第二十八話 第三の刺客【承】
そしてカオル君と会う約束の当日。
わたしは普段着で家を出ることにした。
せっかくカオル君と会うのだからオシャレしたいのは山々なのだけど、変にオシャレしちゃったら勘ぐられるかもしれない。
だからできるだけ、普段どおりの自然を装った。
家の中で洗濯をしていたマコちゃんと目が合ったとき、訊いてもいないのに「所用がございますので」と、目を泳がせていた意味はわからない。
だけどマコちゃんは、急いで洗濯かごを持ってその場を去ったので、わたしも好都合とばかりに玄関へと向かった。
洗濯かごの中が空だったのは、きっと洗濯物を洗濯機の中に入れた後だったからだよね。
静かに玄関を出て、小走りで門へ到着すると、スパイのように門から覗く。
もちろん、沙織の家を確認するためだ。
せっかくマコちゃんを上手くまけたのだから、沙織と出会ってしくじりたくない。
ここから覗く限りでは大丈夫みたいだ。
もしかすると、沙織もこんな感じでうちに来ているのかな、と考えると可笑しくなった。
ちょっと沙織になった気分。
なかなか悪くないな、と思う。
だけどそんなこと考えている場合じゃない。
今がチャンス。ここは一気に公園の方へと踏み出そう。
用心深く後ろをチラチラ見ながら、リリウムまでの道のりを歩く。
リリウムは公園を抜け、ブティックホテルと逆の方向にある。
よしよし、付いて来ていない。
せっかくカオル君と会うのに、台無しにでもなったら困るからね。
いけない、後ろのことばかり気になっちゃって時間に遅れそう。
少し急がなくちゃ。
そうしてわたしは、足早に目的の場所へ向かった。
ここにきて、日頃やっている早朝ランニングが役に立った。
このためにやっていたわけじゃないけれど、実際に効果が見えることは喜ばしい。
途中、タクシーに追い抜かれことしたものの、軽快に走る。
ジャージでもないのに、こんな本格的なランニングをしているなんて、とても人に見せられたものじゃないと思うけど、背に腹はかえられないから。
功を奏して、どうにか間に合った。
十時ジャスト。時間ピッタリ!
店の中に入ると、「いらっしゃいませ」とウエイトレスさんが駆け寄ってくるので、「連れがいるので」と席の案内を断り、店の中を見渡した。
確かメールには、テーブルの上に青いハンカチを置いておくと、書いてあった。
目印に青いハンカチなんて、幸せの黄色いハンカチみたいだ。
ちょっと古すぎて、わたしは見たことがないけど、確かお父さんが、「彼の帰りを待つ女性が、健気に約束の黄色いハンカチを出して待っている映画」だと言っていた。
それじゃ、逆だ。
カオル君がわたしを待っているのだから。
まあ、彼でも彼女でもないのだけれど。
そんなことはどうでもいい。
今は映画のことより、現実が優先。
青いハンカチ、青いハンカチっと。
…………見つけた!
置いてあるのは一番奥の席。
そんなに混んでいるわけでもないのに、なんであんなに奥で座っているのだろう。
親友の話を、あんまり人に聞かれたくないからかな。
なんて思惑を巡らせながら、席に近づいた。
ハンカチが置いてあるテーブルには、誰かが座っていた。
待ち合わせをしていたのだから、それは当たり前。
その誰かは、ここからでは後頭部しか見えない。
プラムカラーの短髪で、無造作にカットされている感じが、スポーツマンの匂いを出している。
カオル君は何かスポーツをやっている人だと、印象を受けた。
結構大きい人みたい。
パッと見、尊より少し小さいくらいかな?
なんて声をかけよう。
「お待たせしてすみません」は、堅苦しいよね。
「あなたがカオル君ね」じゃ因縁をつけているみたい。
「待ったー?」じゃ軽いし、「ここ空いてますか?」じゃ他人すぎる。
う〜ん、どうしようって、決まらないうちに、席に到着しちゃった。
「あの、カオル君ですか?」
ドキドキの心臓を無理やり抑え込んで、第一声を発した。
途端、なぜか急に恥ずかしくなった。
顔が直視できなくなり、声をかけた瞬間に俯いてしまう。
考えてみれば、男の子と二人で会うことなんて初めてだったから。
尊とは自然すぎて、男の子って感じがしないから、可哀想だけど恥ずかしくはならない。
だからわたしにとっては、初体験と言ってもいい。
もしかしたら、一目惚れで恋に落ちちゃうかもしれない。
もしかしたら、この後の展開によっては、付き合っちゃうってことも?
確かに今日は、お友達の相談で、わたしの恋心とは関係ないのだけれど、ここからの進展だってありうる話。
ダメだ、いつまでも俯いてはいられない。
下を向いたままじゃ、第一印象が悪くなってしまう。
だからわたしは、ゆっくりではあるが、頑張って顔を上げようとした。
「やあ、ミナだね。初めまして、僕がカオルです」
わたしの耳にそんな声が届く。
耳にした声質は女の子のものだった。
ゆっくり上げていた顔を勢いよくに変え、わたしは声の主を直視した。
「かっ、かっ、カオル君?」
「そうだよ、僕がカオルだ。何か顔に付いてる?」
目の前の女性は、当然だというような表情でこちらを見ている。
一方、わたしは石像のように固まってしまい、小指の先も動かすことが出来ずに立ち尽くしてしまっていた。
そして頭が勢いよく回転を始める。
この人がカオル君?
どう見ても女性でしょ。
シクスクではどう考えても男の子だったよ。
登録はもとより、話し方、考え方、好きなやものや好みの女優まで、男丸出しだった。
チャットのやり取りが男らしくて、少し好きになりかけていたというのに。
「まあ、立ってないで座ったら? そこで立っていたらウエイトレスさんの邪魔になっちゃうし」
その言葉に引き戻され、わたしはとりあえず考えるのをやめて座ることにした。
少し落ち着こう。冷静になろう。
取り乱しても始まらない。
今日、ここへ来た目的は何?
そう、ここへ来た目的は相談だったはず。
カオル君からしたら、わたしが取り乱すのはお門違いというもの。
意を決してここに来たカオル君は、友達のために悩んでいた。
わたしの変な期待など、この場にはいらない。
カオル君の性別は、ただのわたしの勘違い。
だから冷静に。落ち着いて。
「あの、三年生の野西先輩ですよね?」
わたしは彼女を知っている。
彼女はうちの学校の三年生だから。
まあ、シクスクで知り合ったのだから、自分の学校の生徒だというのは、当然といえば当然か。
わたしが名前まで知っていたのは、彼女が『女バス』いわゆる女子バスケットボール部のエースで、チームを全国区へ導く立役者、学校のヒーローだったから。
男女共に人気があり、特に下級生の女子からラブレターが届くほどの人。
目尻がつり上がった大きな瞳、高すぎることのない整った鼻筋、左右に少し上がった丹花の唇が艶かしく、美男とも美女とも取れる中性的な存在。
「僕のことを知ってくれていたのか。それは嬉しいよ。僕もミナのことは知っているけどね」
「ど、どうしてですか?」
「うちの学校で君のような可愛い子がいたら、僕が見過ごすわけない。シクスクのミナと一致していたわけではなかったから、今は二重の喜びだよ」
見過ごすわけないっていう、まるで女たらしのセリフに、これまでのカオル君との会話履歴が崩壊を始めた。それも女の子だったのだから、わたしとしたら二重の崩壊だ。
だがしかし、いつまでも崩壊してはいられない。
ここに来た本来の目的はさっきも言ったように、カオル君の親友の相談なのだから、気持ちを切り替えて。
順を追って任務を遂行しなくてはならない。
順の始めは、まず呼び方から整理するとしよう。
「先輩の名前は確かカオリじゃなかったですか? シクスクでの登録名はカオルですけど、やっぱり名前で呼んだ方がいいですよね」
今更、野西先輩って杓子定規に呼んでも仕方がないと考え、まずそこから訪ねることにした。
カオル君は仮にも年上にして先輩だ。
やっぱり上下関係はしっかりしなくてはいけないから、礼儀として本人に確認する。
まあ、杓子定規に呼んでも仕方がないと名前で呼ぼうとしている時点で、礼節に欠けているのかも。
わたしの考えている上下関係や礼節などは、お構いなしとばかりに、カオル君は答えた。
「そうか、名前まで覚えていてくれるなんて、ほんと嬉しいな。
でもミナにはカオル君でお願いしたい。みんなにはカオリって呼ばれているけど、僕はカオルが気に入っている。
ミナのことは、そのままミナって呼んでいいんだよね?」
「別に構いませんけど。
それでは、カオル君。自己紹介も終わったのでさっそく本題に入りましょう。お悩みは、お友達のことについてですね?」
呼び方の整理が終わったので、単刀直入に本題へと移行した。
それはわたしにとって正当な順だ。
脳の片隅に、男だと思っていたら女、というフレーズが連呼していて、余計な脇道に逸れようとするのを、必死に堪える。
そのことを打ち消すためにも、業務的に進めて行くのが妥当だから。
「ミナ、少し冷たく感じるのは、僕の気のせいかな。
もし僕が女であることを隠していたことに怒っているなら、申し訳なく思うよ。それについては本当にごめん。
最初はシクスクから出るつもりはなかったものだから」
肩を落とし、うな垂れたカオル君。
その様子を見て、自分が少し怪訝な表情をしてしまっていたことに気づき、反省する。
勝手に勘違いして、勝手に期待して、勝手に落胆して。
身勝手な態度を作ってしまっていたことは、明らかで。
それを誤魔化すために、業務的に進めようとした行動も褒められたものじゃない。
カオル君の寂しげな顔を見ていると、さらに自責の念は増えるばかり。
そこへウエイトレスさんが、注文を取りにきた。
グッドタイミング!
「何にしますか」という問いに、カオル君は「コーヒーで」と注文をしていたので、わたしはやっぱりミルクティーを当たり前のように頼んだ。
注文を取り終え、踵を返すウエイトレスさんを横目に、一回深呼吸をして心を宥め、わたしは頭を下げた。
「あの、わたしもごめんなさい。わたしも勝手にカオル君のこと、男の子だと思ってしまっていたから、ちょっとだけ動転しちゃって。
シクスクの中じゃ性別の選択は任意のものだから、それを鵜呑みにしていたわたしが悪いんです。
でも、カオル君も悪いんですよ。唐突に会おうって言ってそれきり連絡も取れないから。
もう少しお互いのこと紹介し合ってして、カオル君のことを知れていたら、もっと気軽にお話できたんですからね」
「それについても、重ね重ねごめん。詳しく話をしたらミナは会ってくれないと思ってさ。
僕は本当にミナという人に会いたかったから、多少強引でも会える可能性に賭けたかったっていうのが正直なところなんだよ。
ここで来なかったとしても、僕の運命だと思って諦めようと思っていたし」
「嘘ですね。カオル君、絶対にわたしが来ると思っていたでしょ?
きっとチャット上のわたしでは、匿名性を重視していたから、会うことに対する説得は難しいと考えた。
だからメールで一方的に誘うことにより、有無を言わせない環境を作ったんですね。
もう半年以上やり取りしてるのだから、わたしだってカオル君が考えること、わかるつもりです。
まあいいですよ。わたしが勘違いして態度を悪くしちゃったのは明白なので、そのこととおあいこにします」
「ははは、ミナらしいね。そんなミナだからこそ、会いたいと思ったんだ。いやぁ、今日はミナと会うことができて本当に良かったよ。
チャットじゃ、なかなか話す内容が限られていたから、よりお互いを知っていこうじゃないか」
「いや、わたしたちのことはこれからゆっくり話すとして、まず先にお友達のカミングアウトについて話しましょう。今日の主題はそのことなのだから。カオル君、お友達のことが心配なんでしょ? わたしたちのことより、そっちを優先しましょうよ」
本題になかなか入ろうとしないカオル君に、やはり怪訝に思ってしまうわたしだった。