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才能ないね  作者:
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「彼女の虎」

「彼女の虎」


羅願堂の店構えは立派だ。

お寺のような扁額に屋号がかかってる。

萱南谷が書いた屋号だ。

堂の最終画がぐいと踏ん張ってて、願に食い込んでるとこが強引で好きだと蓮は朝、店の前を掃除したあと、見上げるたび思う。



いつものスタバで蓮は友達の早紀の長話に付き合っている。

「そんでさ、布団に押し倒されて、あ、あ、キャミの袖がとか、一応こっちも半ばその気でしおらしく気にしてたらさ、突如、暗い部屋に尾崎豊の「I love you」がウッド調の立派なスピーカーから結構な音量&重低音効かせつつ、流れ出すんだもん。その狙い澄ました感に、思わず笑っちゃったんだよね。まぁそこは反省もしてるけど、しっかし、それ位で、もういい、とか、いきなり拗ねちゃってなんなの今時の男って。だいたいが、30過ぎの女を酔いに任せて連れ込むような下心、そのくせ尾崎豊とか、己のキャラを弁えやがれだよ」


ひとしきり、自分の最近の恋愛?事情を話したあと、ようやく早紀は蓮へ水を向けてくる。

「そんで、蓮ちゃんは相変わらず絵描いてるの?」

「はい」

「拓也は?」

「拓也さんは、時々来てくれます。でもわたし、なんか寝てしまってることが多くて」

「で?なに?あいつは未だに相変わらず部屋片付けして帰ってくだけ?」

「はい」

「そんな男、いる? こんな可愛い子が寝てて。もしかしてホモ?」

「え?え?や、あの…そんなことないと思いますけど…きっとわたしが子どもだから、相手にされてないんじゃないかと」

「男はさ、そういうの鈍感だから、言わないとダメだよ。ちゃんと女として見てもらってる?」

「ん、んー。あ、あの、でも時々、毛布とか、かけてくれます。それで、わたし目が覚めるんですけど、あ、拓也さんだって思うと、動けなくて。うーってなってます」

「あーもう!何その、陽だまりの猫的戯れ!一生やってろ!」




アパートの扉を開けると、部屋に漂って行き場をなくしてたような、ベンジンとシンナーのような匂いが鼻をかすめる。油絵具だ。

焔立つ。

焔、立つがごとく、その絵は。

奥の部屋の窓辺に置かれたキャンバス。

敷かれた養生のビニールシートにブチまけられた絵の具の飛沫。

その飛沫から、生まれた炎のようにその絵は立ち上がってる。キャンバスを突き破りたそうに、身じろぎして。

窓から差し込む午後の陽が、蓮の指先から零れて養生シートに転がった絵筆をカラリと照らしてる。

そのそばに丸まった蓮からは寝息も聞こえない。死んでないよな、いつも不安になる。

窮屈に曲げられた足首。かかの裏にべったりと青い絵の具。

閉じられた切れ長の目。キリリと上がった眉がわずかに苦悶するように歪んでて、その先に花のように紫と黄色の絵の具が固まってる。その様が妙に色っぽくて、ふと口づけしたくなるが、どこか、近寄り難い雰囲気がある。

それに、拭ったのだろうか、少し開いた口の周りは、流血でもしたように真っ赤な絵の具が帯を引いてて、一瞬ギョッとする。

蓮。

声をかける。

栗色の髪が微かにゆれるけど、起きない。

帰るよ。

アトリエとなってる奥の8畳を抜けて、玄関横の流しまできて、振り返る。

若冲を思わせる、どこかユーモラスで迫力のある極彩色の虎が総身の毛を逆立て、こちらを睨んでる。

そのすぐ下に、絵の具がこれでもかと飛び散った白のスウェット、そのフードをすっぽりかぶって蓮が丸まってる。

そこで、お前は主人を守ってるんだな。

虎に向けて独りごちて扉のノブへ手をかける。

ここから先へはいつだって入れない。

絵と蓮の間に自分がこれからも立ち入ることなど、出来ないだろう。

でも絵と蓮の、一番そばに、いれるだろうか。

玄関の扉の閉まる音を聞いて、蓮はふっと息をついて微かに笑う。

わたしを守ってくれているのは拓也さんなのに。その事にお願い気づいて。



夏祭りに着て行く浴衣に悩む。

そう告白すると、向かい合った早紀は、ずずーっと、蕎麦のようにスタバのコーヒーをすするとタムッとテーブルへ置いた。

「ところで蓮ちゃん、いくつになった?」

「え?25ですけど?」

「よろしい、では今まで何人と付き合った?そうしてそのうち何人とやった?」

「え?え?」

「あのさ、少しはさ、経験あるでしょ?デートとかそれから先のこととか。だったらさ、男のことも分かってるでしょ。あいつら、浴衣の柄なんてはっきり言って見てねーから。むしろ浴衣の中身にしか興味ねーんだから」

「え、んー。あ、でも、せっかく拓也さんが誘ってくれたから、喜んでもらいたいです」

「健気だねー、君は。むしろあいつじゃなくて、わたしが付き合いたいわ」



先日観たという、「天井桟敷の人々」の話を続けてる拓也の顔を蓮はピザの伸びるチーズをいいところで噛み切るのに苦労しつつ、そっと伺う。首と顎の間あたり、剃り残しの伸びたひげがひょろってなってる。ああいうの、男の人は見えないのだろうか。女の人は男の人より背が低いことが多いから、至近距離で見上げると、一番目が行く場所だ。

予約してくれたビルの屋上のビヤガーデンからは、川から上がる花火が綺麗に見える。

「拓也さん」

花火の炸裂音と喧騒と熱気。

誰の顔も火照っていて、浮かれてるから、大切なことはきっとこの夜空に今は消えてしまう。

だからこそ今言うんだ。

少し酔って赤らんだ顔の拓也がこちらを向く。

「わたしのこと、ちゃんと見てて下さいね」

並んだジョッキとか一緒に頼んだピザの食べ終えて汚れた皿とかテーブルのゴタゴタした食器類をザッと脇に寄せて、すっと拓也が腕を伸ばしてきた。蓮の指先をつまむ。

「僕はね、嫉妬してるんだ。今日は絵の具ついてないね」

そう言って笑う。

「拓也さんに会うから、綺麗にしてきました。いつもごめんなさい。全然女の子みたく出来なくて」

急に恥ずかしくなる。

大きな尺玉の火球ががヒュルヒュルと頼りなげに揺れつつ、高い音を立てて空に昇ってく。それを見上げる人たちの顔は、どこか、流れ星を待つ人の顔に似てる。小さな高揚と期待。やがて。

「絵の具飛び散る部屋で精魂尽きたように眠る蓮が一番綺麗だ。あれは僕だけに見せてくれてるの?」

カッと、無音で中空に大輪の花が咲き、ワッと、歓声の響くまでのその一瞬の間隙を縫って、静寂を突き破る。

ダーン!!

そして歓声。

周りの席で人々が立ち上がって何やら叫んでる。携帯のカメラの光が鋭くあたりの闇を割いて乱高下する。

そんなこと、こんなタイミングで言わないで。

そっち、向けなくなる。

「あの絵は出来た?」

「もう少しです」

体が熱い。さっきの言葉の余韻にまだ掴まれてる。

「派手な虎だよね。あいつは何にあんなに怒ってるの?」

「多分、この宇宙の在り方全部です」

「それは、蓮、君の怒り?」

最後のスターマイン30連発のアナウンスがあり、周りが席を立って、より見える柵の方へ移動して行く。

「分かりません。拓也さん、花火」

浴衣の袖を抑えて腕を伸ばしたら、そうだねと、拓也は手をとってくれた。

柵へ向かう人の流れに紛れる。



鉄鉢の蓋が好きだ。

画材羅願堂。店主の磯さんの趣味で照明が小さくされた店内は、画材屋なのに小さな画廊のようなスポット照明になってて場所により、薄暗い。

鉄鉢の蓋をさらりと蓮は撫でる。

鳳凰が飛んでいたり、小さな面に意匠が凝らされた絵が描かれている。

それを一つずつケースに収めて見本を並べて行く。

ここで働き出して4年。美大の時にアルバイトで入って、それからずっとだ。

日本画に使われる岩彩の色彩は繊細だ。虹色と言うけれど、これで虹を描いたなら無限だ。

刻々と変わっていく空や、夕暮れ。

きっと昔の日本の人はこの目に映る全てを描きたいと願ってこんなにも曖昧な層をなす色彩を作り出したんだ。

はっきり目に映るものと、そうでないものの間で、何層にもなってる、曖昧なものたちも。それがきっとこの民族の美意識なんじゃないか。

蓮ちゃん!

常連のおじさんに話しかけられて、我に返ってあやうく鉄鉢を落としそうになる。

「元気?」

「あ、はい。あの、この前の30番の鴇色はどうでした?布地のキャンバスに水で溶かすと、乾くと少し色が薄くなるから、どうだったかと気になっていまして」

「いやー、だからさ、ばっちりだったよ。40番だと薄いって言ってもらえて良かったよ。あんな色が変わるなんてね。蓮ちゃんは岩絵具も使うの?」

「いえ。普段はあまり。ただ、美大の時に使っていたことがあって、覚えていたんです」

「そう、ありがとね。あ、そうだ、今度都美でラファエロやるの知ってる?お盆明け」

ショルダーの小さな革のカバンをごそごそやっている。その手元を蓮は見ている。金色の指輪が人差し指の第二関節の下の皮膚にめり込んでいる。わたしだったら、あんなものをしていたら、絵など描けないと思う。絵を描くことは、鳥が空を飛ぶことだ。余計なものをどれだけ落とせるか。

「これ。新聞屋にこないだ二枚貰ってさ。良かったら一緒にどう?」

「ごめんなさい。興味ないです。あの、奥様と行かれたらいかがですか?」

こういう時、ちゃんと笑って言えるようになった。少しは成長してるのか。

「や、まーた断られちゃった。相変わらずはっきり言うね。じゃ。またね」

笑いながら店の奥に歩いて行く。

今度は店主と話すのだろう。

見送って蓮はバックヤードへと向かう。




上野動物園のサル山の一番下のところで、猿が交尾している。雄はほぼ、雌の背中に乗ってるけど、あの体勢というか角度となると、あの見えないあたりはどうなってんだろうか。もしかして、凄い長いとか?

思案に暮れつつ、上から覗き込んでると、横から視線を感じて、あ、と思う。

昨日、早紀さんに言われたことを思い出す。

「蓮ちゃん、アンタね、なんつーのかな、デートの時はゲイジュツカモードに入るの、禁止ね。ついてけないから、ふつーの男は。いい?明日、動物園では、適当にペンギンとか見てかわいーとか言っておくこと。んー、不安だな、よし、ちょっとやっておこうか。はい、はい、来た、来たよペンギン、どう言うんだっけ?」

「か、かわいー?」

「何で疑問形なんだよ!」

「や、なんかでも、急にそんな無理です」

「無理でもやりたまえや」

ガーンと思う。

これか。早紀さんが危惧してたなんちゃらモードってこれですか。

「大丈夫?」

何か不安そうな顔してるし。

わたし、どんな顔でしかもあれ、見てたんだろ。やだ。ちょっと死にたい。これ、上書き保存してないなら、一旦消して、ゲートのとこからやり直したい。

「あ、あの、子猿がかわいー?や、かわいーなって」

手をぶんぶんふって、何か言われる前に打ち消しておく。

「ふーん。どこ?」

「え?」

「子猿」

「え?えーっと」

……居ろよ、子猿。

空気読めや。



ギャハハと早紀がおっさんみたくのけぞって笑うから、周りの客が眉を顰めてこちらを見る。

「ちょっと早紀さん、声!」

「いやごめん、アンタ、なかなかいいもん持ってるわ。こっちの期待以上だわ。ヤクルト戦力外になった山田、安くとったら、意外とDHで活躍しました、くらいの意外性はあるわ」

「あの、もしかしてバカにする為に呼び出しました?」

「ごめんごめん。ペペロンチーノ奢るから、ちょっとその話詳しく。ぜひに」

いつものスタバ会議。

首尾を聞こうじゃないのと早紀に呼び出されたのが、動物園デートの3日後の今日。曇天。テラス席しかなくて、少し肌寒い。

「だから、猿を挽回しようと思って言われた通りペンギン褒めたんですよ、結構頑張って可愛い声出して。そしたら、拓也さん、ペンギン嫌いらしくて」

「何で?ペンギン嫌いとか、いる?そんな奴?」

「知らないですけど、居たんですよ、目の前に」

「子猿は居なかったのに?」

自分でそう言って早紀はまた笑い出す。

あぁもう。

だからやなんだ。

笑われるのはいい。

やなのは、男の人とうまく全然やれないこと。

料理も出来ないから、お弁当も作れない、お昼とかベンチでお弁当広げて、うふふー卵焼き少し焦げちゃった、いやいやでもお前のなら美味しいとか、そんなの憧れるけど、夢のまた夢だ。

早紀の笑う顔を見ながら、ふと、帰って早く絵を描きたいと思う。あるはずない鼻をつく油絵具の匂い。

ここでこんなことをしてる場合なのか。

「それはさ、わたしのアドバイスが悪かったよ。ごめん」

ひとしきり笑うと気が済んだのか、早紀は謝ってきた。

「いえ。わたしがいけないんです。きっと拓也さんも呆れてたと思います」

「そんなことないでしょ。連絡はそれからもあるんでしょ?」

「はい、今度展覧会に出す作品のこと、気にしてくれてます」

「安定していい奴だね」

「はい」

「ねぇ、聞くけど、拓也はあんたのどこに惚れてると思う?」

「え?えー。分かりません…」

「ちゃんと考えたことある?」

言われて、俯く。コーヒーに手を伸ばしたらすっかり冷めてる。

惚れるとか、惚れられるとか、めんどくさいなー。絵、描きたいなー。テーブルの幾何学模様の線の一つ一つが浮かび上がって、テーブルの上10センチくらいの空中でうねうねしていたと思ったら、小さな黒い龍になって、シャーっとこっちを威嚇してる。

いい子だね。あとでね。

言ってやるとゆるゆる消えてまた、何もない模様へ戻る。

「考えても、分からないです。あの、早紀さん、わたし、帰ります」

「絵、描きたいの?」

問われて一瞬迷った。

「はい」

「あんた、今いい顔してる。その顔に拓也は惚れてるんだよ。自分で気づいてない?」

「そんなこと…」

言いかけて、急激に恥ずかしくなって、頭がわーっとなる。

早紀さんのバカ。



周りの原色の赤や紫や黄色の上からそれらを叩き潰すように黒が塗り込められ、混ざり合って暗い炎が立ち上がっている。その真ん中に、ど派手な原色のままの虎。完成した絵は不協和音を響かせて、一ヶ月前に見た時よりさらに不穏さを増していた。

片足をあげ、首をわずかに捻って、画面奥からこちらへ向かってくる虎。首を下げて、下から見るものを睨みつけてくる。

筆を咥えて、それを正面からじっと眺める。

いい面構えじゃない、あんた。

絵が出来ましたとメールをしたら、拓也から、見に行っていいかと返信がきた。

少し迷って、必ず入賞しますから、展覧会場に一緒に見に行ってくれますか?と返した。

分かった、楽しみにしてると拓也から返ってきて、それを確認しながら、絵を梱包する。

絵具の乾きを確認しながら、緩衝材で丁寧に包んでいく。

業者に連絡して引き取ってもらうと、いつもように、ふーっと吸い込まれるように眠たくなった。

でもそれを今日は、ぐっと、堪えて、携帯を掴んだ。気持ちが消えないうちに打つ。今日は日曜日だ。

「今から、会いたいです」

送ったあとでドキドキしてきて、何故か知らないけれど、風呂場に駆け込んでしまった。返信、こなければいいのに。



カチャと扉を開けたら、拓也が立っていた。髪は整えたし、化粧だってした。でも部屋は間に合わなくて、絵具のチューブが散乱したままだ。

戦場の名残のまま。

「ごめんなさい。部屋汚いから、やっぱり外の方がいいです」

言ったのに、拓也は玄関に入ると、ちらっと奥を覗いて、凄いやと笑った。

そしてふと目を細めると

「凄い絵なんだろうな」

と呟いた。

なんて答えようか、考えていたら、あら、ここにこんな綺麗な花を見つけました、みたいな自然な感じで、すっと抱き寄せられた。

わっと思っていたら、もう玄関脇の壁が背中にある。

一瞬目をつぶったら、身体に力が入ったけど、思い切って目を開けて、こっちを見る熱っぽい目を見返したら、安心した。拓也さんも照れてるんだ。

いい?

聞かないで、下さい。

声が掠れて、最後は唇が重なって、多分声になってなかった。

ふわっと部屋の奥、色を纏った虎がこちらへ歩いてきて、2人の横を過ぎる。

その気配を蓮は、うっすら感じていた。(1話終 2話へ続く)


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