まち針紛失事件 2 【解答編】
解答編です。よくお考えになって、この先へ進んでください。
「さて――簡単な話です」
探偵が、言った。
突然の宣言に、みんながこちらを振り返る。期待に満ちた視線を向けられた。
「お、これがカモちゃんの『探偵モード』か」
「どこにあるか分かったの?」
周りのこんな反応にはもう慣れてしまった。「休み時間探偵」なんて二つ名にも。
俺はこれまで、いくつかの謎を解決してきた。
春山の怪談話。
岡森のカンニング疑惑。
杉本のタイムリップ体験。
そして、まさに今のように、ちょっとした失せ物探しも何度か引き受けた。そのせいで俺は、推理能力が高いとクラスメートから思われるという憂き目に遭っている。
こんな迷惑そうな言い方をするのは、それらは本当の意味で俺の手柄ではないからだ。俺の中に潜むもう一つの人格――「探偵」が、全ての謎を解いてきたのだ。
「ええ、全て分かりました」
にこりと笑みを浮かべ、探偵は彼らを見渡した。「さて」という言葉をトリガーに、俺の身体を10分間だけ乗っ取って、こいつは謎解きをする。
人格交代をすると口調や仕草がかなり変わるのだが、周りの人間はそれをただの「キャラ作り」とでも思っているらしい。本当に中身が変わっていると気付いた人間はまだいない。まあ、普通ならそんな思考には至らないだろう。
そして普通の高校生代表のような俺が小説の探偵のように謎を解いてこられたのは、こういうカラクリがあったから、というわけだ。
探偵はもったいをつけるように間を取ってから、一転、躊躇うことなく核心を突いた。
「まち針がどこに消えたのかも、犯人が誰かも、全て」
途端にざわめきが広がる。
「犯人って……誰かが意図的にまち針を隠しているってこと?」
「その通りです。木は森の中へ、死体はモルグヘ。そして、針は針の中へ隠せ。
まち針は、縫い針の中に紛れていたのです」
そう言って、探偵は台の上に並べられた縫い針を指さした。当然だが、まち針らしきものは見当たらない。すぐさま反論が返された。
「ないじゃないか」
「そうだ。飾りが付いているから、すぐに見分けはつくよ」
「それに長さも違うわ。まち針の方が長いもの」
クラスメートから口々に反証を示されても、探偵は動じない。彼らの言葉にいちいち頷いてから、静かに口を開いた。
「それらを全て同時に解決する方法があるのですよ。犯人のとある行動によって、まち針はあたかも消えたように見せかけられました。
その行動とは――まち針を手で折ることです」
胸の前に両手をかざし、細い物をパキンとへし折るそぶりをする。
「折るって、まさか」
生徒の一人が、何かに気付いたように呟いた。杉本も、ハッとした様子で立ちすくむ。そういったクラスメートの反応は、俺は身体の奥からじっと見守った。推理の内容は既にさっき、人格交代の途中に探偵から聞かされている。
「まち針は、花型の飾りがついた『頭』の部分と、金属の『胴体』部分とに別れたのですね。首切りやら首折りやら、今日は物騒な日です」
探偵は俺の鞄の方をチラッと見て、可笑しそうに笑った。みんなは何のことか分からないようで、ポカンとしている。
『大正ギロチン』
ふん。俺に対する皮肉のつもりか。
「その結果、まち針は少し短くなりました。ちょうど縫い針と同じくらいの長さまで」
探偵は針を並べた台に近付いて、注意深く縫い針を観察し、そのうちの1本をつまみ上げた。
「これが折れたまち針です」
何人かが近付いてきた。良く見れば針の柄の部分に穴はなく、潰れたようになっているのが分かるだろう。クラスメート達は納得したように頷いた。
さっき岡森は、針の穴に糸を通せなかった。それもそのはず。岡森が手に取った縫い針は、この折れたまち針だったから。そもそも穴なんて空いていなかったのだ。
「こうして、分割されたまち針のうち、胴体は縫い針に紛れました。縫い針の数はちょうど合っていましたが、あれはもともと1本落ちていたからでしょう。その後、床から他の縫い針まで見つかったせいで分かりにくくなってしまいましたが」
そう。あの時点で縫い針は1本落ちていて、まち針が1本混入していた。それで数が合っているように見えていただけだった。
もし縫い針が落ちていなかったら、1本多いことで、なにか違うものが混じっていると気付けていたかもしれない。そうなったとしても今度は縫い針探しが行われたことになるが、先程のようにそれはすぐ済んだだろう。ここまでこじれることは無かったはずだ。
「では、頭の部分。花型が付いた方は何処へ行ったのか。それも森の木メソッドです」
「花型の飾り……」
杉本は呟いた後、ハッとした様子でトートバッグに飛びつくと、机の上でひっくり返した。残った数十個の飾りがぱらぱらと台の上に落ちる。
花は、花畑に。杉本はすぐにそれを見つけた。
「あったわ!」
掲げて見せたのは、花飾りの一つ。しかしよくよく見ると、そこには細い金属の棒が付いている。
「これが折れたまち針の柄……」
それは首を切断されたまち針の片割れだった。杉本は青ざめた顔で、無残な姿になったまち針を眺めていた。
「方法は分かったよ。カモちゃん」
岡森が口を開く。
「だけど、さっき『犯人がいる』って言ってたよね。それも分かっているのかい」
「もちろんです」
そして探偵は人差し指を立てて、胸を張り、その人物が誰かを告げた。
「犯人は……。私です」
「は?」
素っ頓狂な声を上げる岡森。数秒の沈黙に遅れて、全員から口々に突っ込みが入った。
「え、どういうこと?」
「何言ってるんだ」
頭をかきながら、苦笑いで告白を続ける。
「それがですね。思い出したんですよ、よくよく考えてみたら!
曲がったまち針をまっすぐに直そうとした時に、ポキっといっちゃいまして。経年劣化で脆くなっていたのでしょう」
「な、なんで言わなかったのよ」
一人の女子から当然の指摘を受ける。探偵は申し訳なさそうな声で、
「いやあ、台に置いておけばいいかと思って、そのままにしてしまいました。本当にすみません」
なんだよー、というため息に似た声が教室に満ちた。
「こういうの、マッチポンプって言うんだよね」
「起きぬなら起こしてしまえ難事件」
「しっかりしてくれよなー、探偵さん!」
こうして事件の舞台は幕を閉じ、俺達は帰れることになった。消えた針の行方に頭を悩ませることも無い。実際は縫い針に混ざっていただけだから危険は無かったのだが、もやもやしなくて済むのは良いことだ。
クラスメートが帰っていく中、岡森が話しかけてきた。既に探偵との人格交代は終わって、俺は元の「賀茂京介」に戻っている。
「いやあ、カモちゃん。今日も大活躍だったね」
やけに機嫌が良かったのは……多分、勘付いたからだろう。岡森は俺の隣で作業をしていた。一応まち針を、じゃなくて。釘を刺しておく。
「頼むから、余計なことは言わないでくれよ」
「分かってるよ。でも意外だったね。カモちゃんってけっこう……おっと」
岡森は不自然に言葉を切った。「そうだ。用事を思い出したから、二人で帰っていなよ」
そう言い残して、去って行く。振り返ると、杉本と目が合った。
もしかしたら、岡森への念押しは無意味だったかもしれない。ゆっくり口を開いた杉本の顔を見ながら、俺はそんなことを考えた。
「ねえカモちゃん。一緒に帰りましょう」
日は暮れても、まだ空は明るい。完全な闇が降りるのはまだしばらく先のことだろう。
学校から下る坂道で、俺は杉本と二人きりだった。鍵の返却とまち針の件の報告のため、一緒に家庭科の先生のところへ寄ったのだ。もともとまち針はかなり古くなっていたから、針の破損で責められることはなかった。
それにしても、杉本の歩みはやけに遅い。まるで、大きくて重たい荷物を抱えて慎重に階段を降りるように。しかしその割には、投げやりに手足を動かしているようにも感じられた。
「カモちゃん」
不意に立ち止まって、杉本は沈黙を破った。
「今日読んでた本、どんなだったの?」
「え。ああ。たまたま図書館で見つけて借りたんだが、ミステリの短編集でな。最後に全ての出来事が繋がるんだよ」
「へえ、面白そう。私も今度借りてみようかな」
杉本は、そんなに本を読む方ではない。不気味だ。会話の行き先が読めず、不穏な空気に嫌でも身構えてしまう。
「題名はなんだっけ?」
「……『大正ギロチン』」
「そうそう! 教室でちらっと見えたんだけど、物騒な題名だと思ったのよね。
そっか。もしかしたらそれでカモちゃんは気付いたのかな」
杉本はうんうん、と一人で何事かを納得し、それから俺の方を向いた。口角をにいっと上げ、切れ長の目を細めた。
「どうして私達に嘘ついたの?」
まっすぐに見つめられた俺は耐えきれず、瞳を逸らしてしまった。こうなるのは覚悟していたはずなのに。
「……嘘ってなんだよ」
「針を折ったのはカモちゃんじゃなかった。そうなんでしょ」
笑顔のはずなのに、どこか凄みがある。はあ。気付かれてしまっては仕方がない。妙に鋭いところがある奴だしな。俺は気まずさに押しつぶされそうになりながらも、正直に答えることにする。
「そうだよ。俺が針を折ったっていうのは作り話だ」
確かに俺は、まち針の一本をまっすぐに直した。だが、実際は折れたりはしなかった。
探偵が俺に告げた、本当の犯人。それは、
「私なんだよね。多分」
杉本は笑顔を曇らせ、俯き加減に呟いた。
探偵と人格交代を交わす間に、俺は犯人の名前を尋ねていた。確信があったわけではない。何の気なしに訊いただけだった。その時に奴は、
『それは杉本さんです』
そう答えたのだった。
(杉本が……? そんなわけない。だって、あいつは誰よりもまち針の行方を気にしているんだぞ)
俺は探偵を問い詰めた。だが奴の示した推理を前にして、俺はその事実を認めざるを得なくなった。
『彼女が意図的にまち針を折ったわけではありませんよ。理由もありませんしね。厳密には、まち針を折った物はミシンの針です』
ミシンだと?
その瞬間、俺の脳裏に突飛なイメージが去来した。それは断頭台だった。無慈悲に、唸りをあげて落下する刃。それが次の瞬間には、力強く律動するミシンの針の映像に重なる。俺は何が起きたのかを悟った。
(嘘だろ……)
布をミシンにかける時は、仮止めに使ったまち針を抜きながら進めなければならない。でないとたまに、ミシンの針がまち針に当たって折れたり、まち針が曲がったりするのだ。
普通なら、まち針が折れることはまずない。しかし錆付くほど劣化したものなら、どうだろうか。
「私、途中からまち針を抜くのをサボっちゃったのよ。忙しくて、つい疎かにした」
悔いるように杉本は告白した。絞り出された声には、自嘲の響きが強く込められていた。今、彼女には、どういう言葉をかけるべきなのだろうか?
『これは証言から推理したことです』
探偵は、単なる想像でこの仮説を立てたわけではなかった。
『ある方が、杉本さんから布を受け取り、まち針を抜くのを手伝ったとおっしゃっていました。それは、ミシンをかけ終わったハチマキに、まだまち針が刺さっていたということを意味しています。
つまり杉本さんは、まち針を刺した状態でミシンを動かしていたのです。恐らく、作業に追われて』
また、杉本はまち針を探す時、ハチマキに刺さったままになっていたら危ないと言ったのだ。まち針を抜いていなかったと告げていたのも同然だ。おそらく、それが原因とは気付かないままに。
「針は折れ、二つに別れた。花型の飾りは弾みで飛ばされ、近くに広げてあった花飾りの中に紛れこんだ」
結局俺には、探偵から教えられた推理を伝える以外に、杉本にかけるべき言葉を持ち合わせてはいなかった。
「それから残った針の方だが……。花型が取れたことで、他のまち針に比べて目立たなくなった。だから布に刺さったままになってしまったんだ。まち針を抜く時は、その花型部分を掴むだろうしな」
俺が見つけた、ハチマキに刺さったままの針。あれは縫い針ではなく、折れたまち針の残骸だったのだ。
岡森は俺が渡した針山からその針を取った。当然、さっき探偵も説明したように、糸は通せない。
探偵は初め、これらの推理を俺にだけ聞かせた。
(どうしたんだ。早くいつもみたいに、みんなの前で謎解きをしたらいいじゃないか)
『カモさんは、本当にそれでいいのですか?』
しかし奴は、俺にそう問い返してきたのだ。
(どういう意味だ)
答えながら俺は、察していたのかもしれない。真相を知ったうえで、自分が何を望んでいるのか。
『分かりますよ。カモさんが望んでいること』
心を完全に見透かされていた。伊達に俺の中に棲んでいるわけじゃないらしい。
俺は、頼みごとをした。
(犯人は俺だということにしてくれ)
「――カモちゃんは、私をかばってくれたんだよね。私が頼りないばっかりに」
杉本は寂しげな笑顔を浮かべた。違う。そうじゃない。
確かにあの状況で、杉本だけが針の行方にこだわっていたあの状況で、もしも彼女本人が原因だったということになれば。クラスメート達は、心良く思わなかっただろう。
「でもカモちゃん。みんなは多分、許してくれたと思うよ」
悲しそうな目で、俺を見つめた。
「そんなことでみんなとギクシャクしたりしないよ」
その声は、信じている者の声だった。ひとかけらの疑いもない力強さが、その言葉の芯を貫いていた。それは正しいことなのかもしれない。だが俺は、どうしても信じられない。
クラスの団結。みんなのために。青春。そんなものは絵空事だ。脆いものだと知っている。思い知らされたではないか。
俺が信じていなかったのは、杉本ではなく、集団の空気だったのだ。
岡森はそのことを見抜いていた。俺が針を折っていないこと、そして俺がこんな嘘をついた理由にも。だから楽しそうに笑ったのだ。あいつも、信じていない側の人間だから。
だがそんなこと、杉本に言えるだろうか? 希望を抱いている人間に、突きつけることができるか? いや、それも違うな。俺は怖かったのだ。その希望を俺は見限っている、と伝えることが。
杉本をかばっただなんて、とんでもない。だって俺は、杉本を傷つけてしまっただろうから。
「行こう」
俺は歩みを再開した。杉本も、吹っ切るように笑って、「うん」と元気よく頷いた。その笑顔はいつもとなんら変わりなくて。罪悪感にまみれながらも俺は、見惚れてしまって。
オレンジ色が完全に消えた空に目をやる。彼女の信じるものの中には、俺も含まれているのだろうか、などと考えながら。
「まち針紛失事件」 了
杉本との下校イベントをふいにしてしまったカモちゃん。ドンマイ!
どうも、みのり ナッシングです。本作をいつもお読みいただきありがとうございます。
今回は少し短めのお話でした。時系列的には「D or A」と「雨の日の遠まわり」の間に入ります。
本話を読んでから「雨の〜 1」での岡森の台詞を読むと、こいつ……ってなります。なりませんか?笑 カモちゃんも、おそらく苦々しい顔をしていたことでしょう。
活動報告では告知していたのですが、予告していた作品は後回しです。申し訳ありません。
先に幕間の公開となりました。そのうち、六月編にもう1話追加されると思います。いつになるか分かりませんが……気長にお待ちいただけると幸いです。




