第十五話 いいとはいえない環境
その日の帰りから、わたしはマコちゃんのホテルへ赴いた。善は急げ、悪は延べよ、ということで。
マコちゃんのホテルまでは、学校からわたしの家を過ぎ、更に同じくらい歩いたところにあった。
この街の繁華街、駅に程近いところだ。
マコちゃんが泊っているホテルは確かにビジネスホテルで、訊いていたとおりフロントに人はいなく、現金精算機だけがお出迎えをする、経費節減重視の構造だった。
玄関からすでに薄暗く、あまり清潔感が感じられない。
どうしてここをチョイスしたのか疑ってしまうような場所だった。
ただ、海外からの予約で、費用重視、フロントに不審がられない、といった条件であれば仕方がないのかもしれない。
マコちゃんみたいなお嬢様風女子高生が、一人で泊まりに来たら、家出少女と間違われてもおかしくないのだから。
値段を見ると、素泊まり一泊二千五百円と書いてあった。
確かに激安だ。二千五百円で運営できているなんて、どんな仕組みなのか疑念が浮かぶが、そこはどうでもいいことだ。
現金精算機を抜けてすぐのところに、エレベーターがあった。そのエレベーターに乗り込もうと、上へのボタンをマコちゃんは押し、来るのを待つ。
ボタンを押したところで、こちらを見ながら、「わたくしのお部屋は、五階でございます」と、教えてくれる。
チン、と一昔前のベルの音が鳴り、ドアが開くと、中はなんとも狭い空間だった。
大人が三人ほど乗ったら、圧迫感を感じそうな、スーツケースを持って入ったら一人で定員になりそうな、そんなスペース。
これで途中に止まろうものなら、閉所恐怖症になってしまいそうだ。
上がっていくとき、ガタンとエレベーターが揺れる。
わたしはビックリして、繋いだマコちゃんの手を、強く握った。
マコちゃんは、わたしのその反応に嬉しそうな顔をして、握り返してきて。「安心してください。わたくしがおります」と、勇気づけてきた。
ここにわたしが来たのは、マコちゃんのことが心配だからだというのに、いきなり逆に心配されてしまった。ちょっとショック。
でも、ここにおじさんとマコちゃんが二人きりになったら、どうなるんだろう。
襲われたりしないだろうか。
「二人っきりだね」なんていわれて、ジリジリ寄って来たらと思うと、居ても立っても居られない。
ここでわたしはさっそく、絶対にマコちゃんをこのホテルから救い出そうと心に誓った。
♀
薄暗い廊下を歩き、部屋へと向かう。
廊下のカーペットが所々剥がれ、その古さを感じさせる。ゴミが落ちていないことを見ると、一応掃除はしているんだなと安心した
。暗く古いうえに不潔なら、もう耐えれないから。
ちなみに暗く古い時点で、わたしならアウト。
ドアの前にマコちゃんが立つ。
鞄のポケットのチャックを開け、そこからカードを取り出した。どうやら部屋のキーだ。それでもここのホテルはカードキーなんだな。
かざすと、ガチャっとドアが開いた。
「どうぞ、お入りになってください」
「お邪魔します」
わたしは畏まる。友達の部屋に来たのとは、明らかに違う。
なんか援助交際でもしているような、感覚に見舞われる。
でも間違ってもわたしは、援助交際なんてしたことないから、勘違いしないで。だってわたしは、処…………いや、何でもない。
奥へ進むと、ドアの隙間からトイレ付きのユニットバスが見えた。チラ見し、更に奥へ。
およそ六畳ほどの部屋に、シングルベットと一人掛け用の椅子にテーブル。壁の棚には旧式のテレビと、その下に小さい冷蔵庫。一応、必需品は揃ってるみたい。
それにしても、かなり古い。リサイクルショップで揃えたかのように、統一性もない。
部屋も価格重視だと、オーナーのドヤ顔が見えるようだ。それにしても、冷蔵庫がうるさいので、そろそろ買い替えどきだと訴えたい。
窓を開けたら隣のビルの壁だった。どこまで悪条件なら気がすむのだろう。ここまでくると嫌がらせでしかない。
本当に、マコちゃんが暮らすには似つかわしくない場所だ。
だって、マコちゃんはどう見ても、お嬢様やお姫様といった感じなのだから。
おにぎり一個といい、このホテルといい、本当にお金が無いんじゃないかと思った。だけどお財布の中まで訊くような、礼儀知らずにはならない。
事情も知らずズケズケとプライバシーに介入するのは、わたしの主義じゃない。
だけどやっぱり、うちに誘って正解だったみたい。
ここは女の子の住むところじゃないから。
部屋の中を見渡すと、『マコちゃんの荷物が少ないなぁ』と感じる。
部屋にあったのはボストンバック一つと、ピンクの下地にベージュのチェックが入った、フリル付きのワンピースが掛けられているだけ。
ボストンバックの中に部屋着が入っているのかもしれないけれど、きっと外出着は今来ている服と、あのワンピースだけだ。
うちの学校は私服可なので、制服を買う心配がなかったところは良かったと言える。
でもせめて、もう少し着替えがあった方がいいんじゃないかな。今度、マコちゃんに合いそうなわたしの服を、見繕ってこよう。
だけどこれじゃまるで、家出をしてきた少女のようだ。フロントで家出少女と不振がられないよう無人ホテルにしたのだと思ったけれど、家出少女の何者でもない。
信頼のおける人に予約してもらったと言っていたから、家出少女ではないとは信じているけれど。
それに学校へ編入手続きをしているあたり、着の身着のままできたとは考えにくいのだし。
思案を巡らせていると、「お座りになって下さいませんか」と、声が掛かった。見れば、ベットに座ったマコちゃんが自分の横に来いと、布団をポンポン叩いている。
そうね。こんなに人の部屋をキョロキョロとするのは、行儀が悪いわね。
わたしはマコちゃんの隣へ座った。ホテルに二人きりでベットの上。
変な緊張感がある。
しかも離れた隙間を埋めなくちゃとばかりに、マコちゃんが身を寄せてきた。横移動でジリジリと。
そして密着。
いくら部屋が狭いと言っても、ここまでくっつかなくてもいいような気が。
「マコちゃん、近いね」
思わず口に出た。
「そうでございますか?」
マコちゃんは、ケロッと言う。
そこに隣の部屋の音が聞こえてきた。テレビもつけていない状態で、冷蔵庫の音がこんなに響くくらいシーンとしているのだから、隣の部屋の音ぐらい聞こえても不思議じゃない。
でもこんなにはっきり聞こえるのは、マコちゃんとの密着状態で、なぜか感覚が研ぎ澄まされているからも。
隣の部屋からは、テレビの音のようなスピーカー音が鳴っている。
何が始まったんだろう。
ちょっと気まずい空気になってきたから、打開する話題となってくれるかもしれない。
そして聞こえてきたのは。
「ねぇ、キスして」「キスだけでいいの?」「やっぱりキスだけじゃイヤ」「それならここも舐めてあげる」「さ、先にキスを、あっ」
な、なんていうテレビを見ているの? こんなに隣の部屋にまで、まる聞こえにして。
とても話題にできない内容じゃない。
あまりにもこの状況にマッチしていて、隣の人が仕込みじゃないかと疑いたくなるレベルだわ。
わたしは思わずマコちゃんを見……れない。とてもじゃないけど、恥ずかしくて。
膝の上には、グーを並べたわたしの両手。
手に汗握るとはまさにこのこと。
するとマコちゃんは、わたしが硬く握った手に、ねっとりと手のひらを重ねてきた。
手を繋ぐときのホワッと握ってくる感触と違い、わたしの手の甲の表面を、じっくり確かめるようにねっとりと。
これがおじさんだったら、間違いなく殴って蹴って関節取ってるとこだけど、マコちゃんの手は妙に色っぽく、気持ちいい。
こんなの初めて。
こんなにドキドキする行為、初めて。
身体の奥が熱くなってくる。
何、この感じ。
突然、「明日の天気は……」という音に変わった。チャンネルを入れ替えたらしい。
そして、「明日雨かよ〜」という嘆き叫ぶ男性の声。いきなり天気の話をされては、ムードも何もあったものじゃない。
わたしは何を期待していたというのか。
音が変わった途端、わたしの理性は戻り、握っていた手の緊張もほぐれた。
それに気づいたのか、マコちゃんがそっと手を離す。「チッ」っとわたしの鼓膜が振動したのは、マコちゃんが言ったんじゃないよね。マコちゃんはそんな子じゃない。
手が離れたと思いきや、マコちゃんがわたしの手を取った。また続きをするのかとわたしは勘ぐる。
でもまこちゃんは、わたしの腕時計と見ているようだった。なんだ、続きじゃないのか。ムードも切れたものね。と見栄を張ってみるものの、わたしにそんな度胸はない。
時計から目を離すと、「アルバイト先をお尋ねしなければなりません」と急くように言ってきた。わたしも時計を見てみる。
ここに来てから、結構時間が経っていたのだとわたしも気づいた。
そうだ、アルバイトを探すのだと言っていたんだった。せっかく来ているのだし、一緒に探すことにしよう。
本当はアルバイトも、うちに来るのだから必要ないとも思った。
でも「それはみなさんも行なっていることですし、わたくしもお世話になるだけの存在にはなりとうございません」と断言されてしまっては、妥協するしかない。
アルバイト先はその日のうちに、ファミレスで空きが出たとのことで雇って貰えることになった。
わたしはやっぱり『気が進まないなぁ』と思いつつも、マコちゃんのやる気に満ちた態度に、ノーが言えなかったんだ。
そしてわたしは、たまにマコちゃんの住まいに顔を出しながら、二週間が過ぎるのを気長に待ったのだった。




