30 同郷
ちょっとした推測だった。
いや推測っていうのもおおげさだな。
うっすらと妄想していた。
こちらの世界に転移させられたのが俺だけではないらしいとわかったときから、仮に先に転移してきた者がいて、その人間が普通に暮らそうとしたらなにをするか、と。
まあ前提としていろいろクリアしなければならない部分はあるが、そういう妄想を事前にしていれば、それっぽい気配に敏感になる。
言い換えれば準備ができていたわけだ。
先人の存在の。
だからこの店の扉を見たとき、“元は日本独自の引き戸をイメージして作ったんじゃないか?”とか思ったし、なにより――
「リョカン……“旅館”て」
なんつーネーミングだよ。
思わず突っ込んだ俺に、マスターのおっさんはいまだ呆然としたまま首を横に振る。
「違う……わざとつけたんだ。そういう人間――オレと同じようにこっちに来ちまったやつにわかるようにって」
「あーなるほど。っていやいや、これのどこが旅館?」
どう見ても酒場。百歩譲ってバーだ。
旅館は無理がありすぎるわ。
「元々はちゃんと宿屋だったんだよ……奥に階段があるだろ。今も上で宿泊できるように――ってそんなことはどうでもいい!」
マスターのおっさんはバンとカウンターを叩き、喜びとも驚きともとれそうな顔で俺を指さし、
「お……お前、本当に……本当に日本人か……!?」
「だからそうだって。日本語話してるように聞こえるだろ? 格好も制服のブレザーだし」
「それは……いや、だが……」
目の前の現実が受け入れられないように惑うおっさんに、俺はついでのように言う。
「確認してみる? ――ルーシェ」
「え、あ、は、はいっ」
「今俺がなに話してたかはわかるよな?」
「……は、はい」
「じゃあ、あのおっさんの言ってたことは?」
「……えっと……」
エルフ耳をぴくりと動かしたルーシェは、答えていいものかどうか迷うようにしたあと、遠慮がちに言った。
「……わかりませんでした」
おそらくそれはメツ子も同じだろう。
俺らが入ってきてからずっと訝しげにしている客たちも同様。
俺はこの世界に来てからずっと日本語しか話していない。話しているつもりがない。
にもかかわらず、ずっと言葉が通じているのは、『全知』のおかげだ。
メツ子――“終焉の滅竜”と出会ったときはメツ子自身が『全知』を持っていたから言葉が通じたし、それ以降は俺が『全知』を持っている。
このスキル『全知』の言語理解……あとたぶん概念共有もか、これは俺の話す日本語を相手の理解できる言語=概念に自動的に翻訳し、また逆に相手の話す俺が本来理解できない言語を自動的に日本語=概念に翻訳するのだろう。
逆に言えば、日本語が理解できれば、翻訳する必要がない。
そして人というのは不思議なもので、仮にマルチリンガルだったとしても、無意識に話しかけられた言語で返すそうだ。
つまり、おっさんと俺のあいだで行われた会話はまごうことなき日本語のみで行われたということになり、全知の自動翻訳が働かないメツ子やルーシェたちにはおっさんのみがわけのわからん言葉を話していたということになる。
……ま、ぶっちゃけ全部予測だったのが、今確認できたってだけなんだけどね。
俺からしたらずーっと話してる言葉変わってないし。
馬鹿正直にそこまで言う必要はないので、俺はさもずっとわかっていましたという顔で、おっさんに「な? ちゃんと日本語で話してただろ?」と肩をすくめてみせる。
マスターおっさんはようやく現実を受け入れられたのか、驚きより感激のほうが強い表情になって。
「じゃ、じゃあ……本当に――」
と続けようとしたところで、客に遮られた。
「おーいマスターわけわからんこと言ってねえで酒のおかわりさっさとくれよコラ」
「つーかなに、あいつらマスターの知り合い?」
「とりあえずそのやたらキレイな女紹介しろよマスター。変な格好してる男はいいからよお」
「格好って言ったらぁ、マスターもたいがいじゃないのぉ?」
「ガハハちげーねえ」
「ちょ――おまえら黙ってろ! 今すげえことが起きてんだぞ!?」
マスターのおっさんは一生懸命奇跡が起きたと訴えるが、客たちにはまったく伝わっていない。
「おー確かに、この店にゃまったく合わねえカワイコちゃんたちだよなあ」
「ちょっとぉ、アタシはぁ?」
むしろ入ってきたときの“よそもの”への反応がなくなり、「おーいねえちゃんこっちで一緒に呑もうぜ」「トンガリ耳もこっちこいや、可愛がってやんぞ」などと、メツ子やルーシェを冷やかす声が強くなってきた。
そんな周りの空気に、
「ふん……ここでも我の正体を知らぬ痴れ者どもが喚いておる」
と言って謎の自信に溢れたメツ子と、
「…………」
ひたすら俺のすぐ後ろに隠れるようにして小さくなっているルーシェ。
対照的な二人を率いて、俺はまっすぐカウンター――おっさんの目の前に座る。
「えーと、こういう場合ってなんか頼まないといけないんだっけ?」
マスターのおっさんは、それで周りなどどうでもよくなったらしく、なぜか目を潤ませながらまっすぐ俺を見てきた。
そうして、溢れる想いを堪えきれないように声を震わせ――
「そ、そうか……ついに俺は――」
「あー待った待った」
――なにか語ろうとしだしたのを、俺は右手を突き出して遮る。
そのままぱちくり瞬くおっさんの前で肘を突き、
「先に言っておくけど、おっさん――マスターって呼んだほうがいいかな? マスターの身の上話とかあんま興味ないから」
「………………は?」
なにを言ってるのか。
そう続けたがっているのが丸わかりのおっさんに、軽く笑ってみせる。
「いやいや聞けっていうなら聞くよ? 同郷――この場合も同郷って言うのかね? まあ同じ世界の人間見つけて、そういうこと話したい気持ちになるのもわかるし。ただ――」
俺はトントンとカウンターを指先で叩いて。
「その代わり、こっちからもいろいろお願いしたいことあるんだけどいいかな? ――ほら、同郷のよしみで、さ」
またそれか貴様は。
隣からそんな声がしたような気がしたが、俺はあえて無視することにした。




