32 酒場の旅館
メツ子が元世界最強にして最悪の敵、“終焉の滅竜”であること。
その世界最強竜の力を、俺が手に入れたこと。
それらを聞いて、おっさんマスターヒコイチは何度か意識を失いかけた。
「嘘だろ……? 嘘って言ってくれ……いや、いっそ俺を殴って正気に戻してくれ」
「まあ、殴れっていうなら殴るけど」
「あ、ちょっと待て。“終焉の滅竜”の力で殴られたら死ぬんじゃね?」
「まあ死ぬね。一応手加減するけど、それでもたぶん殴ったら死ぬね。やる?」
「やらねーよ! 死ぬってわかってるのになんで“やる?”とか訊けるんだよお前は!」
「マスターが言ったんじゃん」
なかなか無茶言うね。
ちなみに、ここまでの一連の話で、一番驚いてるのはルーシェだった。
もちろんその内容は“終焉の滅竜”の力云々ではなく――
「ハルカさまは……本当に、その、異世界の方だったんですね……」
マスターヒコイチがガチで異世界――俺にとってはそっちが元の世界だが、そっち出身だとわかって、信じられない想いらしい。
「だからそうだって……あれ、言ってなかったっけ?」
そういや言ってなかった気がする。
まあ聞かれなかったからだけど。
「特別な方だとは……思っていました」
……うん。
それはなんというか、あれだ。
便利な言葉だな。
あと誤解生む感じの表現だから、簡単に使うのはやめようか。
俺がそう言うと、ルーシェは言葉に詰まって顔をうつむかせた。
なんかよくわからんが、わかってくれたならそれでよし。
「ハルカお前……なんでそんな風になっちまったわけ?」
「はあ? なんの話?」
俺の人格の話?
「だから、なんで召喚なんかされて、その……」
そこでメツ子をちらりと見たヒコイチおっさんは、出されたなにかのジュースをズズズッとすすっている間抜け極まりない――まあちょっとソフトに言い換えると超絶可愛い銀髪美少女に怯えながら、小声で言う。
「“終焉の滅竜”と一緒に旅してんだよ……っ」
「んー」
これは答えるべきか悩むな。
一応俺がメツ子と旅をする理由は明確にある。
一つはMPの問題だ。
身体能力その他を超絶上げる『竜威』は常時消費型のスキルで、消費MPも格段に大きい。
メツ子がその体内に秘め、自らの粘液を通し伝える《神遺物》『永久竜晶』の効力はおいそれと切り捨てることのできないものだ。
徐々にMP節約術は確立されつつあるものの、メツ子伝授のMPリジェネと比べたら、そんなもの無いも同然だ。
だから俺が困るという理由からメツ子は絶対に一緒に旅をしなければならない。
そしてもう一つは――
「なんかいつか俺と戦いたいらしいんだよね、そこの元世界最強竜さん」
「はあ!?」
メツ子を見て、信じられないような顔をするヒコイチおじさん。
その反応……というより声に、さしものメツ子も顔をあげて、
「ん? なんだ?」
「あ、いや……あ、あー、メ、メツ子ちゃんおかわり飲むっ?」
「む。貴様――なかなか気が効くな」
「あ、あは、そう?」
「うむ。褒めてやろう」
「ありがとう……」
と言いながら二杯目のフルーツジュースっぽいものを慣れた手つきで作るおっさんマスター。
その腕は元夜の飲食店勤務とあって、なかなかのものだ。
そうしてやや引きつった笑顔でフルーツジュースをメツ子の前に、ついでにルーシェにもフルーツジュースのついでに作った果物盛り合わせを差し出す。
めっちゃ手際いい。
「おーマスターやるじゃん。すごいプロっぽい」
「いや一応プロだから……ってそれはどうでもいい!」
再び小声になりながら、おっさんマスターはメツ子をひそかに指さして言った。
「――どこのドラゴンなボールだよ!?」
「あ、やっぱそう思う?」
ドラゴンなボール突っ込みは四十四歳のおっさんとも一致した。
ジェネレーションギャップを超えるドラゴンなボールマジすごい。
「しかも戦うために召喚して、その召喚相手に力全部奪われるって……」
「アホだよねー超ウケる」
「……お前」
ヒコイチおっさんは“えー”という目で見てきた。
「まあそれはいいけどさ……んじゃ“終焉の滅竜”――いやあえてメツ子ちゃんと呼ぼう。メツ子ちゃんがここにいるってことは、今《終わりの谷底》には誰もいないってことか」
うーむ、となにやら考えこむようにするマスター。
そうやってると、いかにもな感じに見えなくもないな。
こう、酒場で情報提供してくれる人みたいな。
「というか、あそこ《終わりの谷底》って名前つけられてるのか」
俺がこの世界に召喚され、メツ子がいた場所。
谷底と言われて真っ先に思いつく光景はそこだ。
赤竜――ドライグと戦ったのがずいぶん昔に思えてくるなー。
俺が感慨にふけっていると、
「え、なにハルカお前もしかして《終わりの谷底》にもいたわけっ?」
マスターヒコイチはハイテンションにカウンターに身を乗り出してきた。近い近い。
「いたもなにも召喚された場所がたぶんそこだけど」
「マジかよ! 近くにすげー綺麗な鉱石がごろごろ転がってなかった!?」
「鉱石?」
んなこと言われても、召喚されてすぐ目の前に巨大な竜って状況だったからなあ……。
「石なんてそこら中に転がってた気がするけど……なんかあんの?」
俺の割とどうでもいいというつもりの問いに、マスターはめっちゃ食いついた。
「こっちきたばっかのお前はわからんと思うが、『ドライグライフ石』っていう月明かりの下でのみ薄緑に光るすんげー高くて貴重で綺麗な石が《終わりの谷底》に大量にあるって噂話がまことしやかに流れてんだよ」
「……ああ、それ取って売って一儲けしようっていう?」
「バカちげーよ! いやそりゃもちろん取って売れりゃそれが一番だが、話の真偽自体、つまり情報が金になるっつーの!」
と言って商売人の顔になるマスター。
「おー情報売るとか、本当にRPGの酒場のマスターみたいだわ」
すげえ。ファンタジー。
「どこに感心してんだお前は……」
と呆れるマスターに、俺は首を傾げつつ思い返す。
「んー綺麗な石ねえ……綺麗っつーならそれ以上に目の前にいた銀の竜のほうが綺麗だったからなあ……」
あれは、本当に、心の底から――美しかった。
と。
割となにも考えずに呟いたら。
「――っ」
隣のメツ子が突然グラスを倒し、カウンターに突っ伏した。
「え、なに?」
思わずそちらを見た俺は、メツ子の耳が真っ赤なのに気づいて。
「おい、マスター。もしかして――」
「い、いやいやジュースだぜ? アルコールは一滴もいれてねーよ」
先んじてぶんぶんと顔を横に振ったマスターに、訝しげな眼差しを向ける。
「ほんとにぃ? 実は目薬とか入れてたんじゃねーの?」
「お前よくそんなこと知ってんな……ちなみに目薬はアルコールと一緒に摂ると悪酔いを促進することもあるだけで、それ自体じゃ酔わねーから」
「へえ」
どうでもいい知識が一つ増えた!
特に嬉しくはない。
「ってそういやルーシェは平気だもんな……」
俺は反対側の隣で心配そうにメツ子を窺うルーシェを見て、おっさんへの疑いを取り消す。
しかし酔ったのではないとすると――
「あの……ハルカさま……このままでは……」
相変わらずぴくりとも動かないメツ子に、俺はため息を吐いて。
「しょうがない……二階に運ぶか」
立ち上がった。




