怪談 2
次の国語の時間の題材は村上〇樹の、鏡にまつわる怪談チックな短編だった。俺は、さっき聞いた杉本と春山の怪談もそういえば両方とも鏡がメインアイテムだったと思い、授業の間中ずっと奇妙な偶然に心を奪われていた。
おかげで美人の国語の先生に注意されまくった記憶しか残っていない。ちなみにその先生は古典の担当でもあり、そして何より我らが1年10組の担任である、平城 京先生だ。つなげて書くとややこしいので、ある程度離して書くことを勧める。それと美人。
とまあ、国語の時間が終わってからも俺はふわふわと考え事をしていたが、これまたデジャヴュ、横から声をかけられて思考の中断を余儀なくされた。
今度は春山だった。杉本はいつの間にかいなくなっている。
「なんだ、まだ何かあるのか」
俺は春山を見上げて言った。高身長の春山は席に着いた状態からではまさに巨人のような迫力……は言い過ぎか。首が凝りそうだとは思ったが。
「いや、何かってほどでもないんだけどな……」
「なんだそれ」
どうも要領を得ない返事だった。だが、用事の内容はともかく、俺に用事があるという事実には、心当たりがある。
「話があるんだろ? さっきの休み時間もそれでここに来ていたんじゃないのか」
「なんだ、気付いてたの」
春山は驚いたような顔で言った。
「さっき春山が近くにいたのは、杉本が呼んだからじゃないんだろ?
その前から春山はこの付近に来ていたんだ。不思議だったけど、今のでもしかしたら、って思った」
「へー」
春山が感心したように目を見開いた。ふ、俺だってこれくらいの推理は出来る。褒めてもいいんだぜ?
「自意識過剰なんだ」
「何でそうなるんだよ!」
てっきり誉められるのかと思った。まあ、たまたま思いつけたことだし、別にいいんだけど。
「そう怒るなよ。さっきは妙な話になってしまったけど……聞いてほしいんだ」
そして、はにかみながら春山は続けた。
「『探偵』さん、に」
春山の話は、一言で言えばこうだった。
――昨夜、怪奇現象に遭った。
「私、塾に通ってるんだ。自習室会員だけどな。ほら、もう中間テストまで一週間くらいだろ?
地元の塾なんだけど、昨日は部活帰りに初めて寄ってみたんだ。けっこう勉強がはかどって、結局塾が閉まる10時まで残っていたな。
ちょうど満月の夜だった。だから辺りはそこまで暗くなかった。だが、あるところを通りがかった時、言いようのない寒気を覚えたんだ。
行きに通った時はなんとも思わなかったのにな。時間も遅かったからだろうか。心なし、あたりは少し薄暗いようだった。
周りを見渡すと塀が続くばかりだったが、私は初めて気付いてしまった。塀の向こうに、お地蔵様の頭が覗いていたんだ。
……墓場だったんだよ、そこは。それで私はある噂を思い出した。私が住んでいる町で、怪奇現象が起こる場所があるそうなんだ。
その怪奇現象というのは、「影」だそうだ。夜にだけ、とある住宅地の道路に、大きな影が現れるらしい。それはまるで巨大な穴のようにも見えるという。眉唾だよな。でも私の友達は見たって言っていた。
しかも、地面を何かが這いまわって、その影だか穴だかに吸い込まれていったそうだ。
墓地の横の住宅地という話だった。
例の噂の場所は、塾までの通り道にあったってわけさ。
べ、別に信じてたわけじゃないぜ。ただ、その時の雰囲気がなんて言うか……凄味があったんだよ。さびれた感じの住宅地だったし、街灯もほとんどなかったしな。
帰りだけ遠回りするのは流石にバカバカしい。私は、踏切を越えれば住宅地に入るというところまできた。
そこで、私は見てしまったんだ。
地面にぽっかり空いた穴を。いや、影だ。
それは遠めに見ても大きかった。道のほとんどを占めるような影だ。丸い形だったから、穴と言われれば信じてしまいそうだった。
路地が交わってできた三叉路のちょうど中心くらいに位置していた。路地の幅は車一台が通れるくらいだったから、その影の直径は二メートルはあったんじゃないか。行きに通った時には、そんなものなかったのに。
夜にだけ現れる。私は噂話を思い出し、背筋が寒くなった。
ゆっくり線路を越えて、近付いてみた。よく見ると、黒い中にもアスファルトのごつごつした感じが見てとれて、やっぱり影だった。
でも、そうやって確かめたはずなのに、まったく安心は出来なかった。
影との距離は数メートル。そのわずかな距離を、どうしても縮めることが出来ない。それなのに、影から目を逸らすことも叶わない。目を離した隙に……なんて、ほんと考えすぎだよな。
でも、ずっとそうしているわけにもいかないだろう。さっきからずっと疑問に感じていることもあった。それを確かめなければ、安心できない。
私は恐る恐る上を見上げた。––これは、何の影なんだ?
街灯がやけにまぶしくて目を細めた。電信柱があって、あとは家があるだけだった。違う方角を向いても、細い路地と住宅しかなかった。こんなにも大きな影を作れるような物体は、どこにも見当たらなかった。
突然踏切が鳴って、心臓が飛び出しそうなくらい驚いた。どうしよう。このままいたら踏切が閉まる。背後をふさがれる。
かと言って、影の方へ進みたくはない……。私は昨日、情けない話だけど、結局遠回りをした。振り返って全力疾走したんだ。地蔵が見守る、薄暗い道を……」
「な、怖いだろ?」
春山はそう言って、話を終えた。怖いだろ? って言われても……。
こういう話は、その場の雰囲気が分からないと怖さも半減してしまうものだ。今の話も、どのあたりが怖いのか、いまいちよく分からない。ただ影を見たというだけの話だろう。
「なんだ。全然怖そうじゃないな」
「まあ、話だけされてもな」
「ふん、想像力の乏しいやつめ」
「どうしてお前にそんなこと言われにゃならん」
俺は憤慨して腕を組んだ。
「お前が言いたかったのはそれだけか? 春山。話の流れが読めん」
「ああ、悪かったよ。賀茂に頼んだのは、感想が聞きたかったからだ」
「怪談の出来としてはさっきのよりはましだ。主人公が俺じゃなくてお前っていう点においてな」
「まだ根に持ってるのかよ……。それも悪かったよ。
そうじゃなくて、他に何かないのか? 『探偵さん』」
春山は試すような顔で俺を見た。なるほど、こいつの言いたいことが分かってきた。
「まさか、俺にその影の正体を推理しろと?」
「そう! 分かってるじゃん!」
春山は俺の肩をバシバシたたきながらそう言った。痛い痛い。剣道で鍛えてるだけはある。
「大きな、球形の貯水槽なんかがあったんじゃないのか?」
「いや、言った通り、何もなかったさ。二階建ての普通の家ばかりだったぞ」
「実は影じゃなくて、道路に黒いペンキで円が描かれていただけとか……」
幽霊の正体見たり、じゃないが、ありそうな話ではある。同じ場所でも、昼間と夜では雰囲気もだいぶ変わるしな。
「それはないと思うぜ? 噂では、その影は夜しか現れないらしい。つまり、昼間にはそんな影、あるいはペンキで描いたアートもどきはないってことだろう」
春山も原因を考えていたらしく、俺の意見はことごとく却下される。うーん、やはり今の春山の話だけで推理しろというのは少し酷な気がする。
「実際にその現場を見ないと、ちょっと分からないな」
「なんだよ。それくらい賀茂だったら朝飯前だと思ってたぜ。ほら、安楽死探偵って言うじゃん」
「俺を殺すな。それを言うなら安楽椅子探偵だ」
「安楽縊死探偵?」
「さっきの怪談話といい、お前は俺に首を吊ってほしいのか?」
阿呆なやり取りをしながらも、俺の頭の中にはある人物が浮かんでいた。現場に赴かず、聞いた話をもとに部屋の中だけで推理する安楽椅子探偵。そんな芸当も難なくこなせてしまいそうなやつを、俺は知っている。
春山は黙り込んだ俺にしびれを切らしたのか、
「で、どうなんだ?」
「どうって言われても、やっぱりその場所へ案内してもらうとか、できないのか」
「うーん、賀茂に自分の地元を特定されるのは、なんか嫌だな」
「……けっこう傷付いたぞ? 今の」
そこまで嫌われてるのかよ、俺。いやまあ、確かに探偵なんて変な二つ名がついてる時点でまともな人物ではないし、愛想もいい方ではないが……。
「てなわけで、ちゃちゃっと解決してくれませんかね、休み時間探偵さん?」
「ほんとひどいな」
はあ。安楽椅子探偵の真似事なんて、俺には出来そうもない。俺は時計を見た。休み時間は半分過ぎて、残り五分といったところだ。あいつなら、なんとかしてしまうかもしれない。
俺の中に棲む、名探偵。
実は俺にはもう一つの人格がある。普段はその片鱗すら見せないのだが、俺がどうしようもない謎に直面した時だけ、そいつは現れる。もちろん、その謎を解くためだ。
そいつは、自らを探偵だと言った。
やつは、俺の記憶を参照して謎を解く。その記憶は、俺自身も忘れていたような些細なことも含んでいるからいつも驚かされる。
とにかく、あいつを呼び出す条件としては十分だろう。春山の前に現れた巨大な影は、何だったのか。
探偵は普段眠ったように意識の奥深くにいるが、呼び出す方法が一つだけある。それは簡単で、ある言葉をつぶやくだけだ。名探偵が推理を始めるときの、お約束の言葉。
俺は、探偵を呼び出す言葉を、口にした。
『さて––』
瞬間、世界が反転し、俺は身体の奥へ、奥へと沈んでいく。キーンという耳鳴り、ぼやけていく視界。何度やっても、どういう原理でこうなるのかは分からない。身体の支配権は徐々に失われていき、代わりに、探偵が目を覚ました。
『やあ、カモさん』
いつもの、よく響く声で探偵が言った。いや、本当に音が聞こえているわけではない。聴覚や視覚、触覚などの五感は全て探偵が支配する俺の身体を通して伝わってきているからだ。
つまり、この探偵の「声」は、よくSFなんかで出てくるテレパシーのような感じだ。頭に直接響いてくる、という表現が一番近いと思う。
探偵が俺と入れ替わって話しているときは、俺自身の声に聞こえるからな。
『さっきの休み時間に春山さんがした話、あれは傑作でしたね。咄嗟に考えたにしては、よくできてましたよ』
(あの名誉棄損も甚だしい作り話か)
俺はいつものように探偵に語りかけてみる。といっても、これも実際にしゃべっているわけではない。身体の主導権は向こうにある。
だからといってお互いの考えていることまでダダ漏れというわけでもない。こうして「テレパシー」のような形で「発言」したことだけが相手に伝わる。
もっとも、この探偵には考えを見透かされているようなところがあるが。そういうところが少し苦手だったりする。
(なんだ。あの怪談話、聞いてたのか?)
『そうじゃないのはカモさんも知っているでしょう。今、記憶が流れ込んできたんですよ。
あとちなみに、カモさんの犯行は計画的なもので、運悪くそれを目撃してしまった女の子はお菓子作りが好きですよ』
探偵が可笑しそうに言った。笑っているのか、心なしか言葉が揺れている。
(だから俺じゃないって。ていうか、何でそんなことまでわかる)
『およそ月一回の頻度でそのトイレを利用していたんですよね、京介君は。料理部の活動日に合わせてじゃないですか? そして被害者は料理部の部員ですよ』
(出て来て最初に言うことがそれか?)
非難を込めて尋ねたが、探偵はやはり笑いのツボだったらしく、何も言わなくなった。まったく、本当にとらえどころのない奴だ。
そして、そうこうしているうちに、身体の支配権は完全に「探偵」のものとなっていた。
「さて――簡単な話です」
探偵が、言った。
「簡単って……賀茂は、あの影の正体が分かったのか!?」
「ええ、春山さん。楽勝です」
探偵がニッコリとほほ笑んだのが分かった。それを見た春山はけげんな顔をした。
「お前……その気持ち悪い笑顔止めろよ。調子狂うわ」
「え? どうしてですか?」
探偵が俺と入れ替わっている時は、周囲からは別人のように見えるらしい。たぶん、口調や表情が全然違うからだろう。この状態で鏡を見たことはないから、どれほど違うのかは分からないけど。
探偵がしばらく春山と会話を交わすのを聞いていたら、探偵が話しかけてきた。例の「テレパシー」の方でだ。なんと春山と会話しながら、同時に俺と「テレパシー」を使って会話することも出来るらしい。
(おい、そんなことが出来たのか)
『ええ、ちょっと集中すれば、他の人と会話しながら、こうやってカモさんともコミュニケーションを図れるようですね』
何でもありだな。確かに、探偵が話している間も、俺の口は動き続けている。ただ、探偵との会話に意識を集中したとたん、外界の情報はぼやけてしまっていた。春山の顔が薄れていき、闇に包まれる。
スペックの差だろうか。だとしたら、なんとなく悔しい。
『時間がないので手短に話しますね。今、私は春山さんにあることを伝えています。謎解きに関することです』
内容が気になったので、意識を聴覚に集中しようとしたら、探偵に止められた。
『今はこっちに集中してください。春山さんに伝えているのは、謎解きは放課後に行うということです』
(放課後? 今じゃなくて?)
探偵のことだから、もう謎は解いているはずと思ったが。
『謎は解けています。でも、それだけではダメなのです』
そして俺は、探偵から事の真相と、謎解きの方法を細かく伝えられた。
正直、そこまでする必要はあるのかと思ったが、今までの探偵は、いつも真実を語っていた。俺は、身体を貸すくらいしかしていない。
(今回は俺が謎解きをするのか? いや、実際に解いたわけじゃないが……。放課後、もう一度お前と入れ替わったりはできないのか?)
探偵との入れ替わりは、十分ほどしか続かない。これが「休み時間探偵」などと呼ばれるようになった一因でもあるのだが、それなら放課後にもう一度入れ替わればいいのではないか。
それとも、実はこの「入れ替わり」は一日に一度まで、とか?
『カモさんもご存知でしょう。今、私が真相を伝えた瞬間から、カモさんにとって、この謎は謎ではなくなったのですよ』
あ、そっか。俺自身ではどうしようもない謎、というのも条件の一つだった。
能力には制限が付きもの––みたいな、中二病的発想に至りかけた自分が恥ずかしかった。
それから探偵は、最後によくわからないことを付け加えた。
『それに、これはカモさんがやるべきことです。これはおせっかいかもしれませんが』
チャイムの音が鳴った。入れ替わりは十分ほどで自然に終わるが、チャイムの音を聞いた時は、経過時間に関わらず強制的に終わるのだ。ここら辺の原理も分からない。
探偵自身、自分が何者かさえよく覚えていないらしいから、俺に分かるわけがない。ほんと、謎が多い。
「じゃあな、賀茂。また放課後」
春山の言葉で、はっと我に返った時には身体の支配権が戻っていた。
春山は立ちあがって、自分の席に戻っていく。探偵と話している間、杉本の席を借りていたらしい。杉本はまだ教室に帰ってきていなかったが、よくあることなので気にしない。
俺は、探偵から伝えられた謎解きの段取りを思い返した。とりあえず目下の課題は、杉本にどう話を切り出すか、だった。
放課後。午後六時半。
すっかり傾いた太陽が部活帰りの生徒を照らし、長い影をつくっていた。
いくつかのグループに別れて帰る運動部の生徒を眺めながら、そういえば明日からは部活動が禁止になるのだったと思い出した。中間テストの一週間前だからだ。
て、俺も他人事じゃない。春山のように、そろそろテスト勉強を始めないとな。そうだ。こんなところで、ぼうっとしている場合なのだろうか……。
謎解きなどすっぽかして帰ってしまおうかと思ったが、そうもいくまい。
それに、ちょうど剣道場から部員の一団が出てくるのが見えた。あの背の高いのが、春山だな。
きょろきょろと辺りを見回していたので、俺は片手を上げてひらひらと振った。それでも春山は気づかなかったので、近づいていったら今度は気づいた。
春山は先輩らしき人たちに何かを言って頭を下げた後、こちらに走ってきた。
去り際、先輩たちが春山を肘で小突くのを見て俺は軽く戦慄した。先輩と一緒に帰るのを断ったくらいで、肉体制裁を受けるのか。運動部は怖え。
「よ。待たせた」
小走りでこちらにきた春山が言った。なぜかそっぽを向いている。簡単にごめんなどと言わないところが、春山らしい。
練習終わりだからか、顔がほんのり赤い。髪もしっとりしているみたいだ。
「いいよ。今来たとこだから」
「お、お前、そんなこと言うかよ! まるで本当に……」
「何言ってるんだ?」
「いや! 何でもない!」
よく分からんが、本当に俺は少しの間しか待っていない。
「ここへ来たのはついさっきだ」
「だからそれはいい––って、え? じゃあ今まで何してたんだ?」
「それも後で説明するから。とりあえず行くぞ」
俺は通学かばんを肩にかけ、踵を返した。
「行くってどこに?」
「職員室」
「は?」
「その後、物理講義室」
「……」
春山が言葉を失くして、ぽかんと口を開けている。あ、これはいいかも。
自分だけがすべてを知っていて、小出しの情報で相手を翻弄する。謎解きって、けっこう癖になるかもしれない。




