いつ見ても青信号 2
いつ見ても青信号、だから待つ羽目になる。
この不可思議な言葉に解釈を与えるという無謀にも思える試みは、杉本と先輩の意外なつながりによって新たな展開を迎えつつあった。
……春山はともかく、体育会系という言葉があまり似合わない杉本が、どうして柔道部の先輩を知っていたのだろうか。
「先輩から聞いていたのか?」
「いいえ、私が直接聞いたわけじゃないの」
杉本はもう一度プリクラの画像を俺に見せた。そして、先輩の隣に写っていた女子を指し示す。
「この子から聞いたのよ。1年で、柔道部のマネージャーをしているんだけど」
幼い顔立ちのその女子は、顔の横にピースを作ったポーズで先輩に身を寄せていた。2人は付き合っているのだろうか。
「ああ、彼女か。まだ頑張っているみたいだね」
岡森が薄笑いを浮かべて、どこか含みのある口調で言った。なんだ、岡森も知っているのか。杉本は、その言葉に一瞬ぎこちない笑みを浮かべたが、特に言葉は返さず話を続けた。
「えっと、さっきまでは情報が少なすぎるって話だったわよね。でも、発言の主が志野原先輩なら、話が別だわ」
「どういうことだ?」
俺は話の流れが分からず、杉本に尋ねる。
「そうね――まず、このマネージャーの子から聞いた話をするわ。彼女はある日、学校の帰りに先輩を見たらしいの。ランニング中の先輩を」
「ランニングって」
「ええ、多分さっきの話に出てきたことよ」
これは――もしかすると、面白いことになってきたかもしれない。
「その女子生徒は……どこで先輩を見かけたんだ」
俺はまさかと思いながら、杉本に尋ねた。
「駅よ。改札口から出るときに、先輩を見かけたの。
その子は中学も先輩と同じで、だから当然最寄り駅も同じ。学校の帰りにランニング中の先輩を見かけたのね」
「その駅、どこか分かるかい?」
岡森が尋ねた。杉本が答えた駅名は、俺も聞いたことがある地名だった。
「あった。ここだね」
素早くスマホを操作した岡森は、画面を俺たちに見せた。3人が身を乗り出すようにして覗き込む。そこには地図が表示されていた。先輩の地元の駅と、その周辺の地図だ(図参照)。
「この駅、橋上駅らしいよ」
「キョウジョウ……なんだそれ?」
春山が眉をひそめる。
「線路をまたぐように造られた通路に、改札口なんかが設置されている駅のことさ。歩行者は踏切を渡らなくても、その立体通路を使えば向こう側へ行ける」
俺もそういうタイプの駅は知っていた。一旦階段を上がって改札に入るか、もしくは改札を通り過ぎてまた階段を降り、線路の向こう側へ渡ることもできる。
「見る限り、広めの通路みたいだね。この駅は急行も止まるし、通路の中には売店もあるみたいだ。
周辺には、公園が一つしか無い。地図の右上にある緑色の区画だよ。それから、駅と公園の途中には交差点は一箇所だけ……」
興奮していたのか、岡森は少し早口だった。俺も驚きを禁じ得ない。まさか、最初に言っていた「どこにある信号か」ということまで特定できてしまったとは……。
「そう考えると、やっぱりさっきの仮説は成り立たなくなるわね。見て、この交差点」
杉本が言いたいことは、恐らく3人とも理解していただろう。春山が頭をかきながら言った。
「ああ、確かにこれじゃあな。大きすぎる」
「ええ、そうよ。この交差点は明らかに大きいわ。歩行者用信号は付いているはずよ」
道路の真ん中に引かれた薄緑のラインは、中央分離帯だろう。植木になっているところもあるから、それを表現しているのかもしれない。当然、それなりに大きい道路と言うことだ。
それを横切る道路も太く描かれているし、駅のすぐ近くという立地だ。さっきの推理にあった「歩行者用信号がないくらい小さな交差点」には、残念ながら当てはまらない。
「考え直しだね」
そう言った岡森の声は、しかし、この状況を楽しんでいるかのように弾んでいた。岡森だけではない。一気に推理が進展したことに、全員が予想外の興奮を覚えていた。世間は狭い、と言ってしまえばそれまでだが、俺たちはこの状況にワクワクしていた。
「いったん整理してみよう……今の情報で特定できたことは2つ。発言の主が志野原紅星という人物だということ、そして信号があった場所だな」
「ちょっと待て」
春山が言った。
「やっぱりすぐには信じられないな……こんな簡単に、場所まで特定できてしまっていいのか? 他の交差点だったっていう可能性はないのか」
確かに、それももっともだ。杉本を見ると、彼女はまだ何か知っているようだった。
「蛍、それでも多分この場所で合っているわ」
「どうして?」
「たしか先輩は、駅のすぐ南のマンションに住んでいたはずだから。これも浅村さんに聞いたんだけど」
「浅村?」
聞きなれない名前に、俺は思わず口を挟む。
「ああ、さっき言った柔道部のマネージャーさんよ。浅村みなみさん。茶道部にも入っていて、そこでお友達になったの」
またしてもマネージャーからの情報。駅のすぐ南のマンション――地図を見る限りいくつかあるが、なるほど、どのマンションも駅との間には大きな交差点はありそうにない。
さらに先輩の連れの発言から、先輩は家の近くの公園までランニングをしていたことが分かっている。公園は駅の北にも南にも、地図に表示された一か所しか確認できない。
なるほど、やはり件の交差点はここでいいのか……そう思って、あることが気になった。
「なあ、そのマネージャー、やけに詳しくないか?」
するとなぜか岡森が、肩をすくめながら言った。
「カモちゃん。浅村みなみは、志野原先輩に惚れているのさ」
「桜くん」
杉本が少し咎めるような口調で言った。女の子の秘密というやつだろうか。軽々しく口にしてはならない。それを岡森が知っていたのは気になるが。
「別に隠しておくほどのことじゃないだろ。蛍ちゃんだって聞いているだろう?」
「ああ、噂にはなっているが……岡森」
春山は岡森をギロリと睨むと、
「次その呼び方をしたら殴る」
ドスの利いた声で言った。勘弁してよと岡森は笑う。
「そんなに有名なのか?」
岡森に尋ねてみる。
「有名も何も、あれは凄いよ。よくもあれだけ熱烈にアプローチできるものだね」
「浅村さんはずっと先輩のことを想っていたらしいから……」
杉本はフォローするように言ったが、その声にあまり力はなかった。
「だけど、先輩との進展を逐一周りに報告するんだろう? 牽制も兼ねて。紗妃ちゃんが詳しかったのも、彼女が細かいことまで教えて来たからじゃないのかい?」
杉本は苦笑いを浮かべただけで、何も言わなかったが、それが肯定を意味しているのは明らかだった。現に浅村は先輩とのプリクラ写真を杉本に送っているくらいだ。
そして、腑に落ちることがあった。俺が不思議に思っていた理由だ。
マネジャーが先輩のことに詳しいのはさほど不思議ではない。だが、話を聞いただけの杉本がその話を詳しく覚えていたことに引っ掛かりを覚えたのだった。この様子だと、杉本は浅村から先輩とのあれこれについてしつこく報告を受けていたのだろう。ランニングをしているというような、細かなことまで。
得心がいったら、岡森が俺の方を向いて言った。
「僕はカモちゃんの誤解を解いておこうと思って言っただけなんだから」
どういう意味だ。嫌な予感がして、少し警戒していると岡森は顔を近づけて来て、そっと耳打ちした。
「紗妃ちゃんは先輩に興味があったわけじゃないんだ。良かったね」
こいつ、まだ言うか――思わず顔をしかめたが、岡森は菩薩のような微笑みを浮かべているだけだった。俺は岡森のことは無視して杉本に確認する。
「さっき『まだ終わりじゃない』って言った理由は、これだったのか」
杉本は、浅村から聞いた志野原先輩の情報をもとに、推理を続けられると踏んだのだろう。事実、信号の場所が特定できたのだ。かなりの進展かもしれない。
「ええ、そうよ」
「他に聞いていることはないのか?」
尋ねてみると、スマホの画面を見せてきた。
「ランニング中の先輩の写真があるわ。多分、駅で撮ったのね」
見ると先輩の胸から上がアップで写っていた。横顔で写っているところからすると、先輩を見つけてすぐに撮ったらしい。おそらく無断で。
杉本はため息をつきながら言った。
「ちょうど7時に送られてきていたわ。それまでは満員電車のせいか凄く機嫌が悪そうだったのに、先輩を見かけた途端はしゃいで……」
どこか暗い目で杉本は言った。珍しく言葉が刺々しい。辟易していた部分もあるのだろう。
浅村がどれほど先輩に熱を上げているかが分かろうというものだ。夢中になると周りが目に入らなくなるタイプなのかもしれない。そうはなりたくないものだ。
それにしても、女子の付き合いというのは大変だな……。
「少し、まとめよう」
暗くなった雰囲気を振り払うため、俺はつとめて明るく言った。
「これまでの話から先輩の足取りがつかめた。先輩は南から来て、駅の通路を通り、北側に出た」
「先輩が信号に捕まったのは、この位置だろうね」
岡森が再びスマホに地図を表示した。どうやったのか、交差点の左下に紅い星が付け加えられていた。先輩を表しているのだろう。
よし、これで何か分かるはず……と思ったのだが。
「やっぱり難しいな」
春山が言った。それは全員が思ったことだろう。やはり「いつ見ても青信号」と「青信号だから待つ羽目になる」という2つの謎に、合理的な説明を付けるのは困難なように思えた。
「あんまり関係ないかもしれないけどさ」
岡森が軽い口調で言った。
「浅村さんが先輩を見たのは、ランニングに行く途中じゃなくて、帰り道だったのかもしれないよね」
それが本気で言ったことではないのは、岡森の表情を見れば明らかだった。謎解きに関わってくるとも思えないしな。
だが、それは杉本の言葉によってしっかりと否定された。
「桜君、実は分かるかもしれないわ。さっきの写真、先輩は汗をかいていなかったの」
ランニング中なのにか? 俺は不思議に思ったが、春山は納得したようだった。
「ああ、そうか。だから行く途中だって分かるんだな」
「どういうことだ?」
「運動をしている人だと、軽く走ったくらいじゃなかなか汗は出ないからな。
先輩が駅で汗をかいていなかったって言うなら、それは行く途中だったからだ。先輩の家は駅のすぐ南にあるんだろう? もし帰りなら、公園で運動を終えた後だろうし、汗をかいているって分かるはずだ」
なるほど……意外と推理できるものだな。だが、それが分かっても肝心の謎の解明には繋がらないことに変わりない。
「いつ見ても青信号」の方はやはり偶然なのではないかと思えてくる。「青信号だから待つ」理由は……分からん。
「やっぱり、車用の信号を見ていったんじゃないか? 歩行者用があったとしても、車用のほうがデカいし、ありそうじゃないか」
春山が言った。まあ、そう考えてしまうと楽だが……俺は気付いてしまった。
「春山、それはない。なぜなら同じ方向だったら歩行者用も車両用も同じ色だ」
「あ、ほんとだ」
もし先輩が南北に延びる道路の車両用信号の青色を見たとしても、その時は歩行者用も青色だ。
「違う向きの信号を見て言ったというのは……さすがに無理があるね」
岡森も同意するように言った。春山が食い下がる。
「じゃあ、『待つ』っていうのが信号のことじゃなかったとしたら?」
ほう、それは面白そうだ。
「例えば?」
「そうだな。他に誰かを待っていたとか。実は2人で走りに行く約束をしていて、そこが待ち合わせになっていたとか」
確かに、「待つ」という部分だけに注目すれば考えられなくもないが……やはり、「青信号だから」以降の説明にはなっていない気がする。交差点を渡る前に合流したかったからとか?
いや、そうだとしても、青信号だろうが赤信号だろうが、もう一人が来ていなければ「待つ羽目になる」ことに変わりはない。
さらに、またしても杉本の発言によってその可能性は否定された。
「それは多分ないわ。浅村さんが、一度先輩のランニングに付き合わせてほしいって頼んだそうなんだけど、1人で走りたいからって断られたんだって」
「確かに、先輩なら言いそうだ」
春山が納得したように唸った。どういうことだ?
「志野原先輩は、時間にもの凄く厳しいことで有名なんだ。部活のメニューも、分刻みのタイムスケジュール通りにきっちりこなすらしいからな。柔道部の奴らは泣いてたよ」
「ああ、浅村さんも言っていたわ。ランニングの時も、ストップウォッチで毎日同じくらいのペースで走れるように気を付けているみたい」
杉本が言った。先輩は時間に厳しい……とすると、岡森が言った「先輩は同じ時間に家を出ている」という説は当たっているかもしれないな。これで「いつ見ても」の方は解けたのか?
いや、違うな。だとすれば先輩が毎日その時間に家を出る意味が分からない。なぜなら、それは必ず信号に捕まるタイミングなのだから。最初に確認した通りいくら先輩がいらだっていなかったからと言って、時間をずらすくらいはするだろう。
それにしても何でも知っているな、浅村さん。彼女の証言のおかげで推理が進んでいるのは確かだが、同じように彼女の証言によって打ち消されるの繰り返しだから、正解に近づけている気がまるでしない。
ん? いや、そもそも正解なんてあるのか? もともとこれは思考を楽しむゲームのはずだった。だが今の3人の顔には疲れが色濃く見てとれる。恐らく俺だってそうだろう。楽しむどころか、苦しめられているではないか。
教室の時計を見ると、もう30分ほども話し込んでいたみたいだった。杉本ですら、目には諦めの色が浮かんでいた。ここらで潮時かもしれない。今回も探偵に助けを求めるしかないのか……。
休憩のつもりが、逆に疲れてしまった。分からない問題を必死で考える感覚。そういえば、これと同じ感覚を最近味わったような――。
いつものあの言葉を口にしようとしたその時、俺の頭の中で何かが弾けた。そうか! これなら第2の謎は解明できる! 確かに、先輩は待つ羽目になったはずだ。
じゃあ、第1の謎は……珍しく冴え渡った俺の思考が止まることはなかった。欲を言えば試験の最中に冴えて欲しかったものだが、まあ、いい。なにしろ、ギリギリのところで「探偵」の助けを借りずに済んだのかもしれないのだから。
浅村の話を思い出せ。……先輩が、実は真相に気付いていたとしたら? 俺が聞き取れた分の会話だけでは分からなかったが、先輩からすれば自明のことだったのではないか。いつ見ても青信号なのも、青信号だから捕まるのも。
「分かった!」
俺は叫んでいた。その表情は晴れやかだったろう。
「そうなの!?」
「本当か!」
「さすが『探偵さん』だね」
3人が口々に言った。目は期待にあふれている。ふふ、今日ばかりは探偵を名乗るのもやぶさかではないな。
「ああ、考えてみれば簡単な推理だったんだ。
まずは2つ目からだ。岡森、さっきの地図を見せてくれ」
俺は満を持して解決編を始めようとした。が、しかし。
『この交差点――』
瞬間、世界が反転する。――は? どうしてだ。どうして交代が起こるんだ?
キーンという耳鳴り。視界が歪む。俺は水底に沈むように外界から隔絶されていき、身体の奥へ、奥へと潜っていく。代わりに、探偵が、表層へと現れる。
『やあ、カモさん。惜しかったですね』
楽しげな奴の声が聞こえた。まさか――俺はさっき、なんと言ったか。
『このコウサテン――』
……嘘だろ!? 確かに、探偵は俺が「さて」と唱えることで現れるが……そんなのありかよ!
『ふふ、残念でしたね。謎解きの役目は、そう易々と譲りません』
こいつは、4月、入学式の日に俺の心に棲み着いた得体の知れない存在だ。普段は眠ったようになっているが、俺がどうしようもない謎に直面し、なおかつ「さて」と口にすると、こうやって表層に現れる。そして、尋常ならざる推理力で瞬く間に謎を解くのだ。奴は自らを「探偵」と言った。
それが口先だけでないことは、俺が身をもって体験していた。4月の一件、杉本のダイイングメッセージ、春山の怪談話――持ち込まれた数々の依頼も、奴にかかれば10分もかからずに解決してしまった。それこそが、杉本が俺に付けた二つ名である「休み時間探偵」の由来だ。
だがこの二つ名、俺自身は探偵でも何でも無いわけで、非常に心苦しい。かと言ってこのようなことを信じてもらえるとも思えない。
だから今回は、初めて自分で解決できると思っていたのだが……。
(くそ、ひどすぎる!)
言葉の中に「さて」という音が含まれていただけで交代のトリガーになるとは……とんだ悪魔のゲームである。
そうこうしているうちに、人格交代が終わった。交代している間、身体の支配権は探偵に移る。視覚や聴覚などの感覚は残るので、謎解きを聞くことはできるが。
探偵が、言った。
「さて――簡単な話です」
それはさっき俺が言ったよ。




