第二十二話 悲観
帰りの道。
辺りはすっかり夜景と化していた。
空はレストランでの暗い思いを移すように、星や月の光を厚い雲が閉ざしていた。
湿度は体感するほど高くなく、雨は降らなさそうだ。
だけどとても暗い。収まらぬ怒りと侘しさが混在し、更に闇を深くしているような気がする。
自宅までの道のりである歩道の上を、手を繋ぎながらトボトボと歩く。
車通りはあるものの人通りはなく、街灯が局所的に歩道を照らしていた。
この淀んだ気持ちはわたしだけなのかな?
マコちゃんは今、何を思っているのだろう。
レストランで起きた出来事の被害者は、他の誰でもないマコちゃんだ。
あんな男に、マコちゃんの幼気なお尻が掴まれてしまうなんて。
思い出しただけでも、吐き気を催しそうになる。
あの手にわたしのお尻が掴まれたとしたら…………おえぇぇぇ。気持ち悪る!
それを耐えようとしていたマコちゃんは、とても精神力の強い人だ。
いや、そんな問題じゃない。それは精神力で耐える問題じゃないよ。
だけど結果的に、わたしが勝手に辞職をさせてしまった事実。
どんな理由があるにせよ、謝罪はしなくちゃ。
「ごめんね、マコちゃん。なんだか大事にして、勝手に仕事を辞める事まで決めちゃって」
「滅相もございません。湊様にあのようなご迷惑やご心配をお掛けしたこと、申し訳なく感じております。
ですが、湊様がわたしのことを『家族』とお呼びになった時は、至極嬉しゅうございました。
わたくしなんかのためにお怒りになって頂いた事も。職を失うこととはなり得ましたが、また新たに探せば良いだけのこと」
「嬉しいも何もわたしにとってマコちゃんは既に家族なんだから、当たり前のことを言ったんだよ。それにわたしのマコちゃんが、あんなセクハラを受けて怒らないわけないわ。
やっぱり訴えればよかったかと思っちゃうくらい。
でも、アルバイトはそんなに焦って探さなくてもいいんじゃない?」
「いえ、これから湊様のご自宅にお世話になると存じますのに、お納めするものがございませんので、早速、明日より新たにお尋ねする次第でございます」
マコちゃんがアルバイトをしたいと必死に願ったいたのは、うちに上納金を納めるためだったの?
確かにマコちゃん、お世話になるだけの存在にはなりたくないって言ってたけど、それは自分のものはせめて自分で買いたいってことだと思っていた。
この勢いじゃ、貰ったお金の全てをそのまま納めそう。まあ、お母さんが受け取るとは思えないけど。
さっき起こったトラブルで、ますますアルバイトをやらせたくないと考えてしまう。
マコちゃんは、わたしの見ていないところで、どんなことでも我慢してやりそう。
あのとき、わたしが割って入らなければ、そのまま耐えてしまいそうな雰囲気だったから。
もしするとしても、生活が安定して、しっかりした安全の保証があったうえで、アルバイトをしてもらおう。
「そんなの全然気にしなくていいから。さっき言ったとおりマコちゃんは家族なんだから。
わたしが言うのもなんだけど、うちってそれなりに裕福な家庭だから、マコちゃん一人増えたところで苦しくなることなんてないから安心して。
お父さんやお母さんに話した時も、湊の親友なら大歓迎だよって言ってくれているし」
「例え湊様にそう仰って頂いたとしても、わたくしの矜持がそれを許しません。理想とする節度、それは自らが最大限に力を尽くしてこそ、保たれるものと存じております。その節度を保ててこそ、わたくしの存在意義を証明できると考えているのでございます。
教室にて甘えさせて頂いたご好意は、湊様のご自宅に住まわせて頂くということまでであり、養って頂くということではないと認知しております。そしてそれは独立自尊にして、わたくしの信条でございます」
「ごめん。マコちゃんの思いはすごい伝わってくるんだけど、誰もアルバイトをしちゃダメって言ってるわけじゃないんだよ。ただ、焦って探さないで、うちに来て落ち着いてから、いいところがあればって感じでいいんじゃないのかな」
わたしの言葉にマコちゃんは、思い悩んでいる様子。
今までにない、真剣な顔つきで目を泳がせいてる。右脳と左脳を交互に使うように。
逆の立場として考えたら、わたしもただお世話になるのは心苦しくなると思う。
それが、大好きな人のところであれば、尚更なのかもしれない。
もしかしたらマコちゃんは、財政的な援助を受けることが、わたしと対等でなくなると感じているのかも。
そうであれば、受ける援助はわたしからではなく、わたしの親のものだから、少なくともわたしとの関係性に優劣をつけるものではない、といえる。
それにわたしはマコちゃんより、随分と恵まれた環境で暮らしている。
大好きで尊敬するお父さんやお母さんの元に生まれ、不自由なく現在まで育てて貰っていることは、とても幸運なことだし、とても感謝している。
だけどマコちゃんは違う。
お父さんは外国にいると言っていたし、お母さんは既に亡くなっていると言っていた。この時点で、わたしとマコちゃんの境遇は公平じゃない。
公平じゃないのに、対等を求めようとするのは矛盾している。
まあ、これはあくまでも理屈であって、感情が入ってきたら、割り切れないところもあるかもしれないけど。
ただ言えるのは、この場で必要なのが感情論ではなく、屁理屈であったとしても理屈だということ。
受け入れがたい感情に流されるより、理屈で正当化してしまえば納得せざるを得なくなる。
うまく説得できるかわからないけれど、理屈のゴリ押しは得意とするところだ。
「わたしね、大人は大人でやるべきこと、子供は子供でやるべきことがあると思っているの。勝手な言い分なのかもしれないけど、子供は育てて貰ってることに感謝しながら、できることをしっかり頑張ればいいんじゃないかって。
だから、今はそれに甘えてもいいんじゃないかなって思う。
ごめんね。これ、わたしの事情でわたしの価値観だね。
何が言いたいかっていうと、甘えられる相手と場所があるのなら、身を委ねてもいいんじゃないかな。全てをお世話になることが申し訳ないと感じるのかもしれない。それなら、うちのことを少しでも手伝ってくれたら、お母さんたちも喜ぶと思うしね」
わたしがそう話したあと、再度沈黙となった。しつこく、執拗に覆い被せるわたしの言葉は、きっとウザったく感じることだろう。
沈黙がそれを物語っている気がする。被害妄想ならいいのだけれど。
観念したかのように、マコちゃんの口は開かれた。
「わたくしなんかのために、ご心労を煩わせてしまい申し訳ございません。恐縮ではございますが、再び湊様のご好意に甘させて頂きます。ご恩につきましては、追々とお返しさせて頂く所存です」
申し訳なさそうに口にするマコちゃん。教室で沙織が言ったわたしの頑固おやじ説が項をそうしたのか、どうにか説得に成功したようだ。
これまでのわたしがした話を思い直しても、わたしのワガママであり、自己主張を通してるだけだから、ただ納得させているだけで、説得に応じたというよりも折れたといったほうが正しいことは明白。
どんどん傷つけていくマコちゃんの自尊心に対して、いつか詫びようと心に誓った。
ところで、前々から感じていたマコちゃんのわたしに対するへりくだりは、どうにかしなくちゃダメだと思うんだ。
以前、光明が差したとか言っていたけど、そのへりくだり方は異常だ。わたしを奉り過ぎている。
わたしは神でも仏でもなければ、王様や社長でもないのよ。
あんまり下手に出られたら、わたしの中のマコちゃんという存在が、乖離していってしまう。わたしたちは同等だと、マコちゃんの心を軌道修正しなければいけない。
それは今後、わたしがマコちゃんの傍にいるためには、どうしても必要なことだ。
わたしはこれはいい機会だと考え、一喝を入れることにした。
トボトボとでも進んでいた歩みを止め、正面から向き合うようにマコちゃんの両肩をわたしの両手で抑える。
何が起きたかと、明らかにビックリした様子を見せたけど、わたしは止まらない。
想いが伝わるようにと、目に力を込めた。
「マコちゃん!」
「はい!?」
「わたしに気を使うのはもう止めて。マコちゃんはわたしの初恋の相手であり憧れの人なのだから、もっと堂々としてほしい。
わたしなんかなんて、言わないでほしい。好意に甘えるだとか、恩を返すだとか、そんなことも訊きたくない。
わたしは自分を卑下するマコちゃんより、わたしに相応しくなると自信に満ちたマコちゃんの方がいいの。
あのときのように、わたしを導いてよ」
言った。言ってしまった。
言ってから、もう少し探りを入れてからでも良かったかな、と後悔がよぎった。
わたしのこの直球な物言いは、配慮が足りないことと自覚している。
後になって、オブラートに包めばよかったかなとか、もっと遠回しに言った方がよかったかなとか、後悔することもしばしばで、後悔先に立たずを地で行くタイプだ。
わたしのストレートを受けて、案の定、マコちゃんの顔が滲んでいった。
「そう仰られましてもぉぉ……」
瞳がどんどん濡れていく。
口元がわなわなと震えだした。
あちゃぁぁ、やっちゃった。わたしはドSなのか。自分ではそのつもりはないのに、潜在的にドSを持っているというのか。
こんな自己分析よりも、この場をなんとかすることが先決だ。
涙が溢れ出しているマコちゃんを胸に抱き、頭を撫でながらわたしは耳元で囁いた。
「きつく言ってごめん。
わたしね、マコちゃんがまた会いに来てくれたのすごく嬉しかったんだよ。だって、マコちゃんという存在は、わたしの人生をあげてもいいと思えるくらいだったから。
それに、再会してまだそんなに日が経ってないのに、もうマコちゃんのことを、お父さんやお母さんと同じくらい大好きになっちゃった。わたしの前からいなくなっちゃったら立ち直れなくなるほどね。
だから、ずっと一緒にいたいから、わたしには気を使って欲しくないんだよ」
「うぅぅ、湊さまぁぁ、わたくしぃ、がんばりますぅぅぅ。わたくしもぉ、湊さまとずっと一緒に居たいですぅぅ」
そうして、車道から車のライトがわたしたちを断片的に照らすなか、しばらく夜の歩道に二人で立ち尽くしたのだった。




