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刹那の銀

作者: ひよこねこ

 休日の教室は静かだ。

 校庭を走り回る部活動の連中の声も、ここ四階では遠くに聞こえるばかり。窓の向こうでは、傾いた陽が柔らかく一日の終わりの近いことを知らせている。

「おせぇな、ケンジのやつ」

 ユウスケは誰も居ない教室に向かって愚痴を飛ばした。

 ユウスケはどこの部にも入部していなかった。そんな彼がなぜ休日の中学校、それも四階の教室にまで上がってきたのかというと、昨日下駄箱に書かれた伝言を見たせいだ。下校の際に自分の下駄箱から靴を取り出すと、靴の下に隠れるように白いチョークで「明日、夕方。一年の時の教室で。ケンジ」と書きなぐったメッセージがあったのだ。

 ケンジは一年生の時のクラスメイトだった。ちょっとワルぶってはいたが、不思議と気の合う級友で、ユウスケはよく一緒に遊んだものだった。もっとも二年生に上がってクラス替えもあったせいで、ここのところはなんとなく疎遠になっている。だが、当時の思い出や共有した秘密は今でも大事に記憶の底にしまってあった。


 ふと、目の隅を何かが動いた。

「?」

 振り返ると、誰もいない。

 気のせいか、とユウスケは溜息をついて、手近な椅子を引き出して座る。「夕方」という言葉があまりにもあいまいな時間指定だということにいまさら気付いた。

「おっせえな、ケンジのヤツ!」

 前の教卓に向かって悪態をつく。教卓というものを見ると、ユウスケはなんともいえない怒りと焦りのようなものが浮かんできてしまう。

 しばらくすると、階段を駆け上る足音が聞こえてきた。

 音で思い出す。あれはケンジの足音だ。あいかわらずせわしない走り方だ、とユウスケは苦笑いした。


 開いていた扉を抜けてケンジが入ってくる。

「わりぃな、ユウスケ。夕方っていうからのんびりしてたら遅くなっちまった」

 無責任に、だが明るく笑ってみせるケンジ。その笑顔を見れば先程までの怒りも失せて、ユウスケもつられて笑顔になる。

「久しぶりだってのに、全く相変わらずだなぁケンジは。それで、今日は何の用事なんだ?」

 ケンジはそう問われていぶかしげにユウスケの顔を見る。

「何いってんだおまえ。おまえがここに来いって書いてたんじゃねぇか」

「え? もしかしてケンジの下駄箱にか?」

「そうだよ」

「おかしいだろ。だってオレの下駄箱にもそう書いてあったんだぞ」

「……誰かのイタズラか」

 ケンジは教室を見回した。

 一方ユウスケはそんなイタズラをしそうな人間を考えてみる。アイツか? いやそれともアイツか? いたずら好きの友人の顔がいくつか浮かぶが、それにしたってこうやって誰も居ない教室に二人を呼び出す意味がない。タネあかしもなしにイタズラする奴もいないだろう。

「帰るか」

「そうだな。意味わかんねぇや」

 ユウスケは溜息を一つ漏らすと、教室の中をぐるりと見回した。

「まぁ久しぶりにこの教室を眺めただけでも良しとするか」


 二人の横で開かれたままの教室の扉。その向こうを何かが横切る。

「誰だ!」

 ケンジは扉に飛びついて、廊下に人影を探す。右、左。だが、人などどこにもいなかった。

「あれ。今誰か通ったよな?」

 ユウスケも一緒に扉に立って周囲を見回していると、教室を振り返ったケンジが低い声でつぶやくのが聞こえる。

「何だ、あれ」


 教室の黒板に、白いチョークでもって大きな文字が書きなぐられていた。

 ――なぁユウスケ、北川のババア気に入らないよな

 力強くチョークで擦りつけられている。だが、それを書く音は聞こえなかった。

「なんだよ。さっきはなかったぞ。誰が書いたんだ」

「ありえないだろ。書く時間ないし。それにそれは……」

 北川のババア。それは一年の時に担任だった北川先生に二人がつけた蔑称だった。

 チョークの文字のクセにも何か見覚えがある。

 気持ち悪いな、と思ったユウスケが横の机を何気なく見ると短い悲鳴をあげた。

 ――あいつ最近うるせえよな。やっちまう?

 机の上面にはそのようにチョークで記されていた。ユウスケはそのチョークの文面に確かに覚えがあった。これは去年の夏、ユウスケとケンジの間で交わされた言葉のはずだ。

「誰だよ? おい、出て来いよ」

「人をおちょくるのもいいかげんにしろ!」

 何かが駆け抜ける気配。それを追って振り返ってもやはり誰もいない。

 ――やっちまおうぜ。計画たてようぜ計画

 ――そういやババア一丁前にガキできたんだってよ

 いつのまにか次々と周囲の壁、窓、机に白いチョークでかかれた言葉が描かれていた。それが書かれる瞬間は決して見えない。ただ、目の隅を銀色の影がかすめるだけ。

「やめろよ……誰だよ」

 ――ホント生意気だよな

 ――泣き虫のクセにな

「何なんだよこれ……何がいいたいんだよ」

「オレたちの会話を盗み聞きしてたのか?」

 いつのまにか文字に追われるように二人は教室の隅で肩を合わせていた。

 ――流産させちゃおうぜ

 ――やっちゃうか

「うわああ!」

「オレじゃない、オレじゃない!」

 恐慌をきたしたケンジが闇雲に走り出す。叫び声を上げながら教室を走り去っていった。

「待て、待てよケンジィ」

 置いていかれる! この状況でひとりぼっちになどなりたくなかった。だが、ユウスケの足は動かない。腰が抜ける、という現象が自分に起きるとは今まで想像も出来なかったことだろう。

 ――完全犯罪思いついたぜ。場所は階段

 ――マジか。どんな方法だよケンジ

 階段のほうから、聞いたこともないような絶叫が響き渡る。

 ケンジの声だった。

 続いて中身が詰まった重いものが高いところから叩きつけられたような音が。

 ――ホントにやったのかケンジ

 ――黙ってりゃわからないって。ユウスケ、絶対にチクルなよ

 ――でも赤ん坊は死んだって

 ――お前も共犯だからな

 教室中、狂ったようにチョークの文字が躍る。

 ――ババア、頭打って入院だって

 ――死なねぇかな。まさか気付いてねぇよな

 座り込んでしまったユウスケの視界の隅を、銀の影が飛び交う。

 そういえば、先生のメガネはよく反射してこんなふうに見えていたな、と思い出す。

「先生……許してくれよ。オレじゃない、オレじゃないよ」

 言い訳をつぶやいてみても、聞くものなどいなかった。見回したところで、教室にはユウスケ一人しか人間はいないのだから。

 いつのまにかベランダへ続く扉が開かれていた。カーテンが誘うように風に舞う。

 動かなかったはずのユウスケの体が動き始めた。

 だが、それがユウスケの意志であるのか、目の隅を刹那にかすめるあの影が操っているのか、もうユウスケにも判然としない。体はよろよろとベランダへと向かう。今や傾いた太陽は、真っ赤な夕日となって校舎を照らしている。


 そう、白いチョークの文字が書くとおりだった。そして彼らの担任だった北川教諭は、妊娠中に階段から転倒して流産となり、その出来事を思い悩むうちについには病院を抜け出してこの中学校の四階から真っ逆さまに身を投げて自殺したのだった。

 ベランダの先に校庭が見えて来る。先の叫び声を聞いたのか、部活にいそしんでいた生徒達がなにごとかと集まってきていた。顧問か誰かだろうか、大人も混じって何か叫んでいる。

 それももうユウスケには聞こえない。


 翌日の授業は中止となり、現状復帰となった二日後にようやく再開となった。

 二人の死の原因について語るとき、生徒達は誰もが悲しげな表情を浮かべる。

「好きだった先生の後追い自殺だって。担任だった時使ってた教室は、自殺する直前に二人が書いた先生への想いのメッセージで埋め尽くされていたそうよ」



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