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Sの悲劇 3 【解答編】

解答編です。よくお考えになって、この先へ進んでください。

 

 杉本が俺に声をかけてきたのは、以前も杉本の疑問に答えたことがあったからだ。それ以来、杉本は俺のことを「休み時間探偵」などと呼ぶようになった。この前の校外学習の時には、それがクラス中に知れ渡るに至った。頼むから、これ以上は広まらないで欲しい。


 実は、俺には探偵と呼ばれるほどの推理力などないからだ。先月も、校外学習の時も、提示された謎を解いたのは俺ではない。俺の中に棲む、もう一人の人格だ。


『カモさん、私はあなたの別人格ではありませんよ。一人の人間です』


 当の探偵は、そう主張している。まあ、確かに別人格と会話できるなんてのもおかしな話だ。こいつとの出会いはつい一ヶ月ほど前、入学式の日だった。語れば長い話になるが、今はいいだろう。


 ただ一つ言えるのは、その時の状況からして、この自称探偵は俺の妄想でも、分裂した精神でもないということだった。最初は、俺は病気なんじゃないかと思ったりもしたが、こいつの説明を聞いたら、そうでないことは認めざるを得なかった。


 そんなわけで、未だに完全には信じていないものの、俺はこいつが探偵だと認めることにした。


 名前は、なんと「キョウスケ」というらしい。俺と同じ名前だ。本人は「キョウさんと呼んでください」などと言っていたが、なんとなくそう呼ぶ気にはなれず、「探偵」と呼んでいる。


 探偵は、普段は意識に現れることはない。眠っているような状態、と言っていた。探偵が目覚める条件は、俺がどうしようもない謎に遭遇した状況で、「さて」と口にすること。なぜこの言葉なのかは探偵でもわからないらしい。


 探偵の正体も、今のところ分からない。俺が知っているわけないし、頭の中に探偵が居るんですなんて相談できるわけもないからな。しかも探偵自身でさえ、名前以外のことは分からないらしかった。こいつは、記憶喪失の探偵だった。


「さて――杉本さん」


「お、探偵モードだね」


 杉本が言った。探偵はにんまりと笑い、どうもと返す。


 探偵が表層に現れても、髪形や目の色が変わったりするわけではない。だが口調は、探偵のそれになるのでがらりと変わる。一人称は「私」に、口調はやけに丁寧に。あまり好きになれない話し方である。


 だが幸か不幸か、今まで誰もこの状態の俺が、実は俺ではないと気付いた者はいなかった。普通、中身が入れ替わっているなんて考えもしないだろうからな。あの有名漫画のおっちゃんだって、バレていないし。


 杉本も、探偵のことを俺だと思っている。俺のことを、驚異的な推理力をもつ、「探偵」だと考えている。


「杉本さんは、三年生の(かた)から呼び出されていたのではないですか?」


 探偵が唐突に言った。俺はわけが分からなかったが、杉本はそうではなかったらしい。それまで目に残っていた眠気は消え去り、そして大きく開かれた口から、


「あー! S7!」


 と叫び声が漏れた。


 杉本は、一瞬で眠気がとれたみたいだった。ノートを俺の机に放り出し、教室の出口へ向かって駆け出した。途中、ふらついていくつか机を蹴飛ばしていたが、止まることはなかった。おい、どこへ行くんだ。


 杉本は数秒で教室から出ていったが、また顔だけ出して「ありがとう、カモちゃん!」と言い残すと、今度は本当に教室から消え去った。廊下を走る音が遠ざかっていく。


 唖然としていると、


「ああ、出て行ってしまいましたか。最初に伝えたのはまずかったかもしれませんね」


 探偵が呟いた。はたから見れば、俺の独り言なんだが。


(おい、杉本はどうして飛び出していったんだ。S7だと? 三年生?)


『本人はいませんが……説明しましょう』


 俺たちは心の中で会話した。探偵と違って、俺は探偵が身体の表層に出ていても意識を保っていることができる。その時の感覚は、もう慣れたが変な感じだ。自分では身体を動かすことはできないのだが、探偵が見ている物を見ることもできるし、においや音も感じることができる。こうやって心の中で探偵に話しかけることもできる。口を動かすことはできないが。


 探偵は、杉本のノートに目を落とした。当然、俺もそれを見ることができるようになる。


『まず、この日付について、おかしいとは思いませんか』


 探偵は例の「5/12(土)」を指でなぞった。(図参照)


挿絵(By みてみん)


『一つは、これは実際には存在しない日付だったということ。厳密に言えば、今年の日付ではないという可能性や、杉本さんの書き間違えという可能性も捨てきれませんが』


 寝ぼけていた杉本がどれだけ正確に曜日を覚えていたかは不明だ。そこは、俺も納得できる。だが、いつかは知らないが、今年ではない五月十二日だというのは、あまり考えられない。


『ですが、もっと確実な理由があります。カモさん、杉本さんは、日付をどのように書いていたか、覚えていますか?』


(日付の書き方? そんなの、一つしかないんじゃ……)


 だが、俺はもう一度ノートを見渡して、絶句した。探偵の言いたいことが分かった。


『そう……彼女は今日の日付を「5.7.火」と記しています。つきを区切るのに、「/」ではなく「.」を使用する癖があるのでしょう』


 そう言って、探偵は杉本の教科書をぱらぱらとめくった。開かれたページにも、グルグルと丸で囲まれた「5.9.木」という字があった。さっき杉本が、宿題として当てられたところにメモしていたのだ。


 探偵は再びノートの「5/12(土)」という字に視線を戻した。


『とっさの時には普段の習慣が出るものです。もしこれが日付だとしたら、杉本さんは「5.12.土」と書いたのではないでしょうか。しかし、そうは書かなかった。


 ということは、これは日付ではなかったのではないか、そう考えることができます』


 つまり……俺は、この考えにうなずきたくはなかたった。


『このメッセージは日付ではなく、乱れた字が偶然、日付のように見えただけなのですよ』


 寝ぼけていた杉本も、俺も、その可能性を考えられていなかった。だが、それはやはり乱暴ではないか。そんな偶然、あるはずが……。


 しかし俺は、さっき杉本が口走った言葉の意味も分かったような気がして、愕然とした。「S7」。


(これ、「S7」って読めばいいのか)


『その通りです、カモさん』


「5/12(土)」の「5/」の部分、「5」の横棒と「/」がくっついてカタカナの「フ」のようになっている。俺はもう一度、ノートの左端に書かれた日付を見た。杉本の「7」という字は、カタカナの「フ」そのものだった……。


『ですが、「S7」というのは、後付けで気づいたことです。これだけなら、探偵など居なくても気付けるでしょう。ですが、他にも杉本さんの発言と矛盾する箇所があります。あなたも分かるはずですよ、カモさん』


 そう言われても、ピンとこない。だが、杉本が何かを言ったときに、確かに俺は矛盾を感じていた気がする。なんだったか。だが、確かその正体に気付くまでには至らなかったはずだ。


『この「(土)」という部分を見てください。おかしいところがあるでしょう』


 探偵に言われて集中して見てみるが、やっぱり分からない。ただ、どこか違和感があるような……。


『カモさんは普段あまり意識しないから分からないかもしれませんね。筆順ですよ』


 筆順? それって、杉本も言っていたが……。


 あ。そうか。俺が矛盾を感じたのは、このことだったのか。これは、確かにおかしい。


『もう分かったみたいですね。この「土」という字、筆順が違う・・・・・んですよ。


 この字はつながっているところがあるので、筆順を追うことができます。一つ目の横棒が左下に流れて、二つ目の横棒に繋がっていますね。つまり「|」「-」「-」の順に書かれたと考えられます。


 ですが「土」の正しい筆順は、「-」「|」「-」ですよね』


 そうだ――俺が矛盾していると思ったのは、たぶんこのことだ。俺だって、さすがに「土」の筆順くらいは間違えない。ましてや杉本は書道部員で、自分で筆順は間違えないとまで言っていた。


『ですが、杉本さんは筆順を間違えたわけではなかったのです。間違っていたのは解釈の方です。「5/」が「五月」を表すものではなかったように、この字は「土」ではありません』


 今まで見ていたものが、ガラガラと崩れていくような気がした。これと同じような感覚を味わったことがある。ルビンの壺というやつだ。壺にも見えるし、向かい合う女性の横顔にも見える、不思議な絵。なぜか杉本の横顔が浮かんだ。


『これは日付だという先入観があるとそうは見えにくいですが、「土」ではないとして、もう一度この「(土)」という部分を見てみると、違う漢字・・に見えてきませんか』


 探偵の言う通り、それはもう、ある漢字にしか見えなくなっていた。


(「田」か……)


『その通り。「土」で一字ではなく、「( )」も含めて一つの漢字だったのでしょう』


「田」という漢字にも、「土」という部分が含まれる。しかしその部分の筆順は本家「土」のそれとは異なり、「|」「-」「-」の順だ。杉本が書いたとおりである。


 確かに、括弧の右側が不自然に曲がっていて、「田」の二画目だっと言われれば、そう思えてくる。なるほど、論理的に推理することは可能だったわけだ。


 だが、こんなの誰が気付ける! この自称探偵は、さすがだと言わざるを得ない。


『ここまで来たら、あとは分かるでしょう。「12」も、数字ではありません』


 探偵の言いたいことは俺でも分かった。「12」のように見えるひらがな・・・・だと言うのだろう。


(「に」か……)


「そう! つまりこの『ダイイングメッセージ』は、続けて読むと「S7 に田」となっていたのですよ!」


 興奮した様子で探偵が叫んだ・・・。近くにいたクラスメートが数人、こちらを振り返る。おい、声が出てるぞ。俺がいきなり叫び出した変な奴みたいに思われるだろう。


『おっと、すいません。ついうっかり。


 見ての通り、「()」という漢字は読むのも書くのも大変難しい。だからひらがなで書いたのでしょうね』


 探偵は謎解きを続けた。休み時間も、もう残り少なくなってきている。


『S7の爾田にた希美のぞみさんと言えば、有名人ですのであなたも知っていますね。総務委員長ですよ』


 今朝見た、昇降口の校内新聞を思い出した。三年七組の現生徒会長、じゃなくて総務委員長。


(じゃあ、杉本がさっき教室を飛び出していったのは……)


『ええ、爾田にたさんに会いに、三年七組の教室へ行ったのでしょう。おそらく、目的は謝罪でしょうね。


 これは想像ですが、爾田さんは杉本さんに、今日の朝に自分を訪ねるよう言っていたのでしょう。今朝、杉本さんは「凄い使命感に駆られて」学校に来たんでしたね』


 そうか。俺は深く考えなかったが、杉本は寝ぼけながらも、爾田先輩との約束を覚えていたのだろう。入学したての一年生にとっては、三年生は雲の上の存在にも思えるからな。どれだけ眠くても、約束は破れまい。その思いが、杉本を目覚めさせた。


 そう考えたら、先ほどの杉本の慌てようも納得できた。


『こう考えると、あのメッセージの意味も分かります。あれが「三年七組 爾田先輩」を表すのだとして、何か足りないと思いませんか?』


(……日時と場所か)


『そう。日時を表すと考えられていたメッセージが、実は人名を表すものだと分かった今、問題となるのはそこです。では、名前だけをメモするのは、どういう状況の時だと思いますか?』


 そうだな。俺は考える。


(日時がもう、明らかに決まっている時……例えば、今日の杉本みたいに、できるだけ早くその人を訪ねなければならない時、とかだ)


『お見事。メモを書いた日が約束の日なら、わざわざ日時を書く必要はありません。


 そして、杉本さんが書いたのは、名前だけではありません。「S7」というのは「三年七組を訪れる」という、場所を表す意味も含まれていたのでしょう』


 杉本は授業中、三年の先輩との約束を思い出した。そして、それをすっぽかしていたことに気付く。すぐに謝りに行かなきゃ。だが今は授業中で、抜け出すことは叶わない。おまけに、眠くて意識が飛びそう。


 杉本は気力を振り絞って、ノートの余白という目立つ場所にメッセージを残した。安心して眠りについたが、その字は乱れており、見返した時に間違った解釈をしてしまった。


 と、少し大げさにまとめてみる。なんか、間抜けな話だな。


(杉本も、抜けてるところがあるんだな。約束を二回を思い出しておいて、結局忘れるなんて)


『よほど眠かったんでしょうね。夜更かしはいけません。


 ところで、杉本さんはそこまで慌てなくて良かったと思いますがね』


(どうしてだ? 確かにお前なら、先輩との約束なんて忘れても平気かもしれないが)


 問うてから、この探偵に「先輩」という存在は似合わないなと思った。こいつは、口調は丁寧なくせにどこか敬意というものが感じられないからな。


『ひどいです、カモさん。


 杉本さんがそんな人だったら嫌ですが、言いたいことはそうじゃありません。爾田さんが、気にしていないと思うのです。


 だって、本当に急を要する用事なら、朝の時点で爾田さんがこの教室まで会いにくるはずでしょう? そうでなくとも、なんらかの働きかけはあったはずです』


 確かに、探偵の言うことには一理ある。だが、今までの話で本当にそんなことが言えるのか……。


 『それに、これは想像でしかありませんが、杉本さんがどんな用件で呼ばれていた理由には心当たりがあります』


 と、探偵が聞き捨てならないことを言った時、チャイムが鳴った。用事の内容まで分かったって言うのか? 信じられない。


 二時限目が始まるが、杉本はまだ戻ってきていない。次の先生も遅れているからまだ大丈夫だが、間に合うだろうか。


 そして、世界が再び反転する。俺は、奥から徐々に浮上していき、代わりに、探偵が沈んでくる。こいつは、なぜか長くても十分程度しか「表」に現れることができない。しかも、チャイムの音を聞くと、強制的に戻されるようだった。


 だが、探偵はそれくらいの制限はものともしなかった。気を付けなければならないのは、せいぜいが、冗長にしゃべりすぎないようにする、それくらいのものだった。必然的に、周りから見れば俺は休み時間のうちにどんな謎でも解いてしまう、「休み時間探偵」に見えるというわけだ。


『……時間もありませんから、眠りにつく前に私も「ダイイングメッセージ」を残すことにしましょうかね』


 身体の支配権が徐々に俺に戻ってくる。探偵は、もうシャーペンを握る力も残っていなかったのだろう。片手でノートのページをパタパタとはためかせただけだった。


 そして、探偵は眠りについた。同時に、教室の扉をガラッと引く音がした。そちらに顔を向けると杉本だった。なんとか間に合ったらしい。それで、身体の支配権が戻っているのにも気付いた。首が動かせる。


 杉本は、どさあと倒れるように椅子に座ると、大きくため息をついた。俺は最後に探偵が言った「ダイイングメッセージ」の意味を考えてみたが、分からない。第一、探偵は何も書き残していないじゃないか。


 そうしたら、杉本が話しかけてきて思考が中断された。しかし杉本の言葉で、答えはあっさりと分かってしまった。


「はあー、聞いてよ、カモちゃん。爾田先輩の教室、あ、知ってるよね、先輩のこと。生徒会長。


 で、今度の立会演説会で使うめくり・・・の字を書いてほしいって、頼まれてたの。そのことで今日の朝呼ばれてたんだけど、すっかり忘れちゃってた……」


 探偵が最後にした行動を思い出した。ノートのページをぱらぱらとめくる・・・手。


 杉本は、この学校でたった一人の書道部員。


 あいつは、杉本の用事までも見事当ててみせたわけだ。


「でね、さっき慌てて行ったんだけど、教室閉まってて……次の時間が移動教室だったみたい。はあー、無駄に疲れたわ」


 杉本は早口にそうまくし立てると、机に突っ伏した。探偵が言っていた、先輩は急いでなかったのではという話をしたら、疲れた笑顔で「ありがとう」と言った。


 ガラガラと扉が開いて、先生が入ってくる。次の授業でも、杉本は眠気と戦うことになるのだろう。今の杉本は、もうダイイングメッセージどころではないようだった。どうせ元気になったら推理を聞いてくるだろうから、それまではそっとしておこう。


「悲劇ね……」


 杉本は、おおげさに天を仰いで見せた。




「Sの悲劇」了






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