6.酒場で奏でる夢
広場の石畳が茜色に染まっていく――広場に面した建物の白壁をも染めて……嗚呼、綺麗。
噴水の縁石に設置されたベンチに腰を掛けたまま、リュートを爪弾く。この場所を私は気に入っているみたいだ。噴水からの水音と涼やかな空気が気持ち良くて……仕事から帰る人々の雑多な音に音色は溶けていく。
精霊魔法の訓練で精神力……MPを使い続けて、枯渇寸前になり貧血みたいになった。MPは安静にしていると徐々に回復するので、一休み。MP=精神力なので完全の枯渇すると虚脱状態になる。
少ない時に消費量の多い事をすると気絶する事もあると、冒険者ギルドの魔法指導者からも教えて貰った。ほぅと溜息を吐き、眺める街の景色。行きかう人々の交差する伸びる影は影法師のようだ。
広場の噴水の周りに集っていたプレイヤーの姿は少なくなってきている。夜になると街の門が閉められる。夜間に狩りを安全にする技能を持つプレイヤーはまだ少ないのだろう。
現実と違って、頼れる明かりは少ない。<夜目><野営>等の技能が必要となるかもしれない。
私が初期技能で取っている<野営>は街の外でもセーフティエリアを作る技能だ。セーフティエリア以外はログイン、ログアウトが安全にできない。ログインしたらいきなり魔物に襲われたりとか、起こりえる。そうテストプレイヤーからの情報の一つだ。
また夜間、言葉通り野営をする際、魔物から見つかりにくい効果もあるらしい。パーティを組めば全員に影響があるとのこと。便利そうに見えるが、ぶっちゃけ不人気だ。使用について、テント等宿泊道具がいるということと、初期のうちにそこまで技能を優先してとるのも、という訳だ。街に戻った方が早いってことね。
私としては、旅には必要だと思ったから初期技能に組み込んでおいたのだ。役立つと思いたい。テント類も街の外に出る前に用意しないと。うぅ、旅装備を揃えるにも費用がかかりそうだわ。楽しいけどね!
冒険者ギルドで精霊魔法の練習に時間を費やし、<精霊魔法>の技能が少し上がった。実戦でも上手く使えればいいけれど。精霊はとっても気まぐれだという。リーナさんは言っていた。
<精霊魔法>は<魔術>に比べると、学ぶ人は少ない。<魔術>は<魔導語>と呼ばれる、この世界の古の文字によって使われる。所謂「力ある言葉」だ。
言葉自体に魔力が含まれ、魔導語を組み合わせることによって、魔力が力を持ち魔術として具現化する。また<魔術>以外にも記号みたいな感じで、護符や建物の魔除け等、物質に魔力を持たせるために使われるという。専門技術がいるらしいけどね。
研究は進んでいるので、定番の「言葉の組み合わせ」は、配列が決まっている。これが呪文らしい。
間違わなければと発動される。例えば、炎の弾なら「火」「圧縮」「発射」等言葉を組み合わせるそうだ。
<魔術>技能のレベルが高いほど、使える言葉の数、制御力や威力が上がるという。高名な魔術師は、自ら言葉の組み合わせを見つけ、使うことができる。
反面<精霊魔法>は、創造神が生み出した精霊の力である。助力を願うという……曖昧さが不人気の要素らしい。その場にいる精霊しか力が使えないしね。しかし、自然という大きな力を借りることができる。また、規則がない自由な力が臨機応変さに優れている。だから、一定の使用者はいるとのこと。リーナさんは魔術も学んだが、精霊に好かれやすい性質で精霊魔法使いとして熟達したという。
しばし、教えて貰ったことを反芻してから、リュートの演奏を止めた。大分MPも回復していた。教えて貰ったことはメモに書き留めている。職業がらメモ魔である。そろそろ「道草亭」に戻らないといけないけれども……
ふと、何かに惹かれるように噴水を見れば――
「ああ、貴方達だったのね……」
夕日に染まる噴水の水面に踊る水飛沫。細やかな水粒の合間にチラチラと覗く光の粒。
「水の精霊……」
昨日、噴水で見たものは精霊だったと。その存在を信じることが、上達の近道と教えて貰った言葉がリフレインした。
「近くにいるのね。それがわかっただけで良かったわ」
この世界には精霊が存在しているのだと。上達すれば精霊の形がきちんと見えるという。まだ、曖昧な形でいるとしか感じることができない。またね、と胸の内で告げて。「道草亭」へと向かった。
「道草亭」は開店前。酒場内に入ると肉の焼ける匂い、野菜を切る音が複合した美味しい食事の気配が満ちている。あぁ……空腹度なんて関係ない。お腹が減ってしまうわ。お肉たっぷりでもカロリーを気にしなくていいしね。お酒もよ? そういえば甘味をまだ食べてないわね。これは食べなければ。
準備中のマスターに、詩人ギルドで資格を取った事を告げる。約束が果たせそうかな?
夕食の仕込み中のマスターの手が空いたのを見計らって、私の演奏を聴いてもらおう。
促されるままに幾つか曲を聞いて貰う。まだ少し恥ずかしさもあるが……大分慣れてきた。選んだ曲は、この地のよく歌われる軽快なリズムの民謡。切ない響きの恋歌。そして、私の好きな曲。エリザさんにも聞かせた曲……愛を語る曲だ。
仕事でクライアントにプレゼンする時みたいな緊張よ。けど、なんだか楽器を弾くのは心地よいわ。
今、私は……詩人として、酒場で歌っているのだ。
「なるほどなぁ……上手いかって言われれば、手放しで褒めることは出来ないが……やはり演奏があると客が喜ぶもんでな。それにケイの声、俺は結構好きだな。上手すぎないところがな? ギルドで決められた賃金でよけりゃ、お願いするよ。なんたって女のバードは珍しいし、遠い所から来たっていえば、なおさらだ。俺も聞いてみたいしな」
物珍しさも及第点に入っていたらしい。私の演奏を聞き終えたマスターは、最後は冗談めかして笑った。笑うとマスターの厳つい顔がより厳つくなるけれども、こう気持ち良い雰囲気の人なのよね。
色物感も感じるけれども……今はいいかな。腕を磨いていけばいいしね。夢だった、酒場での詩人としての演奏! やばいわ。ちょっとテンション上がってしまって、そわそわしてしまう。そんな私を見てマスターはまた笑った。子供っぽくて恥ずかしいけど……そうだ、雇用されたら相談してみようと思ったことがあった。
「マスター、本格的にここで演奏する日だけど……ここでの宿泊をお願いした日でいいかしら? 旅する目的に、色々なものを見たいこともあって、外で過ごすことや、酒場の時間に来られない場合もあるといけないから」
リアルでの用事でログインして来られない場合もあるし、野外での活動をするようになればと、考えていたから心配だったのだ。
「ああ。なんだ。日払いみたいなもんだからな。バードは流れのヤツが多いし、バードギルドに雇用証明書を出しておく。その条件を日払いにしとけば、問題ない」
「助かるわ。精一杯、演奏させてもらうわ。マスターの好きな曲は何かしら……何曲かこの土地の曲を覚えてきたから。応えられればいいけれども」
リクエストはあるかな? バードギルドで借りた楽譜で覚えた曲。主にこの土地の人々が、子供の頃から知ってるような民謡を先に覚えた。これは私の趣味でもある。
その土地に昔から伝わる曲って、意味があったり、子供の頃から聞いているから、みんなの耳に馴染んでいるよのね。酒場でもそうかなと思ったのだ。
一度楽曲を下手でも引けば、<楽器演奏>技能のおかげか、思い出して弾ける。ただ、上手い下手かはそれなりだ。何度も弾かなければスムーズに演奏できない。そんな時間は苦にならない。他の職だって同じことだろう。好きなことなのだから。
マスターのリクエストを受けながら、酒場の開店を待つ。今日のお勧め料理は串焼きらしい。毎日その日に安く仕入れることができた「肉」を、その日のメイン料理にするらしい。何の肉か分からないのが多いのだけど……料理の腕は良いと思うわ。料理の食材を<鑑定>して後で食材を探すのも楽しみなのよ。
私が演奏することになった「道草亭」の建物内は、1階が酒場だ。扉を潜ってすぐの場所に、右側にL字のカウンターが設置されて、奥の厨房と繋がっている。カウンターの前は丸椅子が並んでいる。
左側の空間には卓と椅子が並んで、15人程座れそうだ。年季の入った木造建築は、床がすり減っていても磨かれて味のある飴色の木目。壁は薄茶の壁紙が張ってあって、提供される品を書いた紙が幾つも貼られている。私が演奏する為に座る椅子は、カウンターの一番隅、壁際の席。店内を一望することができるの。
やがて仕事を終えた住人達が酒場へ流れてくる。この店は西の商店街に近いせいか、商人達やその従業員が客層に多いらしい。あまり酔漢が暴れることもないそうだ。逆に冒険者ギルド付近の酒場は、傭兵や冒険者が多い。酒場の雰囲気も好まれる曲も違うかもしれない。
「おや、女のバードかい?」「見習いかい……珍しい曲だな」「姉ちゃん。今度一緒に遊ばないかい?」「へぇ、一曲何か弾いてくれ」「ああ、あの歌を知っているなら、是非、演奏してくれませんか」
グラス片手の客が赤ら顔で、代わる代わる寄ってくる。学生時代、旅費を稼ぐ為に飲食業界でもバイトをしていた。酔漢相手は平気だ。寧ろ、ゲームでも異世界の住人である彼らと話すのは、見知らぬ土地に居る実感で面白いわ。
そして、バードらしいことができて、思わず……やっぱりテンション上がっていたかもしれない。
テンポの良い曲をと言われて奏でたのは、運動会でよく踊られるフォークダンスの曲をアレンジしたものだ。踊りたくなる曲って言われたから、つい。
「ぶふッ」
おや……曲を聞いた、カウンター席に1人座っていた男がエールを噴いた。勿体ない。先程、酒場に少し草臥れた様子で来店した男だ。何やら言いたげな視線で私を見て……演奏が終われば、歩み寄ってくる。
「あぁ……なんだ、アンタ、プレイヤーだったのかい」
そんな言葉が探るような感じで。因みに男の視線は、椅子に座る私と同じぐらい。そう背丈が低いのだ。一見樽のような体型だが、筋肉質でどっしりとしている。
黒色革の胸当と頑丈そうな革のブーツ。その顔は白髭に覆われている。容貌も髭に似合うような老齢といった風情は、まるでファンタジーの定番のドワーフのよう。思わず、貴方こそ、と聞き返したくなってしまうわ。けど、ドワーフはプレイヤーに居ないから違うけどね。言葉からもきっとこの人はプレイヤーだ。よくぞ、ここまでアバターをカスタマイズ作成したと思う。
「ええ、そうよ? 詩人のケイよ。貴方は?」
笑みを浮かべて、名前を告げることで、プレイヤーとしてのアイコン表示が彼にされるだろう。
お、初プレイヤーとの会話だ! 寧ろ、ゲームを初めて大分経つのにNPC、住人としか話してなかったわ。
ドワーフのような男は、ちょっと気まずげに頷いた。ガリガリと頭を掻けば、小さく会釈。
「儂はドガという。すまんのぅ……酒場にこんなに馴染んでいるから……住民だと思って、不意を突かれたんじゃ」
男の口調は容貌に合ったものだ。違和感がないのは、いつもの喋りなのか。それとも口調を姿に合わせてるかもしれない。これだけリアルなゲームなのだから、ロールプレイも楽しいと思うわ。役をするのは、ゲームを楽しんでいるなって思う。
「ふふ、馴染みの曲が聞こえて? 驚かせてしまったかしら。よければ、座って頂戴。マスター、エールを2杯! 少し休憩させてもらうわ」
「む? これは?」
座っていた席の隣は空いている。座るように促す。マスターには、少し休憩することを告げて、エールを注文して受け取った。ドガさんに差し出せば、困惑した様子。先程、驚かしてしまったみたいだし、歌い続けていたから喉が渇いていた。今宵の一杯目は、まだだしね。
「少し休憩したいから。付き合って貰える? 一人でもお酒は美味しいけれども、話し相手がいると尚更よ」
「では、喜んで頂こう。しかし、バードか……」
「リアルじゃできないことをしようと。……バードとして各地を巡るのも楽しそうだと思ったのよ。ふふ、プレイヤーと話したのは、ドガさんが初めてね」
「ドガでいいぞい。確かに面白そうじゃ。儂は職人をしたくてな。裁縫職人を主に色々やる予定じゃ」
「職人なのね。生産関連は、どういう感じなのかしら……私も趣味がてら<料理>はやってみようと思っているけれど」
マスターに追加で、チーズの盛り合わせを頼む。結構、癖の強いチーズが出てきたわ。好物なのよね。ついでに、今日のお勧め料理をドガの分も合わせて注文をする。夕飯も済ませてしまおう。
「まず、材料が足りんのじゃ。素材を街の市場から購入するにも、初期所持金じゃ買える数は決まっていて厳しい。物が作れんと金も入らん。さらに、討伐に人気のない魔物の素材は流通がまだ少なくてな。特に織物関連が……魔法系技能職には人気があるんじゃが。人気の魔物の革は結構集まってきているんだがの。これもそうじゃ」
エールをぐいっと飲み干したドガは語り、黒革の胸当てを指さした。自作の作品のようだ。そして、いい飲みっぷり。ドワーフみたいに酒好きなのかな。しかし、生産も大変な様子だ。頷いて話を促す。
「テストプレイから参加していたが、その時は市場で賄えたんじゃ。足りない分を、自分でも集めようと思ったんじゃが……なにせ技能の半分以上が生産関連でな」
なかなか厳しいと深いため息を零す。初期技能で戦闘技能を揃えてないと、初期装備では、効率よく狩るのは厳しいのかもしれない。私もだけれども……
「はい、おまちどう! 今日のお勧めは、ビッグシープの串焼きだ」
マスターの威勢の声と共に差し出されたのは、まさしくラム肉のような肉の串焼きが2皿。肉と赤い玉葱みたいな野菜が、塊で交互に刺さっている。付け合わせに小さな固めのパン。一本でもボリュームがあるなぁ。肉の香ばしい匂いに、エールの2杯目を即座に追加した。その肉料理を見て、微妙な表情をドガは浮かべた。
「これじゃ……こやつの毛が欲しくてなぁ。毛が大量にあれば、初期より良い布類装備が作れる。しかし、今日散々にやられてな。くそぅ……食ってやるか! ケイ。有難くいたたくぞい」
羊の毛……確かに色々使えそうだ。寧ろ、毛を紡いで糸から始めなければ行けないと、ドガは言った。このゲーム。リアルを追求してるにも程がある。一度作成すれば、レシピ作成で一発でできるようになるらしい。糸紡ぎも、言葉だけなら楽しそうな雰囲気よね。
「どんな生き物なの?」
「ああ、奴らはな……魔物化した羊だ。名前どおりの」
ドガがエールのグラスを傾けながら説明を始めた。メモ帳を取り出して聞き留める。
魔物化、このツインズでの魔物が魔物と呼ばれる原因だ。
魔物については、ゲームの説明書には魔石の影響を受けた生物とある。魔石の影響を受けた生物は、その影響で凶暴化や変化を起こし、本来の姿を失う。
また繁殖も可能であり、魔物同士が喰らいあって、より強い魔物が生まれることもある。
魔石は急に生まれたりすることもあり、それに影響を受けた生物が魔物化するのは災害のようだという。
魔物については説明書には書かれているが、その魔石についての説明がない。しかし、私は詩人ギルドで読んだ曲の中で、魔石について知ることができた。それは神話を紡いだ歌だ。その中で語られていたのだ。
詩を要約してみれば、魔石とは……この世界の創造神の産物である。このツインズは、双子の神の世界。
創造神と呼ばれる存在は、双子神だ。神話では……ある時、双子は諍いを起こして傷つけあってしまう。
その時に大地に空に海に……神の血肉が降り注ぎ、悪しき塊になってしまったもの、それが魔石だ。
魔石、または「神の瑕」と呼ばれる。これに影響受けたのが魔物。
この諍いの話には続きもあり神話は続いていくが、その曲で知ることができたのは一部のみだ。人の争いを神の争いになぞらえ、嘆く曲だったけどもね。神話もなんだか、この世界の秘密に思えてくる。調べていきたいところね。勿論、好奇心よ。
ドガはよほど鬱憤が溜まっていたらしい。今日一日ビッグシープを狩っていても、毛がさっぱり集まらなかったらしい。このゲームは魔物を倒すと、戦利品がドロップとしてその場に落ちる。
それが、肉肉肉、ラム肉祭りだったそうだ。毛はレアらしいとぼやいて……3杯目のエールに手を伸ばしていた。ふと、その話で考え付いたことがある。試してみたいと思って。
「よければ、私も狩りに同行させてもらえないかしら? 一応、戦闘技能をとっているのよ。猫の手になればいいけど」
「おお、人手があるのはありがたいのぅ。では、待ち合わせて……いつがよいかの」
狩りの打ち合わせを交わした。丁度、実戦経験を積むのには良いかもしれない。
ドガとは「フレンド」登録をした。言葉通りゲーム内のコミュニケーションツールのシステムだ。
ここら辺のシステムは他のゲームと一緒ね。これでいつでも連絡が取れるだろう。
いつも一緒に狩りをしていた知人も連れてくるという。街を出るのも初めてなので、楽しみね。
2杯目のエールを空ければ、まだ食事をするというドガからリクエストを1曲受ける。
他の客からも求められるままに、閉店になるまで……リュートを爪弾いた。