相変わらず混んでいる店だなー。お昼だから尚更か。あちこちでもうハンバーガーを食べていて、胃袋が早く入れて、とねだってくる。お腹よ、鳴らないで。
そこへ、ちょうど二人掛けの対面席が空いていたので、「こちらへどうぞ」とウェイトレスさんが誘導してくれた。
椅子へ座り、一息ついた。座ると同時にお冷も出されたので、乾いた口に水分を含ませる。
さて、何を食べようかしら。どうしてもメニューを一通り見ないと気が済まないのよね。
あ、このハンバーガーいつも食べているやつだ。こっちのは前に来たとき迷っていたやつ。これ、初めてみる。何これ、当店一番人気?
どれにしよう…………
わたしが優柔不断でなかなか決められないでいると、沙織が「湊ちゃんも一緒に新しいの食べようよー」と懇願してきた。仕方がない。わたしも『サラブレットな牛さん盛り盛りバーガー』を頼むことにするかな。なんて。
お飲み物は二人ともミルクティー。昔から沙織とどこかに食べに行くと、必ず一緒に頼むのがミルクティーなの。
「お飲み物は?」と聞かれると、「ミルクティー二つ」と自然に出てしまうほど。いつからかは忘れたけど、わたしは小さい頃から大好きで、沙織はわたしに影響されたっていう感じ。
なんでそこまでミルクティーが好きなのかって? それはもう、上品で、香りも良くて、甘くて、優しい色で。それに大人っぽいじゃない? 決して、ミルクと紅茶が入ってて、二度お得って単純な理由じゃないんだよ。
そしてこのミルクが沙織のバストの成長に、一役買っているのかもね。わたしと出会ってから、一層ボリュームを増した感じだし。もう、ミルミル大きくなっちゃって。って笑えないか。
わたしの胸にも、もう少し買って欲しいのだけれど。そう、ミルミル大きくなってほしい。
「ところで湊ちゃん。わたしを変えるってどういうこと?」
注文を頼み終わってから、唐突に沙織が切り出してきた。わたしがバカなことを考えている間に、沙織はちゃんと自分のことを考えていた。
食べることに夢中だと思いきや、ちゃんと覚えていたのね。偉いわ、沙織。
「実はね、沙織も高校二年生なったんだし、もう少し人と接することができたらいいんじゃないかと思ってさ」
「そんなの必要ないよ。わたしはこれで十分満足しているんだから」
学校ではいつも一人きりで、チラチラこちらを見る生活の、どこに満足する要素があるのだろう。朝、校門から入ってから、帰り校門を出るまで、いつも一人。実習室に行くとき、体育館に行くとき、お手洗いに行くとき、いっつも一人で。
わたしなら耐えられないけど、沙織はそれでいいと言う。
正直わたしには、その辺りの沙織の考えは読めない。だけどこのままじゃいけない。
だから構わず話を続ける。
「わたしね、親友として沙織が大事だから、もう少し社交的になって欲しいと思ってるの。さすがに死ぬまで一緒にいるなんてできないでしょ。
これから沙織も、一人で何かをやらなくちゃならない時が来る。きっと来るよ。だから、わたしも協力するから頑張ってみようよ」
沙織はすごく寂しそうな瞳で、こちらを見つめていた。自分が満足しているのに、親友から「変わった方がいい」なんて言われたら、当然といえば当然かも。
だけど、だけどね、沙織。沙織も恋人ができて、お嫁さんになって、家庭を持つ日が来るんだよ。それはきっとじゃなく、絶対に来るの。だから…………頑張ってみよ?
何かを考えている様子で目線を下方にやり、肩を竦めている沙織。相変わらずその仕草も可愛いのだけど、見た所、本当に悩んでいるみたい。ちょっと性急すぎたかな。
少しの戸惑った様子を見せつつ、上目遣いで沙織は呟いた。
「わたしが変わると湊ちゃんはその、嬉しいの?」
「あ、当たり前じゃない。学校でも一緒に会話ができるんだよ。お昼だって一緒に食べられるんだし。校庭だって、屋上だって、食堂だって、いろんな所に一緒に行けるじゃない。お、お手洗いにだって一緒だよ」
昼食なんかは、特に沙織の方が『一緒に食べたい』って思っているはずなのに、今は一人で黙々と食べている状態。わたしはその状況がとても辛い。見るたび心が痛い。
でも沙織は周りに人がいると、食事も喉を通らなくなるということで、結局一人ぼっちになっちゃっている。一人ぼっちにしちゃっている。
最初の頃は、「そうしたら二人で食べよう」と試みたこともあった。でも「わたしもわたしも」と周りの友達が寄ってくる。
友達だから仲良くしたいと思うのは当たり前。それに沙織とも仲良くしたいと思ってくれることは、それはそれで嬉しいことだ。
だけど、沙織が一緒に食べれないから、その子たちとは一緒に食べれませんって言うわけにもいかないし。沙織はお願いだからみんなと一緒に食べてと言うけれど。
だから、どこかで変えなくちゃとは、ずっと思っていたんだ。
「湊ちゃんがそう言うなら、頑張ってみようかな」
そう口にした沙織のはにかみが、可愛いすぎる。天使すぎる。わたしが男の子だったら、絶対これで一目惚れだな。
「うん、一緒にがんばろ!」
気合十分で、沙織の手を強く握った。沙織の決意を前にして、自然と手に力がこもる。両手でしっかりと、わたしの想いが伝わるように包んだ。
そして沙織は照れ臭そうに、頰を微かに染めていた。