心から…… 1
登場人物紹介 手紙で伝えたい言葉
賀茂 京介
栄藍高校の1年生。朴念仁。
「元気にしていますか?」――遠方の祖父母に。
杉本 紗妃
賀茂のクラスメート。アニメ好きの元気娘。
「今は、こんなにも楽しいわ」――過去の私に。
春山 蛍
賀茂のクラスメート。バリバリの体育会系。
「私の努力、無駄にするなよ」――未来の自分に。
岡森 桜一
賀茂のクラスメート。眉目秀麗な問題児。
「僕は相変わらずさ」――昔、世話になった人に。
今から語るのは、暖かい布団から出るのが難しくなってきた、とある季節の出来事。取るに足らない、一年の中の一日。何気ない日常の一コマが、また始まった。
冷たい空気の中へ踏み出す俺の脳内では、今日も「平凡」と大書した旗が掲揚されていた。リビングに来るまでは。
「おめでとう」
「へ?」
頭と舌が上手く回らない中、真抜けた返事をしてしまう。母さんがテレビを眺めていたのだ。ちゃんと時刻は5字半を過ぎたところだ。どうして?
月初の勤務期間が明けたのが昨日のこと。いつもならゆっくり寝ているはずなのに、こんな早い時間から起きているとは。
実際、母さんはとても眠そうな顔で、特大のあくびを披露した。それは、漏れなく俺にうつった。
「おめでとう」……その意味は、テレビ画面を見ていたら、分かった気がした。早朝の星座占いで、ちょうど1位の発表があったところだったのだ。極彩色のキャラクターが飛び跳ね、寝起きの頭に響く騒々しい声を上げていた。
『さそり座のあなたのラッキーアイテムは、手帳!』
ああ、なるほど。俺、今日は1位なのか。普段見ないからなんの感慨も湧かないけど。
「もしかしてあんた、勘違いしてない?」
「なにが」
「誕生日。おめでとう」
今度こそ、完全に不意を衝かれた。
「……ありがとう」
寝ぼけもここに極まれリ。そうか、今日は。11月11日、月曜日。俺の誕生日だったのだ。そうだった。全く意識していなかった。
「あんたも大きくなったわね。顔付きが立派になった。目付きが悪いのは私に似て、相変わらずだけど」
母さんは顔をくしゃくしゃにして笑った。いつもと違う雰囲気に、なんだか気味が悪いな、と思っていると、俺の頭を乱暴になでてきた。な、なんだよ。
「ひどい寝癖。ちゃんと顔も洗うのよ。
あー、眠い。もう一回寝るわ。行ってらっしゃい」
一息に言うと、さっさと立ち上がってしまった。まったく。いつも一方的なのだ。だいたい、どうして今年に限って、こんなことを。
「温かくしなよ」
あっけにとられながらも、それだけ口にする。まあ、十中八九、気まぐれだろうけど。
身を縮こませながら、通学路を歩く。俺はとって、誕生日とは。
例年なら、授業の板書で日付を書いた時、しばらくしてから思い出す、その程度。そもそも賀茂家では、誕生日を盛大に祝う習慣はない。小学生の頃は誕生日ケーキなんてものもあったが、中学に上がってからは消えた。
プレゼントも似たような状況だ。代わりに、欲しいものがあれば、記念日など関係なく、そのつど申請することになっている。それで十分だった。不自由や寂しさを感じたことはない。
だから、11月11日なんて、俺にとってはそんなものなのだ。一年の中のただの一日。他の大勢の人にとってもそうだろう。ああ、ゾロ目だから、面白がる人間はたまにいるな。
「賀茂!」
背後から声がかかった。溌剌とした発声。一目しなくても瞭然、春山だろう。
果たして、竹刀と胴着を背負った、高身長の女が追いついてきた。春山が所属する剣道部は、月曜は休みのはずだ。さすがエース、毎日の朝練習も欠かさない。
「よう、春山」
「よっ――どうしたんだ」
春山は俺の顔を覗き込むなり、心配そうに表情を曇らせた。
「なんだよ、なにか付いているか?」
「その逆だ。珍しく、晴れ晴れというか、やけにさっぱりした顔だな」
失礼な。爽やかな表情くらいできるんだぞ。
しかし、俺は内心ぎくりとしていた。今朝の母が脳裏に浮かぶ。「晴れ晴れ」って、まさか、俺は嬉しかったとでも? いや、ない。俺に限って。誕生日を祝ってもらったぐらいで、そんな。
いかん、黙っていたら不自然だ。どうごまかそうかと思案していると、
「あ、ちょっと待て!」
向こうの方から発言を遮ってきた。
「こういうのを言い当てると探偵っぽいよな。いつも賀茂がやっている真似をしてやろう」
勝手にうなずくと、咳払いをしてから、
「さて――簡単な話です。いつも仏頂面の賀茂さんがやけにニヤニヤしています。その理由はなにか?」
俺は苦虫を噛み潰したような顔になっていただろう。確かに、俺は「探偵」なんてあだ名を付けられ、何度か事件を解決してみせたが。第三者目線で見るとこんなふうに見えるんだな。
「短髪のくせに、いつもひどいはずの寝癖が、今日は整えられています。たまたま寝相が良かったか、直したからか。もしくは、誰かのチェックが入った。
それは女ですね」
「……合っている」
春山は嬉しそうに口の端を持ち上げた。こいつ、鋭いな。母さんの指摘通りに寝癖を直したのだった。加えて、今日くらいは、という気持ちもあった。
「まあ賀茂の場合、お母様だろうな。一人っ子だし」
「最初から家族だって決めつけるのは良くないぜ。お前たちの知らない交友関係があるかもしれないだろう」
悔し紛れに言ってみたが、鼻で笑われただけだった。ちくしょう。
「う~ん、でもそこからが分からないな。賀茂がそれで喜ぶとは思えないし。……はっ。まさか」
「それ以上言うなよ」
俺は慌てて、その場しのぎの答えを告げることにする。
「星座占いが良かったんだよ」
「ぶっ、ウケる!」
春山め、吹き出しやがった。失礼なやつだ。
しかし、機を逸してしまったな。なんとなく、今日が俺の誕生日だと言うのに抵抗があった。躊躇しているのだ。なんだか、祝って欲しいとアピールしているみたいで。
もちろん、春山や、他の人間も、そんなふうには捉えないだろう。というか俺だって、誰かの誕生日だと知ったなら、素直に祝福くらいする。しかし自分の立場となると嫌なのだ。自意識過剰と言われても仕方がない。だが素直になりきれない。
素直になるには、今朝は寒すぎる。
「はー、おっかしい。そんな仏頂面で言うことかよ。ガラじゃないな」
そういう春山だって、星座占いはかなり詳しかったじゃないか。毎日結果をチェックしていると言っていた。言動に反して、内面は意外と乙女らしいのだ。
もしかしたら、以前それをからかったのを根に持っているのかもしれない。誕生日のことをあえて言わなかった引け目もあって、俺は軽口を返せなかった。
すでに校内に入っていた。剣道場へ向かう春山とは、ここでいったんお別れだ。ひとしきり笑い終えた春山は、別れ際、なんの気なしに聞いてきた。
「で、何位だったんだ?」
「1位だ」
そう言うと、さすがに驚いたような顔になった。わざわざ、去りかけた足を止めたくらいだ。ふうん、そんなにすごいことなのか? まあ誕生日に1位というのは珍しいかもしれないが、春山はそこまで知らないわけで。
「へ、へえ……ラッキーアイテムは」
「手帳だったかな」
答えたが、どこか反応が薄い。上の空といったふうだ。なんだよ、自分から聞いておいて。
「サイン入りの文庫本! 代筆だとなお良し」とでも答えた方が、話が広がっただろうか? いや、どうして俺がそんな気を遣わなきゃならん。ていうかあんまり面白くないボケだな。
「なあ、賀茂って――」
春山の瞳に、真剣な光が宿った。な、なんだよ急に。
「星座占いの結果で喜ぶなんて、意外と乙女チックなのか?」
「違えよ」
やっぱり根に持ってやがる。
「おっと、そんなこと言っている時間はないんだ。また後でな!」
「おう」
春山は急ぎ足で道場の方へ向かった。どうにも消化不良な感情を弄びながら、俺はその後ろ姿を見送ったのだった。
今日という日は特別ではない。365分の1。ただ通り過ぎて行くだけの毎日に擬態した、無個性な一日。
はあ。こんなことをくどくどと考えている時点で、俺はもうすでに今日という日を意識してしまっている。朝の教室で文庫本(サイン入りではない)を開いてはいるものの、さっきから目が行きつ戻りつしている。あまり没頭できていなかった。
春山に対しても、嘘をついたような決まりの悪さを感じている。情けなさにため息が出る。
11月11日。俺の誕生日。朝から母さんに祝ってもらって、調子が狂っているようだ。そんなに嬉しかったのだろうか?
1年前や、それより前のケースと比較してみる。しかし、どうも記憶の波の狭間で浮き沈みするだけで、その時の気持ちを思い出すことはできなかった。
気付かれなくて良かったと、ホッとする自分がいる反面、こうして無体な考えに沈む己もいる。屈折した感情だということは、とうに承知の上だ。面倒くさい、変なプライドとも言える。
「カモちゃん」
と、もっと単純に面倒くさいやつが、通学鞄を提げてやって来た。
「『愛してる』の意味が知りたいのです」
「……」
神妙な顔付きなのが、また腹が立つ。
学校の近くに住んでいるくせに、いつも始業ギリギリに駆け込んでくるクラスメート、杉本紗妃。こいつがわけの分からないことを口走る時は、たいていアニメの影響だ。今回も、琴線に触れる作品との出会いがあったのだろう。
「今日も夜更かしで寝坊か?」
「違うわよ。今朝は早起きだったんだから。見て」
誇らしげな顔をくるりと傾け、後ろ髪をたなびかせた。目を向けると、なかなか凝った髪型だ。詳しくは知らないが、ストレートの黒髪がリボンでまとめられていて、一部は編み込みになっていた。
「さすがにお団子まで作るのは断念したわ。でもなかなかの完成度でしょう」
早起きしてオシャレしたということらしい。春山のような、言動も風貌も男っぽい女子ならいざ知らず、女という生き物はみな朝早くから身の回りの用意などするものなのだろうか? 大変そうだ。
「そういう髪型のキャラクターなのか?」
「そうなの! すごく可愛いんだけど、完全再現するには、さすがに一人でできる気がしなくって。蛍だったら、複雑な髪型でもすぐに作ってくれるのにな」
蛍とは春山のことだ。意外だった。
「へえ、あいつが。髪短いのに」
「カモちゃん」
杉本は、唐突に俺の肩にポンと手を置き、そして哀れむような目付きでのたまった。
「分かってないわね」
鼻で笑われてしまった……。
「でね、昨日は劇場版を観にいってきたんだけど、もう泣けるのなんのって。もう2回目だったんだけどね」
「2回も観にいったのか?」
「そうよ。1回目はずっと泣いていたから、ところどころ画面を見られていないのよ」
すごいな。映画で涙腺が緩むなんて。
「まず、最初の10分でテレビシリーズに出てきた話のその後が描かれるんだけどね、もうそこで泣いてしまって」
「ふうん」
「今日も学校が終わったら行くつもりよ」
だとしたら3回目だ。そこまで夢中にさせる映画とは……ちょっと興味が出てきた。サワリだけ教えて欲しいと頼むと、杉本は身振り手振りを駆使して、どんな物語なのかを語ってくれた。
「――というわけで、本日は髪型も同じにして、気合はバッチリ! 早く放課後にならないかなー」
そこで、杉本は思い出したかのようにはっとした表情を作ると、手帳を取り出した。書いてある内容を見ながら、
「そうだ、住所が知りたかったのよ!」
「年賀状でもくれるのか?」
年末まではまだ時間があるが。用意周到なんだな。
「あー、それも聞かなきゃだね。でも今日はそうじゃなくて。
この学校の住所が知りたいのよ」
「は?」




