第七十五話 真琴ウイーク【木曜日】 〜参〜
真琴は、灯と神崎との話のあと、メイク室にてメイクアップ、衣装室にてドレスアップを経て、スタジオ入りした。
パンフレットのスチール撮影をするためだ。
綾瀬エンターテイメントには、メイク室、衣装室、撮影スタジオの全てが完備されていて、更にはプロのメイクアップアーチストとスタイリストが社員のため、撮影に至るまで迅速かつ合理的にことが運べるようになっている。
だから自社撮影の場合、極めて短時間に行うことができる。
メイクアップアーチストは内在的女性で、スタイリストは外在的女装家であるのだが、面倒なのでここでは割愛する。
どちらも肉体的にはたくましい男性であることだけ、紹介しておこう。
そんなプロの方々の前では、真琴も成す術なく身を委ね、あれよあれよと言う間に、スタジオまで運ばれてきた感じだった。
おおよそ三十分弱での出来事であったため、見事としか言い様がない。
真琴のドレスは、これでもかという程の純白で、わかりやすく例えるなら豪奢なプリンセスドレスといった装いだ。
頭に煌びやかなティアラもつけていて、もはやプリンセスそのものだった。
銀色の髪と藍色の瞳が、一層、西洋風の王族を思わせる。
昔、着慣れていたせいか、着こなしも、仕草も、身のこなしでさえ、誰もが唸るほど様になっていた。
ウエディングドレスさながらの引き裾、トレーンというのだが、それがとても長く、天使を模写した双子の子供がその裾を持つ、といった構成により撮影することになっているのだが、その双子もとても可愛く、天使という表現が相応しいほどの子供だった。
真琴は双子に対し、双方の頭を両手で優しく撫でた。
「わたくしは瀬野 真琴と申します。お名前は?」
「絢香」「紗香」「「です」」
「さすが双子と申しましょうか。呼吸が非常にお揃いでございますね。わたくしとも呼吸を合わせ、これから共にお務め致しましょう」
「「お姉ちゃんの言ってること、わかりません」」
ガーン!
これは真琴の心に響いた音だ。
ここにきて、核心を突かれているような気分になる。
ショックのあまり、緊張の糸がほぐれた真琴だった。
撮影スタジオは、スチール撮影もムービー撮影も可能な大型スタジオであり、車両の撮影すらも可能な広さを有している。
照明機材はハリウッドから輸入されたものであり、ロックバンドが演奏しても音が漏れないくらいの防音壁となっているため、自社の使用以外にも他のプロダクションからレンタル依頼されるほどであった。
真琴は、チラシ広告の撮影などで別スタジオに赴くことが数回あったのだが、このような大きなスタジオでの撮影は初めてだったので、スタジオ入りする前は些か緊張気味だった。
が、先ほどの双子たちとのやりとりで、緊張が解れたことは功を奏したと言える。
自社撮影のおかげか、真琴が撮影するということで、社員や関係者たちが続々と集まっていた。
残念ながら、灯は別件があり来ていない。
ここにいたら、さぞ鼻が高かったに違いない。
撮影には、副社長の夏帆と副社長秘書の小雪が見にきていた。
財務部長と企画部長である天堂姉妹は海外出張中だが、パンフレット作成の件に関しては、夏帆と小雪に委ねられていたため、不在であっても撮影は決行される。
ここで、キャストが増えてきて段々存在感が薄れてくるが、とりあえず夏帆と小雪の紹介を簡単にしておくとしよう。
夏帆は灯の大学時代の同級生で、大学当時、日本一の秀才と騒がれるほどの人物だった。
大学卒業時に、是非我が大学の准教授に、と椅子を用意されていたが、あっさりそれを蹴り灯の下についた。
黒髮ショートの童顔であるのだが、本人は至って自分自身が子供っぽいと思っていなく、似合っていないインテリ眼鏡とスーツを堂々と身についていた。
スーツは入社時に、灯が似合ってる、と言ってしまったため、灯が原因の一端でもある。
一方の小雪は、子供の頃から灯をテレビで眺め、綾瀬グループの長女だと知り、いつか会社を立ち上げるに違いないと思い、灯の秘書になってやろうと先走って、秘書資格及び国際秘書資格を取得した。
灯は社長になったのだから、ある意味先見の明はあったと言えるが、最終的に落ち着いたのが夏帆の秘書だった。
こちらは夏帆と異なり、おっとりとしたお姉様といった感じで、茶色みがかったミディアムヘアの内巻きカールが、とても秘書らしく似合っていた。
そんな二人が、ドレス姿で撮影に臨む真琴を眺めて話しだした。
「な、言っただろ、小雪。やっぱりあたしが思ったとおり、パンフレットには真琴ちゃんがベストだ。灯と裏表で出来たパンフレットになれば、うちの会社はたちまち全国区、延いては世界が注目することになる」
「まあ、私も副社長の意見に否定的だったわけではないのです。ただ、真琴さんは実績が不足していましたので、少々心許ないのではと助言したまでで」
「お前は何でも、まずは実績というところがあるからな。あたしにしたら、実績なんかより計算の方が、遥かに有意義だというのに」
「それは副社長だから言えることなんですよ。何でも計算できてしまう副社長の考えはわかりませんが、私は実績こそ一番信頼できる保証だと思っているのです。何事も百パーセントなんて、無いんですから」
「あー、わかったわかった。悪いけどあたしには、ほぼ百パーセントで計算出来ているんだ。だから何にも心配すんな」
「別に副社長のやることに、心配なんてしてないですよ。ただ私の考えを述べたまでです。でもその計算の中に、本当はパンフレットとは違うものを作ろうとしているのに隠している、ってことは入っているんですよね。未だにその真意はわかりませんが」
「あ、バカ。そのことをここで口に出すな。これは極秘に進めているんだから、灯にすら言ってないんだぞ」
「すみません」
そんな会話をしていた二人。
副社長と副社長秘書、というオーラがそうさせているのか、バリアのような見えない幕が張られ、半径五メートル以内には人がおらず、誰にも訊こえていないようだ。
のちにこの、パンフレットとは違うもの、は、日本中を駆け巡る一大センセーショナルとなり、綾瀬エンターテイメントはおろか、真琴の知名度も全国区に引き上げてしまうのだが、守秘義務があるので今は言うまい。
と、また、夏帆たちは会話を始めた。
「しかし何で灯はここに来ていないんだ。せっかく褒めて貰おうと思っていたのに」
「灯様は、次回作映画の打ち合わせを制作会社とすると、神崎さんが言ってお連れになりました」
「またしても立ちはだかるのか、神崎のやつ。あいつはいつもそうだ。ここぞってときに、灯を連れて行きやがって」
「副社長は灯様にとてもご執心ですよね。一度訊こうと思っていたのですが、大学時代に何かあったんですか?」
すると小雪の問いに、夏帆は動揺の色を出した。
何で今更訊くんだとでも言いたげに、目を見開く。
夏帆にとっては、少し話しにくいことらしい。
だが相手は秘書の小雪であり、隠しても仕方がないかと考えた。
そして夏帆は、口に手を当て、小雪にだけ声が届くように言った。
「何かあったって、あれだ。ここだけの話、あたしは大学のときに灯と付き合っていたんだ。悲しいことに、もう過去の話だけどな」
「そうなんですか。どうしてお別れになられたんですか?」
小雪は、付き合っていたという事実に特段引っ掛かりを見せず、更に質問した。
そんな小雪の調子に、夏帆の抵抗がなくなっていく。
「それは、あれだ。あたしが灯にゾッコンになってしまってだな。寝ても覚めても灯のことしか考えられなくなってしまったんだ。勉強も研究も手が付かないほどにな。見かねた灯が、少し距離を置こうって言うものだから、渋々了解したというわけだ」
「副社長がそこまでゾッコンになるなんて。灯様のどんなところに惹かれたんですか?」
「お前は矢継ぎ早に、何でも訊くな。いいだろう、教えてやる。灯の愛、手つき、体液は、もはやドラッグだ。灯とキスをしている最中は、頭がどっかに行ってしまう。あたしは法に触れるようなドラッグをやったことはないが、ドラッグってあんな感じなのかもって感覚になるんだ」
「ドラッグって、それは凄いですね。灯様ならわかるような気もしますが」
「大事な部分を舐められたものなら、宇宙の果てまで飛んで行くぞ。あたしは失神してしまった。もう男のあれなんて、物でしかなくなる」
小雪は生唾を飲んだ。
どうやら灯と夏帆を並べて、想像してしまったらしい。
この上なく目が泳いでいた。
そして今度は、自分と灯で想像を始めたようだ。
途端に顔が赤くなっていく。
「お前、こんなところで想像すんな。今は撮影中だぞ。真琴ちゃんを見ろ、真琴ちゃんを」
「副社長がそんなこと言うからですよ。そんなこと訊いたら、興味が沸くのは当たり前です。私だって飛んでみたい、です」
顔の惚けが進んでいく小雪。
「コラ、小雪。真琴ちゃんを見て気持ちを落ち着けろ」
そんな愚にもつかない話を、二人はしていた。
♀
逸れてしまったが、メインは真琴の撮影である。
存在感が薄れるどころか、逆に夏帆と小雪のキャラを強めてしまった気もするが、ここでの主役は真琴なのだ。
真琴は真っ白い壁や床、白ホリゾントというのだが、その中央に立っていた。
大きく如何にも高価そうな照明機材が、真琴を宝石のように照らしている。
ここの広いスタジオで、明らかに中心は真琴だった。
撮影のなか、双子の天使たちを気遣う真琴は聖母にもなり、カメラを向けられれば、天使にもなった。
パンフレットが出来たら、絶対に一部は欲しい。
ここにいる誰もがそう思ったはずだ。
真琴の一挙手一投足に、ごく一部を除き、誰もが見惚れていた。
カメラマンは一見この場に似つかわしくないガテン系で、鉢巻きに白のタンクトップという見すぼらしい恰好だった。
真琴の印象が強すぎて、そのキャラが目立ってはいないものの、口調も個性的で、何でこんな人が、と思わせる男だった。
だが実績がとても輝かしいカメラマンで、被写体をその気にさせる、という技術が群を抜いていた。
実績に関しては、小雪のお墨付きということもあり、そのことが採用の決め手となっていた。
印象など固定観念がついてしまえば、特に気になるものではない。
撮影という非日常的な場所であれば、尚更だ。
ということで、撮影は順調に進んでいった。
「真琴ちゃん。なかなかいい顔できてるじゃねえか。もうちょっと顎上げると、更に可愛くなるぞ」
「お、いいねぇ。目だけこっちにくれねえかな」
「いいじゃねえか。凄いぞ、真琴ちゃん」
「今度は両手を前でこう揃えてみるか」
瞬く間にフラッシュの閃光が走り、どんどん真琴をカメラに焼き付けていく。
パンフレットで使う写真は一枚だけのはずなのに、いろいろなポーズを要求するカメラマン。
「これは上から言われていることだから、よろしく頼むわ」などと言いながら、「おはよう」だとか、「おやすみ」だとかの動画も撮っていた。
真琴は従順に、言われたとおりに、下手をすると、全部脱げと言われたら脱ぎそうな勢いで、カメラマンに従っている。
「よし、こんなとこだわ。お疲れ! 真琴ちゃん」
言うなり、モニターを確認しに行くカメラマンは、プロの顔をしていた。
真琴はそのカメラマンに、「お疲れ様でございました」と深々と礼をして、カメラマンを見送ると、今度は双子を労いに行く。
「絢香さん、紗香さん、大変精励なさいましたね。お疲れ様でございました」
「「やっぱりお姉ちゃんの言ってることわからないけど、お疲れさまでした」」
ガーン。
真琴の心に再び音が響いた。
もう撮影は終わったのだから、特に緊張もなく、ただショックだけが残る。
そんな真琴に声がかかった。
「真琴ちゃん、お疲れ様。良かったよ」
その声の主は、新入社員の真琴には雲の上の人、副社長である夏帆だった。
いくら社長といえど灯は見知った家族なので、どこか会社の上司という気持ちになっていなかったのだが、この夏帆は別だ。
副社長といえば、モデルの大先輩やスタイリストさんたち、各部の部長さんたちの上に位置する人。
そしてこの会社を、灯の代わりに経営する最高責任者だ。
真琴は自然と畏まっていく。
だがせっかく良かったと褒めてくれているのに、返事をしないのは失礼というもの。
だから何とか、声を振り絞った。
「お褒め頂き、恐悦至極に存じます」
すると、夏帆の横からまた声が。
それは副社長秘書の小雪だった。
姿を見せるなり、その様子が色めき立っているのがわかる。
「ま、真琴さん? あなた、灯様のドラッグは経験済みですか?」
「ド、ドラッグでございますか?」
興奮している様子で、目が少し怖い。
訳のわからない問いかけに、真琴は小首を傾げてみせた。
小雪も真琴にとっては夏帆と同様、緊張に値する人物なのだが、いつもの落ち着きのある小雪ではなかったため、どう向き合っていいかもわからない。
そんな小雪の頭に、後ろからハリセンのような張り手が食らわされた。
「おま、何言ってるだ小雪。真琴ちゃんは高校生だぞ」
「だって、真琴さんは灯様と一緒に住んでいるんですもの。間違えったってこともあるじゃないですか」
「何だその間違えたって。てか、仮にあったとしても、ここで言わすな」
「あ、そうか。灯様のご自宅へ行くことができれば、私にも間違えることがあるかもですね」
「小雪、お前な。あたしの話を訊いてるのか?」
真琴は最後まで訳が分からず、そのやり取りを傍観していた。
だけど、灯のドラッグとは何なのか。
程なくして、真琴はそれを体感することになる。




