1 はじまりは竜
「感情が半分死んでるよね」
それは俺の人生一七年で、周囲の人間から言われることの多い言葉の一つである。
失敬な。半分てなんだ。全部生きてるわ。びんびんだわ。全生きびんびん丸だわ。
と、本人は思っているのだが、どうも周りにはそう思われていないらしい。
ちなみに他によく言われるのは、
「眠いの?」とか
「めんどくさいの?」とか
「どうしてそんなやる気ないの?」とか
「生きてて楽しい?」とかなので、まあ他人からの評価が一貫してるといえば一貫してる。
そして俺自身もよく「よーし、今日は全部適当でいいかな」とか「あー生きるのめんどくさいわー学校休もう」とか「とりあえずどうにもならなそうだから今日は寝る」とか思ったりやったりするので――あれ、おかしいな、合ってるじゃん。
そんなわけで一七年を割と無駄に過ごしてきた俺は、その日もなに一つ面白くない高校の授業を受け、誰かと話すこともなく一人で教室を出て――
異世界に転移した。
……いやいや異世界て。
なにおっしゃってるのとお思いでしょう。お思いですよ俺が。
でもね。
湿った空気に、さやさやと近くで流れる水の音。
空に浮かぶ二つの月に、薄ぼんやりと光る四方の切り立った岩。
ごつごつざらざらとした石の地面に、はっきり光る魔法陣っぽいなにか。
そんな場所に一瞬で移動するって――つまりそういうことじゃないですか。
なにより。
なによりだよ。
目の前にいるんだよね。
冗談でしょ? って言いたくなるくらいでかくて立派で神々しい――銀色に輝く竜が。
「……銀○ウス?」
思わず呟いちゃったよね。
モンスターなハンターに出てくる竜と比べたら金冠サイズどころの話じゃないんだけど。
というか。
その紅い宝石のような瞳や、美しい竜燐、堂々たる立ち姿は、ものすごく――綺麗で。
驚きとか恐怖とかより先に見とれてしまったっていうのが正直なところだった。
よくよく見ればめっちゃ切れそうな爪とか、一扇ぎで壁に叩きつけられてぺしゃれそうな翼とか、一突きで確実に二回死ねる角とかがヤバそう以外のなにものでもないんだけど。
よくよく見なくても恐怖の対象でしかない竜は、そうしてゆっくりと口を開いて。
【よくぞ我が召喚に応えた――此方ハルカよ】
空間いっぱいにビリビリと響く重低音。
この竜、しゃべる……だと……?
というか名前まで知られとる。
そして召喚というフレーズ。
これはもう間違いないね。
喚ばれちまった。喚ばれちまったよマジで異世界に。
ただ俺が暇つぶしで読んだことのあるネット小説と違うのは、喚びだしたのが王様とかお姫さまとかのヒーローサイドの人間じゃなく、ダークサイド……というかラスボスちっくに見える竜だってことだ。
それは純粋に疑問で。
訊いてみることにした。
「あんた誰? 俺なんで召喚されたの?」
俺のその問いに、竜はそのバカでかい体を震わせて。
【――くっくっく、我の姿に怯えぬか。さすがは異界のマレビト】
どうやら笑っているらしい。
竜も、笑うのか……。
なんか、それは。
いやに人間じみていて。
ただそれだけのことに、ふっと肩が軽くなるように気が楽になった。
「あーなんか俺感情が死んでるらしいんで半分」
というかびびったところで一捻りで死ぬことには変わらないしね。
ポリポリと頭をかいてそんなことを言うと、竜は口を半分開き、それはまあ立派な牙を見せてくれた。
【ふ、よかろう。我はこの世界を統べし覇者――“終焉の滅竜”。汝は我に選ばれたのだ。世界の敵たる我に挑むために】
「はあ……?」
なにそれ。
【だが汝は今のままではあまりに脆弱。しかるに――召喚に応ぜし、異界のマレビトよ。契約に基づき、汝の願いを一つだけ叶えてやろう】
竜はそんなことを言いながら鋭い指先の爪をこちらに向ける。
【スキル、魔法、武器、金、権力――汝の望むものをなんでも言うがいい。召喚の契約はその願いを叶えるだろう】
願いを叶える竜ってあれか……シェ○ロン?
そしてどうやら竜は俺ではなく足元の魔法陣を指さしているらしい。
この魔法陣が願いを叶えてくれるって感じか?
お決まりのチート能力どんとこいな感じで。
「……うーん」
思わず腕を組む。首を捻って考えこむ。
願いを叶えてくれるのはいい。異世界召喚も実にいい。
チートで異世界ひゃっはーとか夢でした、本当にありがとうございます。
ただ。
世界の敵たる我に挑むためとか言ってたよな……それってようするに「願い叶えて力やるから俺と戦え」ってことか?
世界を統べし覇者、とか自分で言っちゃってるのと。
おっす、オラすげーつえーけど、おめーも力つけてオラと熱いバトル繰り広げようぜ!! って感じ?
どこのドラゴ○ボール?
それは――正直めんどくさい。
ものすごくめんどくさい。
だから。
「――よしわかった」
俺は顔をあげて。
全力の笑顔で、言った。
「あんたの力を全部くれ」
空気が凍った。
竜の動きも固まった。
その反応を見て、さすがの俺も地雷を踏み抜いたのだと悟った。
あ、やっぱダメでしたか。さすがに。
……人生一七年。
我が生涯に悔いなし――いや嘘。
異世界召喚、できるなら楽しみたいです。
そんな未練たらたらの俺に、竜は目を細める。
【貴様――我を愚弄しているのか?】
……やばい。
汝から貴様に変わってる。
声のトーンもさらに低くなった感じで、これ絶対ダメなやつだ。
ある程度予想できていたはずなのに、俺はどっと背中に汗をかく。
背中のやつ、素直だなあ……。
そんな現実逃避に精を出したところでなにも変わらないわけで。
うわ、なんかもう目の前とか真っ白になってきたし、これはいよいよ――と思ったら、どうやら目の前が白くなっているわけじゃないらしかった。
足元の……魔法陣がやたらと強く光っている。
【そんな願い、叶えられるわけが――――む?】
魔法陣の光に呼応するように竜も光りはじめ、
【な――ま、まさか――】
らしからぬ竜の慌てた声。
重低音で聞くと結構腹に響く……とか言ってる場合ではなく。
「え、なになに? っておい、なにも見えなく――」
俺の意識は暗闇に落ちていった。