第九話 マコちゃん再び【前編】
翌日の早朝、わたしと沙織はいつものように学校までの道のりを歩いていた。今日は沙織を置いて来なかったから、機嫌が悪くない。まあ昨日はたまたまわたしが先走ってしまっただけで、いつもは自宅玄関前から一緒に来ているのだけど。
それに沙織改変計画は、次の日まで盛り上がりを引っ張っていて、手応えの余韻が未だ残っている。
昨日の沙織との出来事、習い事、勉強。それらに集中することで、マコちゃんとの一件を考えないようにしていたのかもしれない。すっかりわたしの中では、マコちゃんとの事が棚に上げられていた。なぜか沙織も棚に上げる協力をしてくれたようで。
「沙織があの変身で、どんな風に変わっていくのか楽しみだな〜」
「そう? 湊ちゃんにそこまで楽しみにして貰えるなら、やり甲斐もあるよ」
「それはそうでしょ。あの沙織はやばいよ。可愛すぎるから」
「もう、やめてよ、湊ちゃん。恥ずかしいって」
なんか当初の趣旨と外れた会話だったのだけど、楽しみながら変われるのならそれに越したことはない。好きこそ物の上手なれ、だ。
だけど、好きな人ってどんなタイプかくらいは訊いておかないとなぁ。可愛い系にするか清楚系にするか、はたまた知的系にするか、確実なものにするなら大事なことだから。
せっかく自信を手に入れても、必ず成功するとは限らなない。念には念を入れ、慎重を期して、少しでも確率を上げなければ。
校門近くに行くと、沙織が、もう終わりか、という顔をしてわたしから離れようとする。いくら容姿に可能性が見出せても、いきなり性格が変わる訳じゃない。昨日の今日じゃしようがないことだ。
これから沙織が変わって行けば、ここで終わりなんてことはなくなるのだから、もう少しの辛抱よと強く念じる。たぶん、伝わってはいない。
その刹那、後ろからわたしの手が優しく包まれた。ごく最近味わった感触にして、懐かしい温もり。瞬時に呼び戻されるわたしの記憶。
「おはようございます、湊様」
やはりマコちゃんだった。昨日と変わらずお嬢様然とした姿が朝から眩しい。
サラサラと揺れる銀色の髪がとても綺麗で、藍色の瞳がわたしを誘う。服装が同じだったのが気になるけれど。
「あっ、おはよう、マコちゃん」
マコちゃんはなんの気兼ねも見せず、わたしに寄り添ってきた。きっと気兼ねという文字は、マコちゃんの辞書にないのだ。
恐ろしくスムーズな運びは、こちらも昔から同じことをやっているような気持ちになってくる。
だからわたしもマコちゃんと手を繋ぐことは、すでに抵抗がなくなっていた。細胞が同化していく感覚、というのは大袈裟すぎるかな。
「そちらのお方は?」
マコちゃんはニコリと微笑むと、視線を沙織の方に向けてわたしに問いかけてきた。
後ろから手を握られたということは、沙織と一緒に歩いて来たのを見ていたということ。
仲良く登校して来たのだから、当然の疑問と言える。沙織はわたしの親友。紹介は必須だ。
「えっと、この人はわたしの親友で、西條 沙織ちゃん。あっ、沙織、挨拶……大丈夫?」
引っ込み思案な沙織だけに、いきなりは厳しいかなと思いつつ、沙織の顔色を伺いながら訊いてみた。
昨日、挨拶の練習もしたし、まずマコちゃんにその練習の成果を見せたいとわたしは思う。
沙織なら出来るはず。頑張れ、沙織!
すると、沙織は少し顔を引きつらせながらも、口を開いた。ドキドキしながら見守る。
「うん、湊ちゃん、ありがとう。さっ西條 沙、織です。湊ちゃん、とは仲良く、させてもらってい、ます。よ、よろしく、お願い、します」
沙織、それはいきなりお父さんに会ってしまった、彼氏のセリフでしょ。
まあ、昨日の練習では、「おはよう」とか「さようなら」とかばかりで、自分の自己紹介はノミネートしていなかったけど。
でも、仲良くさせてもらってますって。マコちゃんは沙織にどう写っているのかな。
するとマコちゃんは、沙織のその挨拶に、誠意と気品を持って返す。
一挙一動がいちいち絵になる。
「そうでございましたか。それでは改めまして、わたくしは瀬野 真琴と申します。
湊様とは将来を誓いあった仲でございます。湊様のご親友で在られるのであれば、わたくしの親友にもなるかもしれないということでございますね。
以後、お見知り置きを」
優雅に会釈をするマコちゃん。将来を誓いあった仲というのは、今となってはちょっと語弊があるけれど、ある意味間違ってはいない。
将来を誓うというのは結婚するということとは別に、他に意味もあるはず。
例えば、生涯、親友でいようとかね。マコちゃんが親友なのかは、まだ整理ができていないのだけど。
沙織は、再度マコちゃんに向かって「は、はい、よろしく、お願いします」と深々と頭を下げた後、「湊ちゃん、それじゃ帰りにね」と言って、校舎の方へと消えていった。
それだけ? と言われそうなものだけど、沙織にしたら良くやった、とわたしは褒めてあげたい。
きっとこんな挨拶も、沙織は去年の入学式以来のはずだ。去年の入学式も散々で、声も小さくまともに話せない。
尾崎先生のおかげで、それでもなんとか乗り切れたのだけど、大変だった。今回のこの挨拶は格段の進歩を遂げたと言わざるを得ない。
一方のマコちゃんは顎を親指と人差し指で挟み、意味ありげな思案の素振りを見せた。ジッと沙織を見つめたまま、何やら考え込んでいる様子。
「どうしたの? マコちゃん」
「あのお方が湊様のご親友。湊様とは真逆なご性格は善しとして、あのお方からはわたくしと同じ匂いが致します」
「同じ匂い?」
「そうでございます。わたしが湊様を敬愛しているのと同じと言いましょうか」
「ああ、それなら沙織は中学の時から一緒にいる、言わば幼な馴染みの親友なの。わたしも彼女のことが好きだし、そういうことじゃないかな」
マコちゃんはあまり腑に落ちないという顔をしていたものの、「気にするほどのことでもございませんね」と、わたしの手を引き歩き出した。
わたしは引かれながら、何が気になったのかと疑念を抱くのだけど、それも気にするほどでもないので流すことにした。
♀
一緒に校門を過ぎると、マコちゃんの存在もあって、さながら大名行列を待つ町民ように、玄関までの道のりが左右に割れていった。
たった一日にして劇的に変化したわたしの登校。
女の子が二人で堂々と手を繋いで身を寄せ合い、しかも外国のお嬢様がその一人とあれば、この反応も頷ける。わたしも外から見てみたい。
校門から教室までは、当然、全校生徒が通る場所。マコちゃんのことを知らない人がほとんどで、好奇な視線が注がれる。
こういう場合は、どういった表情を作ればいいのかしら。まあ、無難に微笑を作っておけば間違いないかな。
きっとそれで、みんなもなんでもないことなんだと、認識してくれるはず。
わたしはいつもどおり、会う人会う人に挨拶する。この際、返ってこない挨拶には目を瞑ろう。原因はこちら側にあるのだし。
マコちゃんは横で、まるで皇族が庶民に手を振るように「おはようございます」と、和かに返している。
この気品ある行動は大したものだ。わたしの不自然は微笑とは訳が違う。
合間にわたしは「マコちゃん、色々話したいことがあるんだけど」と誘うと、「お昼休みにでも」と応えてくれた。
まあ今は朝なのだから、改まった話をするのは難しい。はやる気持ちは抑えようと思う。
教室に入るともう既に、クラスメイトたちはほとんど入室していた。だけど、このクラスメイトは昨日の出来事を見ているせいで、わたしとマコちゃんが手を繋いでいることは違和感を持っていないようだ。
チラッとは見るものの、普段どおり「湊ちゃん、おはー。瀬野さんもおはよー」と挨拶をくれる。
私たちの前方に座る沙織にマコちゃんが気づいて、「沙織さんも同じクラスだったのでございますか?」と話しかけようとした。昨日だけでクラス全員を覚えるのは、さすがのマコちゃんも不可能なのだからが、沙織がいたことを気づかないのはしようがない。
さすがのって言うほど、わたしはマコちゃんの事を知らないのは置いといて。
でもわたしは「ごめん、ちょっと事情があって、教室ではあまり沙織と話はしないんだ」と簡単に説明。長々と説明する時間はない。
するとマコちゃんは頭の回転が早いのか、すぐさま沙織にニコリと笑みを向けた後、そこを流していた。
「おはよ、尊」
わたしは隣の席の、尊に挨拶をした。尊はもうだいぶ前から来ているという様子で、寛いだ感じを見せている。教室に入るなり、尊からサッと離れた女の子たちが見えたけど、それはわたしが幼馴染だから気を使ってくれたのかな?
これは自意識過剰だな。そして尊は「おはよう、湊」と、すぐに返してくる。
けれど後ろから、「おはようございます」とマコちゃんが挨拶をしたら、「お、おはようございます」と、あの尊がどもっていた。いつも冷静で、滑舌のいい尊どもるなんて何とも珍しい。
思わず、「ふふっ」と、笑いが出てしまった。
わたしは尊のことも、マコちゃんに紹介する。一応、幼馴染なのだし。
「マコちゃん、尊も沙織と同じ幼馴染なの。尊は向かいに住んでいるんだけどね」
「そうなのですか。不束なわたくしではございますが、今後とも、よろしくお願い致します」
そう言って優雅な会釈を披露するマコちゃんに、尊は「こっ、こちらこそ」とやはりどもっていたので、更に「ふふふふっ」と、口に手を当てながら笑ってしまった。
尊には悪いけど、朝の注目の緊張感と、昼休みに訊けるはずのマコちゃんとの話の緊迫感に、どちらも少しではあったものの、硬くなっていたことは確かだから、こういう笑いは心のゆとりになる。
ありがたい。
尊はそんなわたしにジロッとひと睨み効かせてきたけれど、無視したんだよね。
だってそんな思いの内を打ち明けたところで、尊には関係ないのだから。
ここは幼馴染のよしみで、黙って受け入れなさい。
ふふふっ!




