2-2
翌日、学校から帰ると彼女の行方とその行動の謎を報告書にまとめてあった。みゆきは着替えもせず――制服のままで――急いで報告書を開く。
「……マジッ!?」
その内容にみゆきは目をまん丸にした。
彼女の当初の目的事態は一般には珍しいことかもしれないが、自分のように裏業界に精通してると驚くに値しない。
これが理由だと人捜しを得意とする探偵が役に立たないのも納得はいった。
警察はハナから役に立たない。今回の事件は自分で身辺整理を完璧に行っているの失踪届けだしても事件性が低いと判断する。事件性が低ければ、そして権力のない一般市民の要望に警察は応じて探すようなことない。ただ失踪人として登録されるだけだ。
しかし彼女が彼の元から去った真の理由には正直驚いた。
「ほえぇぇぇぇ……こういうこともあるのねぇー」
背もたれに身体を預けながら、目を軽く指で押さえる。
今回のことはみゆきの予想に反して実におもしろかった。世の中にはこんなこともあるんだといたく感心した。
みゆきはどんな情報でも知ることができるけど、それは自分が知りたいと思うことが大前提。知りたくない、興味がない情報は調べない。
しかし世界には自分の食指が動かない情報でも気づかないだけで――食わず嫌いというべきだろうか――面白い情報はいくらでもある。
自分の見方だけではなく他人の見方を拝借したいという思いもみゆきが『フェアリー』をしている理由の一つでもある。そういった理由では『リュウ』は十分楽しませてくれた。
「さてどうしようか」
つぶやきながら思案顔。お礼代わりに彼女のことを教えてあげるのは簡単。
「でもねぇ……」
彼女の行動と想いからすると伝えないのがむしろ親切のような気がした。
単に彼女がいる場所を教えただけだと彼女はまた逃げるだろう。
理由付きで教えた場合――彼は彼女の気持ちを理解しないだろう。きっとこじれる。
「うまくいく方法は……無いわけじゃないけど……」
彼女と幸せになる方法は彼が必ずしも幸せであるとは限らない。彼は恋人のためにポリシーを捨てられるだろうか?
「……それはそれで面白そうね」
恋人のために捨てる人生――そんな生き方もある。問題はその捨てるモノだ。
彼が嫌いな生き方を彼女のために選択できるか? はたまた嫌いな生き方をしないために彼女をあきらめるという詮索をとるのか?
――そう考えると実に興味深い。
「よしっ!」
みゆきはメールを作成しようするが少し考えてやめる。自分で『フェアリー』としてメール作成しようとするとどうしても遊びたくなる。自分は今回の全貌を知っているが『リュウ』は当然のことながら知らない。もしかしたら事件に巻き込まれて最悪の想像をしているかもしれない。そんな時に茶化したメールきたら腹を立てるかもしれないと判断した。
「カムイ、この依頼人に今日の午後十時ちょうどにチャットルームにくるように連絡して。パソコンのほうでも携帯のメールでもどっちでもいいから確実にね」
『YES。パスワード ヲ クダサイ』
「……ああ、そうか」
一瞬カムイは何言ってるのかわからなかった。チャットルームの入室のためのパスワードのことか。
――どうしようか? と少し悩む。
「まあいいや、『三代目』にして」
『OK』
返事とともにカムイは動き始める。
『完了シマシタ』
――ピンと音と同時にカムイは報告する。
「さすがに早いね、さて後はあたしのアドリブ次第か。……どんな結果になるのかな?」
楽しみだった。
フェアリー≫いらっしゃい、リュウさん
リュウ≫初めまして、早速ですが操は無事なのですか?
『早ク教エテクレ! ソレダケデデモ確認サセテクレ!』
十時前から入室するほど切羽詰まってたのだから、この言い草もわかった。
「安否くらいはメールで教えててもよかったわね」
余談だが今日の『フェアリー』としての口調は事務的な公務員をイメージしている。
フェアリー≫そうですね、まずあなたを安心させましょう。彼女の身に何の危険もありません。事件・事故に巻き込まれたということはありません。ご安心を。
リュウ≫本当ですか! 操は無事なんですね!
フェアリー≫私を世界最高の情報収集家だと知ってなお、その発言をしますか?
リュウ≫すみません……いえありがとうございます
『アア、……ヨカッタ。操ハ無事ナンダ! 本当ニヨカッタ』
カムイを介して彼の安堵がみゆきの耳に届く。涙を流しているような気さえする。
(……心の底から心配してたのだものね)
ここ数日でずいぶんやつれたという情報がある。
彼は本当に優しい人。
それは恋人でないみゆきにだってわかった。
リュウ≫じゃあ操は今どこで何をしてるのです?
せっかちにも思える彼の矢継ぎ早の質問。それは理解できる。
「――ただカムイの調べた現実にあなたは絶えられる?」
フェアリー≫まず今回あなたの依頼は非常に苦労したということを伝えさせてください。彼女の身の消し方はほぼ完璧です。それが意味することが分かりますか?
リュウ≫……いえ
『ソリャァ、警察ダッテ探偵ダッテ無理ダッタカラ苦労ハスルダロウケド、……ソレガ何ノ意味ガアルッテ言ウンダ?』
フェアリー≫彼女は探して欲しくないと考えています。あなたにもう逢う気はないと考えてます。
『――! 嘘ダ! ソンナコトガ、アルハズガナイ!』
リュウ≫そんなことがあるはずない! どうしてそんなことを言う!
「……まぁ気持ちはわかるけど」
にわかに信じられるはずない。それは当然なことだとわかっていた。みゆきは根気よく続ける。
フェアリー≫彼女はあなたが警察に届けても大丈夫なように自分で辞表を書き、自分でアパートを引き払ったのです。
なぜか? ――こうすることで事件に巻き込まれたと判断される可能性が低くなるからです。おそらく警察は痴情のもつれだと認識していることでしょう、彼女の思惑通り。
警察は民事不介入です。警察の行方不明者リストにのっているでしょうが彼らが捜索することはありません
『マサカ!?』
驚愕の声。
警察という組織は確かに優秀な組織で有効な手段だが万能ではないし、――親切でもない。何の力もない一般市民のために身を粉にして尽くす組織ではない。権力者か、もしくはあたしのように使いこなす術がないと警察は単なる一国家公務員。
フェアリー≫大枚はたいて探偵を雇うというのは人捜しとしては有効です。探偵という職業は浮気調査の次に家出捜しの依頼が多いのですから、いわば人捜しのプロです。ですがある条件を満たすとその包囲網に引っかかりません
リュウ≫エッ?
そうこれが今回の発端だった。
みゆきは深呼吸し気分を落ち着ける。
フェアリー≫さてここで確認させてください。あなたは本当に彼女の居場所を知りたいですか?
リュウ≫もちろんです!
『当然ダ! 何ノタメニココマデ苦労シテルト思ッテルンダ!』
スピーカーから響くのは強い口調。
みゆきはキーボードを続けて叩く。
フェアリー≫多分そのことであなたは悩むでしょう。苦しむでしょう。そしてあなたがこれから起こす行動しだいでは彼女を苦しめます、……今以上に。
リュウ≫それでも俺には知る権利はあるはずだ。
フェアリー≫権利、確かにそれについては否定しません。当事者なのですから。しかしあなたがここで何も聞かずに彼女のことを忘れるのが一番被害の少ない方法だと思われます。
リュウ≫そんなことは俺が決めることだ! お前が決めることではない!
フェアリー≫彼女も私と同意見ですよ。
リュウ≫お前に操の何が分かる!
「あなたよりは分かるつもりだけどなー。……しかもお前呼ばわりかい」
メルヘン・システムで聞こえるから彼の声もチャットの内容とほぼ同じだった。みゆきはそれを聞き嘆息する。
口は汚いがこの状況でそれは仕方ない。むしろだからこそ彼の真摯な思いが伝わる。
「なら……悩んでみる?」
フェアリー≫そうですか。なら教えましょう。大森操は現在東京にいます。
リュウ≫エッ!
フェアリー≫もっと言うなら、あなたが依頼した探偵社のすぐそばのビジネスホテルにいます。
『マサカ!』
リュウ≫本当か?
フェアリー≫世界最高の情報収集家、私のことをそう思わないのなら立ち去ってくれて結構ですよ。
リュウ≫すまない、ただ驚いたもので。
それはそうでだろう。灯台もと暗しとはこのことだ。
みゆきはおそらく彼がするだろう疑問が画面に打ち出されるのを待つ。
リュウ≫でもそれじゃあ何で今まで見つけられないんだ?
そう、その質問を待っていた。
フェアリー≫あなたが依頼した探偵社。彼女がそこに所属しているとしたら……どうですか?
『――――!!』
リュウ≫すまない、もう一度言ってくれ
みゆきはため息をつく。
(そうね、……理解が追いつかないかな)
慎重に言葉を選ぼうとするが……止めた。
(そりゃあ確かに実年齢はあたしの方が年下だけど、ここではあたしの方が立場が上でしょう、タメ口は失礼じゃない!)
フェアリー≫大森操は橋爪探偵社に所属する探偵です。
リュウ≫探偵? 操がか?
フェアリー≫はい。そうです。
『アイツハ普通ノ女ダゾ、何モ特別ナコト出来ナイ普通ノ!』
みゆきはその言葉を聞き、彼は探偵の実態を勘違いすることを悟った。
探偵というのはテレビドラマやマンガであるような事件を推理して謎を説き、真犯人を見つけるという職業ではない。大抵は浮気調査が最も多く、ついで家出人の捜索だの身元調査、最近ではストーカー対策やピッキング対策がほとんどの仕事だ。
そんな中で女性の探偵は実のところかなり必要とされている。女性の依頼人を安心させるため、もしくは女性しか入れない場所だってある。また女性だからという理由で調査対象などの警戒を薄れさせる場合もある。
そのことを教えてあげようとして……やめる。
「聞かれてないこともで教える義務もないよね」
フェアリー≫だからそこの探偵社で彼女の居場所を調べてもらいたいならば、そこの社長が彼女を売るくらいの金を積まなければ無理でしょう。あと彼女自身あなたに逢いたくないと思っているのですから。
『――!? そんな!』
その言葉の後に反応がなくなった。意外のことに思考が追いついてないのだろう。
(でもしっかりしてよね。話はまだまだ続くよ)
そんなことを思っているとディスプレーに書き込みが入る。
リュウ≫探偵……それが本業なんだな?
フェアリー≫そうです
リュウ≫なら一体なぜウチの会社に入ったんだ?
フェアリー≫……産業スパイ。
『――えっ?』
リュウ≫どういう意味だ?
フェアリー≫産業スパイとは企業に潜入して機密などの情報を得て、他の企業に売ると
リュウ≫そういうことを聞いているんじゃない!!
「……でしょうね」
肩をすくめる。わかってはいた、怒るだろうとも思っていた。でも……、
「まともに話すと疲れるのよ、たまにはボケさせてよね。……シャレが通じない人は嫌いよ」
探偵がスパイの真似事するという事実は一般的には知られていないと言うことを彼女は知らないかった。だからいまいち彼の驚きが理解できなかったのだ。
探偵の仕事には産業スパイというものがある。――犯罪スレスレであるし、依頼料も高額だから滅多にないことだが。
もっとも今の彼はそんなことは問題でなかった。
みゆきは本題に戻すことにした。
フェアリー≫橋爪探偵社は一年前にとある企業から依頼を受けました。シルバー社から企業機密を盗むという内容でした。その依頼を受けた探偵社は送り込むエージェントを大森操に決めました。
リュウ≫一体なんで操が?
『アリエルノカ? コンナ事ガ』
「……あり得るのよねぇ、それが」
しみじみと答える。確率は高くないがけっしてあり得ないことではない。
フェアリー≫彼女が選ばれた理由は二つ。彼女は内面と違い優しげな外見であること。それは今回のような依頼――長期間潜入する場合、非常に強い武器となります。
人を簡単に油断させることができると仕事は楽になるからです。
探偵としての能力は並――それでも普通の人と比べれば注意深く、行動力がある――であるが、彼女の容姿は人を和ませる。
メルヘン・システムで手に入れた写真見ていわゆる癒し系だと判断した。ちなみに操が写真を徹底的に嫌ったのは身元を隠すための手段だった。潜入を止めるときに少しでも足取りを追いにくくするための。
効果のほどは――この通り。実際に恋人は足取りを追えなかった。
そんな容姿の彼女はなかなか探偵という職業に結びつけることができず、安全無害のイメージを容易に与える。また円満な人間関係がつくれるから産業スパイといった長期にわたる潜入捜査でもスムーズにいく目論見だった。
フェアリー≫そしてもう一つ。彼女には借金があったからです。
リュウ≫借金?
フェアリー≫そう、それも多額の。だからこそ探偵事務所も彼女にその役目を命じた、いえ押しつけたともいえます。
リュウ≫押しつける……だと?
フェアリー≫そうです。操さんの捜索を依頼したとき、依頼料の話もしたでしょう? 成功報酬と、それとは別に一日当たりの日当と、必要手当を聞いたとき――おそらく橋爪探偵社は一般的な料金でしょうが――高いと思いませんでしたか? 人捜しのように比較的多い仕事でそれくらいとります。潜入捜査のように危険な仕事の場合の成功報酬などはいわんがおや。
リュウ≫危険……なのか?
フェアリー≫もちろんです。長期にわたり会社に潜入。そこでまず信頼を得なければなりません。依頼を受けた会社がほしがっている情報――もちろん簡単に手に入るものでなく、トップシークレット並の――を得るためにはまず産業スパイと疑われては話にならないからです。
もしも産業スパイだとバレた場合、クビになるだけならマシなほうで大抵は告訴されるでしょう。その場合、探偵社は助けてくれません。――切り捨てます。依頼人の守秘義務があるからです。
それは彼女も同じです。そのために危険料込みでの前金をもらっているのですから。手間と時間がかかり、その上非常に危険。産業スパイとはそんなものです。……ワリがいいかどうかは微妙なところですね、個人によって受け取り方が違うでしょうし。
ただ橋爪探偵社はワリが悪い仕事と判断しているようです。だからこそ借金のある操さんに押しつけました。成否の可能性すべてを考慮して。
ちなみにその依頼した会社は彼女の父や叔父の働く久遠社ではない。
『――ソンナ、マサカ…アノ操ガ』
その言葉を聞き、みゆきはクビを傾げる。
世界最高の情報収集家だと言ってるのに、その情報を欲しがっているクセにどうしてみんな素直に信じてくれないのだろうかと。
信じがたいのは、いや信じたくない気持ちはわからなくはない。でも真実が知りたくてここにきたのなら、
(真実から――あたしの絶対真実からなぜ目を背けるの?)
フェアリー≫そして潜入捜査を開始した彼女に誤算が……そう三つの誤算がありました。
「これから語る真実はあなたにどのくらいの衝撃が、絶望が、そして……希望があるのかな?」
リュウ≫誤算?
フェアリー≫そう誤算です。まず一つ目。彼女は入社してからすぐに探偵社の指示通り大石辰弘に接触。
『――ナッ!?』
息を飲む音が聞こえる。先程から彼女の情報を知ってなお、自分との出会いは偶然だったとでも思っていたのだろうか?
「だとしたら、そうとうおめでたいわね」
フェアリー≫本来、もっとも次の社長に近いはずの大石辰弘がその座を拒否しているという情報は準備段階から得ていました。
しかしそれは信頼性の低い情報だと彼女は、そして橋爪探偵社も判断していました。
……だってそうでしょう? 絶大なカリスマと卓越した経営手腕をもった偉大な創始者大石敬三郎の孫にして、地味ながら堅実で先を見通した行動をする大石和彦の一人息子の大石辰弘。その彼が日本のゲーム業界のトップクラスの会社を本気で継ぐ気がないなんて……誰が思います?
『――ソンナコトハ!』
何か言いたそうだったがとりあえず無視。みゆきは滑らせるようにキーボードをタッチする。
フェアリー≫口でなんと言っても本気の覚悟がない――いわば反抗期の一種、「はしか」のようなものだと父親同様、彼女もそう思っていました。そう思ったところで誰が彼女を攻められるでしょう?
もしも本気で会社を継ぐ気がないなら親の言うとおり親の会社に入社しないでしょう?一応口答えして閑職にまわされたのならなおさらです。どんなに景気が悪く、再就職が難しいとしてもシルバー社からでるのが普通です。
そんな覚悟のなく閑職に甘んじている男のどこに次期社長の座を頑なに拒否する気持ちがあると想像できるのでしょうか?
彼は本当に甘く、浅い考えの持ち主。何の覚悟もなく、自分の希望ばかり言う。そしてイヤなことには頑固なまでの拒絶。
……プレッシャーはわからなくもなかった。
「でも自分の好きなように生きたいというなら、それなりの覚悟を見せないと意味がないじゃない」
フェアリー≫その彼が本当に継ぐ気がないと言い、挙げ句の果てに重要ポストにも、人脈にも縁遠かった。彼、大石辰弘には利用できる要素がなかった。
『仕方ナイジャナイカ! 継ギタクナイモノハ! 俺ノ人生、決メラレテタマルカ!』
「いい歳して……子供みたいなこというな!」
やはり自分はこの男が嫌いだと確認する。
(……ガマン、ガマン)
フェアリー≫二つ目の誤算。無価値の彼が本気で操のことを愛してしまったこと。
リュウ≫えっ?
フェアリー≫それがどう誤算か……わかりますか?
リュウ≫人を好きになるのを損得で考えたことはない!
みゆきは頭をかく。そのこと自体は正論だが話がズレている。それが素だからタチが悪い。
フェアリー≫必要以上に注目を浴びるということになります。
無視して続けることにした。
フェアリー≫ある人からは玉の輿狙いと囁かれ、ある人からは怪しいのではと噂され……、悪い意味で目立ちました。それは隠密行動する上で足枷になります。
『ソ、ソンナ……』
リュウ≫でも、操を俺といて楽しそうだった! 演技に見えなかったぞ! イヤな顔したことも、邪魔なそぶりを見せたことも!
「かもね」
それは否定はしない。幼少の時から人の顔色をうかがって育った。結果、敏感になった彼の判断は間違ってない。
ましてや数少ない自分への好意は間違えないだろう。
フェアリー≫三つ目の誤算。彼女もあなたを愛してしまったこと。
『ヘッ?』
フェアリー≫これが一番の誤算でした。
リュウ≫ちょっと待て! それが本当ならいったい何でこうなったんだ?
フェアリー≫わかりませんか?
リュウ≫わかるか!
『相思相愛ナラ何ノ問題アル!』
「あるわよ、それはそれで」
背もたれに寄っかかり、考える。一体どうすれば彼に効果的にダメージが与えられることができるか。それが後に、彼の決断に影響する。
「できるなら……ね」
フェアリー≫自分は犯罪に手を染めている。今回の仕事が成功するということはあなたのいる会社にダメージを与える。確かに借金は返せるが、あなたを裏切ることになる。
リュウ≫そんなの、関係ないじゃないか。
フェアリー≫そう思ってるのはあなただけでしょう。仮にあなたと社長に血縁が無いとしても勤めている会社が産業スパイにあっている状況に、それも自分の恋人が関わっているのに「関係ない」の一言ですますのはどうでしょう? またあなたがいくら継ぐ気がないといっても株は所有しているでしょう? それも一般社員より多く。会社にもしものことがあるととる責任もあるのではないですか?
『…………』
チャット、メルヘン・システムともに返事がない。読む時間と、考える時間を与えるため若干待つ。
フェアリー≫もしも産業スパイが大森操だとバレたらどうなると思います? あなたがいくらその件に無関係でも糾弾されることでしょう。そしてあなたの父親の立場もかなり危うくなります。
リュウ≫それがどうだっていうんだ! そんなのどうだっていいじゃないか! バレるかどうかもわからないし、会社だってそのぐらいじゃあ何ともならないかもしれないじゃないか!
『関係アルカ、ソンナコト! 俺ハ操ノコトヲ愛シテルンダ! 必要ナンダ!』
彼の反応は実にわかりやすい。
「コイツを後継者なんて本気で考えてるの? 父親は……」
目を丸くする。
恋は盲目と言うが、いくら何でも状況が見えていない。そんな人間が千人以上の上に立ち、将来を見通した経営者になるという姿は想像できない。
「それはそれで……助かるかも」
みゆきは彼が才覚のない経営者なる図を想像し、そこから連想した考えに頷く。
「――それなら……」
何が何でもシルバー社を継いでもらいたいと思った。
フェアリー≫彼女の苦悩を……想像できますか? 借金返済のためにまっとうでない仕事も辞さないと思っていた。でも愛したあなたを裏切れない。文章にすると味気ないですが……彼女本当に悩みました。どちらをとるか、はたまた両方をとるか。毎晩悩みに悩みました。
リュウ≫そんな!
フェアリー≫彼女の凄いところはそれをおくびにも出さなかったところです。……気づきもしなかったでしょう?
みゆきにはなぜそこまでこんな男が好きなのか理解できない。
「……この人の言うとおりかもね」
人を好きになるのは損得ではないと彼は言った。冷静に考えると損になる相手を好きになったということは、それがわかっていても嫌いになれなかったのならば間違いではない。
リュウ≫あいつは何で俺に相談しなかったんだ!
フェアリー≫相談してあなたが何と返事するか、どういう選択するかは解りきってたからではないですか?
リュウ≫なんだと?
フェアリー≫「かまわない、機密でも何でも持っていけ。なんなら協力する。……もしバレてもかまうモンか、どうせ継ぐ気は無いんだ。いっそちょうどいい」 ――そんなところではないですか?
『――ウッ!』
口ごもる。どうやら図星のようだ。
フェアリー≫そういう考えのあなただからこそ、しかも容易に考えが想像できるあなただからこそ彼女は打ち明けられませんでした。
リュウ≫しかし、
フェアリー≫あなたの返事は誰もが不幸になる選択……そう思いませんか?
リュウ≫でも俺と操は幸せになれるじゃないか! そのためにすべて捨てることがそんなに悪いことなのか!
『ドコガイケナイ! 金ガアレバ幸セトハ限ラナイダロウ!!』
――慟哭。強く激しい想いは伝わってくる。
正論ではある。金がこの世で一番大事ではない。
「でも借金に苦しんでる人間にはそれを言うのは傲慢じゃない? お金は確かに一番じゃないけど……上位に食い込まない?」
フェアリー≫捨てる? 彼女のために捨てるというなら美談ですがね。あなたの場合「彼女のため」ではなく「彼女をダシ」に捨てようしています。
『ナッ!』
フェアリー≫もしくは「彼女を理由」にですかね。自分が好きな人生を生きるのに、何度も捨てようとして踏ん切りがつかなかったモノを捨てるために彼女を利用しているようにも感じられますよ。
リュウ≫じゃあどうしろっていうんだ! 親に頼んで会社継ぐ代わりに操の借金の肩代わりしてもらえっていうのか?
フェアリー≫その選択の成功率は40%といったところでしょうか? うまくいけば丸く収まりますが彼女が引け目を感じる場合がありますね。
リュウ≫引け目だと?
フェアリー≫はい。「大好きなあなたにイヤな人生を歩ませること」これに彼女は引け目を感じませんかね?
『…………』
即答できない。40%は適当にいった数値だがあながち間違いでもなさそうだ。
みゆきは手を止め待つ。
リュウ≫手が、何か手があるのか?
その言葉が聞きたかった。
フェアリー≫一つだけ。「白馬の王子様」が迎えに来てくれるなら話は別です。
『ハァ? 何言ッテルンダ?』
フェアリー≫現代風にいうと真っ赤なフェラーリに乗った御曹司が迎えにくれば――というところでしょうか。
リュウ≫ふざけてるのか!
フェアリー≫いいえ、本気ですよ。
リュウ≫操はもう大人だぞ! そんな子供っぽいこと夢見る歳じゃない。
フェアリー≫女という生き物は不思議だと思ったことはないですか? 理解不能と思ったことはないですか? 現実的に見える女性が心の奥底で都合のいい夢見てるのが、そんなに信じられませんか?
『……シカシ。イヤ、デモ……』
何か思うことがあるのか押し黙る。
「そんなに不思議かしら?」
みゆきは腕を組む。『フェアリー』としては人ごとのようにチャットしたが、同じ女としてはその気持ちはわかる。それは女の子の憧れの一つだ。
リュウ≫でもお前の言うことはさっきのと変わらないじゃないか。結局俺に会社を継げと言うんだろ。
フェアリー≫そうですね。ただ、心構えが違います。
リュウ≫心構え?
フェアリー≫そうです。例えばあなたが彼女に会いに行くときこういってみたらどうですか? 「お前が俺の前から消えた理由はわかるよ。きっと俺がお前にふさわしくないからだったんだろ。それでも俺はお前のこと、愛してるからふさわしい男になろうと思う。会社を継ぐことにした。立派な社長になるよ。……だから結婚しよう」
『へ?』
フェアリー≫そしたら彼女は喜んだ顔をするでしょう。しかしすぐにその申し出を断ります。その理由は言うまでもありませんね。
リュウ≫借金か。
フェアリー≫そうです。あなたはその時辛抱強く彼女からその事実を聞き出してください。間違っても彼女に借金があるという事実をあなたが知っているということを気づかせないように。
リュウ≫知らない振りをしろと?
フェアリー≫そうです。彼女が隠していることを、また知られたくないことを知ってるっておかしいでしょう? あなたが知っていることがバレたらいったい何のための芝居かわかったものじゃない。
リュウ≫芝居って……。
フェアリー≫芝居じゃないですか、彼女を捕まえる一世一代の大芝居。……人から見れば茶番劇かもしれませんがね。
『茶番ッテ……マァイイカ』
一言多かったかなと思ったが特に反論がないことに安堵する。しかしみゆきからみれば茶番劇としか言いようがない。
(ただ、……それが見たいのよ)
フェアリー≫話を戻します。彼女の口から借金のことを聞いたあなたはニッコリと微笑んで「金のことなら心配するなよ。お前にふさわしい男になると決意したらそのついでに、自由になる金が増えたんだ。フェラーリが買えるくらいにな。……金のことは心配すんなよ。だから俺の側にいてくれ」――なんてどうですか。――そうそう言い忘れました。事前に跡継ぎの件と多額の金は父親に交渉しとかなきゃダメですよ。芝居とは言いましたが操さんの人生がかかってるんです。それが言えるだけの下地がないと無意味です。見透かされますよ。
『……無茶苦茶ナ言イ分ダナ』
しばし間があいた後でようやく思考が動き出す。自分では考えもつかないことなのだろう。
(もう一押しか)
そう判断しキーボードを叩く。
フェアリー≫あなたにそれができますか?
リュウ≫正直言ってやりたくないと言うのが本音だな。
フェアリー≫そうですか、……残念です。私はコレが一番成功確率が高い方法だと確信しているのですが。またあなたの親しい人、操さんもあなたのお父様も喜ばれます。不幸になるのは機密が手に入らなくなった依頼したライバル社と、成功報酬が入らなくなった探偵社ぐらいでしょうか? かなり丸く収まります。
リュウ≫俺のことは無視か!
その言葉に肩をすくめる。
「往生際が悪いったら無いわね」
フェアリー≫操さんが戻ってくるだけでは足りませんか?
『クソッ!』
舌打ち。痛いところをつくという行為は『フェアリー』を始めてうまくなった。最近では急所が何となくわかる。
フェアリー≫先程あなたは「すべて捨てることがそんなに悪いことなのか!」と言いましたよね。その言葉が嘘でないのなら 捨てたらどうです? 『信念』を。くだらない子供の意地のような 『信念』を。
白馬に乗った王子を夢見るのは子供っぽいと笑うクセに、決められたレールの上を走りたくないと駄々っ子のようなことを言う。
フェアリー≫捨てるのがイヤになりましたか? なら背負ってみましょうか。彼女の苦しみすべてを背負ってやりましょう。具体的には、
リュウ≫結局同じだろ!
『俺ノ嫌イナ生キ方ヲシロッテコトダロ!』
苛立ちからの怒声。それを聞きみゆきは満足げな笑みを浮かべる。
「ようやく追い込んだ、かな」
当初の目的が達成した。
フェアリー≫そうですね。あとはあなた次第です。何が最優先かよく考えてください。
『信念』ですか?
『操さん』ですか?
今あなたは間違いなく人生の岐路に立ってます。
両方とることはできなくて、どっちをとっても後で必ず後悔するといった類いの岐路。
――私が言えるのはここまでですね。どちらをとるかはご自分で決めてください。
『…………』
渦巻く葛藤とこの沈黙を解釈する。今の彼に必要なのは言葉ではない。
フェアリー≫考える時間は差し上げます。三日後の正午に携帯のほうに宿泊しているホテルの場所をメールします。もしかしたらあなたのほうにも準備が必要かもしれないのでその日から一週間、正午と午後六時の一日二回その時点でいる場所をメールして差し上げます。……コレは『フェアリー』としては異例のサービスです。できれば無駄にしないで欲しいものですが。ではご検討をお祈りしております。
『チョ、チョット待ッテクレ!』
「待たないよーだ、――カムイ終了して」
『OK』
ピンと音がして画面が切れる。
「あー、疲れた。ホント手間がかかる」
背伸びをして身体をほぐす。
「カムイ、じゃあ三日後の正午にあいつの携帯にホテルの住所メールしといて。えっとそれからその日から一週間正午と六時に現住所も」
『OK』
「あっと結果報告もお願いねって言わなくて大丈夫だろうけど」
『YES』
小気味の良い返事に満足する。みゆきは席を立ちながらつぶやく。
「ぜひともあのバカ男にシルバー社継いでもらいたいのよねぇ、楽そうだし」
将来父のコネ、もしくは叔父のコネでほぼ間違いなく久遠社に就職する予定のみゆきとしてはライバル社のトップが無能の方がいい。自社が発展するために。
「あたしが継ぐ予定の久遠の敵は少ない方がいいしね」
万が一だが彼が化けて有能な経営者になる可能性もある。仮にそう立ったとしても、
「スキャンダラスよねぇ、社長夫人が元探偵で産業スパイもしてたって」
事実はどうあれマスコミに流せば色々な憶測が流れる。
どちらに転んでも自分に損はない。その上、彼女をとるか生き方をとるかの見物がある。
「……まずまずね」
この依頼はなかなか満足がいった。