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京都のお野菜~明治瓦斯焜炉仕込み~

作者: 足軽三郎

"和モノ布教企画"に携わる全ての人々へ。

 京都は賀茂で作られる野菜には、様々な種類がある。大根、蕪、茄子、水菜、唐辛子、南瓜、それに海老芋、牛蒡などが有名ではあるが、そうした比較的に生活に身近な野菜以外にも、祭事にしか見られないような野菜がある。そうした日常的、非日常的の垣根を越えて、この地で作られる野菜は人々の口に入る。


 地名の語源となった鴨川に沿って展開する滋味溢れる土地、それは古都の食を支えるだけの肥沃さを、長年に渡り維持してきた。著名な神社仏閣だけが京都の全てではないということを、この地に訪れた者ならば誰もが認めるだろう。






「......なんてことを何かの本で読んだが、実際どうだい」


「相違ないね。少なくとも僕は満足だ」


「本当かね、お前がねえ」


 目の前の娘の返事はすぅ、と透き通るようだった。鼻筋が通った卵形の顔は、俺の記憶にある五年前とほとんど変わりない。強いて違いをあげるとするなら、少し日に焼けたくらいか。それでも前が色白過ぎたから、今くらいが丁度いいのだろうけれど。


「ここは空気が澄んでいるしね。鴨川のおかげで綺麗な水にも恵まれている。野菜を作るには最適だよ」


 知っているだろう、と言いたげな視線も昔と変わらない。知的、だがそれにとどまらない芯の強さを秘めた目は、確かにあの頃と――いや、それは俺が過去(むかし)から離れられないからだろうか。


「なあ、結城。お前、やっぱりここを離れる気は無いのか? 正直さ、俺、お前がずっとここにいるのって勿体ねえと思うんだよな」


「そうかなあ」


 娘――結城紫音(ゆうきしおん)はそう呟きながら、竹筒を取った。「いるかな?」という問いに、俺は素直に頷く。朝一番で宿を発ってここまで来たのだ、五月の陽気のせいもあり喉が乾いていた。


「遠慮なくもらうけどよ、湯呑みとかねえの?」


「あるだろ、ほら、三輪っちの足元にさ、土に埋もれかけた茶碗が」


「おま、これ明らかに捨ててあったやつじゃねーか! あと、三輪っちって呼ぶなって言ったよな、昔!?」


「騒がしいなあ、耳に響くよ。で、何の話だっけ、ああ、そうそう湯呑みね。持ってきたげよう」


 くすくす笑いながら、結城の奴はその場を離れた。後頭部で無造作に括った黒髪が揺れる。それを見送りながら、何となく天を仰いだ。

 俺達が座りながら話していたのは、賀茂の外れにある畑の片隅だ。その傍、ぽつぽつと生えた柏の木にもたれるように一軒の小屋がある。最初見た時は、あまりのぼろさに目を疑った。部下の報告から結城がここに住んでいるとは知らされてはいたが、そうで無ければ絶対に信じなかったぜ。


「全くなあ、何でわざわざこんな辺鄙な地に籠って野菜作りなんかしてんだか」


 まとまりの無い思考同様のまとまりの無い髪を掻きながら、俺は嘆息した。いや、ほんとは分かっているんだ。結城同様、俺こと三輪十条(みわじゅうじょう)もあの明治維新で肩を並べて戦った仲なのだから。


 五年前のあの頃、俺も結城も長州藩に籍を置いていた。結城に最初出会った時は、びっくりしたもんだ。大砲が導入された大規模な歩兵戦が幕府軍と展開されているというのに、あいつは女だてらに戦場を駆け巡っていたのだから。しかも砲術指南としてだぞ。英吉利(エゲレス)から輸入した高価な大砲を皆おっかなびっくり触っていたのに、あいつときたら。


「君達馬鹿だなあ。せっかく買った武器なんだよ、精々有効活用しなきゃ勿体ないじゃないか。どれ、僕が指南してあげるよ」


 まだ歳若い乙女は、にっと笑顔を浮かべながらごつい黒鉄の塊に手を差し伸べたんだっけ。あいつがいなかったら、俺らの被害はどれだけ拡大していたやら。


 "いや、今は思い出にふけってる場合じゃねーんだよな"


 記憶と共に俺は視線を引き戻す。ぼろ家から戻ってきた結城の奴が「ほら、あったあった。割れてない湯呑みだぞ、凄いだろう」とトンチキな事を言いながら、湯呑みを渡してくれた。大丈夫なのか、これ。でも、少なくとも俺が水を飲む間は割れずに済んだ。良しとしよう。


「なあ、結城さ。聞いてもいいか?」


「内容に依るけどね。答えられることならいいよ」


「お前、何でここに引っ込んだわけよ。せっかく頭の堅え幕府の連中倒してよ、ここからじゃなかったのかよ。俺らの真の維新はよ」


 穏やかに話そうとは思ってたんだがな。


「――なのに、さっくりと身を隠すように抜けやがって。何考えてんのか、さっぱり理解出来なかった」


 でも駄目だった。俺の中で抑えつけていた感情は、時間の流れと共に肥大してたみてえで。自分の言葉が導火線になって、そいつに火を点ける。


「何とか言いやがれよ」


 五年前は呆然としたまま、汚れた軍服から塵を払うことも出来ず――結城の置き手紙を眺めるだけだった。今はどうだろう。ちっとはましな白い綿シャツと書生がよく着る裾の細い袴姿を着込んだ俺は、あの頃の自分とは違うんだろうか。結城が何を考えていたのか、何故維新の流れに身を浸すことなく離れたのか、何故ここに独り住むのかを......聞く資格があるのだろうか。


「また昔のことを聞くんだなあ、三輪っちは。んん、しかし聞きたくなる気持ちも分からない訳じゃあないよ」


 そう答える結城も、五年前とは違う。容貌(かおかたち)はあまり変わっていないけど、ふっと浮かべる優しいような悲しいような表情は昔は無かった物だ。絣小紋が入った作務衣は土の跡が所々目立ち、とても元長州藩砲術指南とは思えない。ましてや幕府に"黒弾の鬼姫"と畏れられたことなど、欠片も感じさせやしねえ。


「教えてもらったからって、別に連れて帰る気はねえからさ」


「ふうん、そうなんだ。なら何でわざわざ僕を訪ねてきたのさ。ただ懐かしさに駆られてかい」


「強いて言うなら――納得してえんだよ、俺は」


 五年前から小さなしこりとなっている事柄に、何らかの答えを見つけてやる。ただそれだけの為に、俺はここにいる。結城は「ふん」と鼻を鳴らし、立ち上がった。猫のようにつぅと吊った目は、俺の内心を探るかのように束の間さ迷う。


「いいよ、答えてあげよう。僕なりの形でね。そこにさ、籠あるでしょ。そう、その茄子や葱が山盛りになった。それ持ってきてくれない?」


「これか? これがお前の返答に関係してるなんて言うなよ?」


「ところが大有りなんだなあ。三輪っちが納得してくれるかは別だけどねー」


「三輪っちは止めろって」







 俺は回りくどい言い方は嫌いだ。だからはっきり言う。結城が住んでいるらしい家はおかしい。外見はおんぼろの茅葺き小屋そのものなのに、内部は色々と手を加えられている。というか改造されている。畳の代わりに西洋から輸入されたとおぼしき毛足の長い絨毯が敷かれていたり、政府で研究中のはずのアーク灯の照明が室内に設置されているのだ。


「外見と中身が違い過ぎるだろ、この家」


「驚くにはまだ早いな。家の壁には鉄板を仕込み、完全な防弾仕様だ。ちなみに床下には抜け道も用意してあるんだぞ」


「何ここ、要塞かよ。で、そんな要塞で一体お前は何を見せてくれるわけ」


 俺の問いにふふんと小さく笑いながら、結城は土間の片隅に立った。煮炊きの為の炊事用具、つまり竈やら鍋やらが置かれており、いずれも使った跡がある。なるほど。得心しながら、俺は土間に野菜の入った籠をゆっくりと下ろした。


「論より証拠、お前が作った野菜を食って確かめろって訳か」


「察しがいいね。三輪っちにはさ、その方が分かりやすいと思って。言葉じゃ届かないと思うし」


「んだな」


 座り慣れないふかふかした絨毯に、おっかなびっくり尻を落ち着けた。さっそく料理に取り掛かるのか、結城は着物の袖を襷がけにしている。まくりあげられた袖から覗く腕は、相変わらず細い。けれどもこの五年の畑仕事のせいか、少ししっかりしたように見えた。


「この炊事場(キッチン)はね、長崎の御用商人に頼んで無理を言って作ってもらったんだ。見てごらん、これ。この壺から管が伸びているだろ」


「うん」


「これがこの焜炉(コンロ)に繋がっていてだ、壺から供給される瓦斯(ガス)による火で料理出来るんだよ。便利だろう?」


 得意げな顔で結城は説明してくれるが、何を言っているのか俺にはちんぷんかんぷんだ。

 ただ、こいつがその技術おたくっぷりを発揮して、やりたい放題に自分の家を快適に仕上げたことだけは分かった。「よく分からねえけど凄えな」という俺の呟きに気を良くしたのか、結城は微笑を浮かべながら野菜の品定めを始めた。


「一時間あれば三品かな。食べられない野菜あるかい」


「別にねえよ、食いもん粗末にする不義理は持ち合わせちゃいねえし」


「なら好都合だ。僕の得意料理を味わっていけばいいさ」


 一度言葉を止め、結城は俺の方を見た。うっすらと家に射し込む陽の光に、あいつの顔に影が斜めに伸びる。そこからそっと吐き出された言葉は、存外力強かった。


「それと僕が表の世界から手を引いた理由もね」






 いや、びっくりした。結城の奴、ほんとに一時間で三品作りやがった。もうちょい時間かかるだろうと思っていたんだけどな。


「湯を沸かすこと一つ取っても、瓦斯焜炉(ガスコンロ)だと楽だからねえ。やっぱり無理して作って正解だったよ」


瓦斯(ガス)って青い炎なんだな......初めて見たわ、あんな炎」


「うん、炎の温度が高いと赤じゃなくて青になるらしいんだよ。それより早く食べた食べた。冷めてしまうじゃないか」


 そうだ、感心している場合じゃない。俺の目の前の膳には、小鉢が三つ並んでいる。肝心の料理を色彩で識別するなら、向かって右から紫と緑、薄茶、白だ。多分、一番右の紫と緑の野菜から取り掛かるのが正解だろう。何故ならこれは。


「野菜の天婦羅かよ」


「そう、手前に抹茶塩があるだろ。それをまぶして食べてごらん」


 これか、深い黄緑色をした塩を一つ摘まんで天婦羅に振りかけた。薄い黄色の衣に抹茶塩の黄緑が彩りを添え、その下から透ける野菜の色を鮮やかに引き立てる。紫の野菜は賀茂茄子、緑の野菜は獅子唐(ししとう)か。「いただきます」と手を合わせ、さっそく箸を伸ばす。ちなみに、箸はちゃんと用意されていた。正直それだけでほっとした。


 まずは茄子から。


 かつり、と俺の歯が衣をかじる。かりり、と揚がった天婦羅の衣の下、ふわりと賀茂茄子の実を感じた。茄子独特のどこか綿めいた繊維質が口中でほどける。

 普通の茄子よりやや丸く大型の実は、黒みを帯びた紫色の皮に包まれている。それが香ばしく揚げられた天婦羅の衣に包まれ、視覚からも訴えてくるのだ。瑞々しい、だけど水っぽくはない。五月とまだ茄子の旬には早い時期にも関わらず、何故これ程の旨味を蓄えた賀茂茄子が出来るんだろう。気がつけば、その疑問を口にしていた。


「おっと、それは秘密だよ。とりあえず一個全部食べてみてくれ。普通は味噌田楽や煮物にするんだが、僕は天婦羅が一番好きだな」


 結城の返答を聞き流しながら、いや、天婦羅が旨すぎてろくに聞いていなかっただけなのだが、更に口中で噛み締めた。皮の下、まさに実との境目がぷつりと歯切れよく弾ける。鼻孔をくすぐる香りは、賀茂茄子独特の芳しさと油の香ばしさが混ざっていた。あまりかぐとくどくもなるだろうけど、その濃い香りが今は食欲をそそる。


 そして、抹茶塩の淡白ながら上品な塩辛さ。これがまたいいじゃないか。具の引き立て役にとどまりながらも、野菜の風味とは異なる塩の刺激が舌にくる。調味料自体が一つの風味を作り、見事に主役の天婦羅を引き立てていた。


「へえ、茄子ってこんなに天婦羅にしたら味がしっかり立つものなんだな。知らなかったぜ」


「どれでもってわけじゃあないけどね。そこの獅子唐もどーぞ」


 結城に勧められるまま、今度は獅子唐の天婦羅に箸を伸ばした。茄子に比べりゃ小さいが、これはまた違う風味がある。おくらを更に小型化したような緑の実の中、そこに眠る小さな種が弾ける辛さが舌に踊る。だがそれは一瞬だ。辛くはあるが嫌な辛さじゃない。爽やかさを残しつつ、次に広がるのは獅子唐の実の淡い甘みだった。


 新鮮だからこそ、この辛さと甘みの野趣溢れる味が可能なんだろうな。それに油で揚げることによって、ともすればバラツキそうな風味が一つにまとまっている。あっという間に獅子唐の天婦羅は無くなった。しゃくしゃくとした実の感触は癖になりそうだった。


「お次は――これか。こりゃ芋、だよな。それとがんもどきか?」


 二つ目の椀を手にとった。ほんのりとした薄茶色の汁の中、二種類の茶色っぽい物が浮かんでいた。里芋のように見えるころりとした形のこいつは、間違いなく芋だろう。白みを帯びたそれは、箸で軽く触ると沈むようにへこんだ。その横のより黄色っぽい茶色い食べ物は、がんもどきだ。間違いない。


「ああ、よく知ってるね。正確に言えば、それは海老芋と言うんだ。里芋に近い仲間みたいな物だけど、中々美味しいよ」


「海老芋ぉ? どこに海老があんだよ」


 俺の問いに、結城は小さく笑った。


「皮を剥いた後じゃ分からないね。焦げ茶の皮が縞模様になっているんだ。その縞が海老の殻みたいに見えるからさ」


「あー、なるほどな。だから海老芋か。味が似てるってわけじゃあねえんだな」


「流石にそれは無い、というかもう一口目行ってるんだ......」


 その通り。俺は結城が言い終わる前に、海老芋とやらに最初の歯を立てた。ねっとりとした歯触りは、茄子や獅子唐のそれとは違う。あれらよりもっとこう――主役って感じだ。ああ、上手く言えねえな。腹にくるんだよ。数口噛むと、海老芋は柔らかく溶ける。だしの効いた汁を含んだそれは、自然の滋味と他人の工夫が見事に組み合わさっていた。


 こう、ほっとさせる味だ。土ん中に根を張って実をつける芋だからこそ、こんなどっしりした旨みが出るんじゃねえかと思う。

 俺はすぐに二個目に箸を伸ばす。芋って所詮は芋だと思っていたのにさ。どう足掻いたって、ご馳走の主役になれる器なんかじゃねえって思っていたのにさ。これはそんなつまんねえ考えなんか、全部ひっくり返してくれる。上品なだし、これは鰹節と椎茸の合わせだしか。こいつの複雑な深いこくを、海老芋はその柔らかい実の中に全部吸い込んでやがる。


「ち、すげえもん作ってやがる」


「僕も努力したからねえ」


 涼しげに言うけどな。結城、お前よくこんなの作れるな。それにさ、海老芋だけじゃない。付け合わせ的に炊き合わせた、このがんもどきも大したもんだ。豆腐っぽいけど、それにとどまらない。いや、一度揚げているから油揚げに近いのか。良質の大豆のほのかな甘み、そこに刻み入れられた人参の少し癖のある――ほろ甘さってのかな、その味がいい感じだ。全体的におとなしめに仕上げられたこの料理の中で、がんもどきは淡白さをそれだけで終わらせていない。


「がんもどきというのは飛竜頭とも言うらしいね」


「ああ、聞いたことあるわ。物騒な名前だよな」


「そうだね、けどこんな風に炊き合わせに使うと抜群の配役になるんだよ」


 結城の意見に俺も同意する。だしをたっぷりと吸ったがんもどきは、海老芋との相性がいいみたいだ。ややもすると、旨いが単調な味になりそうなところに、調度いい変拍子となっている。ほろりと崩れる歯ごたえは、海老芋の軟質な歯ごたえとはまたちょっと違うからな。


 二つ目の料理を食べ終え、一口水を飲む。見事に調理された京野菜で飽和された舌が落ち着き、俺はそもそもの最初の疑問に戻ることが出来た。即ち、結城が維新後に一線から身を引いた理由だ。


 確かにこの野菜は美味い。旨い。瓦斯焜炉(ガスコンロ)とやらの力もあるんだろうけど、そもそもの素材が上等じゃねえとこんな味にはならねえことは分かる。結城は器用ではあったが、畑仕事はど素人だったはずだ。これほどの野菜を作る為には、相応に努力しなけりゃ無理だ。


「お前、京野菜作りに全身全霊賭けてきたのかよ」


「一応そのつもりだよ。分かってもらえて何よりだ」


「これ食って分からねえ程、味音痴じゃねえよ。分からねえのは何がお前をそうさせたのか、だ」


 俺の自嘲じみた問いを流し、結城は最後の椀を差し出した。中に入っている物は白い。かぶらか、こりゃ。茎は除かれ、少し中がくりぬかれてある。そこに何やら詰め物がされていた。随分と凝った料理のようだ。


「こいつは焼いてあるのか?」


「そう。聖護院かぶらの茎の辺りをくりぬいて、そこに鶏肉を刻んだ詰め物を入れたんだ。その後、焼き上げた。醤油かけてみて」


「垂らすくらいでいいよな」


 確認しつつ、慎重に醤油をかぶらの焼き物に垂らした。濃い茶色がかぶらの白に鮮やかに垂れる。へえ、こりゃまた――いけそうな予感がする。肉っけがあるのはいいな。つい、と動かした箸でかぶらを切る。軽く炙られた断面、そこから見える詰め物は少し赤い。なるほど、これが鶏肉なのか。


 期待を込めて口に運ぶ。まず舌の上に広がったのは、驚きだった。かぶらってこんな味だったか? 大根に似た味だが、もっと繊細だ。歯触りがそもそも違う。大根より粒が細かいっつうか、舌の上で潰せるような。上手く表現できないが、その細かさの中に瑞々しいほろ苦さがある。

 そのかぶら独特のほろ苦さの次に来るのは、ほのかな甘さだった。微かな、ほんの微かな甘さは、炙られたことで香ばしさも兼ね添えている。これは美味い。正直かぶらは寝惚けたような味がするから、好きでも嫌いでもなかったんだが。


「お」


 ごく小さな驚きが来る。くりぬかれた箇所に詰められた物――細かく刻まれた鶏肉が舌に載った瞬間だった。野菜とは明らかに異なる歯ごたえ、そして鶏肉のくどくないこくはかぶらと一体化している。醤油がまたいい。かぶらと鶏肉だけでも相当美味いのは確かだが、数滴の醤油だけでこれ程に味に深みが出るのか。かぶらも鶏肉も素材としては薄味でまとまりやすいんだろうけど、それが火に炙られることでぐっと香ばしさで際立つ。醤油がそれを引き立てる。


 ぷつり、ぷつりと俺の歯はかぶらと鶏肉を噛み締め、ちぎった。優しい味だ。けれど芯の通った味だ。結城がこれを最後に持ってきた理由は、多分、この料理の芯の強さを考慮したからか。焼き物にしか出せない香ばしさ、肉にしか出せない脂のこくがあるからこそか。最後に持ってきても存在感で負けない、いやそれ以上に締め括りを綺麗に努めるだけの完成度があるからだろう。


「これさ、お前一人で考えたわけ?」


「うん。最初は苦労したよ。京野菜って火の通し方間違えると、すぐに味を損ねるから。安定してきたのはここ一年かな」


 俺の様子に満足したのか、結城の声は朗らかだった。空腹が満ち足りて、俺も何だか落ち着いた。野菜がこんなに美味い物とは思わなかった。それが本心だ。何と話していいか分からず、俺はほんの少しの間ただそこに座っていた。ごく短い沈黙、それを破ったのは結城の方だった。


「三輪、覚えてるかい。ここ京都で僕が負傷したこと」


「ん、鳥羽伏見の戦いん時だろ。一時期お前前線から外れてたよな」


 記憶――ああ、そうだ。頭に包帯巻いたまま、結城は声を枯らして叫んでいた気がする。あの後だ。前線を離れたのは。


「うん。完全に治るまでに一ヶ月くらいかかってね。その間、僕は療養も兼ねて京都に滞在していた。それがまあ――離脱を考えさせる契機になった」


 ぽつぽつと結城は話し始めた。最初は少しぎこちなかった口調は、言葉が進む度に滑らかになっていく。


「戦地をね、僕は本当の意味で知らなかったんだよ。前線でさ、大砲を動かすじゃない? それが命中した時って、興奮してるから何にも分からないんだ。ただ、轟音が響いて土砂が舞い上がる。味方の喚声はちょっとは聞こえるけど、敵の悲鳴は着弾の音に掻き消されて聞こえない」


「んだな」


「それが当たり前だと思っていた。戦ってそんなもんで、僕は自分の知識と技術で以て倒幕の為に撃ち続けるんだと。砲術指南として大砲を敵陣に叩き込む、叩き込み続けてやる。そう覚悟していたんだよ」


「おう」


 俺の相槌は短い。意見なんか要らないだろ。今はただ、聞けばいい。


「けどね、戦ってそんなもんじゃないって......京都で療養している時にね、ようやく悟ったんだ。全てが終わった戦地を見てね。自分の砲撃の跡を見るだけなら何ともなかった。いけなかったのは、その後だ。僕の砲撃の餌食になった幕府軍の兵の遺体を見た時だった。愕然とした。まるで原型をとどめず、手足が引きちぎれたり、腹がぶち抜かれたり、首がもぎ取られたりしていた。刀傷や銃傷とは違い、大砲はさ、全部粉々にしていく。それを初めて実感したんだ」


 初耳だった。結城がそんな風に戦争を捉えていたなんてのは。"黒弾の鬼姫"なんていう大層な異名まで貰ってるくらいだ。実戦の悲惨さなんか知った上で、砲術指南をやっているとばかり思っていた。


「んじゃあ、それが原因だったのか。いや、でもお前戻ってきたじゃん」


「怪我してたから気も弱くなったんだと自分に言い聞かせたんだよ。それでもご飯とかしばらく食べられなくなって、その時に何とか口に出来たのが」


「京野菜だったって訳か」


「うん。何故かね、ここの野菜だけは食べられた。戦死者のばらばらの遺体にうなされながらもさ、とりあえず早く戻らなきゃって。こんな戦争早く終わらせなきゃって、それだけ考えて――復帰したんだよ」


 俺は言葉を失った。このまま徳川幕府の支配が続けば、日本は世界に取り残される。それを恐れて、薩摩や長州、土佐藩が中心になって起こした明治維新だ。俺は素直にそれを信奉して、ただ前へ前へと。立ち塞がる敵は倒せとだけ自分を鼓舞してきた。

 だが、どうやら結城は違うらしい。維新自体を否定はしないまでも、その犠牲になった者達を省みずにはいられなかってことか。


「分からなくはねえけどよ。けど、大きな改革に流血は付き物だろ。お前が新政府から離脱しても、戦死者が生き返る訳じゃねえし」


「そうだね。三輪の言う通りだ。でも、僕は」


 結城は自分の両の掌を見た。心なしか震えているようにも見えた。


「僕は、自分が吹っ飛ばしてきた人達を意識せずにはいられなかった。そんな後ろ向きな気分のまま、新政府での仕事は出来ない。どうしようかと迷いに迷った末に、足は京都に向いていた。気がついたら、ここに畑を借りていたんだ」


 京野菜か。戦争の罪に怯えた結城が、ただ一つだけ食べることが出来たとさっき聞いたが。そうか、それくらいしかお前には残っていなかったのか。


「野菜作りなら誰も傷つけねえ......そう考えた末の判断かよ」


「かもしれない。自分でもよく分からないけど、ここで土いじりしてると嫌な事は忘れられた。初めて作った賀茂茄子を浅漬けにして食べたんだけど、涙が出るほど美味しかった」


「そりゃお前の努力が正しかったんだよ。良かったな」


「うん。いつまで賀茂にいるかは分からないけどさ。僕は新時代は君達に任せて、土いじりに精を出すよ」


「いつかは戻ってくんのか」


「分からない、ただ今は時代に向き合いたくはないかな。僕はさ、散々壊してきた身だ。人も、その人の人生も、後に残された人達の気持ちもだ」


「......仕方ねえだろうが」


「分かるよ。頭では分かっている。でも心がついてこない。今はただ、少しでも作ることで時を過ごしたい。土を育み、水をやり、お日様の下でこの美味しい野菜を作り続けたいんだ」


 けして強い語調じゃねえ。だが、結城の目は言葉よりも雄弁だった。無言で俺は考える。京野菜なんかで何が出来るんだ、と思わなくもないが、今日食べた結城の料理は格別だった。こいつが心底真剣に打ち込んでいるのは事実らしい。だから後押ししてやろう。


「わあったよ。お前がそこまで言うんだ、覚悟は本物なんだろうよ。野菜作り応援してやる」


「ほんと!? びっくりだな、三輪っちは絶対僕を連れ帰りに来たと思ってたからね」


「あの料理食ったら気が変わった。結城紫音、お前さ、野菜作るのいいけど一人で抱え込むなよ。たまに関西来ることあるから、ここに言付けしてたら伝言受け取ってやる」


 名刺を取りだし、無造作に渡す。有り難そうに両手で受け取ったのを確認してから、俺は背を向けた。今の結城に必要なのは俺じゃない。新時代の波の中を泳ぎ始めた明治政府でもない。過去と向き合う中で畑を耕し、美味い野菜に触れる時間が何より必要なんだろ。


「じゃあな。今度来るときは、また美味いもん食わせてくれよ」


「いいよ、約束しよう」


 その声を背中で受けて、俺は右手をふらりと上げた。またな、結城。あんな美味い野菜を作れるんだ、お前はきっと――幸せになる資格があるんだろうぜ。


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― 新着の感想 ―
[一言] はじめまして。白井滓太と申します。 ライキングで足軽三郎様の作品をお見かけし、読ませていただきましたので、拙い文章ではございますが、感想の方書かせていただきたいと思います。 京都の野菜………
[一言] はじめまして。 食べ物だけでなく、お話もじわっと染みるうまさでした。 料理は調味料を多用するより、手間暇かけてシンプルな味付けにしたほうが美味しいですよね。 ごちそうさまでした。
[一言] とっても読みやすくて、美味しそうな作品でした。
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