第十二話 マコちゃんの事情【後編】
マコちゃんが落ち着くまで、わたしはその天使のつむりを撫で続けた。
わたしの手のひらで、気持ち良さげに面持ちを変幻させている。さすがは天使、落ち着きの表情に辿り着くまででも、一縷の隙もなく可愛らしい。
いつまでもこのままでいられそうだけど、今は昼休みなのだから、あまり時間もない。名残惜しいったらない。
わたしは落ち着きを取り戻したマコちゃんを確認し、次の話題へと切り出した。
「マコちゃん、少し話を変えるね」
「承知致しました」
「マコちゃん今、どこに住んでいるの? 昨日すぐに帰っちゃったし、連絡を取りようにも番号知らないから、話そうにも話せなかった。本当は、昨日の放課後すぐにでも話がしたかったくらい。もし教えてくれるのなら、お邪魔したいな。別にわたしの家でもいいんだけど、マコちゃん家にも行ってみたい」
マコちゃんは、わたしの問いに少し困った顔を見せた。話そうか悩んでいるように、目を泳がせている。何か話したくない理由があるのだろうか。
例えば、庶民を連れてきてはいかん、なんて親に言われてるとか。
まあ、そもそもそんな親なら、マコちゃんをお嬢様学校に通わせるか。そんな親ならおにぎり一個買わせて、学校に行かせたりしないね。
答えを待つわたしに、迷った挙句に観念したというように生唾を飲み込むと、恐る恐る口にした。訊いちゃいけない雰囲気が、その場に漂う。
「わたくしが現在、滞在している場所はビジネスホテルなる処。そのビジネスホテルには、個別の部屋に対する連絡手段がございません。フロントも設置されていないものですから、外部より通信が不可能となります。更にわたくしは携帯電話なるものを、所持しておりません。故にご連絡を頂きようにも、一切その術がございません」
「ビジネスホテル? それじゃどうやって予約したの? っていうかご家族は? 何でそんなところに」
矢継ぎ早に質問してしまう。打ち明けられた事柄は、疑問だらけ。悩むくらいだから、隠したかったのだろうけど、訊いてしまったからには後には引けない。
電話も繋がらないホテルなんて、今時あるのかしら。確かにブティックホテルは、そういう外から連絡が取れない仕組みのはずだけど、わたしは行ったことがないから正確にはわからない。
本当に行ったことがないの、間違っても勘違いしないで。
だってわたしは、処…………今はそんなこと話している場合じゃない。
「順を追ってご説明致しますと、住まう処は諸事情により、ビジネスホテルしかございませんでした。ご予約をして頂きましたのは、わたくしの最も信頼が置けるお方でございます。ですから、ご予約に関してわたくしは存じ上げておりません。
次に、わたくしの家族でございますが、ここ日本に於いては、家族は居らず、わたくし一人でございます。お母様はわたくしが生まれた時に他界し、お爺様は湊様とお別れしてから一年後に帰らぬ人となりました。お父様は来日したことはございませんが、現在も祖国に残られております。家族としてはお父様……一人ということになります。
ですから、日本にわたくしの血縁者はございません」
わたくし一人って、独りぼっちってこと? お父さんが祖国にいるって言ったって、どこの国だかわからないけど、家族がいないのと一緒じゃない。
そんなに淡々と家族がいないことを明かすなんて。
それに信頼が置ける人にビジネスホテルを予約してもらったということは、家族以外にも頼れる人がいるということね。その人は日本にいないのかしら。でも、ビジネスホテル自体に連絡手段が無いのであれば、その人とも連絡が取れないのでは?
わからない。疑問を訊けば、新たな疑問が生まれる。
それにしても、ビジネスホテルに泊まるくらいだから、お金はあまり持ってないと思うんだけど、どうなのかしら。
連絡も取れないようなビジネスホテルなんて、安さ優先って感じ。おにぎり一個もお金がないってことなのかも。
「それじゃ、お金は? ビジネスホテルでもお金かかるでしょ? 食費だってあるし」
「仰るとおり、幾ら最も安価なホテルを探して頂いても、経費は嵩みます。わたくしの持ち合わせもそう長くは続きませんので、アルバイトで雇って頂ける先をお尋ねしているところです。
いつまでもホテル住まいは難しいと存じておりますので、アパートをお借りできるところもお尋ねしなくてはなりません。故に学校を終え次第伺います。昨日は失敗に終わりましたものでございますから」
「えっ? ビジネスホテルに泊まっていて、アパートを探してるって、マコちゃん、いつから日本で暮らしているの?」
「昨日、入国を致しましてから、すぐこの学校へ参りました。
本来であれば、住居等の確保を第一優先にすべきところではございますが、湊様にお会いしたいと急く想いは抑えきれず、足が向いてしまったことに、わたくし自身を責めることができません。
この学校に於いては、先に編入手続きを完了していたため、問題なく受け入れて頂きました」
マコちゃんにしたら、昨日はかなりドタバタな日だったのね。ていうか、入国して、ビジネスホテルに泊まって、アパートを探しながらアルバイトって、尋常じゃないわね。
驚くべきところは、そこだわ。まあ、入国してから直ぐにわたしに会いに来てくれたなんて、すごく嬉しいのだけれど。
でも、マコちゃんみたいな女の子が、ビジネスホテルで一人だなんて絶対にダメ。マコちゃんが独りぼっちでビジネスホテルに泊まっている姿を想像すると、悲しくて涙が出てきちゃう。
それにアパート? アパートで住むってことは、光熱費、調理用品、寝具やバス用品とかいろいろいるのよ。わかっているのかしら。
アルバイトは高校生にもなれば、やっている子はたくさんいるから、止める権利はないのだけど。
そうだ! わたしが懸念する問題の諸々を、まとめて解決できるいい方法を思いついた。
単純で身勝手だけど、これしかない。
「マコちゃん、住むところを探しているなら、うちに来たらいいよ。わざわざアパートを探さなくても、いい所があるじゃない。うちなら余っている部屋もあるしね。そうだ、それがいい」
後ろの方で『ゴン』という音が聞こえた。沙織の方からだけど、どうしたのだろう?
もしかして、賛成の合図かしら。
でもいくら賛成だからって、机を叩くのは良くないよ。
まあ、沙織のことだから、声を上げられないのはわかるけど。
確認のため振り返ると、沙織は机を叩いたわけではなく、机に頭を打ち付けた形だった。それってそこまでの賛成ととっていいのかしら。
「大丈夫?」とわたしが掛けた声に対し、「気にしないで」と、頭を机に付けたまま返答があった。結構な音だったけど、本当に大丈夫かなぁ。
するとマコちゃんは、沙織のそれを気にする様子も見せず、わたしの提案に戸惑いを持って答えた。
「有難いお言葉なのですが、湊様にご迷惑をおかけするなどもってのほかでございますし、頼ってしまいますと自分自身に甘えが生じてしまいます。
今のわたくしは至極未熟の身にてございますので、世間を知らなければ湊様と吊り合わなくなってしまうような気が致します。
ですから、このような業を乗り切ってこそと思うのです」
「ダーメ。世間を知るってそういうことじゃないと思うよ。業って何? 意味わかんない。
ビジネスホテルに泊まりながらが一人暮らしする部屋を探すなんて、そんな孤独はいらないの。ましてや、アルバイトで稼いだお金で生活なんて絶対無理なんだから。学費とかもあるんだし。
わたしが心配になっちゃうんだから、絶対にうちに来て貰うからね」
わたしはキッパリと断言した。どんな事情があるにせよ、そんな生活はあんまりだ。マコちゃんがなんとか頑張れたとしても、わたしの方が心配で参っちゃう。
それにわたしと吊り合うためというなら、頑張るところが間違ってる。
「ですが……」
それでも戸惑いを覗かせている。う〜ん、どうしたものかなぁ。
しようがない、譲歩策を用意しよう。うまくマコちゃんを丸め込める譲歩策はないかなぁ。マコちゃんの覚悟を尊重しつつ、結局はうちに来てもらうっていう策。
う〜ん、考えても出てこなさそうだし、思いつきで言ってみよう。
「二週間だけホテル暮らしを許してあげる。それで部屋を探すのはなし。そしてわたしがマコちゃんの部屋にたまに遊びに行くっていうのが条件。それでいいでしょう?」
「それでは、全くわたくしの趣旨と変わってしまうような気が致します」
「わたしはそれでもすごい寂しいと思う。マコちゃんの言う世間てなんでも一人でやろうとするイメージなんだろうけど、女の子がそんなことをする必要はないの」
マコちゃんの決意を、わたしが無理難題を並べて水を差しているのかもしれない。だけど、例え滅茶苦茶な理由を持ってでも、アルバイトのうえ一人暮らしなんて絶対させないよ。
誰が何と言おうと絶対させない。
マコちゃん、させないから。
すると後ろから、つまり沙織の方から、『ガラ』と椅子をずらす音が聞こえ、ツカツカと沙織がやってきた。振り向きはしてないけれど、この教室には三人しかいないのだから、間違いなく沙織だ。
教室でわたしの傍まで来るなんて、なんとも珍しい。
わたしは、横に来た沙織に目を向けた。
「瀬野さん、湊ちゃんがここまで言ったらもう曲げないよ。湊ちゃんのことが好きなんだったら、諦めた方がいいと思う」
沙織はなぜか涙目で訴えていた。いつもと違い、オドオドさを消していて、覚悟の重さが窺い知れる。
何の覚悟かはわからないけれど、沙織が馴染んだ人以外に堂々と発言できるのは、覚悟を持ったときだけだから。
合いの手を入れてくれることは嬉しいのだけど、それじゃまるでわたしが頑固おやじみたいじゃない。まあ、よく考えてみると、頑固おやじだな、わたしは。
でも沙織が勇気を振り絞って発言をしてくれたのは、とても嬉しいことで。
それも、マコちゃんの為に、マコちゃんのことを想って。
大切な人のために、大好きな親友が想ってくれるのはとても幸せなこと。
それでもマコちゃんは肩を竦め、逡巡していた。自分で信念を持って決めたことを、覆されようとしているのだから無理もない。でも沙織の言葉で思い直したようだ。
沙織をチラ見して、マコちゃんは言った。
「承知しました。ご提案どおり二週間だけホテルで生活し、その後、湊様のご自宅でお世話になることに致します。
確かにわたくしの世間というのは抽象的なものでございますので、一人暮らしをすることがそれを知ることとはなり得ないのかもしれません。
沙織さん、ありがとうございますね。あなたのお気持ち、とても嬉しく想います」
マコちゃんのその言葉に沙織は、はにかみながらもとても嬉しそうな様子。そして可愛い。こんなときなのに、沙織ったらそのはにかみ、可愛すぎるんですけど。
やっと終息した問題に、安堵の吐息が漏れ、締めくくりの言葉を口にした。
「決まりね」
わたしは満足げに、満面の笑みを浮かべた。無理な説得ではあっても、結果的に上手くいったのだから、喜ばずにはいられない。
そこへ意表のついたドアのノック。
『トントントン』という方を向くと、廊下でクラスメイトのみんながこちらを見ていた。
気づかず豪快に笑みを浮かべていた、わたしっていったい。ドヤ顔になっていないことだけを祈るしかない。
慌てて壁掛け時計を見ると、ああ、もうお昼休み終わりだよ。みんな気を使って廊下で待ってくれていたんだ。
わたしとマコちゃんは、向かい合ってクスクスと笑い合った。
沙織はというと、そそくさと自分の席に戻って行ったのだった。




