心から…… 2
杉本の言わんとすることは、話を聞いていくうちに徐々に明らかになった。
「私、最近タイプライター研究会に入ってね」
彼女は兼部マニアで、様々な部活、同好会を見つけては入会を繰り返している。その華奢な身体のどこにそんな活力が隠されているのやら……もう考えないことにした。
それに、遮ると話がややこしくなることは、これまでの付き合いから分かっている。好きに喋らせるのが一番早い。
「これが楽しいのよ。1分で何文字打てるか競ったり、『よく学び、よく遊べ』って言葉で用紙を埋め尽くしたり」
「それ、本当に楽しいか?」
爛々と目を輝かせながら、一心不乱にタイピングする杉本は、想像に難くなかった。ホラー映画じゃないか。
「ちゃんと手紙も書いてみたくて。どうせなら学校にしようかなって。忘れないうちに聞いておきたかったの」
いつの間にか手帳を構えて、準備万端といった構えだ。なるほど、分からん。「どうせなら」で、どうして高校が出てくる。
しかし学校の住所か。意外と知らないぞ。探せばどこかに書いていそうなものだが、面倒くさいな。教室からは出たくない。寒いし。
「スマホで調べたらいいだろう」
俺は持っていないが、クラスの人間のほとんどは携帯かスマホを持っている。杉本も持っていたはずだ。
「き、今日は忘れちゃったのよ」
「髪型よりも大事だろうに」
携帯電話すら持っていない俺が言うのもなんだが、そういうのは持ち歩かないと意味がないんじゃないのか。
「お願い! 蛍とも話したんだけど、こんなことが分かるのはカモちゃんだけだって。『探偵さん』の腕の見せ所じゃない?」
春山のやつ、面倒くさいからって余計なことを押し付けやがって。
「星座占いも1位だったんでしょ? その運気で」
「関係あるか?」
まあ、一見すると役に立ちそうにない知識を大量にストックしているというのは、名探偵っぽいが……考えてみても、特に思い浮かばない。俺か杉本の持っているもので、学校のデータが書かれたもの。
杉本は手帳を構えて、どこかそわそわと落ち着きがない。こちらにチラチラと視線を配るという、不審な動きをしている。こいつ、なにか企んでいるのか?
その時、脳裏に浮かぶ映像があった。
『今日のラッキーアイテム 手帳』
「あ」
不審者の相手をしている場合じゃない。俺にしては冴えた閃きを逃さないように、すぐさま鞄をあさった。
「ほら。これに書いてあるだろ」
それは生徒手帳だった。最後のページ、個人情報が載っているページの下部に、高校の住所も書いてあったのだ。
「わあ、あったまいい! ありがとう」
杉本に生徒手帳を渡すと、自分の手帳に書き写し始めた。ふっ、俺も捨てたもんじゃないだろう、と悦に浸っていると、杉本の様子が不自然なことに気が付いた。なぜか驚いたような顔をしている。
「どうした?」
すると、真面目な顔で俺を見つめ、
「カモちゃん。顔変わった?」
写真を指さしてみせた。そこには、睨み付けているようにも見える目付きの、入学当初の俺の姿があった。失礼か。手帳を取り上げ、無造作にポケットに入れる。
しかし杉本は、きゅっと目を細めると、
「ううん、違うわね。ずっと柔らかくなった」
……そうか? 母親みたいなことを言うやつだ。
まったく、調子が狂う。
顔付きが変わった、か。
俺も16歳になった。15歳までは中学生というイメージがあるから、年齢的には、やっと高校生になったような気がする。
昔から、友達と誕生日を祝うという行為が、どうも苦手だった。誕生日を大げさに扱わない、我が家の方針も理由だろうか。
誕生日パーティーなんてものとも縁がなかった。本当に存在しているのだろうか? そんなものは、創作の世界の話だった。セイント君が枕元に贈り物を届けに来る方が、よっぽど信憑性がある、とさえ思っていた。もっとも、当時すでにクリスマスを冷めた目で見ていた俺だが。
「やあやあ、カモちゃん。今度プレゼントを渡そうと思うんだけど。今日の放課後、付き合ってくれるかな?」
どことなく腹立たしい、能天気な声がかけられたのは、昼飯を食べ終わり、再び文庫本に目を落としている時だった。
「なんで俺が」
「そこはほら、探偵としての腕を見込んで」
春山といい杉本といいこいつといい、みんな探偵を便利屋の同義語だと思っていないか? まあ、放課後が暇なのは否定できないが。
「あー、でも。万が一? 部活があるといけないからさ。聞きに来たんだよ」
「安心しろ。なんといっても、俺は幽霊部員だからな」
「ハロウィンならもう終わったよ」
うるさいわ。
「それじゃあ決まり! ――ところであの二人、なかなか絵になるね」
岡森はニヤリと笑みを浮かべた。その視線の先では春山が、椅子に座った杉本の髪をセットしていた。朝に言っていたお団子とやらに挑戦しているのかもしれない。慣れた手付きを目の当たりにして、俺は感心してしまった。本当に上手いんだな。
「髪を結う美少女たち。絵になるよね」
片目を瞑ってデッサンをするポーズをとっている。呆れた。プレゼントを買う話をしていたそばからこれかよ。
「そんなこと言って、怒られても知らんぞ……あ」
その時、なにかが引っかかった。今日の会話の中で、おかしな点があったような。春山、杉本、もしくは岡森か?
「どうしたの? カモちゃん」
「いや。なんでもない」
「探偵」なら分かるかもしれないが……まあ、たいしたことではないだろう。それに、髪を結び終えた後の笑顔を見ていたら、どうでもよくなってきた。
「カモちゃんだって、しっかり視線が吸い寄せられているみたいだけど?」
「うるせえ」
で、放課後。
ホームルームが終わった後、なぜか岡森は校内放送で呼び出しを食らっていた。やつが解放されるまで、教室で待たされる羽目になったが、まあいい。どうせ暇だし、手洗いに行くことにする。
廊下は大勢の生徒で溢れかえっていた。みな、生き生きとした顔でそれぞれの行き先へ向かっている。部活に行く者。委員会に出席する者。家路につく者。杉本のように、遊びに行く生徒もいるだろう。春山のように部活が休みなら、学習塾へとゆったり向かうだろうか。
いつも通りの光景。代わり映えのしない日常。そう。これでいいのだ。誕生日を意識するなんて俺らしくもない。
担いでいた重い荷物をやっと下ろせたような、それでいて、肩に残る淡い痛みが愛おしいような、夕暮れ時の感傷を胸に、教室へと戻ってきた時、もう誰も残ってはいなかった。
談笑する二人を除いて。
「――なんで、お前ら」
「お帰り、カモちゃん。桜くん、どうしたんだろうねー」
一人は夕焼けに頬を染めながら、棒読みの台詞を発した少女。いつもなら、岡森が呼び出された理由を推理してほしい、と張り切るところだが、今は妙に冷静だ。
それに、杉本は映画に行くんじゃなかったのか――?
「お帰り、賀茂。岡森は、どうせなんかやらかしたんだろ」
腕組みをして不敵に微笑むもう一人は、わざとらしさを隠す気もない。杉本と二人で芝居の練習をしているかのような、そんな印象さえ受けた。
春山は、今日は部活がない。塾に行かなくていいのか――?
おい、まさか。だんだんと、ある可能性に思い至りつつあった俺に、とどめを刺したのは、
「お待たせ~カモちゃん」
三人目の能天気な声だった。
「岡森、お前なにか隠して――」
振り向いた途端、信じられない光景が目に飛び込んできた。岡森は入り口に立って、両手になにかを抱えていた。それは、半分開かれた小ぶりな箱。中には、ケーキが鎮座していた。
練習したかのように、息のそろったトリオが夕暮れの教室に響き渡った。
「誕生日おめでとう、カモちゃん!」
正確には、最後の呼び名だけは「カモちゃん」「賀茂」に分かれていたが……。俺の思考は混乱を極めた。
なんで知っているんだ?
誕生日の話題なんて一度も出していないのに、どうして知っていた? どこから漏れた? いや、それだとなんだかやましいことを隠していたみたいだ。そんなつもりはない。だけど、どうして。
なにかの書類か? なんだよそれ。うっかり言ったことがあったっけ? それを覚えていてくれたのか?
だいたいこれは、サプライズ、か。いつから。そして、どうして企画することができた?
ダメだ。頭が上手く回らない。
「3人で手紙を書いたの。今から読み上げるわね」
「お、おう……」
「拝啓、賀茂京介様へ。あなたはいつも私たちの良き友として、そしてみんなの『休み時間探偵』として、――」
現実味のない時間だった。杉本が手紙を読み上げる声は頭の中に入ってくるが、どうも上の空だ。後で読み直さなければならないだろう。
しかし、誰が気付いた? どうやって今日だと突き止めた? どうしてこんなことを?
「――心からの感謝と、親愛の情を込めて。この言葉を贈ります。
誕生日、おめでとう!」
手紙が読み終えられた時、俺はとっさに呟いていた。
『さて――』
世界が反転する。
三人は俺を探偵だと持ち上げるが、事実は全く異なる。俺には推理力なんてものはなく、それでも謎を解けたのは、俺の中に棲む「探偵」のおかげ。ある言葉を引き金に、そいつと俺の意識が入れ替わる。そして俺の代わりに、あっという間に謎を解いてしまう。
結果として付けられた二つ名は、「休み時間探偵」。
『カモさん、お誕生日おめでとうございます!』
脳内に探偵の声が響く。やつと俺は、人格交代が行われている間は意思の疎通を図ることができるのだ。
『ふふ、まさにフーダニット、ハウダニット、ホワイダニットですね。
こんな素敵な謎をいただけるなんて、私にとって最高の誕生日プレゼントです』
(お前は誕生日じゃないだろ)
正確には、「探偵」は記憶喪失らしいので、分からない、が正しいが。
『いいでしょう? カモさんと私は一心同体。だいたい、都合よく私を呼び出したのはどなたです』
う。そこを突かれると弱い。気が動転して、3人と向き合うのを探偵に任せてしまっている。逃げたも同然だ。
しかし、こいつが出てきたということは、俺の疑問には説明がつけられるらしい。全くの予想外だったサプライズパーティー計画は、いかにしてなされたのだろうか?
『カモさんとばかり話していても仕方ありませんね。そろそろ始めましょうか』
それは、謎解きを始める時の台詞。
探偵が、言った。
「さて――簡単な話です」
問題編終了です。主には、ホワイダニットですね。みなさんもぜひ、考えてみてくださいね♪ 作者より




