怪談 3 【解答編】
解答編です。よくお考えになって、この先へ進んでください。
職員室へ行く途中、春山には昇降口で下靴から上靴(学校指定のスリッパ)へ履き替えてもらった。
「よし、じゃあちょっとここで待っててくれ」
「賀茂はどこに行くんだ?」
「言ったろ。職員室だ」
「私にも行かせろ!」
なぜか春山はついてきた。
「昼間から訳の分からんことばっか言ってたからな! 賀茂の行動は全部監視させてもらう」
その訳のわからんことを言ったのは探偵なんだけどなあ……。
階段を上がってすぐのところに職員室はある。鞄を肩から降ろしてからコンコンとノックする。
他の教室と違いやたらと立て付けのいい扉を開いて、俺は足を踏み入れた。
「失礼しま――」
「失礼します!」
俺の声は後ろからのバカでかい声によってかき消された。春山は中までついてくるらしい。それは困る。
「春山、頼むから俺一人で行かせてくれ」
「なんで?」
「あとで教えるから」
「じー」
完全に怪しまれている。
「……今度なんか奢る」
「! そこまで言うなら……まあ」
春山はニコニコして扉を閉めた。くそ、なんで俺が気をつかわにゃならんのだ。
俺は職員室内に残っていた先生の一人に声をかけると、用意してあった建前を述べた。名前も知らないその先生は、何の疑いもなく鍵を渡してくれた。物理講義室の鍵である。
さて、ここからは時間との勝負だ。
俺は少し急ぎ気味で職員室を出た。外では春山が直立不動の姿勢で待っていた。
「何してんだ?」
「いつ先生がお通りになるか分からないからな。こっちは賀茂みたいにお気楽じゃないんだよ」
「お気楽で良かったよ」
運動部のノリはどうもよく分からない。大変そうだということは分かった。
俺たちは再び階段を下りて、昇降口まで戻ってきた。
「なんだ? またここか」
「だから待ってろと言ったんだ」
春山は、ますます訳が分からないといった顔をした。
「一体、どこに行くんだよ」
「だから物理講義室だ」
不審そうな春山をおいて、俺は道を急ぐ。春山はあわててついてきた。
昇降口から、中庭を望む通路に出てすぐのところに物理講義室はある。物理の授業で、映像を見せるときに使うらしい。小さめの部屋だ。
扉の前に来た時、俺は春山に向き直った。
「春山。今から謎解きをする」
「朝も言ってたやつだな。でもなんでこんなとこまで連れてきたんだ?」
妙に警戒した態度の春山。確かに、今まで何も言ってなかったからな。
「まだ太陽は沈んでないから、この通り周りは明るい。だけど、今この部屋の中は遮光カーテンが引いてあって、真っ暗だ。豆電球をつければ、多少は見えるようになるがな」
「そ、それがどうしたって言うんだよ」
「まるで、夜みたいだろう」
そう言うと、春山は明らかに顔をひきつらせた。その反応は探偵が言ったとおりだったが、俺は少し驚いた。
「まさか、賀茂、お前……」
「春山が考えている通りだ。昨日お前が見た『影』を、今から見せてやるよ」
そう言って、俺は扉を開いた。鍵はかかっていない。
「お、おい、それはまずいんじゃないか……。あ、教室に二人っきりが、って意味だぞ?」
「大丈夫。この扉は空けておくから。真っ暗だと怖いだろ」
いきなり後ろから殴られた。なんだよ。それに、それくらいでちょうどいい明るさだったんだよ。
俺は、近くの机に鞄を置いた。そのまま目を凝らして所定の位置まで行くと、春山に目をつぶるよう指示した。春山は、何も言わずぎゅっと目を閉じたようだった。これも、探偵の予想通り。
俺はスイッチを入れて、また入り口まで戻った。照明の豆電球を付けてから、再び春山に声をかける。
「開けていいぞ」
春山はびくっと肩を震わせたあと、恐る恐る目を開けた。思わぬ明るさに目をそばめ、そして――。
「っ!」
春山は声にならない悲鳴を上げた。
春山の視線の先、教室の床には、直径二メートルほどの黒い「影」があった。まるで床に空いた穴のようにも見える。
俺は春山を置いて、その「穴」まで近づいていく。
「おい、賀茂!」
春山が止めるのも聞かず、俺は、その「穴」に足を踏み入れた。
わあああ! ……と、吸い込まれるふりなど、したりはしなかった。大声も出さなかった。
俺は、少し反省していたからだ。こんなに春山がおびえるなんて思っていなかった。
「春山、こっちに来るんだ」
春山はうつむいたままだが、近づいてきた。だが、あと一歩のところで立ち止まってしまった。
探偵の言うとおりにするなら、春山はこの影の中に入らなければ、真実を理解することが出来ない。ここまで怖がるとは思っていなかった。どうすれば――。
――これは、カモさんがやるべきことです。
「大丈夫だから、春山」
俺は出来る限り優しく、手を差し出した。春山がこちらを見る。俺はまた、心がチクリと痛んだ。
春山は俺の手を取って、真っ暗な円の中に入った。そして、彼女も俺と同じものを見たはずだ。
「……鏡?」
「さて――」
俺は、謎解きの根幹だけを話すことにした。そろそろ時間だ。
「昨夜春山が見た謎の影の正体は、鏡――カーブミラーだ」
「カーブミラー?」
春山は再び、俺があらかじめ取り付けていた鏡を見た。高校生の男女二人が、手をつないで立っている。
俺と春山は、ほぼ同時に手を放して距離を取った。
「あ、いつまでも、ごめんな、賀茂」
「いや、い、いいよ、春山。ちょっと、あのライトまぶしいから、外してくるわ」
俺は、これまたあらかじめ棚の上に置いていた卓上ライトを取りにその場を離れた。これは街灯の代わりだ。
「よし、続きは後で話す! とりあえずここを出よう」
「そ、そうだな! 賀茂と二人っきりでいて、誤解されたら嫌だからな! ははっ!」
春山はそそくさと教室を出て行った。片付けくらい手伝えよと思ったが、いつもの春山にどこかほっとしている自分がいた。
ライトと鏡を元の場所に直した。戸締りを確認し、照明を消してから扉を閉じた。職員室から借りた鍵を使ってちゃんと施錠する。
ドアの横で、春山が待っていた。一瞬帰ったのかと思ったが、そうもいかないか。
「で、ちゃんと説明してくれるんだろうな、賀茂」
「ああ、分かってるよ。でも、もうだいたいは気付いてるんだろ?」
ズバリ、答えも言ったしな。春山もそこまで察しが悪いこともないだろう。
「それとこれとは別だ! 説明責任があるだろ!」
春山がドアをバンとたたいた。暴力反対。
「わ、分かったから。とりあえず帰ろう」
俺たちは、再び昇降口へ向かう。途中、俺は鍵を返しに行くために一人職員室へ向かった。
急いだおかげもあってか、変な顔をされることもなく、無事に鍵を返すことが出来た。俺は職員室から出ると、昇降口とは反対側へと歩き出す。実はこっちからも帰ることができる。
なるほど俺はへたれ野郎だ。春山に事の詳細を説明するという面倒事を避け、逃げようとしている。春山に黙っていたいあのことも、追及されそうだし。
ただ、結局俺は、予想外の春山の反応に動揺しただけかもしれなかった。あんな春山を忘れてしまいたいだけかもしれなかった。
廊下の突き当りから階段を降りると、そこは午前中に話題になった家庭科教室前だ。電灯が付けられておらず、この時間はいっそう不気味だ。
個人的にも苦い思い出のある場所なのだが、仕方がない。
怖い話なんて信じない俺でも、神妙な気持ちで階段を下りていると、いきなり後ろから肩を掴まれた。
「ひやっ」
と情けない声が出て、振り返ると……春山だった。鬼のような顔で俺を睨め付けている。
「よ、よう春山。どうしてこんなところに――」
「とぼけるなよ。このまま突き落とされたいか」
「暴力反対!」
そんなことされたら死ぬかもしれない。そのまま家庭科教室前トイレの霊なんかになったら大変だ。
でも、一人で帰ろうとしたって、どうしてバレたんだろう。
「どうして? って顔してるな。下駄箱にお前の下靴がなかったからだよ」
「……あちゃあ」
「あちゃあ、じゃねえよ! 置き去りにしようとしやがって!」
言い逃れはできない。いっそ突き落とされるのもありかもしれないと思ったが、
「悪かったよ」
素直に謝ったら、春山はそっぽを向いて、「早く行くぞ」と俺を昇降口まで引きずるように歩いた。
昇降口について鞄から下靴を入れたビニール袋を取り出すと、春山が眉をひそめてこちらをにらんだ。手の込んだいたずらほど、バレたときの気まずさは大きい。今の俺がまさにそうだった。
「色々聞きたいことはあるけど、まず、なんでカーブミラーだって気付いたんだ? 実際に見た私も分からなかったのに」
春山がこちらを見ることなく尋ねてきた。声に怒気をはらんでいたので、俺は真面目に、探偵の推理を語ることにした。
『春山さんが見た影は、カーブミラーが街灯に照らされて出来たものだったのです』
探偵の言葉を、最初俺は簡単には受け入れられなかった。確かに、春山の話には街灯が登場していたが……。
(待てよ。カーブミラーって、三十センチくらいの大きさじゃないのか? それがどうしたら二メートルもの影になるんだ)
『簡単な物理の問題ですよ、カモさん。物体の大きさが同じでも、光源に近づけるほどスクリーンに映し出される影は大きくなりますからね』
つまり……街灯とカーブミラーが近い位置にあったってことか。
(そうか。蛍光灯を替えるとき、自分の手が床に大きく映し出されるのと同じか?)
『そんな感じですよ。もっとも、私が蛍光灯を替えるときは先に電気を消しますが』
一言余計だ。まあ、言いたいことは分かった。
(でも、じゃあどうして春山はカーブミラーの存在に気付かなかったんだ? 街灯があったなら暗くて見えないってことはなかっただろう?)
『そうですね。暗くはなかったでしょう。その逆です。明るすぎたのです。
光源が明るすぎると、その近くのものが見えなくなる時があるのですよ。
まあ、これは実際に再現した方が分かりやすいでしょう。放課後の段取りを説明しますね――』
探偵の言葉を遮り、俺は疑問の続きを口にした。
(待て。まだある。春山が気付かなかったものを、どうしてお前は気付けたんだ? どうしてカーブミラーだと分かった?)
『それも、ちゃんと春山さんの話に答えがありましたよ。春山さんが見た影は、どこにありました?』
探偵に言われて、俺は春山の話を思い出してみる。えっと、道路、墓地の近くの住宅地。それから……路地が交わった、三叉路。
(そうか、三叉路! おまけに細い路地だ。カーブミラーくらいあっても不思議じゃないな)
『ついでに言っておくと、春山さんがご友人から聞いたという、影に吸い込まれたモノの話。
あれはおそらく、街灯の光に引き寄せられた虫の影が地面に映ったものです。カーブミラーの陰に隠れて、あたかも吸い込まれたように見えたのでしょう』
俺は、帰り道を歩きながら探偵の推理を伝えた。当然、探偵の存在は口にはしない。頭がおかしい奴と思われるだけだしな。
春山は黙って聞いていたが、俺が話し終えても、まだ不満そうな顔だった。
「じゃあ、さっき教室で見た影も、同じものだったんだな?」
「そうだ」
春山は、実は昨日の時点で簡単に真相に気付けたはずなのだ。さっき物理講義室でしたみたいに、影の中に入りさえすればよかった。
そうすれば、カーブミラーを隠していた眩しい光は、カーブミラーそのものによって遮られたのだから。
春山は重ねて質問してきた。
「賀茂が用意したのか?」
「そうだ。けっこう大変だったんだぞ」
「どうしてそんなことしたの?」
春山がいきなり立ち止まって聞いた。その表情が、感情を伴わない、ひどく冷たいものに思えた。俺は咄嗟のことで、え、と口から音が洩れる。
「えっと、それは実際目にした方が早いから……」
「それにしては凝り過ぎじゃないか?」
春山はまた歩き出そうとする。
そうだ。俺はまだその理由を探偵から聞いていない。俺がやるべき、と無責任なことを言われただけだ。
そもそも、これは探偵が言い出したことだった。俺は、ずっと、ここまでやる必要があるのかと心のどこかで思っていたじゃないか。
いや、本当にそうか。あの春山を見た今でも、同じことが言えるのか。
一瞬考えてから、俺は後ろ姿の春山に向かって、口を開いた。
「……」
だが、言葉は何も思い浮かばなかった。
春山は突然「あー!」と思い出したかのように叫び、ものすごい勢いで振り返った。
「ていうか賀茂、何であんな教室知ってたんだよ。授業で使ったことなかったよな」
いつもの春山の顔だった。俺は唇を潤してから、
「俺も今日初めて入ったさ」
「は?」
「たまたまいい感じの教室が開いていたから使っただけだ。ほら、春山と一緒に職員室へ鍵を取りに行っただろう。適当に『忘れ物したんです』って言っとけば、鍵貸してくれるからな」
あ、これ内緒だぜ? と笑って付け加えたが、春山はまた怖い顔に戻っていた。
「嘘つくなよ」
「嘘はついてないさ」
「……先生に話すぞ」
「好きにしろよ。俺はどうせ評判悪いし」
「じゃあ紗妃にでも調べてもらうか」
春山の言葉に俺は凍りつく。杉本、だと?
「あれだけ文化部に入ってたら、一つくらいあの教室を部室にしている部があって、そこから情報が入ってもおかしくない――」
「ごめんなさい、嘘ついてましたごめんなさい!」
俺は土下座をしそうな勢いで頭を下げた。杉本にバレるのはまずい。
「はあ、そんなことだろうと思ったぜ」
春山の呆れたような声が聞こえる。が、表情はうかがうことはできない。よりによって杉本とは、こいつ全部分かってるんじゃないのか。
顔を上げると、春山はもう前に向き直っていた。
「どうして嘘って分かったんだ?」
「逆にあれで嘘がバレないって考えるほうがどうかしてるぜ。嘘つく時の賀茂は……いや、これは言わないでおこう」
何それ怖い。
続きを期待してみたが、春山はもう喋る気はないみたいだったので、俺は正直に真相を話すことにした。
「たまたまあの教室が開いてたってのは嘘だよ、確かに。
だけど、今日初めて使ったっていうのは本当だ」
けげんそうな顔をして、春山が振り返った。
「ただしさっき春山と入った時じゃなくて、怪談研究会を見学した時、だけどな」
探偵から提示された謎解きの場所は、怪談研の部室だった。杉本が、今日の放課後に怪談研の集まりがあると言っていたのを受けてのことだろう。
怪談を語り合うなら、中を暗くできる、遮光カーテンがあるような部室は都合がいい。影を作るデモンストレーションを行うのにも。
その計画は、あの探偵らしい、若干軽犯罪の臭いがするものだった。これだから嫌なのだ。あいつにはどこかモラルの欠如したところがあるからな。
まず、杉本を仲介して怪談研の「集い」へ参加する。この口実は、すんなり思いついた。
「杉本、放課後の怪談研の『集い』、俺も参加させてくれないか?
さっきの休み時間に春山が邪魔したせいで語れなかった俺の『とっておき』を披露したいし、文芸部員として興味もあるから、見学みたいな形で。どうだ?」
部活大好き杉本さんは快く橋渡しを了承してくれた。というか飛び上がらんばかりに狂喜していた。
自分が所属する全ての文科系クラブに対してそんな思い入れがあるのかとドン引きする半面、良心の痛みを覚えずにはいられなかった。せめてもの償いと、『集い』ではとびっきりの怪談話を披露したぜ。
『集い』の終了時刻までは探偵は知らなかったが、それは些事だった。少なくとも、春山の所属する剣道部よりは早く終わるだろうという判断からだ。春山がフリーになるまでに、準備が出来さえすればよかった。
ただ、いくら『集い』に参加できても、怪談研の面々がいる前で準備をするわけにもいかない。かと言って、『集い』終了後に部外者が一人で居残れるはずもない。施錠は責任者が行うだろうから。
ここからが、すごく心が痛んだところだ。探偵はまったく気にしていなかったが、俺も決して平気だったわけではないと主張しておきたい。言い訳がましいが……。
俺は、最後戸締りする段になって、教室の後ろ側の扉の施錠を、ごく自然に買って出た。みんなは、教室の前側の扉からでていく。怪談研の人が鍵を使って施錠したのも、前側だ。
俺は、後ろ側の扉の鍵を開けておいた。後から入れるように。
それから俺は一旦、怪談研の人たちと帰るふりをして、また物理講義室前へ戻ってきた。
後ろの扉から中に入り、『集い』の最中に確認しておいた卓上ライトをあの位置に置いた。カーブミラーの代わりは、丸い手ごろな大きさのものなら何でもよかったが、ちょうどいい鏡があったのでそれを使った。ガムテープでちょうどいい位置に固定するのには手間取ったな。
準備を終えた俺は、ここから剣道場の方へ向かった、というわけだ。
「ああ、それで」
俺が話を終えると、春山が納得したように言った。
「少し引っかかってたことがあったんだが、賀茂の話で分かったよ。
確かあの時、鍵はすでに開いていたんだ。だから賀茂は、職員室まで取りに行った鍵を使わずに、ドアを開けた」
「その通りだ」
「賀茂がやけに急いでいた理由も分かったよ」
「ああ、さっき忘れ物を口実にしたと言ったのは、本当だったんだ。
忘れ物を取るだけのことに何十分もかかっていたら怪しまれるからな」
途中で様子を見に来られると色々とまずい。暗い教室で男女が二人……まあ春山とそんなことになるのはありえんが、客観的に見るとそう受け取られかねない。
そうなると俺はともかく、剣道部のエースである春山の場合は、影響が大きすぎる。
職員室に春山を入れなかったのも、要らぬ詮索を避けるためだ。
以上の理由から、謎解きに使える時間はせいぜい十分――奇しくもあの探偵と同じ条件――だった。まあ、俺の場合はこうして後からゆっくり説明できるし、同じではないが。
俺は改めて春山に頼み込んだ。
「お願いだから、杉本には内緒にしといてくれ」
もう一度頭を下げようとしたら、「止めろよ」と春山は片手を俺に突き出した。
「言えるわけないだろ。紗妃は大事な友達なんだ。……元はと言えば、私が原因だしな。
それに賀茂も、怪談研の人に迷惑かけないように頭働かせたんだろ? わざわざ職員室に寄って最後はちゃんと施錠したり」
春山は珍しく、俺をフォローしてくれているようだった。その気持ちに、少し胸が熱くなる。
「――それなら、別にいいじゃないか、賀茂。
セーフかアウトで言うなら、アウトだ」
「アウトなのかよ!」
「当たり前だ」
やっぱり春山は厳しい奴だった。だがその厳しさで、心が少しだけ軽くなった。
「でもな、賀茂」
夕日はまさに落ちようとしていた。あたりがオレンジ色に輝く中、春山は顔をほころばせ、
「ありがとう」
笑った。夕日がまぶしいせいか、彼女の笑顔が、ひどくまぶしく思えた。
いや、実はよく見えていなかったのかもしれない。春山があんな……な笑顔を、するわけがない。
春山の見せた、そんな表情もつかの間のことで、次の瞬間にはいつもの勝気な顔に戻っていた。
「あー、なんか賀茂にあちこち連れまわされて腹減ったよ。桃福でも行くか!」
桃福は学校の近くにある、小ぢんまりとしたキャベツ焼きの店だ。俺は立ち寄ったことはないが、運動部の連中は部活帰りによく行くらしい。
「もちろん、賀茂の奢りな」
「なんで俺が……」
「さっき奢ってくれるって言ったじゃん」
そんなこと言ったっけ?
俺はなんだか、まんまと奢らされる羽目になっただけという気がしていたが、まあ、それも悪くないと思った。初めてのキャベツ焼きが、少し楽しみでもある。
街灯の灯りが、薄暗い小道を照らし始めていた。
翌日。ここからは、まあ、蛇足だ。
中間試験一週間前ということで、試験日程が張り出された。苦手科目が一日目にあるのを見て青くなっていたところ、誰かが横に立つ気配があった。
杉本だった。
「うわー、なんで数学二回もあるの!?」
「大事なことなので」
そうだぞ、数学は大事だし、何より楽しいじゃないか。どうしてこの楽しさを理解しようとしないのか……。
俺は杉本に数学の奥深さを説こうとしたが、次の一言によってものの見事に固まってしまった。
「で、昨日は蛍と何してたの?」
「……」
「昨日は、春山、蛍と、何、してたの?」
「いや、そんなはっきりと、二回も言わなくても――」
大事なことなので、と俺の言葉を遮り、杉本はピースサインをつくりながらニコリと笑った。
まずい。どうしてばれた。
怪談研の集まりの後、確かに杉本は帰宅の途についたはずだ。もしかしてこいつは本当に忘れ物をしていた? 下駄箱に杉本の靴はあったっけ――。
「部活関係の人から聞いたんだけど、昨日の放課後、剣道部の期待の星、一年の春山蛍ちゃんを出待ちしてた男子がいたんだって」
「へ、へえ、誰だよそいつ」
「お前だー……」
苦し紛れにとぼけたら、杉本に人差し指を向けられた。なんて情報網だよ。
ふふん、どうよ、と杉本は得意げに胸を張る。
何か釈明すべきなのだろうが、焦って何も言葉が出てこない。
あれから、俺も少し考えてみた。探偵が言わなかったこと。口で真相を言うだけでなく、わざわざあんな実験をした理由。
答えのようなものは、見つけた気がしていた。手を差し出した時の春山の顔が目に浮かぶ。今日は、塾の帰りにあんな顔をしないで済めばいいのだが。
が、分かっていないこともまだある。春山は、なぜ俺に謎解きを頼んだのか。いや、俺だけに、頼んだのか。
杉本と春山と俺の三人で怪談の話をしたあの休み時間ではなく、次の休み時間に謎解きを依頼したのか。
俺はまだ答えを出せないでいる。
だから、杉本に知られるとまずいのだ。なんとなくだけど、そう思う。
だが杉本は俺の焦りを知ってか知らずか、
「まあ、いいんだけどね」
あっけらかんと言った。
「カモちゃんのことだし、蛍に変なことしたりはしてないんでしょ?」
「なんだよ、変なことって」
杉本は笑って答えない。そのまま何も言わず、立ち去った。
そこで初めて、今日は髪を下ろしていたことに気が回った。ポニテも良かったのにと、しばらくの間しっかり現実逃避を行ってから、俺も席に戻った。
幽霊の正体が枯れ尾花なんていうのは、今回もそうだったが、よくある話だろう。
それと同じくらいよくある話に、結局は人間が一番怖いというのがある。
怪談研で聞いたどんな話よりも、身近な人たちの考え――そして、もしかしたら自分の気持ち――の方が、俺にとっては恐怖の対象だったりするのかもしれない。
「怪談」 了
というわけで、季節外れの怪談もの、いかがだったでしょうか。今回は少し長めの話になってしまいました。お付き合いいただき、ありがとうございます。
今回の依頼人、新キャラの春山蛍について少し。このシリーズは賀茂という朴念仁目線で進みますので、女の子の描写が素直でないところがあります。実は蛍に関しても容貌の描写は一切ありませんでした。何してるんだよ、カモちゃん……。
平城先生はすでに番外編の方で登場しているのですが、本編では初登場です。これから、どんどん物語に絡んでいく予定です。
主要生徒としては、賀茂、杉本、春山にあと一人を加えた4人が登場します。その一人は次回あたりで出る予定なので、よろしくお願いします。