表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
75/82

第七十四話 真琴ウイーク【木曜日】 〜弐〜

 エレベーターは程なくして、十九階に到着した。

 最新鋭の高速エレベーターなので、地下三階から、ものの数十秒で着いていた。

 到着したときと同じポーンというチャイムが鳴ると、ドアがゆっくりと開いた。

 閉まらないように、神崎が開くボタンを押し、真琴と灯が降りるのを待つ。

 灯はヒールを鳴らしながら、コツコツとエレベーターから降り、また、その後ろを真琴、そして神崎といった順番で降りた。

 真琴たちが乗ってきたエレベーターはプライベートなものなので、一般のエレベーターとは別の場所にある。

 エレベーターが専用なんて贅沢な話だが、当初からこのフロアを使用する際に設置されたものであり、灯が望んでつけれたものではない。

 少し奥まったところであるため、何もない壁だけの廊下を三人は歩いた。

 しばらく廊下を歩きL字に曲がると、綾瀬エンターテイメントの受付が見えてきた。

 その受付は、誰もがシンプルだと思うような造りをしていた。

 まず色だが、全体的に白を基調として、とても清潔感に満ち溢れていた。

 床も壁も天井も、何もかもが白で、どこもピカピカに磨かれていて、まるで新築のビルであるかのようだ。

 そして天井近くに取り付けられていた、綾瀬エンターテイメントという名版。

 字が浮き出た状態になっていて、その後ろを淡く光が照らしていた。

 その名版の下の受付テーブルに受付嬢が二人座っていて、その受付嬢も純白の制服を着用している。

 二人とも受付らしく髪を結い小綺麗にしていて、綾瀬の名に恥じない美しさもあった。

 そのほかに物はあまりない。

 観葉植物が一つと、所属タレントなどの紹介をしているモニターが、壁に取り付けられているくらい。

 綺麗でしつこくない、といった社風を受付から出している感じだ。

 

 灯が受付まで歩みを進めると、それに気づいた受付嬢たちが一斉に立ち上がり、無言で礼をした。

 規律正しく揃った礼は、一流会社であると自負しているようだった。

 灯が通り過ぎるまで、頭を上げようとしない受付嬢たち。

 その前で灯は歩みを止め、声をかけた。



「香澄、優子、今日もお疲れ様」



 灯は全ての社員を名前で呼んでいた。

 もちろん、社員の名前は全て覚えている。

 灯の特技は、一度会った人の名前は忘れないことであり、情報さえ得ることができれば、電話番号、住所、学歴や家族構成、生年月日まで電子データを記憶させるように、脳に刻み込ませることができるのだ。

 だから名前を忘れた、なんてことは一度もない。

 そして急いでいるときや大勢いるとき以外、見かければ必ず社員の名前を呼ぶことにしていた。

 当然、灯に名前で呼ばれることは、社員にとって喜ばしいことである。

 受付嬢たちは顔をあげて、にこやかに返事をした。



「とんでもございません。灯様こそ、お疲れ様です」


「灯様、今日もお綺麗です」


「ちょっと、優子! 灯様に失礼でしょ」


「何言ってるの香澄。綺麗だっていう褒め言葉のどこが失礼なのよ」


「あなたのそういうところが、失礼だって言っているの」



 先ほどまで凛々しかった受付嬢たちが、灯に声をかけられた途端、気持ちが緩んだように、普段はこんな感じという雰囲気を見せていた。

 受付、接客のプロである二人が、こんなに緩むことなど滅多にない。

 これは灯の人望が成せる技だ。

 だがそこへ間髪入れず、神崎が身を乗り出し、眉を寄せ怒り顔作った。

 神崎は灯のマネージャーが本業ではあるが、人事部長でもあり社員教育の最高責任者なので、常に社員の動向に目を向けている。



「お前たち。灯様に声を掛けられたからといって、調子に乗るな。しっかり綾瀬エンターテイメントの顔として、気品を持つんだ」


「わかりました、すみません」


「はーい。了解」



 そんな返事に、神崎はやれやれといった顔を作った。

 これは再教育が必要だな、と考えだす神崎に対し、灯は穏やかな笑みで言った。



「二人とも、しっかり仕事をしていれば、また飲みに連れて行ってあげるわよ」


「本当ですか? 灯様。頑張って仕事に励みます」


「私も頑張ります。だから是非連れて行ってください」



 神崎の説教で受付嬢の顔に戻りかけた香澄と優子であったが、灯の一言でまた素へと戻っていった。

 すると二人は、真琴を見つけた。



「久しぶりだね、真琴ちゃん」


「真琴ちゃん、今日も可愛いね」


「お久しぶりでございます。香澄さん、優子さん」



 真琴は二人にそう言って優雅に一礼したのだが、二人はその礼を見て、負けてる、と怯んだ。

 日常業務でいつもやっていて、プロだと誇りを持っていたのに、まさか高校生に負けるだなんて、と。

 香澄は気を落とし、優子は礼の練習をしながら首を傾げていた。


 再び灯は歩き出した。

「それじゃ、頑張るのよ」と、灯は言い残し、その場を立ち去ると、真琴と神崎もそれ続いた。

 灯たちが受付から奥へ進むと、廊下の両側にいくつかの待合室があった。

 そこは来客があった際、受付により通される場所であり、入社志望の人が来たときの面接場所だ。

 その待合室の横を通り抜け更に進むと、今度は広めのロビーのような空間に行き当たった。

 モダンなカーペットが敷かれ、大きめの対面ソファーとテーブルが四ヶ所、窓際にカウンターテーブルといくつもの椅子、それにバーカウンターまである。

 壁際には大きめの本棚や書籍ラックが置かれ、びっしりとファッション雑誌や各種メディア本が並んでいて、まるで書店のようだった。

 極め付けが一番目立つところに貼られた、灯の特大ポスターだ。

 とても美麗で、妖艶で、神々しいそのポスターは、いつまでもそこにいたくなるような存在感を発揮していた。


 ここの空間は、談話室または休憩室といったところで、社員がいつも待機している場所だ。

 現在はバーテンダーを含み二十人ほどの姿があり、いずれも所属モデル、タレントであった。

 そんな社員たちが灯を視認すると、一斉に立ち上がって、灯の方を向き礼をした。



「今日も頑張っているわね。私はしっかり見ているから、存分に輝きなさい」



 灯は立ち止まり、そう言って社員たちを激励すると、手を上げてそのまま素通りして行った。

 真琴はペコリと頭を下げ、神崎はしっかり働けと厳しい目を向けていた。


 灯たちは奥へ奥へと進み、途中いろいろな部屋、例えばメイクルームやドレスルーム、ミーティングルームなどがあったのだが、それらを気に求めず、一番奥にある社長室に入った。

 社長室はガラス張りで、ブラインドにより遮断はできるものの、普段は周囲から筒抜け状態となっている造りだった。

 その中には社長席、書棚、壁掛けモニター、観葉植物くらいしかない。

 まあ、灯がこの場所でゆっくりしている時間はあまりないのだから、特段必要もない。

 灯は社長席にドカっと座り、真琴と神崎はそんな灯の前に立つ。

 そして灯は言った。



「さ、仕事をしましょうか。今一度、マコの予定を訊くとしましょう。五時からパンフレットのスチール撮影だったわね。何のパンフレットなの?」


「そのパンフレットは、綾瀬エンターテイメントの五周年記念パンフレットです。来年一月に設立五周年を迎えるため作成します。その表紙はもちろん灯様なのですが、裏表紙に真琴様を起用します。やはり次代を担うといった意味も込めなくてはならないと、副社長と二宮さんがお決めになりました」


「そう、夏帆かほ小雪こゆきが」



 そう呟いて、灯はほくそ笑んだ。


 ここでまた、会社についての説明をする。

 綾瀬エンターテイメントの会社経営は、前述したとおり灯以外の複数人に委ねられていた。

 灯が呟いていた、夏帆というのは、松平まつだいら 夏帆かほという副社長の任に就く者であり、小雪というのは、二宮にのみや 小雪こゆきという社長秘書である。

 本来なら小雪は灯の社長秘書として働く予定であったのだが、そういった会社の体制から副社長の秘書となってしまい、本人としては腑に落ちなかったという経緯もあった。

 そのほかに、財務部長の天堂てんどう 睦月むつきと、企画部長の天堂てんどう 葉月はづきという姉妹がいて、その二人は夏帆たちの部下に当たるのだが、実質この四人と神崎で会社を運営している。

 いずれも灯に絶対の服従と軒並みならぬ業績を残しているため、灯は最大の信頼を寄せていた。


 そんな夏帆たちが考えることだ、間違いはないだろう、と灯は考え、真琴に言った。



「マコ」


「なんでございましょうか、灯お姉様」


「そのパンフレットは、ただのパンフレットじゃないわね。普通なら葉月が企画部内で企画することなのに、夏帆たちが動くなんて、きっと何かやるつもりなのよ。おそらくこれを機に世界に売り込むとか、そういうことを考えているんじゃないかしら」


「そ、そんな大役、わたくしなんかより、相応しいお方が大勢いるではございませんか。何故わたくしに白羽の矢が立ったのでございましょう」


「それはわからないけれど、私は夏帆たちを信じているわ。あなたを起用するのは勝算があってのことよ」


「ですが、わたくしはまだ新参者でございますし……」


「あらあなた。やれないって言うの?」



 灯は真琴に、威圧的な視線を送った。

 これは姉妹というより、上司と部下、社長と社員といった感じだった。

 真琴はその視線により、身体を硬直させた。

 まさしく、蛇に睨まれた蛙だった。



「わたくし……、わたくしなら可能でございます」


「そうよね。私はあなたなら大丈夫だと確信しているもの」



 途端に上機嫌な様子を見せる灯。

 真琴の横では、やれやれ、灯様には困ったものだ、と神崎が苦笑いしていた。

 そこで灯はこの話を打ち切り、次の予定へと移行した。



「六時からマコと、あずさしずくの話し方講座だったわね」


「そうです。これは何も、灯様がやらなくてもいいことではないかと思いますが。わざわざ他の予定をキャンセルしてまで、やることではないかと」


「クドイわね。前にも言ったけど、言葉遣いは容姿の次に印象を与えるものなの。うちで働く以上は、直さなくてはならない。だからここで最も発言権のある私がやった方が、効果的なのよ」


「確かに灯様がやるのであれば、効果覿面に発言の重要性を知ることができるでしょう。灯様の言葉は、もはや言霊ですからね」


「バカにしてるの? 神崎」


「とんでもありません。私は心底そう思っていますよ。かく言う私も、その言霊にやられた一人ですからね」



 まったく、という顔をした灯。

 この調子は、いつもの灯と神崎のやり取りだ。

 灯にここまで言えるのは、この綾瀬エンターテイメントでは、神崎と夏帆たちの五人くらいである。

 灯と対等に話ができる神崎を、真琴は尊敬の眼差しで眺めていた。


 ところで話の中で出てきた梓と雫だが、真琴と同じ今年度入社した新人で、梓が大阪出身のアイドル志望、雫が北海道出身の女優志望なのだ。

 真琴は最初、灯にアルバイトと言われその気できていたら、いつのまにか入社させられていた。

 だから言葉に難ありという新人が、今年三人入ったというわけだ。

 念を押しておくが、大阪弁や北海道弁が難というわけではない。

 二人の口調というかなまりが、あまりにも酷かった。

 見かねた灯が、真琴と合わせて矯正してやろう、と考えたのだ。



「あとは、私と夕食を摂って、レッスンだったわね。必ず十時までには送り届けるのよ」


「もちろん、そのつもりで手配しますが、少々真琴様に過保護というか、入れ込み過ぎではないですか? ほかの新人や社員たちに悪い影響を与えると思いますが」


「神崎とあろう者が嫉妬しているのかしら?」


「そうではありません。と、言いたいところですが、そうなのかもしれません。真琴様が入社してから、灯様の肩入れが相当なものだと感じています。わが社の灯様はカリスマですから、私のほかにもそう感じている者がいるかと」


「そうなの、それは困ったことね。マコは私の大事な妹の恋人であり私の家族なのだから、肩入れというよりも家族愛の表れなのよ。私が学校へ迎えに行くのも、家族としては当然のことでしょう」


「それがダメだと言っているのですよ。仕事に家族愛を持ち込むのは、公私混同というものです。ましてや仕事の予定をずらしてまで迎えに行くなんて」


「神崎?」


「何でしょう」


「あなた、随分私に意見するわね」



 灯の顔つきが変わった。

 社長席に座ったときから、穏やかといった顔は見せてはいないものの、緊張感の中にもゆとりのあった会話だったのだが、先ほど真琴にした威圧的な視線とは別な、冷たい目つきになったのだ。

 まず先に、真琴が気後れしていた。

 灯のこんな顔など見たことない、そんな驚きもあった。

 そして神崎は、反省したような表情で灯に言った。



「申し訳ありません。調子に乗ってしまいました。以後、気をつけます」


「そうね、気をつけなさい。あなたはわたしのマネージャーなのだから、しっかりマネージメントしていれば、そういった問題は解決できるでしょう」


「わかりました。尽力します」



 真琴はどこを見て良いかわからなくなった。

 自分のせいで言い合いになるなんて、申し訳なくて仕方がない。

 目を泳がせながら、チラリと神崎の方を見てみると、神崎はまたやってしまったというような雰囲気を出していた。

 初めてじゃないんだと思い、真琴は少し安心した。

 でも灯の自分に対する接し方で、会社の社員たちに不満を与えているのか、と思うと胸が苦しくなった。

 確かに灯の愛情は嬉しいが、とても嬉しいことなのだが、会社の不穏となるようでは社員が困り、誰より灯が困ることになる。

 そんな真琴の思いに気づいたのか、灯は普段家族として認めてくれているような、穏やかな顔を作った。



「マコ。あなたは何も気にせず、自信をもって私に愛されなさい。湊ちゃんの恋人であることに誇りを持って、仕事を頑張りなさい。いいわね」


「畏まりました。邁進致します」



 そんな灯の言葉に、真琴は雑念を捨てていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ