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まち針紛失事件 1

登場人物紹介 ~選択科目 芸術編~


賀茂かも 京介きょうすけ

音楽選択。書道室と美術室は1階、音楽室は4階の奥にあるため、選んだことを後悔し始めている。


杉本すぎもと 紗妃さき

書道選択。たった一人の書道部の名に恥じぬよう、今なお研鑽中。


岡森おかもり 桜一おういち

美術選択。絵を描くのが好きだから、という理由ではなく、消去法で(字が汚いうえ、音痴)。


春山はるやま ほたる

音楽選択。剣道で鍛え上げられた声量を遺憾なく発揮する……ことはなく、歌唱時はアニメ声になる。

 

 いつの間にか、辺りはオレンジ色に包まれていた。


 本来ならあたたかな暖色であるはずのその光景は、ひどく寂しく俺の瞳に映った。理由はおそらく二つ。一つは、放課後の教室に独りきりでいたから。もう一つは、読み終えた物語の、切なく残酷な結末のせいだろう。


 俺は文庫本をそっと机に置き、思い切り伸びをした。一人だから、誰にも気兼ねする必要はない。ここまで読書に集中するのは珍しいことだった。


『大正ギロチン』


 という、少々物騒な題名の学園ミステリだ。タイトルと反した爽やかな描写に、すっかり夢中になっていた。最近は調べものばかりでフィクションはあまり読めていなかったから、なおさら没入してしまったのかもしれない。


 窓際まで歩いていって、外の景色を眺めた。きれいな夕焼けに染められて、野球部が練習に勤しんでいる。


 土にまみれ、暗くなるまで白球を追いかける。これは分かりやすく青春だ。では、本に熱中して時間が経つのも忘れるというのは、どうだろうか。


「ふむ。これもまた、青春には違いない……」


 そう呟いてから、俺は苦笑した。自分が感傷的な気分になっているのに気付いたからだ。青春、などと。似合わない。きっと、さっきまで読んでいた小説の影響を受けているんだ。


 と、その時。窓ガラスに髪の長い少女の影が映り込んでいることに気が付いた。位置的に、俺のすぐ後ろだ。声にならない悲鳴を上げてしまう。


「……!」


 振り返って目の前にいたのは、クラスメートの杉本紗妃(さき)だった。なんだ、脅かすなよ。


 栄藍(えいらん)高校の古風な制服に包まれた小柄な体躯。はっとするほど黒く、長い髪の一房が肩に垂れている。切れ長の、それでいて冷たさを感じさせない瞳の中では、夕景が煌めいていた。


「きれいだね」


「え?」


「夕日」


 薄暗い教室を、斜陽が照らしている。「う〜ん。目が痛い」杉本が目をゴシゴシこする。いつもは白い杉本の肌も、オレンジに染められて色づいていた。俺は……どうなんだろう。


「緑色がチカチカするわ……」


「どうした、こんな時間に」


 呻き声を上げる杉本に尋ねてみた。


「忘れ物を取りに来たの」


 杉本が両手で掲げて見せたのは、トートバッグだった。そういえば、杉本の机の横にかかっていたのをさっき見た気がする。俺と杉本は席が隣同士だ。持ち帰り忘れたのかと思って、少し気になったのだ。


「カモちゃんは。本読み終わったの?」


 俺が本を読んでいたことに気付いていたらしい。そりゃそうか。隣なんだし。


「ああ。なかなか面白かった」


「ふうん。みんなが帰ってからも、ずっと取り憑かれたように読んでたもんね」


 そんな風に見えていたのか、俺。


「はは、悪魔憑きじゃあるまいし」


 しかし俺の頭の中では、あいつ・・・の声が甦った。


『カモさん、また会いましたね』


 慌ててかき消す。悪魔。悪霊。まさか、な。


「ねえカモちゃん。今ハチマキ作ってるんだけど、手伝ってくれないかしら。人手が思ったより足りなくて」


 と、杉本は申し訳なさそうに手を合わせてきた。そういえば、球技大会用のクラスハチマキを作るとかなんとか、ショートホームルームで言っていた気がする。このトートバッグも、ハチマキ作りのために取りに来たらしい。


 それにしても、本番はもう近い。間に合うのだろうか。


「別にいいが、あまり裁縫はできないぞ」


 中学の時、家庭科の時間は苦痛だった。例えばミシン。俺に扱わせればミシン針が折れ、まち針は曲がり、糸はちぎれ、ボビンは吹っ飛んだ……とても裁縫どころではなかった。


「大丈夫よ。他にも仕事は山ほどあるの!」


 杉本は屈託のない笑みを浮かべて、親指を立てた。それはそれで大丈夫じゃない気がする。




 被服室は、1年生の教室がある北館の4階に位置している。毎週のように横は通るが、中を覗くのはこれが初めてだ。


 他のクラスの人間もいるようで、ミシンの動く音や生徒達の飛び交う声で賑わっていた。この光景だって、お手本のような青春だ。


「こっちよ」


 杉本はさっさと中に入ってしまう。俺は引き戸のレールに軽くスリッパの先を打ち付けてから、杉本の後を追いかけた。


「生地の裁断が終わった時に、飾りのことを思い出したの。先にミシンをかけていたら縫い付けにくくなっていたわ。危ないところだった。


 で、さっき教室まで取りに行ったの」


 他のクラスが作業している台を通り過ぎながら、苦笑いで現状を説明する杉本。その表情に、少し引っかかるものを感じた。


「意外だね、カモちゃんが来るなんて」


 と、一人の長髪男に声をかけられた。裁ちばさみで布を切っている。絶妙に似合っていない。


「それはこっちのセリフだ。まさか岡森が協力的な奴だとは」


 憎まれ口をたたき合う。岡森桜一おういち。見た目は良いのだが、中身に関して色々と問題の多い奴である。ハチマキ作りにしたって、そういうクラスの集まりには絶対に参加しないと思っていた。


「本当は先輩の様子を見に来たんだけど、もう作り終わっていたみたいで。そしたらクラスの子に捕まったのさ」


「岡森君! よそ見してたら危ないよ!」


 クラスメートの女子から注意を受けた岡森は、肩をすくめてまた作業に戻った。なるほど、こんな感じで押し切られたのか。


 杉本はバッグの中身をミシンの横に広げた。割り当てられた場所は狭いから、どうしても作業スペースが制限されてしまう。フェルトでできた色とりどりの花型に、小さな歓声が上がった。さながら花畑のようだった。


 飾りが花である理由は、我らが1年10組のトレードマークが花だからだ。これを今からハチマキに縫い付けていく。


 すると杉本は、ミシンの前に腰掛けると、花を一つ取って縫い付け始めた。手慣れた動きだ。見ている間に玉どめまで終えると、布を半分に折り、なめらかにミシンをかけ始めた。


「杉本は裁縫うまいんだな」


 意外だった。てっきり、家事の類いはからっきしだという勝手なイメージを抱いていたから。


「まあ、多少はね。(ほたる)には遠く及ばないけど」


「春山が?」


 それは輪をかけて意外だった。春山蛍。剣道部に所属しているクラスメートの女子だ。男勝りな奴で、いつも自信たっぷりな面構えを保っている豪傑である。


 しかしこの前、杉本のお母さんに料理を教えてもらっていると言っていたし、案外家庭的なのかもしれない。


「胴着の補修だって自分でやっちゃうらしいわよ。今日もいてくれたら良かったんだけど、部活で忙しいから」


 そこで杉本は言葉を切って、周りを見た。玉結びの段階から苦労しているような生徒だらけ。俺は杉本の言いたいことが分かった気がした。明らかに戦力不足だ。


「ああ、やっぱりまち針は打たないと難しいわね。アイロンまではかけていられないか……」


 少し無理をしているような、そんな微笑を、杉本は浮かべている。さっきも思ったが、無理をしてまとめ役を買って出たのではないか。杉本は責任感が強いというか、思い入れを強く持ってしまうタイプに見える。


 頼みを断らなくて、よかった。


「中学で習った知識しかないが、手伝うよ」


 俺は改めて作り方の説明を受けた。


 まず、買っておいた布を長さ1メートル、幅8センチメートルにカットする。さっき岡森もやっていた作業だ。カットできた生地の裏面に、チャコペンで縫い代を描いていく。


 何もないと華やかさに欠けるので、ワンポイントで表面に花を添える。杉本がトートバッグに入れていた大量の花型の飾りがそれだな。


 縫い付けが終わったら、裏面を外側にして縦に半分に折る。端を合わせて、ずれないようにまち針で仮止め。5,6本刺して、それをミシン係(杉本。これから彼女が全てやるらしい)に渡す。


 長い辺と、短い辺の片方をミシンにかける。そのあと長い定規を使って表裏をひっくり返し、残った短い辺も縫って閉じる。最後にアイロンをかけて整えれば完成だ。


 通学鞄を隅に置いて、俺も作業の輪に混ざる。しかし悲しいかな。不器用な男子が一人加わったところで、進み具合が段違いになるはずもなく。なかなか作業は進まない。


 他のクラスは順調にハチマキを完成させ、帰っていった。


「まずいな……」


 まち針を慎重に刺しながら、周りを観察してみる。問題は、指示の伝達がうまくいっていないことだ。杉本という司令塔から、末端へスムーズに伝わらない。作業で疑問点が出るたび、杉本は手を止めてそれに答え、時には現場へ駆け寄らなければならなかった。


 決してクラス仲が悪いわけではない。団結力が無いわけでもない。他のクラスが帰って気が付いたが、10人近くが集まっている。むしろ仲は良い方で、みんな協力的ではあるのだが、いかんせん技術が圧倒的に足りていない。運が悪いことに、裁縫の得意な連中は春山のように部活などの用事で来られなかったようだ。


「くそ、このボロ針、刺しにくいな!」


 家庭科室にあったまち針は、どれもかなり年季の入ったものだった。薄っすら錆びていたり、曲がっていたりして、非常に扱いづらい。


 俺は曲がりが酷いまち針を、ぐいとまっすぐに戻した。


 ……ええと、それから。戦力になるはずの杉本自身も、問題の対応に追われて作業に専念できていない。


 それでも彼女は常に笑顔で、明るく振る舞っていた。その小柄な身体のどこから力が湧いてくるのか。呼ばれたらすぐに「はーい」と嫌な顔一つせず答え、アドバイスしていった。それを頼って、みんなも一層杉本に助けを求める。


「杉本」


「ん。なに?」


 思わず声をかけてしまう。だが、向けられた笑顔を見ていると、言いたかったことは急速にうやむやになって、消えていく。「いや、すまん。なんでもない」


 作業の遅れを嘲笑うかのように時間が過ぎていった。誰もが焦っていた。そして思わぬところから、綻びは顔を出す。


 ミシンがけの終わったハチマキを手にとって、表に返そうとした時。布の表面でなにかがキラリと輝いた。


「うお」


 誰だ。こんなとこに、縫い針を刺したまま(・・・・・・・・・)にした奴は。


 ハチマキに、針が刺さっていた。光の加減で分かったから良かったものの、このままにしていたら危なかった。糸が抜けているから、余計に分かりづらい。誰かが横着して手近な布に差して、そのまま忘れたのか。


 ますます嫌な感じが募る。そのまま作業を続けていたら、俺か、もしくはその後の工程で怪我人が出ていたかもしれない。最悪、そのまま完成品としてクラスメートの誰かが額に巻いていたかも。


 裁縫箱から針山を取り出して、刺しておく。


「あ、カモちゃん。針貸して。僕も挑戦してみるよ」


 岡森の能天気な声で、こわばった肩が良い具合にほぐれた。そうだ。俺まで焦ってどうする。そんなガラじゃないだろ。静かに息を吐いて、岡森に針山を差し出した。


 大事な箇所だから、やってくれる人は多い方が良い。


「そうか。助かる」


 だが1分と経たずして、


「おーい、カモちゃん」


 岡森がまた寄ってきた。


「へへ、糸を通すところから挫折しちゃった」


「全然だめじゃねえか」


 それはさすがに俺でもできる。まあ、下手なのは同じなので口には出さないが。


「じゃあひっくり返すの手伝ってくれよ。縫い付けは器用な奴に任せておけばいい」


 それからは特に何も起こらず、作業は順調に進んだ。ようやく最後のハチマキが完成した頃には、すっかり日は暮れていた。


「ふう、終わった」


 俺達は口々に健闘をたたえ合った。誰もが晴れやかな顔をしていた。みんなで一つの目標に向かって邁進する。その快感が、久しぶりに蘇りかける。


 余った花飾りをバッグに戻し終わった杉本も、達成感に満ち溢れた表情を浮かべていた。


「みんな、お疲れ様でした。最後に、針の確認ができたら終わりよ」


 そうする決まりになっているのだという。紛失したら危ないもんな。杉本は針を数え始めた。


「いち、にい、」


 周りの生徒は談笑しながらそれを待つだけだった。やっと帰れる。だが、杉本の声がその平和な雰囲気をかき消した。


「そんな。1本足りない」


 しんと、見事に教室が静寂に包まれた。


「1本足りない~」


 うらめしや、とでも言うようにお化けのポーズをとって、おどろおどろしく言い直した。いや、皿じゃないだろ。




「数が足りないって?」


「うん……縫い針はちょうどあるんだけど」


 まち針が1本不足しているらしい。かなりバタバタしていたからな。床に落ちたのだろうか。


「ちょっと探しましょうか。すぐに見つかると思うし」


 まち針の柄には花型の飾りが付いている。抜き忘れや深く刺さりすぎるのを防ぐためらしい。が、こういう時も便利だな。床の色に比してカラフルな色だから。すぐに見つかると杉本が予想したのもそのためだろう。


「あったよ」


 早速、誰かが針を見つけたらしい。しかしすぐに、


「だけど……縫い針だよね」


 そう続けられたのだった。


 結局、その後も縫い針ばかりが3本も見つかった。本命のまち針は見つからない。


「くそ、もともと縫い針は落ちていたんだ。全然ルール守られてないじゃないか」


「その割にまち針は一つも落ちていないのな」


「それはほら、落ちたら目立つからじゃない?」


 手持無沙汰になったクラスメートは口々に話し始めた。だんだん微妙な空気になっていくのを感じる。嫌な感じだ。俺は杉本のそばに寄る。


「どうする?」


「そうね……ミシンの隙間とかにも挟まっていなかったし」


「もういいんじゃないか。どうせ古い針だったろ」


 まち針はかなり年季が入ったものだった。1本くらい失くしてもいいという気はする。


「ダメよ! 危ないじゃない。もしハチマキに刺さったままになっていたら」


 それを聞いてぞっとした。確かに。現にさっき、針が刺さっているのを見たばかりではないか。


 俺達は、今度は完成して折り畳んでいたハチマキを一つ一つ広げて見ていった。しかし、針は出てこない。


「まち針を触っていた人って誰?」


 杉本が全員を見渡して問いかけた。探し物の基本は、失くしたものの軌跡を追うこと。まち針を扱っていた人なら心当たりがあるかもしれない。


 だが、それには誰も応えなかった。みんな分かっていたからだ。


 誰もがまち針に触れていた、と。


「……私は触ったわね」


 言い出した責任感からか、杉本はそう付け加えた。ミシン係をしていたのだから、当然だろう。他の奴らもそれに続く。


「俺も、まち針には触れた。行方不明の1本にも触ったかもしれない」


「僕もカモちゃんと一緒だよ」


 花飾りを縫い付け終わった後に、まち針を差してミシン係に渡す。その際、裁縫のできない俺や岡森のような男子は、まち針を刺す役割を負っていた。


「私もまち針には触ったと思う」


 花飾りを縫い付けていた女子の一人が言った。人数が足りていないから、花飾りを付けた女子がそのまま、まち針を付けることもあったのだ。他の女子も頷く。


「私も」


「杉本さんが抜いたまち針を男子のところに持って行ったよ」


「あ、それなら僕も。杉本さんからハチマキを渡されて、針を抜くのを手伝った」


 ようするに、ほぼ全員が問題のまち針に触れていたかもしれないということだった。これでは軌跡を追うことは叶わない。


「なあ、もういいんじゃないか」


 そんな声が上がり始める。さっきは俺も言ったが、みんな感じていたことだったのだろう。そりゃそうだ。思ったよりも長い時間がかかってしまった。最低限、ハチマキの安全は確認できているのだ。


「でも……」


 杉本は納得がいかないみたいだった。疑問に感じることがあればこだわってしまう奴だ。当然といえば当然だった。だが、今はみんなのことも考えている。自分がこのまま長引かせても、仕方がない。それは十分に分かった上で、どうすればいいのか、悩んでいるようだった。


 クラスメートも倦怠感を滲ませてはいるが、不満は言わず、リーダー役を買って出てくれた杉本を複雑な表情で見つめている。


 この状況で、俺にできること。それは、あの言葉を口にすることだけだった。


『さて――』






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