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東山のサンダイアル

「ねえねえ、写真の上手な撮りかた教えてよ」

 本日最後となる五時間目の授業が終わり、ざわつき始めた教室。僕は教科書とノートを閉じてさっさとバッグにほうり込み、勢いよく椅子から立ち上がったところでクラスメイトの相風あいかぜさんに教室の扉までの進路をふさがれた。

「……いいけど、カメラ持ってる?」

 僕は彼女に見つめられて戸惑い、なんとなく視線を彼女のポニーテールの先に移す。

「うん」

 彼女はスカートのポケットからいつも手にしているピンク色の小さなデジカメを取り出して片手で構える。

「はい、チーズ」

「いやいや、撮らなくていいから」

 彼女はちゅうちょなく僕というおもしろみのない被写体にレンズを向けてシャッターを切る。授業中以外、彼女は常にカメラを手にして男女問わずクラスメイトを写真に収めている。

 そんなカメラ好きな彼女がなぜ僕に声をかけてきたかというと、僕が写真部だからだろう。今も学校のバッグと一緒にデジタル一眼レフカメラを入れたカメラバッグも肩から提げている。しかし写真部の僕よりも、このクラスで〈カメラ〉といえば相風さんのイメージのほうが強い。僕がクラスでは目立たないほうだというのもあるけど、さきのように彼女は毎日カメラを手にしているからだ。そうか、持ってるのはこのデジカメだけか。

「こんな小さなデジカメじゃだめかな?」

 彼女は目の高さからカメラを下げると、少しだけ不安げな表情を見せる。

「最近のデジカメは性能いいから、だめってことはないと思うけど」

 それに、高いカメラならいい写真が一〇〇パーセント撮れるというわけでもない。

「そうだねえ……好きなものをたくさん撮り続ければ、上達も早いと思うよ」

「ほほう。なかなか上達しないわたしはクラスメイトのことを好きではないと渡辺くんはおっしゃるわけだ?」

 彼女は意地の悪い表情を見せる。もちろん冗談だってのはわかってるから、僕はあえてつっこまずに苦笑い。

「そうか、好きなものか……」

 彼女は腕を組んで視線を斜め上に〈うーん〉とうなる。

「んじゃ、どうしよう? 部室来る?」

 部室には僕より写真の上手な先輩もたくさんいるし、いろいろとアドバイスをもらえるだろう。ところが彼女は相変わらず腕を組んだままだ。

「実践的なほうがいいなあ……あ、渡辺くんって次の日曜日ひま?」

「……予定はないけど」

「よし、好きなもの! 東山に行こう!」

 東山、ね。動物園……そうか、彼女は動物好きなんだ。僕も花を撮りに東山動植物園に行ったことはある。もちろん一人で。今は五月の下旬だからバラ園が見ごろかもしれない。

 デートの誘いじゃないってのはわかってる。いいように使われてるだけだよね。

「待ち合わせ場所とか時間とかメールするから、交換、しよ?」

 彼女はポケットから今度は赤色のスマートフォンを取り出して首をかしげる。ああ、携帯電話の連絡先ね。僕もバッグから携帯電話を取り出すけど、今まで連絡先の交換なんてそんなにしたことがないから使い方がわからない。赤外線の交換機能、あったような……。

「貸して」

 もたもたしていると彼女は有無を言わさずに僕の携帯電話を取り上げ、勝手に登録を始めた。機械ものの扱いに慣れているんだなあ。僕はカメラ以外はとにかく苦手だ。

「はい。んじゃ日曜日よろしくね」

 彼女は携帯電話を僕に返すと、意識的に口角を上げたかわいらしい笑顔を見せて自分の机に戻る。勢いよく揺れるポニーテール。ここで普通ならクラスメイトの男子から冷やかされそうなものだけど、彼女はわりと誰とでもこんな感じなのだ。彼女にとっては日常。僕は一〇秒ほど手元の携帯電話を見つめたあとバッグにしまい、教室を出た。今週は月曜日からこんなことが起こるとは。

 その日の夜に待ち合わせの連絡がメールで来た。八時三〇分に地下鉄東山公園駅の西改札口を出たところで、と。〈よろしくー♪〉なんて一文が最後に添えられていて、頬が緩んでいる自分に気づく。いやいや、デートじゃないから、これ。

 翌日、教室に入ると無意識に視線が彼女を探していた。見つけた彼女は他のクラスメイトの女子と楽しげに話していてこちらには気づいていない。ひょっとすると昨日の出来事はからかわれただけなんじゃないか? そんな気持ちを抱えたまま、特に彼女と会話もないままに一週間が過ぎ、気づけば土曜日。しかし夕方には〈あしたはよろしくねー♪〉なんてメールが来てほっとしている自分がいる。いかん、また頬が緩んでいる。

 当日の日曜日、デートではないとはいえそれなりに服に気を遣うあたり、やっぱり僕は男の子なんだろう。なるべく世間一般的なカメラ小僧のイメージからは離れているような服装を選び、カメラバッグにはデジタル一眼レフカメラと交換用の望遠ズームレンズを入れる。地下鉄を使って約束した時間の五分前には待ち合わせ場所の東山公園駅に到着。改札を出ると彼女は象さんのカップルのイラストが描かれた柱を背にして先に到着していた。

「おっす」

 彼女は僕を見つけるといつものピンク色のデジカメを掲げて笑顔を見せる。

「カメラマンって感じだねー」

 僕が〈おはよ〉と言うすきも与えずに、まずは服装を指摘。カメラ小僧な雰囲気は避けたつもりだったんだけど……失敗か。そんな彼女は今日は動きまわることを考えてか、黒色のジーンズをはいていた。上にはスタッズのついたチェックのシャツ。僕が同じのを着たらいわゆるオタクファッションになってしまうところだけど、彼女はすごく似合っている。そして今日もポニーテールだ。

「んじゃ、行こうか」

 彼女はそう言うと僕と並んでやや早足で歩き出す。地上に出ると東山動植物園の正門へと続く広い道を進む。開園時間の九時には少し早いのに家族連れの姿もちらほらと見える。正門前の階段……を上ろうかと思っていたら、彼女はそのまま階段の手前を左に曲がる。

「あれ? 動物園に行くんじゃないの?」

「ああ、そうかごめん。東山に行こうとしか言ってなかったね。動物園じゃないんだ」

 彼女はカラカラと笑い、わざとなのか行き先は口にしなかった。東山動植物園のあいだを抜けるように続くトウカエデの並木道に彼女は進む。秋の紅葉もきっときれいだろうな。右側は動物園で左側は遊園地。開園前の静けさがなんか不思議な感じ。時折自動車も行き交う道だけど、どちらかというとあまり人は通らない道だ。しかしこの先なにかあったっけ? こっちにも東山動植物園の入り口はあったはずだけど。

「渡辺くんはなにが好きなの?」

「……え? 好き?」

「ほら、〈好きなものを撮り続ければ、上達も早い〉って言ってたじゃん」

 ああ、〈なにが〉ね。〈誰が〉かと思って一瞬心臓が止まった。

「うーんと、花とか紅葉とか。自然が多いかな。相風さんは?」

「わたし?」

 彼女はなぜか腕時計を確認。

「見えるかなー。見えるといいなー」

 彼女は楽しそうな笑顔を見せるけど、すぐにはこたえてくれない。やがて三叉路に出ると左に向かう横断歩道を渡る。

「ここに来たかったんだよ」

 彼女は歩きながら空を指さす。その先に見える大きな建物。東山スカイタワーだ。

「あ! 見えた見えた!」

 彼女は手にしていたデジカメを構え、東山スカイタワーに向けてシャッターを切る。

「お! いい感じ。どおどお?」

 彼女は楽しげにデジカメの液晶画面を僕に見せてくる。そこには今さっき撮ったばかりの青空をバックにした東山スカイタワー……いや、この構図は明らかにタワーはわき役だ。

「……飛行機?」

「うん」

 彼女は今までに見せたことのないようなはしゃいだ笑顔でうなずく。そうか、好きなものって飛行機か。

「いってらっしゃーい」

 彼女は空を見上げ、飛行機に軽く手を振る。

「ちょっと飛行機が小さいね」

 彼女のデジカメも望遠機能はついているんだろうけど、さすがにあんなはるかかなたを飛ぶ飛行機を大写しにできるほど高機能ではない。

「だからここ上って写真を撮ろうかと」

 いや、それでもどうかなあ。

「だったら、名古屋空港かセントレアに行けばもっと近くで撮れるのに」

「地下鉄で行けないもん」

 彼女は口をとがらせる。ああ、JRとか名鉄とか乗り慣れていないんだな。名鉄名古屋駅のホームに置いてけぼりにしたらおもしろそうだ。

「はやく行こ!」

 彼女は小走りで先に行く。飛行機を見てテンションが上ったようだ。僕もあわてて彼女を追いかけ、東山スカイタワーへと続く小道に入る。ひんやりとした木々の中を抜けるように作られた小道を何度か曲がり、ようやくスカイタワーのところへと出る。

「うわ……」

 僕は思わず声を上げてしまった。けっこうでかい。遠くから何度か見たことはあったけど、こんな間近で見たのは初めてだ。

「渡辺くんはここ上ったことある?」

「ない。今日が初めて」

「わたしも」

 時間は開館時間の九時ちょうど。入り口の外にあるきっぷ売り場で観覧券を購入。どうやら僕らが一番乗りのようだ。

 入り口の係員のお姉さんの笑顔に見送られ左奥のエレベーターに乗り込むと展望室のある五階のボタンを押す。扉の反対側の上部には地上からの高さがデジタル表示されている。大きくなる数字を見ているとすぐにガラスの向こうに遠くまで見渡せる景色が広がる。

「おー」

 彼女は感嘆の声を上げる。こんな狭い空間で二人っきりなのに、ガラスにへばりついて外の景色を見ている。信用されているんだか、いないんだか。展望室に到着。扉が開くと同時に彼女は軽い足取りで奥の一番角までまっすぐに進む。一面ガラス張りの展望室。彼女はガラスにはりつくように身を乗り出し、さっそくカメラを構えている。

「絶景かな絶景かな」

 古風な言い回しではしゃぐ彼女。展望室は地上一三四メートルと聞いていたのであまり期待していなかったけど、丘の上に建てられているためかかなり高く感じる。あの丸いのはナゴヤドーム? ということはこっちは北側か。あのずっと向こうに名古屋空港があるはず。僕はカメラバッグをガラスに向けられて設置されている赤色のシートに置くとカメラを取り出し望遠ズームレンズに付け替え、まるで日時計のような東山スカイタワーの影の先端に向けてシャッターを切る。影の先端は東山動植物園のカバさんの先のほうに落ちている。あ、カバさん寝てる。

「おー! かっこいー!」

 一眼レフ独特のシャッター音に気づいたのか、彼女は振り向く。

「重たそー。持たせて持たせて」

 彼女にカメラを手渡す。自分の好きなものに興味を持ってくれるのはやっぱりうれしい。

「うわー。ねえ、このダイヤルはなに?」

「うーんと露出モードの切り替えなんだけど……絞りとかってわかる?」

 彼女は首を振る。

「実際に見てもらったほうがわかりやすいかな。カメラ貸して」

 カメラを受け取ると、絞りを一番小さく設定して彼女にカメラを向ける。

「撮るよー」

 彼女はVサインとわざと作ったような笑顔で微笑む。僕は心の中で苦笑いしながらシャッターを切る。そして今度は絞りを最大限に。

「もう一枚。はい、撮りまーす」

 ポーズは先ほどと変えてるけど、表情は同じ不自然な笑顔。ポートレイトって笑顔がわざとらしくなるよね。なんか作られたものを撮っている感じがして、だから僕は自然ばかりを撮ってる。自然はカメラを向けられても装ったり自分を作ったりしないし。まあそれでも彼女の笑顔はかわいいと思ったけどね。どきっとしたけどね。

「ほら、最初のは絞りを小さくして、次のは絞りを大きくしているのね。背景のぼやけかたが違うでしょ?」

「おー! プロっぽい! これってその絞りを変えると微妙にぼやけかたが変わるの?」

 彼女は僕のカメラの液晶画面をのぞきこみながら感嘆の声を上げ、熱心に質問してくる。東山スカイタワーの展望室で二人並んで赤色のシートに腰を下ろし、簡易カメラ講座。彼女、本当にカメラが好きなんだな。

「あ、そろそろかな」

 突然僕の講義をさえぎり、彼女は腕時計を見る。

「え? もう帰る時間?」

 せっかくこんなに盛り上がってきたのに。

「ううん。もうそろそろ飛行機が帰ってくるんだよ」

 彼女はスマートフォンを取り出し、おそらくメモ書きを確認している。名古屋空港の発着時間だろうか。本当に飛行機も好きなんだな。

「ねえねえ、渡辺くんのカメラ借りていい? アップで撮りたい。あ、絞りとかまだ使いこなせないけど……」

「いや、オートモードがあるから気にしなくても大丈夫」

 僕はカメラをプログラムオートにして彼女に手渡す。

「ありがと。んじゃこっち貸すね」

 彼女は僕のカメラのストラップに首を通し、そしていつも使っているピンク色のデジカメを僕に手渡す。彼女のデジカメの電源を入れてみるけど、望遠機能はやっぱり飛行機を撮るには物足りないな。僕は電源を切って窓ガラスの外をぼーっとながめる。

「あ、来た来た! すごい! 超アップになる!」

 彼女はとびきりの笑顔で右上の頭上から現れた飛行機に向けてシャッターを切る。何枚も何枚も。東山スカイタワーから見る飛行機は想像していたより大きかった。

 僕はしばらく彼女のはしゃぐ姿を見ていたけど、貸してもらった彼女のデジカメの電源を入れ、液晶画面越しに彼女の横顔を見る。そして思わずシャッターを切った。夢中でファインダーをのぞいている彼女は気づいていない。初めてポートレイトを撮りたいと思えた瞬間だった。そう、こんな笑顔なら撮りたいんだよ。すぐに今撮った写真を確認したい衝動に駆られたけど、僕はそっと電源を切る。今は彼女の横顔を見ていたかったから。

 っていうか、これ彼女のデジカメなんだよな。僕の気持ちばれるな……写真にはシャッターを切った人の気持ちも写り込むし。今撮った写真、けっこういい出来栄えだと思うから、もらえないかな……いや、そもそもどうやって言い出そう。

「おかえりー!」

 彼女は小さく手を振りながら、あの飛行機にも声をかけている。しまった、今の表情もシャッターチャンスだったな。僕は彼女のデジカメの電源を再度入れ、そっと彼女にレンズを向ける。次のシャッターチャンスを待つまでもなく、彼女は相変わらずとびきりの笑顔でファインダーをのぞき込んでいる。

 僕はもう一度、そっとシャッターボタンに指を下ろした。

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