39 湯に浸かる前に
透き通るような白い肌。
細く、華奢としか言いようのない四肢の割に、豊満な胸。
その胸から腰、太ももや足先に至るまでの柔らかい曲線は――どうしたって俺の目を奪う。
遠目で見てもわかるその美しさは、わざわざ湯船からあがり、俺の前まで移動してきたことでより鮮明になった。
上気した頬。
したたる水滴が、朱の差した肌を滑っていく。
「……あ……あの……」
自分から近づいてきたくせに、ものすごく恥ずかしそうなルーシェは、こちらをまっすぐ見ることができないらしく、微妙に視線を逸らしながら言う。
「お、お身体を…………お、お流し、します……」
……身体を流す?
「いやいらんけども……」
思わずそう即答してしまった俺に、ルーシェはとてつもなくわかりやすく“やらかした”という表情を浮かべ、その場で土下座する勢いで頭を下げてきた。
「――ご、ごめんなさい……っ! わたしごときがハルカさまの身体に触れようなんて――」
「いやいやいやそうじゃなく」
誰かさんの力のおかげでほとんど汚れないんだって。
と言ったところで、ネガティブ一直線のルーシェに届くわけもなく。
俺は手を振ってどうしたもんかと頭をかこうとし、自分も全裸なことに遅れて気づいて、一応前を隠した。
あ、これね。視線そらしてた理由。
……うん、正直に言おう。
ちょっと混乱してる。
――いや、だってさ。
リラックスするために風呂入ろうとして、男湯ののれんくぐった先で全裸の美少女エルフと遭遇して、お待ちしていました、お身体お流ししますって。
なにそれどんな状況?
お待ちしていました、ってことは間違えて男湯にいたわけじゃなく、最初から俺が入ってくるものだと思って待機していたのだろう。
俺が発情メツ子とあーだこーだしていたのはそんなに長いものではなかったが、決して短くもなかった。
つまりルーシェは結構な時間ここで待機していたことになる。
……俺が入ってこなかったらどうするつもりだったんだよ。
つーか実際途中まで全然入るつもりなかったし。
まあよくよく考えればおっさんリョカン自体はほぼ俺たちの貸し切りなので、他の誰かが入ってくるってことはない。
そう言う意味でのリスクはなかったかもしれないが――それにしてもさ。
とか俺が一人考えていると、所在なげなルーシェが泣きそうな顔をしていることに気づいた。
あ、やばい、泣く――そう思ったら、俺は自然と口を開いていた。
「……あー、んじゃお願いするか」
「……! は、はい……! ありがとうございますっ」
いやなんのお礼。
ぱあっと救われた表情を浮かべ、頭を下げてくるルーシェに、俺は曖昧な笑みを返して、洗い場まで歩いて行く。
まあこの混乱した状況を整理するのに時間は必要かもしれない。
それにメツ子の力で防げるのは代謝によるものだけで、外的要因による汚れはあるしね。
洗ってもらえるならそれはそれで悪くはない。
……たぶん。
深めの桶を裏返し、そこに尻をのせた俺は、そこではたと思い当たって振り返り、
「つーか背中流すって――むぐっ」
「――ひぁぅっ」
ルーシェの嬌声を近くに。
俺の顔はあたたかくやわらかい――ほどよい弾力の胸に包みこまれる。
それは控えめにいって、超気持ちよかった。
気持ちよかったのだけど。
「……」
かあああっと顔を赤くし、微妙に震えてもいる超至近距離のルーシェが、いつまでたっても離れようとしないので、俺は鋼の心で顔を引き戻し、もう一度背を向けて言った。
「……悪い」
「――こ、こここちらこそ申し訳ありませんっ」
……だからなんでルーシェが謝る。
俺は一瞬前に浮かんだ疑問、「つーか背中流すってどうやんの? 石鹸とかないよな?」という言葉を呑み込み、聞こえないようにため息を吐く。
……もういいわ。
されるがままになろう。
別に石鹸とかどうでもいいし。
異世界出身のおっさんがやってるリョカンなんだから、あるかもしれないし、なくても別にいいし。
なんかしようとするからこじれるんだよな。
なにより、流されるがままって楽。
だから俺は後ろでルーシェがちゃぽちゃぽ、しゃわしゃわと石鹸らしきものを泡立てている音を聞いても、無関心を装い続けて。
「し……失礼、します……」
そんな声と共に、おっかなびっくり俺の肩に触れても平常心のまま――だったのだけれど。
「――――!」
次に背中に得た感触。
これには刮目せざるをえなかった。
これ――さっき顔はさまれたのと同じやつ!
「……ん……っ」
ものすごく近くに感じる息づかいと共に、ルーシェは自分の身体……もっと言うとその素晴らしきおっぱいを使って、俺の身体を洗いだした。
「ん……ふ……っ……ん……っ」
肩から背中。
腕から足まで。
にゅるにゅる、こしゅこしゅと、一生懸命身体を動かして俺を洗うルーシェ。
背中を流すという話だったのに、普通に横に回ってくるせいでその姿を見ないということもできず、おまけに合間合間に漏れる声がとてつもなくエロくて――。
これはもう。
なんというか。
「――すまんルーシェ」
「……え?」
「限界」
声と共に立ち上がった俺は、膝立ちのルーシェを尻目に、つかつかと歩いて湯にダイブする。
洗い流してないとか、飛び込むのはマナー違反とか知るか。
顔の辺りまで湯に浸かっているのにさして熱いとも感じない不思議な感覚も、今はどうでもよかった。
水ならぬ湯で頭を冷やしたつもりになって、俺は思う。
……あのまま続けられてたら絶対やばかった。
確実に一線越えてたわ。
ふーギリギリセーフ。
そう思いながら後ろを振り返った俺は、
「やっぱり…………お嫌、でしたか……?」
うなだれたルーシェに、不安そうに尋ねられて。
反射的に言ってしまった。
「違う。むしろ逆。襲っちゃいそうになったから自重した」
言ってからしまった、と思ったが、俺の懸念とは裏腹に、目を見張ったルーシェは、次の瞬間ほっと胸をなで下ろし、
「……よかった…………」
「いやいやいやよくないだろ」
なんでそうなる。
手を振って突っ込みを入れた俺に、ルーシェは「す、すみません……」と謝ってから、「でも」と続けて。
「ハルカさまに…………失礼のないよう……念入りに、身を清めましたので……」
……あーそういえばルーシェに風呂入れって言ったの誤解されたまんまだったっけか。
あれは別にルーシェが汚れてるからとかそういう意味じゃなかったんだけどな……。
思ってぽりぽりと頭を掻いていると、ルーシェはぎゅっと胸に手当てながらこちらを見て。
「あ……あの……で、ですから……ハ、ハルカさまのしたいときに――なさってください」
ああ、俺のしたいときにね……。
……ん?
「なにを?」
問い返した瞬間、ルーシェがすごく恥ずかしそうに“そ、それはわたしの口からはちょっと”みたいな表情を浮かべたのを見て、俺は彼女が普通に襲われる前提でいることに、天を仰ぐ。
ダメだわこれ。
完全になんか勘違いされてる。
すげーめんどくさい方向に。
……つーか異世界でも星は綺麗だなー。
やっぱ露天風呂最高だわー。
目の前の現実があまりにもあれだったせいで、逃避せざるをえなかった俺は、露天風呂を作ったおっさんにナイスと親指を突き立て、その百倍余計なことしてくれやがってと即座にその指先を下に向けた。




