9.言葉を学ぼう
ドガ達と酒場で歌って踊って、楽しい時間を過ごした。その余韻もあって、ログアウトした後は、夕食ついでに行きつけの居酒屋に行ってしまった。
新鮮なお魚が美味しいお店で、日本酒の種類が豊富だ。そういえば、<ツインズ>の中で、まだ魚料理を食べていないことに気付いた。ジオスの街の周辺は森と草原だから、魚料理がないかもしれない……魚料理が食べられるところに、ぜひ旅してみたいと心に決めた。お酒も色々な種類があるはず!
ログインをすると……部屋が薄暗い。寝起きしている宿部屋は、建物の角にあり朝になると窓から陽光が注ぎ込む。ポツリポトンと水の落ちる音に、窓に歩み寄り外を見れば……雨だ。しとしとと降る雨は、透明度の低い窓硝子に雨粒を伝わらせている。雨、雨よ! このゲーム、雨も降るのね。
身支度をして一階の酒場へ降りていく。パンを焼くいい香りがするわ……丁度、朝ご飯の時間ね。ふと不思議に思う事がある。ツインズ内と現実内の時間の差だ。プレイヤーは一泊しているつもりだけれども、ログアウト中は、ゲーム中も時間が流れているわけで。けど、そういった誤差を言われる事がないので、ゲームシステムで調節されているのかもしれない。暫くログインしなかったら、宿代が! ということにはならないみたいね。
「おはようございます。……雨、なんですね」
「ああ、おはよう。今食事を持ってくるよ。食べるだろう? 昨日はお連れさんと、大分飲んだようだけれども……アンタは平気そうだねぇ」
雨が当たり前というように、お盆を持って給仕する女将さんが尋ねてくる。朝食をお願いしますと、頷いてから空いている席へと座った。数人の泊客らしい人が朝食を食べていた。
この宿は地理的に商店街に近いので、商用で各地を巡る旅人が客として多いようだ。思わず観察をしながら、画面の隅に見慣れないアイコンを見つける。それをクリックしてみれば……フレンドメールだ。ドガとジンガね?何かしら。
『二日酔いになった』
あらあら……かなり飲んでいたからなぁ。きちんと反映されているのね、このゲーム。
ステータスに二日酔いと書かれ、現実の二日酔い状態らしい。ステータス減少はないが、二日酔いで作業に集中できんと、書かれていた。案外お酒に弱かったのかしら? 私は強いほうらしいわ。
次の素材集めの狩りの予定をついでに決めて、フレンドメールを閉じた。
気を取り直して、運ばれてきた朝食を食べよう。木製のお盆の上は、一枚の四角い皿に色々盛りつけられている。カフェのセットみたい。
ライ麦の風味がする薄茶の平たいパンが一つ。ライ麦じゃなくて、鑑定するとギム麦とある。この地域のパンはこれが主食のようね。それに添えられたジャム。あ、これは……一番最初に食べたリネのジャムだ。
紫色のジャムをパンに塗れば、パンは少し硬めだが、甘酸っぱい味が合う。そして、野菜を似たスープは、鶏肉骨が入っている。 昨日のブラッククックの鶏ガラかもしれないわ。美味しい……
それと、薄切りのハムが数枚。ハムはワイルドピッグの肉だった。保存の為か、少し辛いけれどもパンと食べると丁度いい。
最後にお茶を貰った。これもリネの葉を使ったお茶とのこと。万能な果実だから、街のあちこちに植えられていたことを思い出す。
「ごちそうさまでした。美味しかったです。今日は街にいますので、夜また一泊と歌を歌わせてくださいと、マスターにお伝えいただけますか?」
食事を終えれば、今日の宿泊代を渡す。食材を買いに出ているというマスターへの伝言を、お願いする。
雨か……新しい装備ができるまでは郊外に行けない。ソロでの行動は戦闘技術ももう少し上げてからと決めている。一人歩きの危険はリアルでも知っている。
雨の日、他の冒険者はどうしているのかしら? 雨が降るとは思っていなかったに違いない。
よしと、やりたかったリストを思い出せば、ローブのフードを雨避けにかぶる。傘が無いけれど、多少濡れるのは大丈夫よ。
雨の街はいつもの広場にも人がいない。行きかう人々も疎らだ。小雨の中、足早に向かうのは詩人ギルド。雨で職業ギルドの界隈もどこか物静か。パーティで足早に歩くプレイヤーもいるが今日は人が少ないようだ。
「こんにちは」
挨拶と共に扉を潜る。楽譜を借りる為に何度か訪れているので、職員とも顔見知りになった。
カウンターの中でエルザさんが気づいてくれて、挨拶を返してくれる。背嚢から借りていた楽譜を取りだして。
「楽譜、お返しに来ました。ありがとうございます。この英雄の曲は人気でしたよ」
「ふふ、定番といえば定番だけれどもね。劇等でもやっぱり人気なのよ。ケイさんも、大分様になってきたみたいね? そろそろ、楽器を変えてもいいんじゃないかしら」
「ええ、そのことで…どこで買うのがお勧めか。少しまとまったお金ができたので」
「そうね、商店街の…このお店をお勧めするわ」
酒場で演奏していることは知っているし、広場で演奏しているの見られていたらしい。
にこやかに言われ、一枚の地図をカウンターの中から取りだす。地図には、商店街にある楽器屋の場所が書いてあった。ギルドで楽器の斡旋もしているとのこと。そして、もう一つ、尋ねたいことがある。
「ありがとうございます。後で行ってみたいと思います。その、聞きたいことがあるのですが……エルザさんは、魔法の歌って聞いたことありますか?」
「魔法の歌?」
聞き返されてしまった。やはりないのかもしれない……どんなものか、エルザさんへ説明をする。聞き終えたエルザさんは、少し眉間を寄せて腕を組む。
「貴方達が来たという場所には、あるのかしら……少なくとも、音楽学校で聞いたことはないけれども。もし、そんな効果が得られる技術があるとすれば<魔術><精霊魔法>の管轄になるんじゃないかしら。私には、それは魔法のように思えるわ。後は失われた文明や神話の時代に出てきそうだけれども」
やはり技能として、エルザさんは知らなかった。しかし、いくつか気になることができた。
<魔術><精霊魔法>か……<精霊語>の事も気になる。それに失われた文明? これは創造神の諍いの前にあった文明ということは、物語の中で知っていた。なかなか情報が、パズルのピースのようにバラバラで手がかりというには、曖昧だった。
「ありがとうございます。図書館に行ってこようと思います。雨ですしね」
情報と言えば、やはり図書館。この街には、官舎の横に図書館が建てられているのを知っている。
1日目に発見して、時間ができたら向かおうと思っていた。雨が降っている日……丁度いいかもしれない。エルザさんへ地図の御礼を告げて、幾つか楽譜を借りてギルドを出る。
さぁさぁと小雨が降る中、水溜りを踏まないように気を付けて歩く。防水効果の高いマントもいるなと思う。また商店街に赴かないと……広場から北のメインストリートを歩く。エルザさんに教えて貰った楽器屋に立ち寄ってから図書館に向かおう。楽器屋では詩人ギルドの紹介を渡せば、比較的リーズナブルに購入することができた。ごくありふれた品質だけれども、練習用という言葉がとれるだけあってしっかりとした作り。徐々に色々レベルアップしてきたものだ。
雨は、なかなかやまない……ローブのフードや全身がしっとりと濡れてしまう頃、図書館へと辿り着く。
図書館は、行政施設である館の隣の土地に建っている。ずっしりとした無骨な印象を与える二階建ての建物は、今は雨に濡れて暗い灰色に染まっている。
大きな木製の両開きの扉を開けば、建物内部はリアルと同じ感じの設え。違うのは明かりがランタンであることかな。石床の上に深緑の絨毯がひかれており、事務カウンターへ続いている。
背嚢を開けば、しっとりと濡れたローブをしまった。本を濡らしてしまうから。ローブの下はアンダーセットという名の一般的な衣服。麻みたいな感触の白いシャツと茶色のズボン姿。
さっと着替えができるのが便利だわ。
「こんにちは。利用したいのですが……」
「こんにちは。身分証を提示ください。利用料は50Jです。……ご利用が初めてならば、館内の説明をしますが?」
事務カウンターの中には、一人の男性。歳は三十前後かな? 茶色の髪を綺麗に整えて、細長い眼鏡が知的な感じの男性だ。ステータスカードをアイテム化して提示する。利用料を渡すと引き換えに、入館許可証を貰った。出るときに返すことと、教えられる。
「はい、受付完了です。館内の説明をご希望ですね。ああ、この街に来たのは初めてですか? ケイさんは詩人でしたか。であれば、楽譜や資料等はバードギルドより蔵書は落ちてしまうかもしれませんが。それでもいいでしょうか」
館内の案内を頼めば、まずはと簡単な説明を受ける。身分証を返す時に、職業を見て親切に教えてくれた。事務カウンターでは、書写用の道具も販売している。既にメモ帳が終了しそうだったので、一冊白紙の本を購入しよう。
「はい。他のことを調べに来たのですが……魔術関連と精霊魔法の事を知りたいのです。特に精霊語の事を書かれた本はありませんか?」
「精霊語?……はい、少しお待ちを。なかなか珍しい分類なので」
魔導語の書籍は揃っていると言いながら。……ええ、不人気でしたっけ。男性は分厚い目録を取り出して、調べだす。調べたい事は沢山あるが、まずはリーナさんの情報が気になっていたのよね。
「ありますね。ただ……言語が。元々精霊魔法を記述した本は、他の魔法に比べると多くありません。特に人族が書いているとすれば。関連書籍はあるとすれば、これだけですね。ただ、読めれば……ですが」
事務の男性は申し訳なさそうに、目録の一箇所を指さしてくれた。そこには、数冊の本の名前が並んでいる。タイトルと著者名を見ると……見知らぬ文字。読めない。なんてこった!
「この著者はドワーフの方ですね。あとはエルフの方が書いた本もあります。言語がわかりますか?」
え、今なんていったの――?! ドワーフ、エルフと受付の男性は、当たり前のように言った。おもわず男性の顔をまじまじと見つめてしまって、逆に驚いたように見られてしまった。
「ドワーフ、エルフ……いるのですね」
「ええ、この街にはいませんが……もっと大きな都市だったり、彼らの居住圏に行けば。あぁ、ケイさんは、彼方からの旅人ですか? 随分遠い場所からと……そこには住んでいないんですね」
「ええ、人族だけです。いえ、そういった種族がいることは、話には聞いていたのですが」
「なるほど……人族と大きく関わりある種族は、ドワーフ、エルフ。それに一部の地域では、コボルドもいますね。人があまり行かない地域には、古くからの種族もいると聞いてます。流石に私もそこまでの言語は知りません」
ファンタジー小説やゲームの中だけどね。嘘はいってないと思うわ。それにしても、新しい情報に少し興奮してしまいそう。だって、いるのよ? ドワーフもエルフも! それに、コボルドって……あのモフモフの種族よね? ファンタジー世界だけだった住人達が、この世界には存在するのね!
あまりに驚いていたせいか、受付の男性は情報を付け加えてくれる。まって、ドキドキして思考が追い付かないわ。
「そうですか。私達の良き隣人ですよ。もし詳しく知りたいならば、彼らの文化等を伝える共通語の本もあります。よければ、ご案内しましょう」
「ありがとうございます。けれど、探している本は共通語ではないのですね。辞書はありますか?」
勿論、彼らのことは知りたい。ファンタジー小説では定番と言っていい程の住人達だ。ドガ兄弟にも教えてあげなければ。昨日、酔った勢いか言ったのよね。ドワーフ種族が憧れだったと。
「ありますよ。けど、根気がいりますよ? 読めるようになれば、色々な本を読むことはできますが」
「ええ、本を読むのは苦になりませんので」
「それは良い事です。詩人の方は、色々な言語に通じていたほうが仕事の幅も広がりますしね。おすすめしますよ」
本を読むのは好きだ。子供の頃にファンタジー小説に衝撃を受けてから、世界の古今問わずファンタジーの本を読んだわ。一番好きなのは、やっぱり指輪が出てくる話よ。
それから、色々本を読む楽しみも知って、結構な本の虫だと思っているわ。原書を読みたくて、いくつかの言語を勉強もしている。
そして、受付の男性のアドバイスは、もっともだと思う。リアルを旅行したとき、その土地の言語がわからなくて損をしたこともあった。
色々な人に歌を聞いてもらう詩人は、そういう知識に秀でていてもわかるような気がする。
学ぶのは大変だけれどもね。学生時代の勉強を思い出す。ゲーム内でも勉強要素があるなんて。
「では、館内をご案内しましょう……私は図書館司書のルインといいます。ケイさん」
図書館司書だというルインさん。館内を案内しながら話を聞くによると、さまざまな言語を習得しているらしい。さすがだと思ったわ。共通語以外に覚えておくと良い、いくつかの言語も教えてくれたけど……頭がいっぱいになりそうね。
まず、第一の目的の<精霊語>の本。目的地だから、館内の案内で最後に場所を教えてもらった。
「さてと……これは、大変だわ」
館内はリアルの図書館のままかな? 少し湿った紙の独特の匂い。本棚が分類ごとに立ち並んでいる。
この図書館の規模は、中規模には少し足りない規模らしい。自由商業都市ラギオスには、もっと大きな図書館があるという。ぜひ、行ってみたいわ。
本棚に囲まれるように、木製の長方形型の机と椅子が並んでいる。数人が読書や書き物をしていた。
空いている席へ、教えて貰った数冊の本を持って移動しよう。
辞書サイズの本が5冊ね。読むのにどれぐらい時間がかかるかしら? 速読の技能が実に欲しい。
この世界で書籍は普及しているらしい。けれど、個人で所有するには、少々貴重品とのこと。その為「書写ギルド」は、必要な文を書写することも仕事でやっている。これは、私がこの地の旅人じゃないと知って、ルインさんが教えてくれた。
まずは、共通語の辞書を開いて……ドワーフが書いたという<精霊語>に関する書物を開く。隣にドワーフ語の辞書を開いて、単語を調べる。……。一頁も進まない内に、早くも私は心が折れてしまったわ。
甘くみていた。リアルでは、この方法でなんとか意味を拾えたのだけれども。
まず、未知の文字すぎて単語がどこまで単語なのかが、判別できない。文法もさっぱり規則性がわからない。思わず、開いた本へ突っ伏そう。……溜息を吐き出す。最終手段ね。元々考えていたことだけど。
ステータスカードを開いた。そして、見るのは残っている技能習得ポイント。
この数日のプレイで、楽器演奏を初め技能のレベルが結構あがっていた。技能が5レベル上がる度に、ボーナスポイントを得ることができる。
そして、技能にそのポイントを振ることができる。初期で選択できるものから、ゲーム中で新しく発見した技能。それぞれ新規取得として振ることができた。
改めて見れば、新しい言語の技能が増えていた。それは、ドワーフ、エルフ、コボルトの言葉だ。知ったことによって、取得できることになったのだろう。だから、私は―――
『<精霊語><ドワーフ語><エルフ語>を取得しました』
言語技能、取ったわ――! 取ってしまったわ。少し息を吐いて、気分を落ちつけよう。
何を取るかずっと保留にしていたのだけれども……<精霊語>はリーナさんから話を聞いて、取る予定だった。他の二つは、思い切ってとってみたわ。言語関連の技能って取る人いるのかしら?
取得技能が、一般プレイヤーと違うことは自覚している。けど、ルインさんが言っていたように、吟遊詩人て色々な場所を旅するからね。言語は絶対いると思うし……なんたって、ドワーフとエルフと自由に語れるのよ? 取るしかないじゃない。そう、自分に言い聞かせよう。
「さて、技能でどれだけ違うのかしら……おお?」
そんなに変わらなかったら、どうしようと不安が翳るけれども。取得前より文章が頭に入ってきた!
先程までは、まるでパズルのように、文章を解いていたのだけれども。取得後は違った。
文章として情報が入ってくる。けれど、一部一部が虫食いのように、文字が単語として頭に入ってこないのは、技能レベルが関連しているみたい。
日本語で言えば、難しい漢字や熟語みたいなのが、今は読めないといったことかな? だったら、その場所は辞書を引けば大丈夫な……はず。そうと理解すれば、あとは読み進めるだけね。
雨の音を聞きながら、私は暫し読書に耽ることにした――