9話「迷いの国」
「もう少ししたら近衛騎士団が帰還いたします。ばれる前に早く」
レイナに先導されるようにして再び城内を進む。ユウトはレイナを追いかける機械となって後についていく。
気持ちは全てアリゼに向いていた。だから、すぐに異変に気づく事ができなかった。
「そこまでだ、レイナにユウト」
「っ! あなたは……」
二人の前に姿を見せたのは近衛騎士団の隊長であるリーチェだった。
「何故あなたが……まだ遠征から帰って来るにはしばらく時間を要するはずですのに」
「部下から連絡が来たんでな。私だけでも急いで王都に向かったんだ。そしたらこのざまだ。ユウト、よくもやってくれたな」
レイナは服にしまってあった数本のナイフを指の間に挟み、戦闘態勢に入る。殺気が滲み出ているのが感じ取れた。
でもリーチェからはそういったものは感じない。
不審に思ったレイナが訊ねる。
「あなたはユウト様を捕らえに来たわけではないんですか?」
「……残念ながら、近衛騎士団隊長のリーチェは本来ならここにはいない。ゆえに私は少し早めに帰ってきてしまった休暇中の騎士だ。侵入者をどうこうする権利は持ちえてない」
応戦する気がないのを見るとレイナは武器をしまった。
リーチェはそれを確認するとユウトに視線を移す。
「その様子だとアリゼ様とゆっくり語り合ったようだな」
「よく分かったな。あんなことからこんなことまで、色んな話をしたよ」
強がりの冗談を言ってもリーチェはむしろ同情の眼差しを向けてくるだけだった。
「レイナ、彼を引き渡してくれないだろうか。彼を拘留するつもりはない。安全な所まで逃がすことを約束しよう」
「信じていいんですね?」
「ええ。だけど、二度と王都に来れないことは理解して欲しい。複数の兵から目撃証言が出ている。隊長の私は指名手配された人間は捕まえないといけないんだ」
その発言はレイナではなく失意に飲まれたユウトに向かって放たれたものだった。
レイナは心配そうな瞳でユウトを見つめてから、リーチェに全てを託した。
ユウトはリーチェに引きずられるようにして連行され、外に停めてあった馬車に乗せられた。その間はずっと無言だった。
揺られ続けてどれぐらい経ったか分からない。ようやく馬車の動きが止まる。
地面に降りると、王城はずっと遠くにいってしまった。王都の無数に連なる建物も今はレプリカと思えるような距離にある。
「さっきも言ったが、もう王都には近づくな。今日の午後には王都中にユウトは指名手配される。数日の間は外に広まらないよう手を回しておく」
心ここにあらずといった様子で聞いていた。
リーチェはそんなユウトに文句の一つも言わず伝えるべきことを伝える。
「これをユウトに渡そう。逃走用の資金だ。少ないが、豪遊でもしない限り、国を脱出するには事足りるはずだ。手持ちはこれしかなかったんだ。勘弁して欲しい」
リーチェから巾着袋を渡される。持ってみるとコインが擦れる音がした。中の覗いてみると金色のコインがちょうど十枚入っていた。
「理由はどうであれ、アリゼ様を気にきかけてくれたことを感謝する。アリゼ様も少しは心が晴れたようだ。……そう考えるとこの顛末はいささか不本意だ」
リーチェは苦い笑みを見せてくる。
彼女もまたユウトと同じようにアリゼを心配していた。だからユウトに同情を抱いてくれる。
「この道を辿れば迷いの森に出る。今は魔力が増加している傾向はないようだし、迷宮化することはないはずだ。道を外れなければ昼までに村に着くだろう。そこで馬を借りてマイアルズ王国を目指すんだ。いいな?」
迷いの森と聞いてユウトは初めて異世界に来た時のことを思い出した。
アリゼを初めて瞳に映した時は大層美しい少女だと思った。いざ話してみると普通の少女の反応だけど、どこか高潔な感じがしたのを覚えてる。彼女とお喋りする時間が楽しくて、気がついたら時間が経過し……いつの間にか迷路に迷い込んでいた。焦りに支配されて冷静な判断が下せなくなり、魔物の急襲を受けた。今も無事なのは外からリーチェ達が助けに来てくれたからで……。
そこでふと気づく。
なんだか今の状況は、迷いの森に入り込んだときと酷似しているのではないかと。
「なあ、リーチェ。一つ聞きたいことがあるんだけど」
「何だ?」
「アリゼは、王家は代々同じような思いを抱いてきたって言ってたんだけど、それは確かなのか」
一瞬思案し、ふむとリーチェは頷く。
「我が一族も代々王家に仕えてきた。だから王家が苦しい思いをしている姿を何度も見ている。アリゼ様の場合は特にそれが顕著に見えると父上も話していた」
「じゃあ長いこと同じような歴史が繰り返されてるってことか」
「……まあ、そうなるだろうな」
遠くに見えるウルカト城に顔を向ける。ここからでも絢爛豪華なさまがハッキリと見える。あの城や眼下に広がる王都も、ウルカト王国の長い長い歴史の末に生まれたものだ。
「今の質問は一体何だったんだ?」
「いや、どんなに羨ましがられる立場でも、人間である以上悩みは尽きないんだなって思ってさ」
「分かりきったことを悟ったように言うんじゃない」
呆れながらもリーチェの口元は微笑んでいた。
「色々と尽くしてくれてありがとな」
「礼を言われるまでもない。今度こそ、最後の別れだ。達者でな、ユウト」
伝えるべきことを伝え終わると、リーチェは馬に跨って王都へ続く道を戻る。
彼女の後姿が見えなくなったところで視線を落とし、受け取った巾着袋を見る。
それから顔を上げて王城をしかと見据える。
迷いの森は知らず知らずのうちに人を迷わせる。
おかしいと思った時には既に遅く、自力での脱出は叶わない。外からやってきた者達の助けを借りるしかない。
そしてこのウルカト王国も同じだ。
王国の住民達は王家の人間も含めて迷宮に知らず知らずに巻き込まれる。多くの者はそもそも迷い込んでいることに気づかず、例え気がついたとしても手遅れで、そのまま迷走を続けるしかない。
彼らを迷宮から救い出すには、やはり外部からの力が必要なのだろう。
そして、その外部からの力というのは、異世界からやってきた異分子である存在がそこに当てはまるのではないか。
ユウトはしばらくの間、王城を眺める。その間、自然と呟きが漏れた。
「……迷いの国か」
手の平に乗った十枚の金貨を握り締める。
自分は非力だ。遠巻きに巨大な城を見上げることしか出来ない。
対等にやりあうならまずは目線を合わすことから始めないといけないのだ。
「いいね、丁度いいハンデだよ」
もし、この迷いの国の目を覚ますために部外者の力が必要だというなら、喜んで手を貸してやろう。
異世界に来てからも流されっぱなしなんだ。折角別世界にやって来たんだから、前の世界ではできなかったことをしてやりたいと思うのは当然のはずだ。
俺は今度こそ自分の手で未来を選択してやる。
色々なことをやって来た。その背景にはこんな思いを持っていた。
どうせ経験するなら無理してでも楽しむ。後で後悔することになっても、今だけは全力で楽しむんだと。
それがユウトのモットーだ。
「待ってろよ、アリゼ」
王城に向かってニヤリと不適な笑みを浮かべて見せた。